表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
141/145

141.偽装婚約への答え

「幸せかあ……そうか、そうかもな」


 そう言ってから、俺は自分の言葉に驚いた。

 今まで自覚していなかったが、なるほど。

 この状態は幸せと呼んでもいいのだろう。


 "不自然なことは色々あるけど"


 お互いの利害関係から、同居という形を取っている。

 立場上仕方ないとはいえ、偽装婚約という形を取ってだ。

 そこには愛は無い、多分。

 好意らしきものは、うっすらとあるのだろうか。

 俺には分からない。


 "もう半年以上になるなあ"


 口直しに水を飲む。

 肉の後味を押し流す。

 けれども、俺達の課題は残ったままだ。

 帰国時に一旦棚上げにしたままだ。

 そのうちそのうち、と先送りにしてきたこと。

 上手く偽装婚約を解消して、この同居も解消すること。

 幸せという単語は、その課題に結びつくのだろうか。

 俺には分からない。

 分からないことだらけだな。


「エミリアさん」


「はーい、何でしょうかー? このローストビーフ、本当に美味しいですねえー」


 エミリアと目が合った。

 澄んだ緑色の瞳は、どこまでも真っ直ぐだ。

 今、言わなきゃいけないのだろうか。

 彼女はこの食事をこれほど堪能しているのに? 

 それを邪魔するような真似をして?


「そうだな、美味く出来て良かった」


 ためらった挙げ句、切り出せなかった。

 答えを出すのは明日でもいい。

 そんな下手くそな言い訳を自分についている。

 自覚が自己嫌悪を呼びこみ、俺の胃を重くする。

 馬鹿か、俺は。

 泥沼にはまりこんだ挙げ句、離婚に至ったんじゃないのか。

 過去の失敗くらい、教訓にすべきだろうに。


「聞いてもいいかい」


 微かに動揺したまま、俺は問う。

 自分の背中は自分で押せ。


「いいですよおー。お腹いっぱいで機嫌がいいので、何でも答えちゃいますよー」


 裏の無い笑顔で、彼女は答えた。


「エミリアさんの幸せって何?」


「ふふ、唐突ですねえ。うーん、私の幸せですかー。クリス様のご飯食べてる時ですねっ」


「そう、か」


 びっくりする程単純だ。

 拍子抜けしそうになる。

「どうかしたんですかー?」と逆に聞かれた。

 彼女の栗色の髪がふわりと揺れる。


「ん、いや。もう半年以上も一緒に住んでるんだな、と思って」


「ああ、はい。それくらいになりますねー。結構長いですよねー」


「ちゃんと話す機会あった方がいいのかなーとね。ふと思ったわけだ」


 明言を避ける辺り、俺も腰が引けている。

 エミリアは目を瞬かせた。

「ああ、うーん」と唸った。

 分かってくれたのだろうか。

 いや、ここは俺が話を進めなくては。

 これは年長者の義務だ。


「今はそれでいいかもしれないな。でも、そろそろ半年だ。俺の料理を好きと言ってくれるのは嬉しいよ。でも、それだけだと理由としては弱いよな」


「弱い、ですかー」


「ああ。エミリアさん、二十一歳だったよな。そろそろ将来のことを考える年齢じゃないのか」


 何故だろう。

 自分で言い出したことなのに、何かが引っかかる。

 魚の小骨が喉に刺さったように、チクチクとする。

 誤魔化すように「ヤオロズからの食材も止まってしまったし。今までみたいには作れない」と付け足した。

 その場を繕うためだけの言葉が、いやに空虚に響く。


 エミリアと目を合わせた。

 逃げることだけはしない。

 誤魔化すこともしない。

 だから、君も向き合え。

 考えてくれ。

 分かっているのか、いないのか。

 聖女は天井を仰いだ。


「うぅん、私、頭良くないので上手く言えるか分からないんですがー」


「頭良くないのは百も承知だ、気にするな」


「そこ、フォロー入れるところですよねえ!?」


「いや、フォローの入れようがなくてさ」


 つい本音が出てしまった。

「むー、ひどいのですっ」とエミリアはむくれる。

 唇を尖らせて、抗議の意志を示してきた。

 相変わらず子供っぽい仕草だ。

 微妙に表情が変わる。

 しかめっ面をして、片目を閉じた。


「悪い、悪い。つい本音が出た」


「もういいですー。ええと、何の話でしたか。あ、そうそう。私の意見でしたよねー」


 コトン、と小さな音がした。

 エミリアがコップを置いた音だ。

 小さな水面が揺れる。


「クリス様が心配してくれるの、すごく嬉しいんですよ。結婚もしてみたいし、そろそろ考えなきゃなあとも思いますー。けど、今の関係も好きなんですよねー」


「俺と一緒に住んでいることか?」


「ええ。ご飯が美味しいというのも、確かに一つの理由ですー。それは否定しないですよ? でも、それだけじゃないですよー」


 へへ、とエミリアは照れくさそうに笑った。

 緩くとろけそうな自然な笑顔だった。


「特定の誰かと一緒に住んで、生活しているってこと。お家に帰ったら、その人がいるってこと。気が合わないわけでもなく、話もちゃんと出来ること。そういった全てが、私は気に入ってるのですー」


「そんなことが?」


「そんなことかもしれないですがー。うーん、でも私にとっては重要なんですよねー」


 エミリアは一つ瞬きをした。

 どうにも戸惑ってしまった。

 理解出来ないわけじゃない。

 独りで住むのは、どこかに寂しさがある。

 二人で住むことで、満たされるものはある。

 けれど、いいのか。

 正式な結婚の方が、やっぱり幸せなんじゃないのか。


 "そうだろうか"


 トクン、と心臓が跳ねた。


 俺の結婚生活はどうだった。

 暖かいものだっただろうか。

 会話は通じていただろうか。

 話はちゃんと出来ていただろうか。

 誰かに聞くまでもない。

 答えはノーだ。

 だから、こうしてここにいる。


「難しいもんだな」


 ぽつりと呟き、ビーフシチューを一口すくった。

 冷めかけているが、これはこれで美味しい。

 エミリアも「そうですかー。ところでこのビーフシチュー、おかわりありますかー?」と聞いてきた。

 まったくよく食べるよな。

 いついかなる時でも、彼女の食欲は旺盛だ。


「これでもいいのかな」


「だと思いますよー。クリス様が私と住むのはイヤだーと言うなら、話は別ですがー。嫌じゃないなら、いいんじゃないでしょうかー?」


「偽装婚約でも?」


「大切なのは中身ですよー。私はクリス様のこと、嫌いじゃないですしー。むしろ、結構好きですからねー」


「それはどうも」


「あっ、可愛くないのですっ。少しは動揺するかと思ったのにっ」


「一々その程度で動揺するかよ。バツイチなめんなよ」


 鼻で笑い、ビーフシチューの皿を差し出してやった。

 量はもちろん山盛りだ。


「そうですか、残念ですー。あ、お代わりありがとうございますー」


「食欲があるのはいいことだからな」


 もふもふとエミリアは二杯目に取りかかる。

 その姿を見ていると、気分が明るくなってくる。

 何だ、そういうことだったのか。

 もっと単純に考えて良かったんだ。

 引っかかっていたものが、ストンと落ちた。


「ほんとよく食べてくれるよ、エミリアさんは。好き嫌いなく、何でも食べる」


「それ、誉め言葉と思っていいんですよねー? クリス様、たまに上げて落としますからねー」


「掛け値無しの誉め言葉だよ。少なくとも、今の俺には君が必要だ」


 一人で作っても、作りがいが無い。

 経緯はどうあれ、エミリアと同居して良かった。

 この半年で色んなことを経験した。

 彼女がいなければ、どれも俺が経験出来なかったことだろう。


「えへへ、そう言ってくれると嬉しいですー。私、クリス様の役に立っているんですねえ」


「心配すんな。それだけは間違いない」


「良かったー。あ、もうちょっとローストビーフも食べていいですかー? 安心したらお腹空きましたー」


「いいけど、まだ食べる気なのか」


 呆れつつも、取り分けてやる。

 食いしん坊の聖女は「今日は特別な日ですからー」と笑って答えてくれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ