チキン狂想曲
「え、チキンが食べたい?」
「ほら、この時期だし」
「あーそっかそっか。祈りの日だもんねえ」
祈りの日、というのはいつもあたし達の事を見守ってくれている神様に感謝をささげるという、年に一度の厳かな日だ。いつもは忙しく仕事をしている人でも、今日ばかりは家でゆっくりと過ごしていることがほとんど。
だから、食堂もこの日はほとんどお客さんが来ることはない、と思いきや。
仕事に忙しい人は、ここぞとばかりにお供えを持って神殿に行くから、持ち帰りの料理を頼む人がいつも以上にやって来る。明日の祈りの日に備えて、今日は朝から作り置きできる料理を仕込む予定だ。
そのための買い出しをしている時に、ふとユータが口にしたのは、前の世界での定番料理。
「あたしは記憶が戻って初めての祈りの日だから、そこまで思いつかなかったよ」
ちょっとだけ赤くなっていた指先に、はあと息を吹きかけて温かさを移す。空気が冷たいから一瞬でなくなってしまうけれど、この冷たい指を自分の首筋に当てると肩が跳ねてしまいそうだ。
「ベル、今までは何を作ってたんだ?」
「祈りの日の定番って言ったらドライフルーツ練り込んだパンとか、ミートボールにマッシュポテトだったけど」
ユータの質問に、あれこれと料理を思い浮かべるけれど、そう言えば同じような料理で名前あったよなあ。自分で作った覚えがないし、いまいち自信がないからまだ言わない。
「出来るだけ火も使わずに、静かな一日を送れますようにって聞いていたし、実際うちでも温め直さなくてもそのまま食べられるようなものばかり用意してるよ」
サンドイッチは神殿にお供えするだけでなく、自宅で食べる分としてもかなり売れる。祈りの日だけは中身を豪華なものにするから、それが目当ての人もいるくらいなんだけど。今年は前の記憶がある分、いつもとは少し違った具材のサンドイッチを作れるんじゃないかとは思うし、両親からも期待されている部分はある。
「じゃあさ、今年はちょっと違ったの用意してみない?」
「今から?」
「頼むよ。荷物持ちは当然俺がやるからさ!」
パンッと両手を合わせてお願いと全身で表現してくるユータ。一緒に過ごすようになってからしばらく経つけれど、どうにもユータのお願いは断れない。
たぶん、ユータもあたしがお願いを断ることが少ないとは気づいていると思う。どう頑張っても無理なお願いはしてこないから。
「分かった。それで、食べたいのは焼く方? 揚げる方?」
「どっちも!」
凄く晴れやかな笑顔を向けてきたけれど、少しばかりイラッとしたのでお肉の経費はユータに出すお給料から引こうかな、という考えがよぎったあたしは、悪くないと思う。
「それでこんなにチキン買って来たのか」
「相談もなしにごめんなさい。お金は、ユータのお給料から天引きで」
「え、ちょっとベルそれは聞いてない!」
思っても見なかったことをあたしが言ったんだろう。めちゃくちゃ焦った様子で首を忙しく動かし始めたユータの様子を見て、さっきのイラッとした感情はチャラにさせてもらった。
「冗談だよ。だけど、上手く作れなかったらあたし達のお金からだからね」
「それはもちろん! ベルなら店には出せなくても食べられない料理にはならないだろうし。もし黒焦げになっても俺が全部食べるから」
「良かったねえ、リズ。愛されてるねえー」
「ソフィ、黙って」
うりうり、とからかうようにあたしのことを肘で小突いてきたソフィには、そのまま目隠しをするようにエプロンを放り投げた。
今、絶対顔赤くなっている。嬉しいなと思う事をこうもさらりと告げられるから、あたしの方がドキドキしている回数が多いのは、ちょっとだけ悔しかったりする。
この寒さでチキンを食べたくなるイベント、そんなの思い当たるのは一つだけだ。上手く作れればこの時期に少し在庫が過剰気味なチキンを上手く捌けるし、名物になればお店の売り上げだって上がる。何より、前の記憶を大事にしてくれているユータのために、美味しいと思ってもらえるように頑張ろう。
「とりあえず、ユータに焼くのは任せます」
「俺に出来るかなあ」
「もちろん、手伝うよ。だけど、揚げるのは油使うし、そっちの方が心配」
ユータは基本、ホールで注文を取ったりがメイン。厨房も手伝ってもらうけれどお皿洗いとか足りない食材を貯蔵庫から持って来てもらうとかだから、調理に加わってもらう事はあまりない。
聞けば旅の間は野営で自分で現地調達した食材を使って料理をしていたそうだけど、サッと焼いたり煮たり程度しかしていなかったらしいし。まあ、勇者として魔王を倒す旅をしていたんだから、あまり時間だってかけられなかったんだろう。それはいいんだけど、料理の腕前を見るとなると、やっぱり不安の方が大きい。
「チキン、お腹にざっくりと切れ目入れて。中にスパイスとか詰めるから切り落とさないように」
「ね、ベル。俺だって何となくは出来上がり分かってるから。そこまでひどくはないと思うんだけど……」
「そう言ってポトフの予定をミネストローネにしたのは誰でしたか」
「すいませんでした!」
ごろごろした野菜を頬張るポトフが好きだから一口大に切ってね、と伝えていたのにいざ任せてみたらみじん切りがどんと用意されていたのは、そう前の話ではない。細かく切ってあってもポトフに出来なくもないけれど、煮込んだ野菜をほろほろと崩して味わうような感じにはならないだろうと思ったからメニューを変更したというのは、ユータだって覚えているはずだ。
その直後に、季節外れの寒波がやって来て寸胴一杯に作ったミネストローネがすべて売り切れたから、結果オーライだったけど。
「それじゃあ、臭みを取るようなハーブと、ポテトね。これをチキンに詰めてしっかりと串で閉じて」
「よ、っと。意外と難しいな」
ポテトは付け合わせに出来るようなサイズでカットしてあるけれど、ユータが入れた切り込みは思っていたよりも小さい。入れるの大変そうだなあとは思ったけれど、そのまま全部任せることにした。あたしも、指示を出しながら揚げ物の準備をする。
料理屋だから油は他の家よりも用意できるけれど、少し値が張るものであることに違いはない。だからこそ、お父さんもお母さんもチキンを揚げたいと伝えた時に少し渋っていた。
「美味しいと思ってもらわないと、売れないからね」
一口サイズに切ったチキンに、粉を振るいかける。ユータが食べたいフライドチキン、あの衣のおいしさはどうやっても再現できないだろうから、塩胡椒にちょっとだけガーリックを混ぜたもので勘弁してもらおう。
お肉に下味をつけたらそれは唐揚げだし。まあ、鶏を揚げているという意味では変わらないのかもしれないが。
「ベル! 出来た!」
「オーブン予熱してあるから、焼いてきてー! 時間は分からないから、ユータしっかり見ていてね!」
「分かったー!」
おばあちゃんと二人だった時は、作っても消費しきれないからと自分たちが食べられる分だけを買ってきていた覚えがある。だから、作れるのは少しだけ憧れに手が届いたような気分もあった。
ユータが提案してくれなかったら、思い出しもしなかっただろうけど。
「リズ、何か手伝う?」
「ううん。危ないからソフィは離れてて」
危ないと聞いたとたんにソフィがざっと後ずさりをして、お父さんを壁にするように背中に隠れている。
お父さんもソフィを庇うようにしているけれど、そんなに怯えることはないだろう。唐揚げは、作ったことがあるんだから。
熱くなった油に、チキンを滑り込ませる。じゅわわっといい音を立てたチキンを何個か続けて鍋に入れると、あっという間に辺りに食欲を刺激する香りが充満し始めた。
「おやっさん、なんかいい香りするなあ」
「リズちゃんがまた何か作ってるのかい?」
ちょうどお昼を食べに来ていた職人さんたちの興味も引きながら、良い色に揚がったチキンをバットに上げる。骨の周りのお肉をこそげるのも美味しいんだけど、残った骨は処理に困るだろうから、と手間だったけれど骨は外して、丸ごとかじれるように成形してある。
「はい、味見。美味しかったら明日の祈りの日にメニューに加えるから」
「うわあ、いい香り! いただきます」
お父さんとお母さん、それからソフィ。まずは三人に一口ずつ食べてもらえるように切り分けたフライドチキンを渡していく。職人さんたちからはジト目で見られたけれど、まずは両親の許可が出ない事にはお客さんに出せるはずもない。
「……リズベル」
「お、お父さん?」
「チキンたくさん買って来るから、出来るだけ作れ。ソフィ、マーシャ。お前たちはリズベルの手伝いだ」
「ちょっとお父さん、まだオーブンのチキンも残って……!」
正直、それからの記憶はあまりはっきりと覚えていない。とにかく大量にチキンを買い込んできたお父さんが、焼き上がったローストチキンとお腹に詰めていたポテトの味に感動したのか、また店を飛び出したからだ。
ユータとちょっとした思い出をなぞるのも悪くないと思って作り始めたはずだったのに、気がつけばうちの店だけではなく、ソフィの両親をも巻き込んでひたすらにチキンと向かい合う事になった前日。
手で持ってさっと食べられるのに満足感があるのがいいとの評判に加えて、揚げた時の香りが客を呼び、祈りの日なのに、うちの店はゆっくりなんてしていられなかった。
ローストチキンは、暖炉で温め直せばいいなんて笑って丸ごと買ってくれる人が多かったし、肉は好きじゃないけどポテトは美味しいと言って中身だけ欲しいなんて人も来た。
せっかく油を使っているんだから、とフライドポテトを作ったら、ユータに仕事を増やすなとげんなりした顔で言われたけれど。いやだって食べたいじゃない、フライドポテト。塩とハーブをちょっと振りかければ立派なおかずだ。
「お、終わった……」
「お疲れさま、でした……」
祈りの日はようやく終わる。けれど、あたし達が明日やる事は決まっている。今日の料理のレシピを広げて、少しでも負担を減らすことだ。
「何か、俺あの頃のバイトを思い出したわ」
「食べたいって言ったきっかけの?」
「そ。だってこの日って狙ったように買いに来るじゃん?」
面白そうにケラケラと笑っているユータには申し訳ないけれど、きっと来年からはあたし達があの白いタキシード着たおじいちゃんのお店代わりになるんだよなあ。
今のうちからレシピを広げておけば、今日みたいな忙しさは回避できると信じているけれど。
「はい、ベルの分。ちょっと冷めちゃってるけど、食べてないだろ」
「ありがと。お昼も夜もちゃんとに食べれなかったね」
ぼんやりと外を眺めながら、冷めてしまったローストチキンを口に運ぶ。パリッと焼き上がっていたはずの表面はしんなりしているけれど、ぱさぱさではないからじわりと旨味がやって来る。
ポテトのほくほくした口当たりも、いい感じだ。ちょっと下味をつけていたらまた違った味わいになるかもしれない。今回は改良する間もなく飛ぶように売れていったからなあ。
それから、フライドチキン。さくりとした歯ごたえの後に感じるのは、油で揚げることで閉じ込められていたチキンの旨味。塩胡椒だけのシンプルな味わいの衣から香るガーリックが、満足感を与えてくれる。
ユータも美味しそうに食べているから、まあ期待には応えられたのだろう。レシピが増えるよりも店の売り上げが増えるよりも、それが嬉しい。
「メリークリスマス」
言葉の意味はきっと、この世界であたし達だけにしか伝わらないと思うけど。
「え、これ何の行列」
「神官様はご存じないですよね。昨日の祈りの日で新しいメニューが追加されたんですよ」
「美味しかったですよ! こうしてまた買いに来るくらいに!」
「へえ。それはぜひとも味わってみたいものですね」
次の日、こんな会話があったりなかったり。リズベルとユータは、神官二人から笑われたりよく頑張ったと労わられたりしました。
あと少しで終わってしまいますが、良い週末を。メリークリスマス!




