143.冬休みに我が子が遊びにきました
あの日から、俺とエミリアの関係は変わったのだろうか。
変わったと言えば、変わった。
変わっていないと言えば、変わっていない。
一つ確かなことは、胸のつかえが取れたということだ。
今のままでもいい、無理にこの関係を変えなくてもいい。
そう納得出来たことで、俺自身が楽になれた。
"変わる時は勝手に変わるよな"
"そんなものだよ、クリス"
無言で語れば、ヤオロズも同意してくれた。
食材供給が止まった後も、時々話している。
地下室の床に座り込み、俺は背中を壁にもたれさせた。
"焦ってどうにかしても、何か不都合が出るだろうし。お互いがこれでいいなら、それでもいいかなってね。先延ばしにしてるだけと言われたら、そのとおりだけどさ"
"月並みな言い方だが、時間が解決してくれるよ。君も自覚はしているんだろ?"
"何を?"
"君の聖女様に対する気持ちが、変わっていることにだよ。出会った頃とは、まるで違うはずだ。時の流れは、全てを少しづつ変えていく。自然に、あるべき姿にね"
"うん、変わってきているんだろうなあ"
"やけに素直じゃないか。もっと反発するかと思っていたよ"
すぐには返事をせず、俺は座り直した。
最初は、正直失敗だったとも思ったな。
けれども、今は違う。
俺の生活の一部に、エミリアが食い込んでいる。
変わったと思うには、十分な事実だ。
"うん、まあね"
だから一言だけ返した。
"そうか、うん。上手くいくといいね"
ヤオロズの返事も短い。
簡潔で温かい。
神様が応援してくれるなんて、ありがたいことだな。
一度視線を床に落とし、それから立ち上がった。
そろそろ戻ろうか。
いや、待てよ。
何か言い忘れていたような。
"うーん、何だっけな"
"どうしたんだい?"
"何か忘れている気がするんだよなあ。そんなに重要じゃないはずだけど、うーん"
"私に分かるわけないだろ……"
忘却しかけていることは、神様でも探れないか。
記憶の淵をたどる。
会話の切れ端をつなぎ合わせ、心の片隅にメモっていく。
その甲斐あって、どうにか思い出した。
思わず声が出た。
「あ、そうだ。パーシーが遊びにくるんだ」
"娘さんが? ああ、もうすぐ年末だからね。泊まっていくのかい"
"数日だけどね。マルセリーナと話したんだ。俺の顔を忘れる前に、一度寄越しますってさ"
言葉を引っ込め、また意識を繋げた。
ヤオロズは"脅迫まがいだね"と即答だ。
"はは、そうかもな。でも、俺も我が子の顔は見たいからさ。だから嬉しいよ"
"理解は出来る。今回はオムライスが無いから、がっかりするかな。済まないね"
"しょうがないって。その代わり、石窯でケーキでも焼いてやるよ"
"いつの間に菓子作りを?"
"原理は知っていたからな。あとは設備と機会さえあれば、出来るんだよ"
"大したものだよ、君は"
ヤオロズの声には、呆れたような響きがあった。
誉め言葉だと受け取っておくことにしよう。
† † †
「パパー、久しぶりー! エミリアお姉ちゃんもー!」
冬のある日、パーシーはやってきた。
雪こそまだだが、寒い日だった。
けれど、子供というのは元気なものだ。
「危ないから走るなよ」という俺の注意も無視して、馬車から飛び降りる。
公爵家の孫娘らしくないけど、言うのも野暮か。
「こんにちはー、パーシーちゃん。あらー、大きくなりましたねー」
「そうだよっ、子供だからねっ。あ、そうだ。これ、ママからお土産です! 皆で分けてくださいって!」
どーんと音がしそうな勢いで、パーシーが大きな包みを俺に渡した。
包みの布地には、ロージア家の家紋が刺繍されている。
礼を言って、包みを開いてみる。
割と重量あるぞ、これ。
エミリアが「何でしょうね」と覗き込んだ。
その表情がパッと輝いた。
「わっ、綺麗ですねえー。硝子細工のお花ですねっ」
「凝ったものをくれたなあ」
「うん、これねー、魔法で加工しているんだって。ママがね、ロージア家の特産品よって言ってたよ」
「へえ、それにしてもよく出来ているなあ」
パーシーの説明を聞きながら、俺はお土産を観察する。
デザインは割と単純だ。
雪を割って、一輪の花が咲いているという情景だ。
けれど、その花びらから雪まで全て硝子で出来ている。
一点の濁りも無く、硝子の厚さも非常に薄い。
作った職人の技術の高さがうかがえる。
「大したもんだ。これをくれるって?」
「うん。お家に飾ればいいのよって。あとね、割れ物注意らしいよ!」
「魔法で強化されていても、硝子ですからねー。大丈夫です、私が責任持って管理しますからー。慎重という点については、自信がありますー」
エミリアが自信ありげに主張する。
その根拠の無い自信はどこからくるのだろうか。
良心が痛まないのかと不思議に思う。
ふっと我が子を見てみると、なるほど。
パーシーも俺と同意見のようだ。
無言のまま、じっとエミリアを見つめている。
視線に耐えきれず、エミリアが先に反応した。
「む、むむっ、何ですかー。壊れ物の扱いくらい、ちゃんと出来ますよーだ。甘く見ないでくださいー」
「うーん、あのね、お姉ちゃん。無理はしない方がいいと思うよ? パパの方が向いていると思うなあ」
「ああっ、可愛い顔でさらっと刺さることを言いますー! わーん、クリス様あああ、あなたの娘がいじめるのですよおー!」
「言ってて恥ずかしくないのか、お前は……」
「ねえ、パパ。ほんとにこの聖女様でいいの? まだママの方がましじゃないかなあ」
「な、な、なんてことを言うのですかー!」
「あのさ、近所迷惑だから静かにしよう。ケーキあるから、お茶にしようぜ」
困った時は甘いものだ。
幸いなことに、エミリアはこの餌に食いついた。
「ケーキッ! 大好きですっ!」と目を輝かせる。
その立ち直りの早さに、パーシーが引いていた。
「パパ、聞いていい?」
「何だよ」
「考え直すなら今だよ? バツイチって言っても、残りの人生長いんだよ? 第二の伴侶は慎重に選ぼうね?」
「これでもいいところはあるんだよ。どことは聞かないでくれよ」
「それ、フォローになってないですからー!」
膝をがっくりと着き、エミリアがうなだれる。
フォローしたくても、フォローのしようがないからな。
せめてもの慰めに「自業自得と諦めろよ」と声をかけてやる。
俺、優しいよな。
なのに、エミリアにキッと睨まれてしまった。
「ひどいのですよぉー。たまには上げてくれたっていいじゃないですかー! うう、親子揃って冷たいのですよー」
「いや、優しいって。冷たいっていうのはさ、ケーキあげないとかの仕打ちだぜ。もしかして、そこまでやられたいの? そういうこと?」
「パーシー知ってるよ。世の中には変わった性癖の人がいるんだって! いじめられて悦ぶ人のこと、ドMって言うんだよねっ」
「絶対にお断りですよっ!? というか、パーシーちゃんは何故そのようなことまで!?」
「ママが言ってたのー。公爵家の一員として、幅広い知識が必要だって」
「いや、それはいらない知識だと思うぞ」
パーシーをたしなめつつ、俺は思わず頭痛を覚えた。
ロージア公爵家の教育って、どうなってるんだよ。