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139/145

139.ことこと煮込まれたビーフシチューは

 頃合いと見て、ローストビーフから布を取り去った。

 粗熱は既に無い。

 それに合わせて、肉質も落ち着いている。

 うん、これなら食べやすいだろう。

 試しに端を薄く切ってみる。

 ナイフがスッと入り、断面が覗いた。


 "おお、いい感じに焼けているな"


 これが石窯効果だろうか。

 外はきっちり火が通っている。

 内側へと視線を移すと、徐々に赤みが増していた。

 遠赤外線だっけ、いい感じに焼いてくれるじゃないか。

 満足しながら、食べやすい大きさにカットした。

 カットされた肉は、皿の上に広げる。

 端だけを重ねるようにしているので、綺麗に広がった。


「わあ、美味しそうですねえ。ローストビーフって、ちょっと薄切りなんですかー?」


「うん、大体これくらい。あんまり厚いと、噛み切りにくいからな」


「ステーキとは違うってことですかー」


「もちろん好みはあるけどね」


 エミリアも喋っているだけじゃない。

 深皿にビーフシチューをよそっている。

「ふふふ、私が手伝ったお料理ですよー。きっと美味しいですよー」とのたまっている。

 うん、かき混ぜていただけでも、手伝いには変わりないよね。


「むっ、今ひそかに笑われた気がしましたー!」


「ないない、そんなことない。かき混ぜただけでお手伝いですかーなんて思ってない」


「完全に笑ってるじゃないですかあー!」


「いや、うん。そうだな、よく手伝ったよ」


 面倒なので適当にいなしておこう。

 彩りとして、ブロッコリーをシチューの上に置いた。

 ブロッコリーは熱しすぎると茶色っぽくなる。

 だから一番最後でいい。


「はい、これで完成だ」


「出来ましたねー。くぅ、いい匂いなのですー」


 二人で顔を見合わせた。

 そのまま食卓につく。

 今日の献立は、ベヒモスのローストビーフとビーフシチューのみ。

 シンプル極まりないド直球だ。

 サラダさえ作っていない。

 肉料理中心というか、肉料理オンリーだ。


「ローストビーフは冷めてもいけるよ」


「つまり、ビーフシチューから食べろってことですねー。分かりました、いただきまーす!」


 こういう時、エミリアは実に素直だ。

 右手にスプーンを素早く握る。

 音をほとんど立てず、シチューの一口目をすくう。

 濃い焦げ茶色のシチューが、銀色のスプーンに映えていた。

 ふわりと白い湯気が立つ。

 まだ熱いのだろう。

 エミリアは可愛らしく唇をすぼめ、フーフーとそれを冷ました。

 そして一気に頬張った。


「んんんっ、これはー」


 目を閉じ、彼女は身悶えている。

 味覚が強烈に刺激されている証拠だ。

「くうぅ、これはたまらないのですっ」と唸る。

 小さく握った左の拳で、食卓をとんとん叩いていた。

 おお、いつもよりリアクションが激しいな。


「満足しているみたいだね」


「これで満足しなきゃ、この世の地獄ですよおー! 何ですか、このビーフシチューはっ! とんでもない美味しさなのですー!」


「そりゃまあ、素材が極上だからな。しかし、それほどまでか」


「やばいです、美味しいですっ」


 言い切ってから、エミリアはゆっくりと身を起こした。

 我慢しきれずに、更に二口ほどシチューを食べる。

 肉と野菜がこれでもかと使われたシチューだ。

 食べごたえは抜群に違いない。


「うう、味が飛び抜け過ぎていて、言葉が見つからないのですー。自分の言語能力がうらめしいですー」


「無理に言わなくてもいいけど。顔見ていたら分かるからさ」


「いえっ、出来る限りやってみますよー。言葉で記憶に刻めば、後で二度美味しい!」


「えええ……」


 ちょっと引いた。

 だが、エミリアは全く気にしていない。

 もう一口、ビーフシチューを食べる。

 もぐもぐとゆっくりと咀嚼した。

 深く深く、シチューの味を探っているかのようだ。

 食べ終えてから「ふぅ、うん」と一息ついた。


「まず舌触りが最高なのですー。ルーが程よくとろけ、全ての具を包み込んでますー。そしてルー自体にも、肉や野菜の風味が乗り移り……味に深みと複雑さが増していますよねー」


「おお、そうだな。シチューの醍醐味の一つだな、それ」


「ルーだけでも、相当複雑なうまみがあるんですよー。でもでも、具からのうまみってまさにダイレクトじゃないですかー。ここ、まさにこの料理の現場で起きているのですっ。新鮮な美味しさがルーに乗り移ってきてー。過去に作られたルーと、今使われた具のコラボレーションっ……! 味の深みの時間差攻撃ですー!」


「味の深みの時間差攻撃」


「いやあ、それしか良い表現が無くてですねー。ちょっと大袈裟かなとは思ったのですがー」


 ほぅ、とエミリアは一息ついた。

 水を飲んでから、また話し始める。


「そんなルーに、ベヒモスのお肉が煮込まれているんですよー。美味しくないわけないのですー。舌に乗せた瞬間、煮込まれた脂身がまずとろけてー。あっと思っている間に、ルーと渾然一体となるんですよおー」


「肉質自体はどんな感じ?」


 聞いていると、俺も我慢出来なくなってきたな。

 最初の一口目を食べてみる。

 ん、んん、いや、これは確かに。


「いいでしょ、美味しいでしょ、最高ですよねー!?」


「ふう、自分で作っておいて何だが。ビーフシチューの傑作だな、これは」


 自分で確かめてみないと、これは分からない。

 ベヒモスの肉とはこれほどのものか。

 この肉を使ったビーフシチューは、これほどのものか。


「くどくないんだよ。どちらかといえば、やや淡白かもしれない。だけど、肉自体がものすっごく旨い。生命力の塊って感じで、ガツンと胃にくる。最初に軽く焼いたからか、香ばしさもあるし」


「ああっ、そうです、そうですー。クリス様の言いたいこと、すごく分かりますー!」


「肉と脂身、それぞれが含む自然な甘さがあるだろう。その甘さが、とてつもないんだ。ギュッと濃縮されて、シチューのルーと絡んでさ。しつこくないのに、コクが果てしないとでも言うのかな」


「ああー、分かりますー。矛盾する二つの要素が、何故か両立しているんですよー。とろけるような感触がまずあってー。一噛みすると、ジュワリと肉汁が溢れてきてー」


「うんうん。それがルーと絡んで、すごい美味いんだよな」


 予期はしていたが、それを軽々と超えている。

 肉がルーを引き立て、ルーは肉を引き立てる。

「ここまで上手く出来るとは思わなかった」と俺は呟いた。

 三口ほど立て続けに食べてみた。

 コクと旨さの洪水に、味覚が消し飛びそうになる。


「お肉の存在感が凄いのですよ、このビーフシチュー。けれど、それでも、じゃがいもとにんじんも忘れちゃ駄目なんですっ。良い脇役になってますよねー。ほくほくとして、本当に美味しいっ」


「無いと、やっぱり物足りないだろうな。ルーの味が濃いから、淡白な野菜は必要だろうし」


「野菜の自然な甘さの後に、お肉食べるじゃないですかー。そうするとより一層、たまらないんですよー。油断したところに、ガツーンとくるのですっ」


「いやあ、本当に逸品だよなあ」


 エミリアに返答しながら、俺はもう一つの皿を見た。

 薄切りにしたローストビーフが、これでもかと載っていた。

 外側はしっかりと火が通り、茶灰色に染まっている。

 内側はほんのりと赤い。

 たまたまだが、ミディアムレアという焼き具合になっていた。

 ローストビーフの焼き方では、一番ポピュラーだろう。

 しっかりと目に焼き付けながら、エミリアに声をかけた。


「ビーフシチューだけじゃ、もったいないよな。そろそろローストビーフいっとくかい?」


「もちろんですよお! ここで食べなきゃ、一生後悔しますってー!」


 身を乗り出し、エミリアが食いついてきた。

「そうこなくちゃ」と笑い、俺はエミリアの皿を差し出した。

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