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第7話 嫉妬の肥料配合

第7話 嫉妬の肥料配合


 初夏の陽射しが離宮の畑を照らしていた。


 ジャガイモの葉は青々と茂り、トマトの苗は支柱に支えられて空へ伸びている。


 果樹園の若葉も濃くなった。


 鶏たちは元気に走り回り、時折得意そうに鳴いている。


 その平和な光景の中で。


 アルベルト・フォン・ローゼンベルクは機嫌が悪かった。


 非常に悪かった。


 

「閣下」


 隣に立つ執事が恐る恐る声をかける。


 

「何だ」


 

「紅茶です」


 

「置いておけ」


 

「冷めます」


 

「構わん」


 執事は逃げた。


 長年仕えているが、こういう日の宰相には近寄らない方がいいと知っている。


 離宮の東側。


 そこから畑が見える。


 そして。


 問題も見える。


 

「あははは!」


 

「それは違いますよ!」


 エルザが笑っていた。


 隣にはレオンがいる。


 いつも真面目な側近が珍しく笑顔だった。


 

「いや、私の実家ではそうだったんです」


 

「でもそれだと肥料焼けします!」


 

「なるほど!」


 

「鶏糞は強いんですよ!」


 

「確かに!」


 楽しそうだった。


 実に楽しそうだった。


 アルベルトは紅茶を飲んだ。


 少し苦かった。


 

「閣下」


 執事が再びやってくる。


 

「何だ」


 

「機嫌が悪いですね」


 

「普通だ」


 

「そうでしょうか」


 

「普通だ」


 執事は黙った。


 全然普通ではなかった。


 その頃。


 畑では。


 

「牛糞を三割」


 エルザが指で空中に図を描く。


 

「鶏糞を一割」


 

「ほう」


 

「残りは堆肥です」


 

「面白いですね」


 

「でしょう!」


 レオンは本気で感心していた。


 実家が農業貴族である彼には分かる。


 エルザの知識は本物だった。


 

「閣下に頼んで取り寄せてもらった馬糞も最高でした」


 

「そこまで違うんですか」


 

「全然違います!」


 エルザの目が輝く。


 

「宝石より嬉しかったです!」


 

「それは凄い」


 

「人生で三本の指に入ります!」


 レオンが笑う。


 エルザも笑う。


 実に楽しそうだった。


 アルベルトは窓を閉めた。


 

「うるさい」


 

「窓の外ですよ」


 執事が呟く。


 

「知っている」


 なぜだろう。


 妙に落ち着かない。


 胸の奥がざわざわする。


 仕事なら得意だ。


 外交も交渉も。


 陰謀も駆け引きも。


 しかし今の感情だけは理解できなかった。


 昼食の時間になる。


 食堂には夏野菜を使った料理が並んでいた。


 トマトとバジルの冷製パスタ。


 香草焼きの鶏肉。


 新鮮なサラダ。


 卵たっぷりのキッシュ。


 窓から風が吹き込み、ハーブの香りが漂う。


 

「閣下!」


 エルザが笑顔で手を振った。


 

「こっちです!」


 

「ああ」


 席につく。


 すると。


 

「レオン様!」


 

「何ですか?」


 

「昨日思いついたんですが!」


 

「はい」


 

「鶏糞と牛糞をですね!」


 

「なるほど!」


 

「そこに落ち葉堆肥を!」


 

「面白い!」


 二人の会話が始まった。


 アルベルトは無言でパンを食べる。


 

「閣下」


 エルザが振り返る。


 

「何だ」


 

「どう思います?」


 

「知らん」


 

「えー」


 

「好きにしろ」


 エルザは残念そうな顔をした。


 そしてまたレオンへ向き直る。


 

「それでですね!」


 

「はい!」


 楽しそうだった。


 非常に楽しそうだった。


 アルベルトはナイフを置く。


 

「レオン」


 

「はい」


 

「仕事はどうした」


 

「終わっています」


 

「そうか」


 

「閣下も終わっていますよね」


 

「……」


 終わっていた。


 言い返せなかった。


 午後。


 エルザは二人を畑へ連れ出した。


 

「見てください!」


 トマトの苗が並んでいる。


 

「元気ですね」


 レオンが感心する。


 

「でしょう!」


 

「葉の色も良い」


 

「ですよね!」


 また盛り上がる。


 アルベルトは少し後ろを歩いていた。


 すると。


 

「閣下」


 レオンが振り返る。


 

「何だ」


 

「来ませんか?」


 

「何をだ」


 

「肥料の話です」


 

「行かん」


 即答だった。


 だが二人は楽しそうだ。


 エルザは笑いっぱなしだった。


 その顔を見ていると。


 なぜだか面白くない。


 

「閣下?」


 エルザが首を傾げる。


 

「どうしたんですか?」


 

「何でもない」


 

「元気ないですね」


 

「普通だ」


 

「病気ですか?」


 

「違う」


 

「じゃあ肥料不足ですね!」


 

「人間は肥料不足にならん」


 

「なります!」


 ならない。


 絶対にならない。


 夕方。


 レオンが帰る時間になった。


 

「今日はありがとうございました」


 

「こちらこそ!」


 

「また今度」


 

「ぜひ!」


 二人は握手している。


 満面の笑みで。


 その光景を見て。


 アルベルトの胸がまたざわついた。


 レオンが帰った後。


 畑には夕陽が差していた。


 トマトの葉が黄金色に輝いている。


 

「レオン様っていい人ですね」


 エルザが言う。


 

「ああ」


 

「農業の話が通じます!」


 

「ああ」


 

「楽しかったです!」


 

「ああ」


 エルザが不思議そうに見上げる。


 

「閣下」


 

「何だ」


 

「怒っています?」


 

「怒っていない」


 

「本当ですか?」


 

「本当だ」


 

「じゃあ良かった!」


 ぱっと笑う。


 その笑顔を見た瞬間。


 胸のざわつきが少しだけ消えた。


 代わりに。


 別のことに気付いてしまった。


 レオンと楽しそうに話している姿を見て。


 面白くなかった理由。


 その正体を。


 

「……」


 

「閣下?」


 

「何でもない」


 アルベルトは空を見上げた。


 夕焼けが美しい。


 そして彼は思った。


 自分は政敵との戦いよりも厄介なものに巻き込まれたのかもしれない、と。


 もっとも。


 その直後。


 

「ところで閣下!」


 

「何だ」


 

「鶏糞と牛糞、どちらが好きですか?」


 

「知らん!」


 どうやら恋敵はレオンではなく。


 肥料そのものらしかった。


続く。


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