145.最終話 春を彩るお弁当
やあ、長らく待たせたね。
ようやく処分が解けたよ。
ほんとだろうな?
実は冗談でした、なんて言ったら俺でも怒るぞ。
ほんとだって。神様嘘つかない。
うさんくせえな。
けど、信じるよ。
ヤオロズからの食材が無いと、どこか物足りなくてね。
色々工夫したけど、根本的な部分だからな。
ほんとに助かるよ。
ふふふ、讃えよ、さらば助けられん。
なーんてね。
そこまで心待ちにしてくれて、僕も嬉しいよ。
食材に関しては、文字通り神頼みだ。
それで、どんな食材ならもらえそうかな?
大体何でも大丈夫。
あと季節が春になったから、一つプレゼントがある。
お弁当にでも使ってみたら?
プレゼント? 何だよ。
それは見てのお楽しみさ。
† † †
俺は料理するのが好きだ。
美味しく食べてくれる人がいるなら、もっと好きだ。
その気持ちを噛み締めながら、台所に立っている。
"久しぶりだなあ、この感じ"
冬の間、弁当作りは中止していた。
今一つ気が乗らなかったからだ。
エミリアも「ですよねー」と言ってくれたしな。
楽ではあったけど、作る喜びは一つ減った。
その状態が当たり前になりかけていた。
"だけど、今日からまた出来るんだ"
ボウルを取り出す。
卵を掴み、ボウルの縁で割ってやる。
白い殻が割れた。
中身をボウルに落とし込む。
うん、新鮮ないい卵だ。
黄身がこんもりと盛り上がっている。
満足しながら、菜箸でかき回す。
黄身と白身が一つになったところで、味付けだ。
しょうゆとみりんを少しだけ、その中に足してやる。
"ベタだけど、ちりめんじゃこでいいか"
頭の中で考えつつ、手は別の動作を行う。
小さなフライパンを熱し、そこへボウルを傾ける。
とろみが消えないうちに、ちりめんじゃこを。
白い小魚がパラリと落ちて、卵の中へ沈む。
卵焼きの定番だ。
じゃこの微かな塩気が効くから、冷めても美味しい。
台所には色々な音が弾ける。
ジュッ、と卵が焼ける音もそうだ。
パチンッ、と油が跳ねる音もその一つだ。
そうした一つ一つの音が、俺には嬉しい。
また地球の食材を使って、好きな料理が出来る。
そのことが単純に嬉しいんだ。
"唐揚げはどうかな"
左を見ると、こっちもいい感じだ。
鉄鍋の油の中で、唐揚げがバチバチと音を立てている。
うん、いい匂いだ。
前日に酒と醤油に漬け込んで、鶏肉の旨みを引き出しておいたからな。
隠し味におろしたニンニクと生姜を忍ばせたから、僅かな臭みも取れている。
唐揚げのレシピは、一年前と変えていない。
俺の得意料理の一つだからな。
変わった部分もあれば、変わらない部分だってある。
ご飯はわざとおにぎりにしていない。
弁当箱に詰めて、冷めるのを待つ。
ある程度冷めてから、具を上に載せてやる。
今日の具は特別だ。
ヤオロズからのプレゼントを、早速使うことにした。
ひとつまみして、ご飯の上にはらりと置く。
淡いピンク色の花びらは、白いご飯に良く映える。
花びらの塩漬けか。
中々洒落たプレゼントだよ、ヤオロズ。
これで大体出来たので、最後の一品に取りかかる。
何にするかは決まっている。
ほうれん草を湯に沈めた時、後ろから声をかけられた。
「おはようございますー、っ、おおお!?」
「おはよ。何だよ、朝からいきなり変な声出して」
「だ、だって、だって、クリス様がお弁当作ってるんですよっ!? 超お久しぶりのお弁当作りですよっ! びっくりして当たり前じゃないですかー!」
俺に詰め寄りながら、エミリアがまくし立ててきた。
寝起きなので、髪があっちこっちに飛び跳ねている。
それを気にすることもなく、俺とお弁当を交互に見ていた。
彼女と目が合う。
何故か、少し優しい気持ちになれた。
「昨日ヤオロズから連絡があった。食材供給の再開だってさ。そういう訳で、今日からお弁当も再開だ」
そう言って、俺は火魔石を止める。
沸騰による泡が静まる。
ほうれん草の色を確かめ、一度冷たい水にさらした。
春先の水は、まだまだ温度が低い。
「湯だったほうれん草は、一度こうして水にさらす。そうすると、葉が綺麗な緑色になるんだ。これの水気を切ってから、適度な大きさに切る。しょうゆとかつお節をかけて、出来上がり」
「くぅ、ただのほうれん草のおひたしなのに! 久しぶりに見るせいか、すごく美味しそうなのですー!」
「だろうね。俺でさえ、少々感動しているからな」
答えつつ、俺はおひたしを弁当箱に詰めた。
この弁当箱も、昨日ヤオロズからもらったものだ。
食材のおまけということらしい。
薄い木を曲げて、楕円形にしている。
軽いが丈夫で、通気性もいい。
「この弁当箱、わっぱと呼ぶんだってよ」と説明してやる。
エミリアは「へえー、可愛い形ですねえー」と顔をほころばせた。
「弁当箱が新しいと、中身もまた違って見えるだろ。俺も作りがいがある」
「私も食べがいがありますねー、えへへへ。うーん、それにしても素晴らしいお弁当ですねー。唐揚げでしょ、ちりめんじゃこ入りの卵焼きでしょ。それにほうれん草のおひたしー。私の好きなものばかりなのですよー。ご飯も」
エミリアが視線を動かした。
その緑色の目が、じっとご飯を見つめている。
「これ、すごく綺麗ですよねー! ピンク色の花びらが、白いご飯の彩りになっていてー! しかも目に優しいだけじゃないです。花びらの香りも、ほんのり漂ってきますー。いいです、すごくいいですっ。これ、何の花なんですかー?」
「桜って花の塩漬けだ。春らしい一品ってことで、ヤオロズがくれた。そのまま食べられるから、ご飯と一緒にどうぞ」
「ありがとうございますー! うわあ、今からお昼が待ちきれないですねー。早弁しちゃおうかなー」
「行儀悪いから止めろ」
騒々しくも賑やかな朝の時間が心地よい。
朝ごはんを食べ、身支度を済ませる。
家を出る際に、エミリアに弁当箱を渡した。
「ほら、持ってけ。残さずちゃんと食べるんだぞ?」
「はーい、ありがたくいただきますー」
「ま、エミリアなら残さず綺麗に食べるだろうけど」
そう言うと、エミリアは動きを止めた。
両手で弁当箱を持ったまま、固まっている。
何だろう。
俺、何か変なこと言ったかな?
「どうかした?」と声をかけると、エミリアはゆっくりと口を開いた。
顔が微妙に赤い。
「いえ、いえいえ、大したことじゃないんですがー。クリス様が名前で呼んでくれたなーって」
「名前?」
「さん付けじゃなくて、呼び捨てでってことですよー。いやー、ようやく婚約者っぽくなったのです、うふふふ」
「あ」
言われて初めて気がついた。
全くの無意識だった。
そうか、俺、エミリア本人には「エミリアさん」って呼びかけていたな。
自覚した途端、軽く狼狽してしまった。
「い、いや、今のはほら。何となく言葉のあやというかさ。ものの弾みっていうか、うん」
「照れなくていいですよー。クリス様が私に親しみ感じてくれてる証拠じゃないですかー。えへへ、これは朝から気分がいいですねー。じゃあ、行ってきまーす!」
「あ、ちょっと、待て、こらー!」
俺の呼びかけを無視して、エミリアは猛ダッシュで飛び出した。
両手で弁当箱を掲げたまま、凄い速度で去っていく。
あのフォームで何故あんなに足が速いのだろう。
というか転移呪文使って出勤しているのに、何故走る。
「馬鹿だなあ、あの子」
苦笑と共に呟くと、頭の中に響くものがあった。
"馬鹿な子ほど可愛いというじゃないか。あんなに喜んでくれて、まんざらでもないくせに"
"のぞき見は良くないぜ、ヤオロズ"
無言でたしなめる。
たまにこういうことするからな、この異世界の神様は。
"いやあ、すまない。久しぶりのお弁当に、あの聖女様がどう反応するかと思うとね。つい気になって"
"見ての通り、大喜びだよ。好きなものばかり詰めたからな"
"ふーん、それだけかな。さん付けが取れたことの方が、嬉しかったんじゃないか?"
ヤオロズの冷やかしは、あえて無視した。
内心のくすぐったさは無視せず、心の片隅に取っておく。
こういう気持ちは久しぶりだ。
うん……そうだな。
嫌いじゃないよ。
"一年かけて、ようやく距離が縮まったみたいだね。おめでとうと言わせてもらうよ"
「ありがとう」
あえて小さく声に出す。
さて、俺もそろそろ行くか。
玄関に鍵をかけ、家を後にする。
いつもの街を歩いている内に、ふと思いついたことがあった。
その思いつきは突然だった。
けれど、悪くないかもしれない。
いや、でもちょっと恥ずかしいかな。
エミリアに言えば、どんな反応をするだろう。
多分喜ぶだろうけど、うん、まあね。
偽装の二文字、取ってもいいかな――なんてね。
Here is the end of the story.
I appreciate your reading.




