137.ローストビーフがお待ちかね
肉の下ごしらえが終わると、今度は野菜だ。
さっきの鍋にまた水を入れ、にんじんとじゃがいもを沈めた。
皮剥きは既に終えている。
「あれ、シチューって玉ねぎ入れるものじゃないんですかー。お野菜、これで終わりですかー?」
「普通は入れるけど、今回はパス。玉ねぎはローストビーフでも使うからさ」
そう言いながら、俺はマッシュルームをスライスし始めた。
マッシュルームは、小さなきのこだ。
ころころとした丸い形をしており、色は白っぽい。
あまり強い風味はなく、肉料理のつけ合わせなどに使われる。
「薄くスライスしたマッシュルームを、軽く炒める。こうすると、香りが引き立つ」
「わっ、ほんとですー。独特の野趣あふれる香りがするのですよ! 森の奥深くに積もった落ち葉というか、自然の豊かさを想起させるー!」
「そ、そう?」
俺、そこまでは思わないけど。
鼻が悪いのだろうか。
ま、いいや。
炒めたマッシュルームは、そのまま鍋の中へ。
続いて、ビーフシチューのルーを手に取った。
これはヤオロズからもらったものじゃない。
俺が以前に自作したものだ。
「エミリアさん、シチューのルーの素が何か分かるか?」
「うぅん、ホワイトシチューのルーは見たことありますよぅ。こう、もっちりしたブロック型でしたー。色からして、牛乳は使われているなーとは思いましたよー」
「そうだね。でも牛乳だけでは、あんな風に固まらないよな。ベースになるのは、小麦粉なんだよ」
「小麦粉っ!? パンと同じってことですかぁー!? そんな馬鹿なー、似ても似つかないじゃないですかあー!」
「気持ちは分かる。最初知った時は、俺も同じ感想を持った。だが事実だ」
ルーの成分については、ヤオロズに教えてもらった。
地球で売られている市販品でも、十分使える。
だが、せっかくなら自前の方が面白い。
自作したビーフシチューのルーを手に取る。
色は濃い赤茶色で、やや重たい印象だ。
「小麦粉をバターで炒めると、ルーのベースになる。そこに、玉ねぎ、ブイヨン、ケチャップ、みりん、中濃ソースを混ぜていく。十分練り合わせた時点で、出来上がりだな」
「ふええ。よく作れますねえ、こういうもの」
「一回やってみたかっただけだよ。いつもはヤオロズからもらっている」
今後は自作しなければいけない訳だが。
でもケチャップをもらえなければ、それも無理かなあ。
将来の小さな懸念が浮かび、ちょっとだけ憂鬱になった。
やめやめ、今は料理に集中だ。
鍋に更に水を注ぐ。
水面が上昇し、野菜が全て隠れた。
火魔石の火力を上げる。
「ここでルーを投入」
固まったルーを割る。
パキリ、と気持ちいい音と感触があった。
ぽん、と鍋の中に放り込む。
どろりとした赤茶色が湯に溶けていく。
「あとは焦げないように、ゆっくりとかき混ぜればいい。エミリアさんにお願いってのは、そういうことだ」
「そういうこと……なるほど、かき混ぜながらよく味見しろってことですねー!」
「後半はいらないからな!? とにかく根気よくかき混ぜればいいから! 俺、ローストビーフに集中したいから!」
「冗談ですよぉ、任せてくださいー。クリス様が安心出来るように、がんがんかき混ぜますー。ええもうシチューが渦を巻き、濁流となるまでー」
「あ、そう……」
「なんでそんな可哀相な子を見る目になるんですかー!?」
いや、なるだろ、普通。
† † †
「ゆっくりかき混ぜればいいんですよねー。かんたん、かんたーん」
「ひっくり返すなよ、頼むから」
俺の右隣では、エミリアが上機嫌に鍋を覗き込んでいる。
火力は最低限に落としていた。
時折おたまを入れては、ぐるっとかき回している。
流石にこれくらいは出来るだろう。
"さて、ローストビーフをやるとするか"
無言のまま気合いを入れた。
例の石窯には先程火を入れてきた。
下準備を終える頃には、予熱は十分なはずだ。
あとは俺の調理にかかっている。
「実のところ、ローストビーフはそんなに難しい料理じゃない」
「えっ」
エミリアが驚いてこちらを見る。
俺は肩をすくめて応えた。
「考えてみれば明らかだろ。肉を焼くタイプの料理は、調理法としては一番簡単だ。多少焦げたり生焼けだったとしても、その程度で済むよ」
「ああ、言われてみればそうですねえー。ステーキも、一枚肉を焼いた料理ですよねー。ごちそう度と難しさは、必ずしも比例しない?」
「ごちそう度って、どこの言葉だよ」
「私が作ったに決まってますよー。そんなことは置いておいて、答えてくださいよー」
「エミリアさんって、食に関係することには頭が回るよな」
「ほめ言葉ですね!」
これぐらい単純なら、きっと人生楽しいだろう。
少し羨ましい。
「ああ、そうだね」といなしながら、俺は肉塊に包丁を入れた。
赤身と脂肪が適度に混じった辺りを狙う。
とはいっても、肉塊全体がでかすぎる。
ほぼ当てずっぽうだ。
"おお、いい感じじゃないか"
断面を見て、一安心。
これくらいのサシが丁度いい。
あまり脂が多すぎると、逆にしつこい。
赤身と脂肪のバランスが大事だ。
手に取る。
ずしりとした重みがかかる。
その切り取った部分を、ごろんとまな板に転がした。
これに塩と胡椒をすり込み、下味をつけていく。
「あれ、クリス様ー。そのお肉、切らないんですかー?」
エミリアが声をかけてきた。
もっともな疑問だ。
「ああ、これは切らなくていいんだ。ローストビーフは、塊肉をそのまま焼くから。内部までは熱を通しきらず、ややレアな風味を残す。そういう料理なんだよ」
「へええ、凄いですねえー。豪快なのですー」
「見た目のインパクトはでかいね。だからパーティー料理には向いている。客の前にどーんと置く場面を想像してくれ」
「うーんうーん。どーんと、どーんと」
「その大きな肉の塊を、客の目の前でスライスしていく。適量切って、皿の上に載せて提供するんだ。料理のライブ感って意味では、相当盛り上がる」
「あっ、確かに! 目の前で作ってくれると、わくわくしますよねー」
「だろ?」
答えながら、ベヒモス肉をフライパンに置いた。
ゆっくりと転がしながら、表面を焼いていく。
本番は石窯によるローストだが、その下準備として必要だ。
こうすることで、中から肉汁が流れ出なくなる。
旨味を閉じ込められるってわけだ。
「しかし、せっかくのベヒモスなのに、他に誰もこないんだなあ。ちょっと拍子抜けだ」
「そうですねえー。あ、でも私はこういうのも好きですよー。クリス様のお料理をじっくり味わえますものー」
「ならいいけど」
モニカ達に声はかけた。
残念なことに、皆都合が悪かったのだ。
まあいいか。
皆に振る舞うのは、また今度にしよう。
表面の焼き加減を確かめてから、火魔石を止めた。
軽く炙ったからか、香ばしい匂いが止まない。
けれど、本番はここから。
石窯によるローストが待っている。