142.その頃どこかの酒場で
常温のエールは喉に優しい。
ライアルは陶器の杯を傾ける。
酒精は強くない。
少し物足りないかなと思いつつも、今はこれでちょうど良かった。
隣のエルフはどうだろうか。
ちらりと横目で様子をうかがう。
「ぷはー、やっぱり酒は美味いのう! 頭脳労働の疲れを取るには、やはり酒じゃ! お代わりー!」
「ローロルン様、いい飲みっぷりですね。まるでドワーフみたい」
「おっと、モニカ嬢よ。それはちと同意しかねるぞ。あんな土くれいじりの種族と一緒にするでない。エルフたる妾は、もっと優雅に繊細に酒をたしなんでおる」
「ふふ、そうですね。そういうことにしておきましょう」
エルフの対面に座る女性が笑う。
まったく気にしないまま、エルフはお代わりを手にしていた。
言うまでもなく、モニカとローロルンである。
傍から見ると、ライアルは両手に花ということになる。
だが本人にその実感はまったく無い。
「お前が優雅に繊細に、か。見た記憶が無いな」
「ライアルよ、それはな、お主が忘れておるだけじゃ。いついかなる時も、妾は優雅で繊細をモットーに生きておる」
「その優雅で繊細な人に、何故友人が皆無なんだろうな」
「……ライアル、お主、性格悪くなったな?」
「元々こんな感じさ。お前が忘れているだけだよ」
同じ台詞で返され、ローロルンが渋い顔になる。
「ほんとに性格悪いのう」とぶつくさ呟いた。
そうは言いつつも、どこか嬉しそうだ。
目元が笑っている。
モニカの方を見ると、こちらも上機嫌である。
彼女は藍色の瞳をライアルに向けた。
「今頃、あのお二人はどうしていらっしゃるのでしょうね。ベヒモスのお料理、上手くいきましたでしょうか?」
「さあ、どうかな。クリスが作るなら、心配いらないと思うけどね」
「せっかくの機会なんじゃ。二人で楽しむと良いのじゃよ。妾らがいると、お邪魔虫じゃからのう」
ライアルの相槌に、ローロルンが続く。
ライアルは「そうだね。たまには二人きりにしてやろうよ」と頷いた。
エールの杯を空ける。
軽い酔いを自覚する。
「そもそもさ、いつも俺達がいるのがいけないんだよ。クリスは人当たりがいいから、声かけてくれるけどさ」
「そうですね、ええ」
「だから、今回は遠慮しようって俺が考えたんだけどね。せっかくのベヒモス料理だ。まずは二人で楽しむべきさ」
「うんうん。ライアルさんの言う通りですよね」
モニカは素直に同意した。
そもそもこの飲み会自体、ライアルの企画である。
ベヒモス料理を作る際、クリスは皆に声をかけてくれる。
けれども、それでいいのだろうか。
今回のベヒモス料理は特別な料理だ。
エミリアの手前もあるし、二人きりにしてやろう。
ライアルなりに配慮した結果、今に至るという訳だ。
「クリス様は皆に優しいですからね。そこがいいところではありますけれど」
フフ、とモニカは小さく笑った。
自分のような使用人にも、ちゃんと接してくれる。
その点については、素直に尊敬している。
だが、時にはそれが裏目に出ることもある。
女という生き物は、たまには特別扱いして欲しいものだ。
「エミリア様も気が気じゃない時もあるでしょうからね。優しすぎる殿方に恋すると、色々面倒です」
「ほうほう、中々に重みのある言葉じゃの。その言葉は、実体験からくるものかのう?」
「一般論ですよっ」
「くくく、一般論とな。色恋に関する一般論ほど、重みの無い言葉は無いのじゃ」
「え、えー、どうなんでしょう、そのあたり」
ローロルンに言い切られ、モニカはしどろもどろになる。
思い当たる節は無いでも無い。
微妙に視線をライアルの方へ……いや、何でもない。
そのライアルは「一般論ねえ」とため息をついていた。
「何じゃ、ライアル。何ぞ文句でもあるのかのう?」
「いかにもなこと言ってるけどさ。ローロルンって、恋愛経験多く無いだろ? そんな人に言われてもなー」
「え……三百年生きてきて、ほとんど恋愛経験無しなんですか。可哀想ですね」
「ライアル、貴様、仲間のメンタルを殺す気か? モニカ殿もその視線はやめい。これでも豆腐メンタルなんじゃぞ……」
ローロルンがぐったりと崩れ落ちた。
クリスから聞いたのか、彼女はたまに異世界の言葉を会話に使う。
仲間内でしか通じないが、それでもいいらしい。
一種の言葉遊びと捉えているのだろう。
「しかし、あの二人どうなんだろうなあ」
「上手くいくかどうかでしょうか?」
「うん」
ライアルはモニカに答える。
クリスとエミリアの顔を思い浮かべた。
「婚約者っぽくないんだよなー。仲は悪くないと思うんだけどね」
「あ、あはは、そうですね。でも、私は上手くいくと思っていますよ。ええ、きっと」
若干ぎこちなく、モニカは笑った。
偽装婚約というのは、この中では彼女しか知らない。
自分が言うわけにもいかないだろう。
そんな律義なメイドを、ローロルンは眺める。
「ふぅん、モニカ殿は何やら知っているのかのう。ライアルの言う通り、どうも怪しいんじゃよな」
「怪しいことって何でしょう? ローロルン様、きっとお酒が足りないのですね。すいません、こちらにエールもう一杯」
「お代わりはもちろんいただくぞ。しかしなあ、モニカ殿。あの二人、どうも婚約者らしくないんじゃよなあ」
ローロルンは意地悪な表情を浮かべた。
モニカは小首を傾げ、それをかわす。
作り上げた微笑は、一分の隙も無い。
無言のまま、両者の視線がぶつかる。
先に視線を外したのは、エルフの魔術師の方だった。
わざとらしくうそぶく。
「ま、ええわい。あの二人がどうであれ、幸せそうではあるからの」
「そうですよ、ええ。変な勘ぐりをされたら、クリス様でも怒るかもしれませんよ?」
「あいつも怒ると怖いからなあ」
モニカに合いの手を入れ、ライアルは更に酒杯を傾けた。
不意にローロルンに向かって「幸せって何か、考えたことある?」と聞く。
聞かれた方は首を捻った。
「幸せとは何か、か。幸せの定義にもよるが」
「何をしている時が一番幸せか、でいいよ。単純にいこう、単純に」
「ライアル、お主酔っ払っとるじゃろ?」
「いやいや、全然酔っ払ってないよ。こんなの酔った内に入らないって」
「えええ、でもライアルさん、顔が赤いですよ」
「両手に花だから照れてるんだよ、これでも」
「お主らしからぬことを言うのう」
どこか呆れたように、ローロルンは肩をすくめた。
モニカも「ライアルさん、飲み過ぎないでくださいね」と声をかける。
黒髪の剣士は、黙って酒杯を持ち上げた。
「勇者と聖女とベヒモス料理に、かんぱーい! ほら、秋の夜は長いんだ。もっと楽しんでいこうよ」
「完全に出来上がっておる」
「あ、もしかしてライアルさん。本当はベヒモス料理食べたかったんですね? だから無理して明るく振る舞っているとか」
「別にそんなことはないよ、うん。ベヒモス退治にも参加出来ず、料理も食べられない。それは事情があったからだ。自分がハブられてるなんて、俺は思ってないからな。断じて!」
「ふぅ、面倒くさい男じゃのう。どうせベヒモス料理は後でもらえるじゃろうに」
ローロルンは肩をすくめた。
ライアルが割と繊細なのは知っている。
だが繊細と面倒くさいは紙一重だ。
クリスとエミリアに気を使うのはいい。
しかし自分で勝手に負担に感じられては、二人も迷惑だろう。
「そうですよ、誰もライアルさんを仲間外れなんかにしないですよ。しっかりしてくださいね」
少し呆れながら、モニカはライアルの肩をぽんぽんと叩いた。
「そうかなあ。そうだといいなあ」とライアルは呟く。
どう考えても、ただの酔っ払っいである。
それでも、ライアルはふと気がついた。
こういう何気ない一時が、とても幸せだということに。
気のおけない仲間と飲む酒は、独りで飲む酒とは味がまるで違う。
「俺は恵まれているんだろうね」
「え、何かおっしゃいましたか?」
「何でもないよ」
モニカに答えながら、ライアルは少しだけ笑った。
幸せの定義など考えるものではない。
ただ素直に感じれば、それで十分なのだ。