138.石窯の効果をおさらいします
薄切りにした玉ねぎを、鉄板の上に敷き詰めた。
透明がかった白色の玉ねぎは、ある種の爽やかさがある。
その上に、さっき軽く焼いたベヒモス肉を置く。
これで準備完了だ。
「じゃ、シチューはよろしくな。焦がさないよう、気をつけてくれよ」
「任せてくださーい」
エミリアは意外にも楽しそうにしている。
これなら安心して任せられるな。
鉄板を持って庭に出た。
陽が少し傾きつつある。
その中に、新しい石窯がどんと鎮座していた。
こうして見ると、存在感が凄い。
"これでほんとに上手くいくのかな"
"物は試しだ、やってごらんよ。地球でも、これでピザを焼いたりしてるんだ。酷い事態にはならないさ"
"あ、いたのか"
突然のヤオロズの声に驚いた。
ここ数日はあまり会話していなかった。
"いては都合が悪いのかい? せっかくのベヒモス料理だ。見る価値はある"
"だろうな。一生に一回だと思うぜ"
無言で話しながら、右手で石窯の扉を開けた。
中の空気がぶわりと漏れてくる。
結構な高温だ。
「あっち」と手を引っ込めた。
そりゃそうか。
既に火は入っているんだ。
石窯全体、それも特に内側が熱されている。
こうでなければ意味がない。
"取り扱いに注意しないと、これ危ないな"
"そうだね。でも君なら火傷もしないだろ?"
"無茶言うな。する時はする"
加護の力を使ってなきゃ無理だ。
人を化け物みたいに言わないでくれ。
気を取り直す。
両手で鉄板の端を持ち、そろそろと石窯の中に入れた。
急いで扉を閉める。
これで後は待つだけとなる。
"なあ、ヤオロズ。石窯で焼くと、何が良かったんだっけ? 前に聞いたけど、忘れちまった"
"今さら復習かい。仕方ないな、手短に話すぞ。物体を熱すると、遠赤外線という特殊な波を発する。特に石は、この遠赤外線の放出量が多いんだ。理屈はよく知らないけど、とにかくそうなる"
"ほうほう、遠赤外線ね。それが食材に当たると、美味しくなるってことか"
"すごく大雑把に言うと、そのとおり。遠赤外線が食材に当たると、輻射熱を生じる。輻射熱は少し変わった熱でね。まず外側をこんがりと焼き上げる。これで無駄な水分の蒸発が無くなる"
"ああ、表面がパリパリに焼き上がるからか。水蒸気が漏れる隙が無くなるってことだな"
"そうそう。その一方で、食材の内側はじっくりと焼き上げられるんだ。つまり外側はパリッと、内側はしっとりの状態になる。それが石窯の効能だよ"
"熱の伝わり方が、上手いこと出来てるって訳だな。理屈はよく分からないが、そこだけは理解したよ"
ふーん、なるほどね。
ともかく、石で熱することが大事なんだな。
外側がパリッ、内側がしっとりか。
確かに理想的な状態だ。
ぐるりと石窯の周りを回る。
熱は内側にこもるため、外を歩いてもほとんど感じない。
軽く手を触れても、じんわりとする程度だ。
上手く出来ているなあ。
"あと思ったんだけどさ。周囲から熱を放射するから、焼きむらが無さそうだ。火で直接やると、そうはいかないんだよな"
"それもあるね。料理のことになると、君はほんとに頭が回るな"
"暗に料理以外はダメだと言われているような……"
"そ、そんなことはないとも。いやあ、いい天気だなあ"
"それ、天気関係ないだろ"
くっ、明らかに誤魔化しやがって。
しかしあれだな。
ヤオロズもずいぶん気さくな神様だ。
よくよく考えれば、俺は神様とこうしてダベっているわけだろ。
普通あり得ないよな。
あれ、ちょっと待てよ。
"今頃気がついたのかって感じだけど、聞いていいか"
"答えられるかはものによるけど、どうぞ"
"普段、ヤオロズって何してるんだ? 俺とよく喋ってるけど、暇なの?"
返事は無い。
沈黙がしばらく続いた。
一陣の風がひゅるりと流れる。
ややあってから、ヤオロズが答えを返してきた。
"えー、あー、まー、暇というか? ゆとりを持ったお仕事というか? 君らの世界をじっくりと観察して動向調査はしてる、みたいな? そう、敢えて暇とは言わない! スローライフを送っているだけさ!"
"暇なんじゃねえか!"
神様の生活に口出しする気は無いが。
ふーん、そうかい。
暇なのかい。
"何だい。何か言いたいことでもあるのかい"
"無い無いなんにもなーい"
空を見上げる。
抜けるように青い空が、頭上に広がっていた。
ヤオロズは神様だ。
俺の尺度で考えるべきじゃない。
神の寿命や仕事は、人の理解を超えているんだろう。
そう考えることにした。
そうでもしないとさ。
"不公平だと言いたくなるからなあ!?"
"うわ、急に大きな声出すな。耳がキーンとなる"
"耳あるんだな"
"基本的には人に近い姿してるよ。現界しないから、見せられないけどね"
"へえ、それは初耳"
"今うまいこと言ったと思っただろ?"
"いや、別に"
そこで会話を打ち切った。
"またな"と声をかけ、俺は石窯の前に立つ。
今度は慎重に扉を開けた。
ぼちぼち焼けた頃だろうか。
熱気を逃しながら、そっと石窯の中を覗いた。
おお、ローストビーフは上手く焼けてそうだな。
手にした串で突く。
ぷつりと皮が弾けて刺さった。
表面も、ちょうどいい茶色になっている。
手袋をつけて、鉄板を慎重に掴んだ。
最初から手袋をすれば良かったのでは――いや、それは考えまい。
肉の香ばしい匂いに、焼けた玉ねぎの甘い匂いが絡む。
中身はまだ見ていないが、これは期待できる。
「ふう、何とか上手くいったかな?」
「おおおっ、流石なのですー!」
家に入ろうとすると、エミリアがこちらに飛んできた。
喜色満面といった感じの顔だ。
期待が高まるのはいいけどさあ。
「おーい、シチューの番はどうした?」
「えへ、思わず忘れちゃいましたー! すぐ戻りまーす!」
「素直でよろしい」
本当にローストビーフを見たかっただけらしい。
二人で台所に戻る。
ビーフシチューもほぼ出来た頃か。
本音を言えば、数時間は煮込みたいところではある。
だが、それは今度でもいいかな。
どうせベヒモス肉は大量にあるし。
そうしよう、もう待てそうもないしな。
「よし、さくっとこっちを片付けちまうか」
焼き上がったローストビーフは、少し休ませた方がいい。
乾いた布をかぶせ、そのまま放置。
その間に、和風ソースを作っておく。
しょうゆ、みりん、それに練りわさびを軽く混ぜる。
照りのある黒っぽい液体に、緑色のわさびが溶けていく。
数滴だけ味見してみた。
甘辛さと爽やかさが同時に舌に広がった。
横からエミリアが口を出す。
「和風ですかー。いいですねえ、さっぱりとしてそうですねー」
「重厚な味わいが好きなら、グレイビーソースになるんだけどな。ビーフシチューがこってりしているから、あえて和風にした」
喋りながら、鉄板から玉ねぎを取り出した。
さっきローストビーフと一緒に焼いたやつだ。
これを刻み、和風ソースの中に入れた。
白い玉ねぎは和風ソースによく映える。
見た目だけじゃないぜ。
焼いた玉ねぎは甘さと香ばしさを加えてくれる。
「よし、ローストビーフが冷めたら完成だ。シチューの番、お疲れさま」
「ふふふ、今回はちょっとは役に立ちましたよー。労働の後のご飯は最高なのですー」
「ああ、十分役に立ってるよ」




