表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/12

第1話 ハゲタカ宰相と泥だらけの令嬢

第1話 ハゲタカ宰相と泥だらけの令嬢


 アウレリア王国の王都では、幼い子どもでさえその名を知っていた。


 アルベルト・フォン・ローゼンベルク。


 二十八歳。


 王国宰相。


 そして――ハゲタカ。


 彼が目を付けた貴族は終わる。


 隠していた不正は暴かれ、蓄えた財産は没収され、二度と社交界へ戻れなくなる。


 冷酷。


 非情。


 無慈悲。


 貴族たちは彼を恐れ、陰ではそう呼んでいた。


 だがアルベルト本人は気にしていない。


 害虫を駆除するのに感情など必要ない。


 それが彼の信条だった。


 その日も黒い外套を羽織り、銀髪を後ろへ流したアルベルトは馬車の窓から景色を眺めていた。


 目的地は元グランツ伯爵家。


 先日、不正蓄財と横領が発覚し取り潰された家だ。


 そして今日は、その娘との面会だった。


 監視のため。


 政敵の残党に利用されないため。


 形式上の婚約者として囲うため。


 極めて合理的な判断である。


 アルベルトはそう考えていた。


 隣に座る側近レオンがため息をつく。


 

「本当に婚約されるのですか」


 

「形だけだ」


 

「お相手は二十歳の令嬢ですよ」


 

「だから何だ」


 

「普通は泣くとか怯えるとかあると思うんですが」


 

「会えば分かる」


 アルベルトは興味なさそうに答えた。


 どうせ没落した令嬢だ。


 絶望し、泣き暮らしているに違いない。


 少なくとも彼はそう思っていた。


 だが――。


 馬車を降りた瞬間、異変に気付いた。


 甘い花の香りではない。


 土の匂いだった。


 春の日差しを浴びた大地の匂い。


 湿り気を含んだ黒土の香り。


 庭の向こうからシャベルの音が聞こえる。


 ザク。


 ザク。


 ザク。


 アルベルトは眉をひそめた。


 

「庭師か?」


 

「さあ……」


 屋敷の裏庭へ回る。


 そこで二人は固まった。


 一人の令嬢がいた。


 栗色の髪を後ろで束ね、頬に土をつけている。


 淡い緑色の作業着。


 貴族令嬢が着るような豪華なドレスではない。


 腕まくりをし、大きな木箱の前で何かを混ぜていた。


 

「もう少しですねぇ」


 嬉しそうな声。


 その時、令嬢が顔を上げた。


 琥珀色の瞳がアルベルトを捉える。


 そして開口一番。


 

「踏まないでください!」


 アルベルトは足を止めた。


 

「……何をだ」


 

「発酵中です」


 

「は?」


 

「そこです」


 指差された先を見る。


 地面の上に落ち葉や藁が山積みになっていた。


 

「堆肥です」


 

「たいひ?」


 

「はい!」


 令嬢は満面の笑みを浮かべた。


 

「最高の状態なんですよ!」


 アルベルトは人生で初めて返答に困った。


 沈黙する宰相。


 笑顔の令嬢。


 風だけが吹いている。


 レオンが横で肩を震わせていた。


 

「……お前がエルザか」


 

「はい!」


 

「グランツ伯爵令嬢エルザです!」


 

「俺を知っているな」


 

「もちろんです」


 

「怖くないのか」


 

「え?」


 エルザは首を傾げた。


 本気で意味が分からないらしい。


 

「なぜですか?」


 

「俺は君の父を失脚させた」


 

「父が悪いことをしたんですよね?」


 

「ああ」


 

「でしたら当然では?」


 あまりにもあっさりした返答だった。


 アルベルトは思わず黙り込む。


 

「それより」


 

「何だ」


 

「こちらへどうぞ!」


 腕を引っ張られた。


 泥だらけの手で。


 王国宰相が。


 

「待て」


 

「見てください!」


 そこには小さな畑があった。


 レタス。


 玉ねぎ。


 豆。


 見事な緑が春風に揺れている。


 

「この玉ねぎは去年の秋に植えたんです」


 

「そうか」


 

「こっちは春キャベツです」


 

「そうか」


 

「見てください、この葉の艶!」


 

「そうか」


 アルベルトの語彙が消えた。


 いつもなら外交官相手に三時間でも話せる男が、玉ねぎの前で敗北している。


 レオンはついに吹き出した。


 

「閣下」


 

「笑うな」


 

「失礼しました」


 全然反省していなかった。


 昼になり、屋敷の食堂へ案内される。


 食卓には豪華な料理はなかった。


 だが温かな香りが広がっている。


 野菜のスープ。


 焼きたての黒パン。


 香草入りの卵料理。


 新鮮なサラダ。


 

「畑の野菜です!」


 エルザは誇らしそうだった。


 スープを飲む。


 驚いた。


 甘い。


 玉ねぎの甘みが溶け込んでいる。


 

「美味しいでしょう?」


 

「……悪くない」


 

「やった!」


 子どものように笑う。


 その笑顔を見ていると、不思議と肩の力が抜けた。


 王宮では見ない顔だった。


 権力も打算もない。


 ただ野菜が好きなだけの笑顔。


 窓の外では畑が陽光を浴びている。


 鳥の声が聞こえる。


 春の匂いが流れ込む。


 エルザはパンをちぎりながら言った。


 

「ところで」


 

「何だ」


 

「婚約者になるんですよね?」


 

「ああ」


 

「でしたらお願いがあります!」


 アルベルトは身構えた。


 宝石か。


 ドレスか。


 屋敷か。


 ようやく令嬢らしい願いが来るのだろう。


 しかし。


 

「最高品質の馬糞を分けていただけませんか?」


 食堂が静まり返った。


 

「……馬糞?」


 

「完熟したものが理想です!」


 

「……」


 

「できれば十袋ほど!」


 アルベルトは天井を見上げた。


 人生最大の難敵は。


 政敵でも国王でもなく。


 目の前の農業オタク令嬢なのかもしれない。


 そんな予感がした。


続く。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ