134.秋は深みを増してきて
良い紅茶というものは、香りからして違う。
微かな渋みが最初に、そして果物めいた甘みが次に。
喉を滑り落ちる時には、あくまでサラリとしていた。
きっと上等なお茶なのだろう。
カップの表面に視線を落とす。
紅の色が透き通っていた。
「いいお茶ですね」
「ありがとうございます。それほどでも」
素直に感想を口にすると、目の前の人物は微笑んだ。
深緑色のドレスが、その人物の白金色の髪を際立たせている。
見た目だけなら、まさにたおやかな侯爵夫人だ。
だが、俺は中身を知っている。
「ベヒモス討伐後、コーラントからの流民はいかがですか。リーリア夫人」
俺の問いに対し、人物――リーリア=エバーグリーンは柔らかな笑みを浮かべた。
桜色の唇がそっと開いた。
「徐々にではありますが、コーラントへ帰国しているようです。エシェルバネス王国としても、ホッと一安心ですわ。人道的見地とは別に、援助の負担も小さくありませんから」
「そうですね。長い目で見れば、下流区域の人々にも影響があったでしょうし」
「はい、おっしゃる通りです。それでも、問題は収束に向かいつつあります。これも全てクリス様のおかげです」
「いえいえ」
リーリア夫人の謝辞は嬉しい。
でも、俺は俺の仕事を果たしただけさ。
報酬も貰っているし、個人的には満足だ。
視線を左に向ける。
グラン=ハースと目が合った。
いつものように、ただ静かに立っている。
「グランさんの根回しも見事だったな。あの短時間で、よく手配したもんだ」
「恐れ入ります。強いて言えば、私も命は惜しかったので」
「俺にベヒモスを倒してほしかったと」
「自分ではどうにもならないことですから。改めて御礼申し上げます」
「いいって、いいって。無事に済んだんだし」
軽く手を振ってやる。
しかし気分がいいことは確かだ。
自分の功績が人々の幸せに貢献している。
この実感は何物にも替えがたい。
窓に目をやる。
庭木が赤や黄に色づいていた。
そろそろ秋も本番か。
「最近涼しくなったね」と呟いた。
「そうですわね。日中過ごしやすくなりました。朝晩は少し寒い程ですわ」
「まったくです。コーラントは暑かったから、余計にそう思う」
「クリス様は暑いのは苦手ですか?」
「ここだけの話、夏バテしやすいですね。秋の方がいい。食材の種類も豊富ですし」
「ふふ、クリス様はお料理のことばかりです。面白い方」
リーリア夫人は羽扇で口元を抑える。
その仕草には気品と艷やかさがあった。
さすがは侯爵夫人といったところか。
しかし料理ばかりとは……いや、確かにそうだよな。
「特に今回は気合いが入っていますよ。何たって、ベヒモスですからね。珍味中の珍味です。どんな味になるのか、今から楽しみで仕方がない」
「ああ、お聞きしましたわ。何でも、お庭に石窯を造っていらっしゃるとか。手がこんでいますのね」
「それだけの価値はありますからね。自分の好きなものには投資しますよ」
「エミリア様もさぞ心待ちにしているでしようね。豚汁の時、本当に美味しそうに召し上がってましたもの」
おい、エミリア。
お前、年下に笑われているぞ。
事実なのでフォローも出来ない。
しようとも思わないけど。
こんな調子で他愛もない会話を続けた。
お茶のカップが二回、空になった。
会話がふと止んだ時、グランが口を挟んできた。
タイミングを見計らっていたらしい。
「クリス様、差し出がましいながらそろそろ。お送りの馬車を用意してあります。リーリア様、よろしいですか?」
「そうね、もういい時間ですし。クリス様、今日はありがとうございました。またいらしてくださいな。次は是非、エミリア様もご一緒に」
「ええ、ありがとうございます。今日も誘ったんですけどね。折り悪く風邪をひいてしまって」
「あらあら、お大事に。きっと気が抜けて、疲れが出たのですよ」
「多分そうでしょうね」
風邪なら回復呪文で、と思ったが駄目らしい。
自然現象に近いため、治せないそうだ。
その割には、二日酔いは治せる。
女神様も中々に気まぐれだよな。
おっと、悪口は厳禁か。
「それでは」と一言残し、お屋敷を出た。
頭上を見る。
涼やかな秋の空気を通し、青い空が広がっていた。
「いい天気だな」
「まったくです。きっとコーラントの民も、この空を仰いでいますよ。クリス様に感謝しながらね」
「誉め殺しは良くないぜ、グランさん」
肩をすくめながら、馬車に乗り込む。
グランは御者だ。
馬車の中から声をかけた。
「いつかの晩も、グランさんに送ってもらったよな。いつも悪いね」
「いいえ、とんでもない。外に出るのが好きなんですよ。気にしないでください」
朗らかな声が返ってきた。
俺を気遣ってのものか、本心かは分からない。
後者の方がいいな、と訳もなく思った。
カタン、と馬車が揺れた。
馬のいななきと共に、ゆっくりと進み始める。
俺は声を張り上げた。
「ベヒモスの肉、大量にあるからさ。上手くいったら、おすそ分けするよ。リーリア夫人にもそう伝えてくれ」
「はは、それは楽しみですね」
「ああ、そうだな」
お互いの姿は見えないまま、短い会話を交わした。
秋の陽射しの中、馬車はカタコトと進む。
窓から揺れる景色を眺めてみる。
王都の木々も、葉の色を鮮やかに変えつつあるようだ。
人の気持ちもこんな風に変わっていくのだろうか?
不意に浮かんだ問いは、秋風に揺られて消えた。
† † †
「それではまた」と一礼し、グランはさくっと帰っていった。
馬車に乗せてもらうのは楽でいいね。
家に入る前に、裏庭の方へ回ってみる。
小さな花壇の向こうから、ガチャガチャと音がしていた。
別に不審者じゃないことは知っている。
「どうだい、工事の進み具合は?」
「おっ、勇者様! お早いお帰りでっ! お前ら、ご挨拶しねえか!」
「さーせんっ! お帰りなさいっ、勇者様っ!」
「いや、そういうの別にいいからさ。手元から目離すと危ないぞ」
俺が声をかけたのは、屈強な職人達だ。
彼らのすぐ背後には、ゴロゴロと石材が積んである。
あれが石窯の素材になるのだろう。
傍から見た限りでは、三割程度の進捗だろうか。
仕上げも必要だろうから、まだまだだな。
「厄介な依頼だけど、どうしても必要なんだ。引き続き頼むな」
「任せといてくだせえ! しかし、なかなか立派な石窯ですな。牛がまるごと焼けそうですぜ」
「お頭、そりゃ言い過ぎでしょ。せいぜい豚にしときなよ」
職人の一人が突っ込む。
お頭って何だよ、山賊かよ。
いや、髭もじゃだから気持ちは分かるけど。
そのお頭、もとい棟梁はガハハと大きな笑い声を上げた。
「ばーか、こういうのはな、大きく出た方がいいんだよ。小さくこじんまり造るよりは、余裕をもたせてな。大は小を兼ねるっていうだろ」
「あんまりでかすぎても持て余すけどな」
苦笑しつつ、職人の広げた図面を確かめる。
高さは俺の肩くらいだ。
形は、丸っこいどんぐりが近いかな。
てっぺんがこんもりとした円筒形をしている。
一番下は、特殊な炭を入れるスペースになっている。
その熱を石窯全体に行き渡らせて、食材を包み込ませる仕組みだ。
石自体にも熱を伝えやすい加工を施している。
前からこういうの欲しかったんだよな。
「多少費用がかかってもいいから、丁寧に頼むぜ。今回の料理のできは、こいつにかかっている」
「んん〜、帰ったと思ったら、お庭にいたんですかー。ひどいのですよぅ」
「気になったんだから仕方ないだろ。風邪は大丈夫かい」
聞き慣れた声に振り向く。
エミリアが窓から顔を覗かせていた。
だいぶ良くなったのか、普段とあまり変わりない。
違いは多少厚着しているくらいか。
職人達に手を振ってから、彼女は俺の方を見る。
「おかげさまでだいぶましになりましたー。食欲も出てきましたよー。おかゆ以外のものが食べたいのですよぉー」
「大したことなくて何よりだな」
「えへへ、風邪くらいでダウンしてられないですからねぇ。数日後にはベヒモス料理ですものー」
「その執着心には感心するよ」
大した風邪じゃなかったけど、それにしても回復早いな。
「当然なのですっ」とエミリアは笑顔を見せる。
職人達の「聖女様かーわーいーいー」という黄色い声は……うん、聞かなかったことにしようか。




