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140.聖女、ローストビーフを絶賛する

 エミリアはこの時を待っていた。

 ビーフシチューをかき回しながら、ずっと待ち続けていた。

 ローストビーフという料理自体が初めてである。

 それをわざわざベヒモスの肉で作っているのだ。

 期待が高まるのも無理はない。


「ほら、エミリアさんの分」


「ありがとうございますー! おおー、これがローストビーフですかあー」


 感嘆の声を上げながら、皿を受け取った。

 ベヒモスの肉は、薄く広くカットされていた。

 厚さは無いが、量は多い。

 皿全体が隠れる程だ。

 中まで火は通ってはいない。

 ほんのり残った赤さが、どこか色気を感じさせる。


 "いい匂い――ですねえ"


 油断すると引きずりこまれそうだ。

 じっくりと火を通された肉は、表現し難い匂いを放つ。

 肉質自体が極上であるためか、匂いも香ばしい。

 嗅覚から美味を予感する。

 食べたいという欲求を抑え、更に観察する。

 上にかかっている黒っぽいソースは、ああ、そうか。

 クリスが玉ねぎで作った和風ソースだ。


「クリス様ー、これ、玉ねぎと何で作っていましたっけー?」


「しょうゆ、みりん、それに練りわさび。ほんの少しだけ辛め」


「おお、ばっちりと和風ですねー。見た目からして、さっぱりしてますねー」


 たっぷりとかけられた和風ソースが、肉の表面を滴っている。

 ツン、と鼻をつくのは、玉ねぎとわさびだろうか。

 刺激的で爽やかな風味が漂う。

 コクとまろやかさが売りのビーフシチューとは対照的だ。

「もう待てないので、食べていいですかー?」とクリスに尋ねた。

 上目遣いになったのは、意図した訳ではない。


「どうぞどうぞ。俺もこれから食べ始めるし」


「では遠慮なく、いっただきまーす!」


 フォークを使い、三枚同時に絡め取る。

 これでもかと和風ソースに浸した。

 そのままぱくりとかぶりつく。

 あまりお上品とは呼べないが、この際どうでもいい。

 まず口の中に広がったものは、これは……何と表現すべきなのだろう。


「ん、んんっ、うーん、デリシャスなのですっ!」


 それだけを言い切り、目を閉じた。

 舌の上で、薄切りにされたローストビーフを味わう。

 柔らかい。

 肉質もさることながら、火の通り具合が絶妙だ。

 内部から肉汁と脂がとろけ、その柔らかさを加速させる。

 そこに香ばしさがアクセントを加えていた。

 これは、そう。


「基本的に柔らかくてジューシーなんですけど! 時々、形容し難い香ばしさがパキッとくるんですよー! これ、あの石窯の効果ですかー! 味にメリハリがついて、最高なのですっ!」


「ああ、予想以上だ。ジューシーさと香ばしさ、一粒で二度美味しいってやつだな」


「ローストビーフ、これほどまでとはっ。全然焦げくささが無いんですよねー。これ、じっくりと石窯で熱したからですかー! 大体高温で焼くと、肉汁も蒸発しちゃうのにっ。このローストビーフ、肉汁がみなぎってますよー」


「それは石窯効果だけじゃないぜ。覚えてるだろ、エミリアさん。最初、俺がフライパンで軽く表面を焼いていたこと。あれが効いているんだよ」


「あっ、そういえば」


 あの時、エミリアはシチューをかき回していた。

 忙しい作業ではないため、クリスの方もちらちら見ていたのだ。

 言われてみれば、最初にフライパンを使っていた。


「あれが伏線になって、ここで効いてきたんですかー。クリス様、恐るべしですねえー。食卓の勇者、いや、食卓の魔王と呼ぶべきなのかなあ」


「変な呼び方するな。それはさておき、その理解で合っている。もちろん石窯を使わなければ、こんなに綺麗に焼けないけどね。手間かけて作って正解だったよ」


「ですよ、ですよー。ただでさえ美味しいお肉が、更に引き立っているのですよー! うん、この和風ソースも素晴らしいっ! 玉ねぎがサクリと効いて、爽やかな辛さが添えられてっ。しょうゆとみりんが、さらりとお肉に奥行きを与えているのですよっ……!」


 胃袋が満足したからだろう。

 エミリアは舌も滑らかである。

 更にもう一口食べてから、また口を開いた。

 賛辞の言葉がこぼれ出す。


「ツーンとした練りわさびも、いい刺激になりますよねー。玉ねぎの爽やかな辛さを邪魔せず、あくまで別な感じでっ。ローストビーフが肉本来の旨味を全面展開してー。それをソースが支援しているというー。これはまさに肉料理の究極の姿なのですっ!」


「俺もその意見に賛成するよ。ビーフシチューとは甲乙付けがたいけどな。シチューの方が、ルーが主役の料理かな。ローストビーフの方が肉――言い換えれば、食材を主役にした料理かもしれないね」


「そうですねっ。ううん、幸せなのです。もっと食べちゃいますよー、もぐもぐ」


「いいけど、よく食べるな」


 クリスは驚いているが、エミリアは気にしない。

 食欲の赴くまま、ひたすらローストビーフを食べる。

 この食材確保のために、コーラントまで足を運んだのだ。

 存分に食べなければ、きっと後悔する。

 二枚同時にぺろりと食べる。

 健康な歯が柔らかな肉を噛み締める。

 ぷちん、と肉が引き裂かれたのが分かる。

 舌の上で、肉汁と和風ソースが渾然一体となった。

「まさにシンプルイズベストなのです」と、エミリアは唸った。


「ベヒモス恐るべしですねー。まさかこれほどまでに私の舌を圧倒するとはっ! さっきのビーフシチューといい、このローストビーフといい、やはり人類最強の敵なのですねー」


「倒した後の方が脅威になるとはな。これに慣れたら、他の肉料理が見劣りしそうだ」


「人間贅沢に慣れるとダメになりますからねぇ」


「妙にしみじみ言うね……」


「い、いえ、そんなことは」


 エミリアは視線を逸らした。

 実にわざとらしい。

 というか、わざとである。

 クリスの手料理に親しんで以来、舌が肥えている自覚はある。

「ところで、他の方々にはおすそ分けはー?」と素早く話題を変えてみた。

 形勢不利を察したのだろう。


「あげるよ、もちろん。俺が作って渡す分もあるし、肉だけあげる分もある。さすがに食べきれないからな」


「それがいいですよねー。美味しいものは皆で食べた方が幸せですからー」


「そうだな、うん」


 勇者と聖女は顔を見合わせた。

 どちらからともなく、自然と頷く。

 この点に関しては、完全に意見が一致している。

「ふふ、気が合いますねー」とエミリアは笑った。

 何だかとても楽しい。

 いや、嬉しいの方が正確だろうか。


「こういう時間を幸せって言うんですよねー」


「幸せかあ……そうか、そうかもな」


 エミリアの呟きに、クリスはゆっくりと答えた。

 彼はそのまま窓の外を見た。

 秋の陽が赤く染まり、緩やかな時間を作り出している。

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