136.シチュー作りは会話と共に
台所に立ちながら、俺は窓の外を見る。
庭木の影が長くなっていた。
暮れ始めた秋の休日は、どことなく物寂しい。
夏とは違い、旺盛な生命力を感じさせないからだろうか。
「実りの秋って言うのに、おかしなもんだな」
「んん、クリス様どうかされましたかー?」
「いや、大したことじゃない」
エミリアに答えながら、俺はフライパンに油を引いた。
このフライパンも使い慣れたものだ。
油を引けば、すぐに馴染む。
新品だと、どこかしっくりこない。
道具にも年季というものがあるのだろう。
それがあるから、中々買い替えられずにいる。
「煮込む前に、肉を軽く焼く。これは表面だけでいい」
エミリアに説明しつつ、俺はフライパンを置いた。
火魔石に点火すると、ほどなく熱が加わる。
そこに、さっきの肉を全部投下した。
この瞬間が一番楽しいという人もいるな。
肉が油と接触し、音と匂いが一気に弾けるからだ。
ジュッと強く、ベヒモスの肉が踊った。
「ふおおお! さすがにいい匂いがしますねえー! 人の本能に訴えるかのような、原始的で胃袋をくすぐる匂いが! 油の弾ける音と共に、ひたすら誘惑してくるのですー!」
「言い得て妙だな。野菜よりは肉の方が、生命の維持には役立つだろうし」
「あれ、バランスのいい食事が大切なんじゃないんですかー? クリス様、偏食は良くないと言ってた気がしますよ」
「理想はそうだよ。栄養はバランスよく取った方がいいさ。でも肉か野菜かどちらかしかないなら、肉を取るね。単純に力になるし、食べた実感があるから」
「ああ、それなら分かりますねー。あれ、でも待ってください。ご飯も大別すると野菜ですよね?」
「野菜っていうか、穀物だけど。肉ではないな、うん」
「肉しか食べられないということは。私のご飯が無くなるー? どのおかずにも合う万能のご飯がー? 好きな具を入れたおにぎりが最高なご飯がー? 夕ご飯を締めくくるお茶漬けが最高なご飯がー?」
エミリアの様子がおかしい。
いや、おかしいのはいつものことだが。
現在進行形でおかしいのは、初めてかもしれない。
「おーい」と声をかけても、表情が虚ろだ。
その緑色の目から、ハイライトが消えている。
「ご飯が無い食卓なんて考えられないのです……何にもおかずがなくても、塩ふったご飯だけで最悪乗り切れる自信あるし……パンも好きですが、今はご飯派ですから……肉しか無い世界になったら、そのご飯が! 私のフェイバリットなご飯が無くなるのですか、ヤダー!」
「よっぽどの不作でも無い限り、そんな世界は来ない。だから安心していい」
肉を焼きつつ、俺はエミリアをなだめる。
手間のかかる子だな。
「はっ、そ、そうでしたねっ。肉と野菜のどちらかしかないなら、という仮定の話でしたよね。なーんだ、私ったらおっちょこちょいですねえー」
「おっちょこちょいというか、はっきり言って」
「はっきり言って……そうか、可愛いですね!」
「頭悪いよな」
「ガーン」
自分でガーンなんて口にするやつ、初めて見たぞ。
ため息混じりに失笑してしまった。
うーん、というかさ。
気がついてないのかな。
「あのさ、肉しかない世界なんてありえないけど。ご飯が無くなる状況はあるから。食料供給停止の話はしたよな。ヤオロズから武器貸してもらった代償の件」
「あっ、はい。そうでしたねー。ストックが無くなったら、それでおしまいでしたよね」
「そういうことだ。幸い米はある程度手元にあるけどね。それでもあまり長くはもたない」
「ぐっ、心得ておくのです。なるべく節約しなくちゃいけないのですねー」
「無くなったら無くなっただけどね。異世界の食材に頼らなくても、どうにかするし」
「クリス様のお気持ちは嬉しいのですが!」
エミリアが珍しくキリッとした顔になった。
ベヒモス戦の時より、よほど真剣な顔だ。
「嬉しいのですが、の続きは?」と促してやる。
「ご飯がすぐに無くなると悲しいのでー、食べる量減らしますー。そうですねー、お茶碗三杯をニ杯にしますねー。これでどうだー!」
「うん、とりあえずさ」
「はい、何でしょうかー」
「今までが食べ過ぎなんじゃないかな。俺でもお茶碗二杯だし」
「うっ、そ、それはですねえ」
言葉を詰まらせ、エミリアが視線を逸らす。
今さら感が強い。
多分、王都で一番食べる女だろう。
よく太らないなと思うが、それは置いておく。
ヤオロズが言っていたが、セクハラというのになるからだ。
視線を手元に戻す。
話している内に、肉はきちんと焼けていた。
この段階では、味付けは塩と胡椒だけだ。
「下準備終わりっと」
火を止める。
焼けたベヒモス肉の匂いは、香ばしいことこの上ない。
食べたくなるが、もちろん我慢だ。
全ての肉をフライパンから鍋に移した。
鍋の底に、ゴロゴロと肉が転がる。
「あ、ここからが本番ですねー」
「当たり。この肉が浸るくらい、水を入れる。そこにこの赤ワインも入れる」
ワインの栓を外し、鍋へと傾けた。
コポリコポリと赤い液体が流れ落ちる。
これはこちらの世界のワインだ。
葡萄を原料に酒を作るというのは、どちらの世界でも変わらない。
「ふふん、これは分かりますよー。いきなり煮込む前に、臭みを取るんですよねー」
「そのとおり。あくが出るからな。赤ワインを入れるのも、主にそのためだ。風味付けも兼ねるけどね」
調理用のワインなので、高価なものじゃない。
見栄はってバカ高いワインを使うほど、俺は酔狂じゃないからな。
鍋を覗くと、早くも湯が沸いてきている。
それに合わせて、薄茶色のあくが浮いてきた。
これをこまめにすくって捨てる。
「さすがにベヒモスの肉だと、あくも多いなあ。生命力に比例するのか?」
「どうなんでしょうねえ。あのー、ビーフシチューって普通は牛肉で作りますよねー?」
「そうだな。ホワイトシチューと違って、ほぼ牛肉オンリーだ。ルーの味が濃い分だけ、肉にもしっかりした旨味が必要なんだろう」
会話の間に、俺は時折おたまであくをすくう。
難しい作業ではない。
ただ根気が必要なだけだ。
下準備をしっかりしないと、ビーフシチューは上手く出来ない。
手を動かしながら、俺は全体の手順を頭の中で思い起こす。
ローストビーフと並行するから、どこかで切り替えないとな。
「エミリアさん、あとで手伝ってくれないか?」
「えっ、作るのを手伝うんですかー? やるのは構いませんが、大丈夫かなー」
「普通にやってくれれば、まず大丈夫だから。今日はローストビーフもあるからさ。これだけやってるわけにもいかないんだ」
「おっと、そうでしたねー。ふふふ、極上のベヒモス肉を使ったお料理が二品ですかー。楽しみ過ぎて、お腹が最敬礼しそうですよー」
「そうなったら、腹が裂けて死にそうだね。可哀想だから、ちゃんと葬式はあげてやるよ」
「ええ、空腹のあまりお腹がよじれてって違いますー! ものの例えですー! しかもあっさりお葬式とか、冷たくないですかー!?」
「いや、これでも優しいつもりだけどなあ」
ほんと、この子といると退屈せずに済むよ。




