1. よく食べる壁の花
全33話完結のラブコメディです。
3話目以降、毎日1話ずつ投稿します。
「ねえ、アニエス。あなたの婚約者様、今夜も女性から大人気ね」
とある侯爵家の夜会会場。『よく食べる壁の花』ことアニエス・ワイスに、従姉妹のシルヴィが話し掛けた。アニエスが手元の皿から視線を上げる。アニエスのグレーの瞳に、夜会を彩る花たちに囲まれた婚約者のキリアン・バートランドの姿が飛び込んだ。
「そうね。でも、このお肉より興味ない」
アニエスはそう言うと、再び皿の料理との格闘を続けた。自慢の赤い髪は、今夜も綺麗に結い上げられている。食事の邪魔にならないように。その準備の良さに、シルヴィは呆れながらアニエスを見た。
「二人とも、またそんなところにいたのね。はい、アニエス」
髪と同じイエローのドレスを着たベアトリス・ロッシェと、手にデザートの皿を持ったジュリア・ラミーが、アニエスとシルヴィに近づいた。
「ありがとう、ジュリア! この侯爵家のアップルパイ、本当に美味しいのよ」
アニエスは躊躇なく皿を受け取ると、器用に肉の皿と共に片手に収めた。その様子に三人は苦笑いする。
従姉妹のシルヴィ、ベアトリス、ジュリアの三人は、アニエスの数少ない友人たちである。揃って十八歳を迎え、さらに同じ伯爵家の令嬢として幼い頃から交友があるというだけでなく、三人はアニエスの良き理解者でもあった。
派手な美人顔であるアニエスは、夜会ではいつもダンスも踊らずに美味しそうに食事を楽しんでいる。その光景は不自然で、今夜もアニエスを揶揄う令嬢たちが、遠くから好奇の目を向けていた。
シルヴィがぐるりとホールを見渡す。数組の令嬢たちが扇子で口元を隠し、慌てて視線を逸らした。
「キリアン様のせいでこんな扱いを受けているのに、アニエスは平気なの?」
少し怒った口調でシルヴィがアニエスに詰め寄る。ベアトリスもジュリアも眉を寄せて、深く頷いた。綺麗な所作で、あっという間にアップルパイを平らげたアニエスが給仕に皿を渡しながら、涼しい顔をして言った。
「あら。キリアンが招待されるから、体裁のために婚約者である私が連れて来られる。おかげで、私は美味しいものが食べられる。幸せじゃない?」
アニエスは、再びキリアンの方を見た。
キリアンの周りには、さっきより令嬢たちが集まっていた。皆、キリアンとダンスが踊りたいのだ。
「まあ、確かに見た目はいいわよね。あの長身に、あの整ったお顔でしょう。金の髪なんて王族かと間違えちゃったもの」
ジュリアが、コンプレックスでもある紺色の髪を気にしながら唇を尖らせた。
「王族と言えば、第三王女はキリアン様を婚約者にしたかったのだとか。キリアン様が伯爵家だから身分の差に泣く泣く諦めたって噂よ」
ベアトリスがおっとりした口調とは反対に、とんでもないことを言い出した。「不敬よ」とシルヴィとジュリアが、ベアトリスの口を塞ぐ。
「顔がいいとかどうでもいいわ。っていうか、キリアンがモテる意味がわからないわ。婚約してからのキリアンとの会話、知りたい?」
半目のアニエスが投げやりに言うと、三人はアニエスの口元に耳を寄せた。
「いかに俺様が見目麗しいか。そして、いかにモテるか……それだけよ」
三人は信じられないとばかりに顔を見合わせた。
「自称『顔はいい』らしいけれど、頭の方は残念だと思うの。だって婚約して三年、ずっと私を『お前』って呼ぶのよ。覚えられないのか、もしくは私の名前が『オマエ』だと思っているのよ。私より二つも年上なのにね」
三人は居た堪れなそうにアニエスを見た。アニエスは相変わらず涼しい顔をしている。
「あちらも、愛想のない私といても楽しくないでしょう。この婚約が解消されるのも時間の問題かしらね」
アニエスはそう言うと、近くの給仕にシャンパングラスを貰いに行ってしまった。
シルヴィは、アニエスの後ろ姿とキリアンを交互に見てからため息を吐いた。
「正直、あの二人があんなに相性が悪いとは思わなかったわ」
「うん。家柄も見た目もお似合いなんだもの」
「キリアン様もアレだけど、アニエスも随分アレよね」
「そこがまた、お似合いなんだけどね」
三人は、給仕係と談笑しながらシャンパングラスを飲み干すアニエスを見て、またため息を吐いた。
***
「おい、キリアン。大丈夫か」
取り巻く令嬢たちを撒いたキリアンと友人のワレン・ルメートルは、男性招待客しか入れない喫煙室のソファーにぐったりと座り込んでいた。
「ダンス、ダンスって、俺は何なんだよ」
「それは嫌味に聞こえるぜ、キリアン」
周りにいた数人の男性客から、キリアンに冷たい目が注がれる。それに気づいたキリアンは、気まずそうに口を噤んだ。
「ま、自分の婚約者がキリアンに夢中なのはつまらないだろうな。僕に婚約者がいたらキリアンには近づかせないよ。そうだ、婚約者と言ったら……」
ワレンが体を起こすと、キリアンに顔を近づけた。
「相変わらず派手な美人だな。キリアンの婚約者殿は」
アニエスのことを仄めかされ、キリアンは嫌そうに眉を顰める。
「赤い髪にあのスタイルだ。ただでさえ目立つのに、壁際で豪快にお食事三昧。ホール中の客の目は、お前かアニエス嬢のどちらかを見ていたな」
「馬鹿にするなら、あいつだけにしろ」
「酷いやつだな」
ワレンはニヤリと笑う。
「お前たちの婚約はうまくいかない。そう思っているから、ご令嬢たちは皆、キリアンに唾を付けに来るんだ」
それは面倒臭い、とキリアンは目を閉じた。
「で、実際はどうなの?」
ワレンの興味本位な質問に、キリアンは何も答えない。しばらく動かなかったキリアンだったが、やがて重い腰を上げた。
「さあ。ご令嬢たちが俺を待っている。ワレン、お前もいい加減に婚約者を探せよ。あいつとは違って、とびっきり愛想のいい子をな」
「おい、誤魔化すなよ」
ワレンがその後を追いながら、キリアンをつつく。キリアンは前を向いたまま吐き捨てるように言った。
「今度が、あいつとの最後の茶会になりそうだな」
お読みいただき、ありがとうございます。
夜にもう一話投稿します。




