133.勇者と聖女は味噌汁を囲んで
火魔石を点火し、使い慣れた鍋に湯を沸かす。
ポコポコという軽い音と共に、白い湯気が立ち上った。
日常に帰ってきたんだな。
やっと実感できた気がする。
「いやあ、何だかんだ言ってもお家が一番なのですー。ふー、落ち着くー」
「二十日も離れていなかっただろ。大げさだな」
「気持ちの問題ですー。ところでお味噌汁はまだですかー」
「これからだよ」
エミリアのお気楽さは、ある意味感心に値するな。
こっちは、ヤオロズからの食材供給停止について考えていたのに。
「悩むだけ無駄か」と呟き、湯の中に昆布を沈めた。
今や貴重なストックだが、使うべき時は使う。
いつもの手順を踏んだ後、味噌汁が出来上がる。
具は豆腐とネギだけ。
シンプルイズベストだ。
「今日時間無いからさ。これとご飯だけでいい?」
「ええ、十分なのですー。私もそこまでお腹空いてないのでー」
そんな会話を交わした時には、質素な夕食が整った。
ご飯、味噌汁、あとは漬物が少々。
コーラントの宮廷料理に比べると、驚くほど少ない。
それでも今はこれでいい。
エミリアは嬉しそうにしているし。
「いただきまーす。うーん、一口一口が味わい深いですねえー。これがお袋の味というやつですか!」
「待った、いつから俺がエミリアさんの母親に?」
「半年前から、味覚の母ではありますよ?」
「そうだな、餌付けしてるようなものだしな」
「人を動物みたいに言わないでくださいー!」
エミリアが憤慨し、俺はそれを受け流す。
味噌汁を味わうことに集中する。
味噌の塩気が妙に染みた。
やはり疲れているのだろう。
こういう時は、重い食事はよろしくない。
重い食事と言えば、そうだ、忘れていた。
「そういえば、ベヒモスの肉のことなんだけど」
「はいっ!」
ピクッとエミリアが反応した。
背筋が伸びているのはいいが、ご飯粒を口の端につけるな。
子供か、この子は。
「知っての通り、大部分はコーラントに寄付してきた。収納空間の余剰スペースの問題もあったしな」
「はいっ!」
「そのわざとらしい返事はいいから。とはいえ、肉自体は大量にある。牛を単位に使えば、まるまる二頭分はあると見ていい」
これでもだいぶ削ったんだぜ。
元が見上げるばかりのサイズだからね。
一番美味しいところだけでも、これくらいはある。
エミリアも「たくさんありますねー」と目を輝かせている。
尻尾があれば、ちぎれんばかりに振りそうだ。
犬っぽさ満点と言っておく。
「うん。個人で消費するには、これで十分だ。本来なら、明日にでも食べたいところだが」
「ん、ん、んんんー? クリス様、その言い方だとすぐじゃないってことですかー?」
「うん。その前に準備が必要だと分かった。なので、十日ほど待ってくれ」
「十日っ! 最高級の肉を前にして、十日もお預けとはー!?」
相当ショックだったらしいな、おい。
仕方ないか。
そもそもコーラント行きの動機が「ベヒモスを真っ先に食べたい」だったもんな。
お預けくらわすようでアレだが、こればかりは譲れない。
最高級の食材だけに、俺もそれなりに扱いたいしね。
「なので、無理にでも納得してくれ」と声をかける。
茶を一口啜る。
ふむ、これも言ってしまおうか。
直前まで迷っていたが、引き伸ばしても意味が無い。
「あともう一つあるんだが、いいかな」
「ええー、何だか恐いですねえー。改まっちゃって、今度は何ですかあー? いいニュースですか、悪いニュースですかー」
「後者なんだが」
「チェンジで!」
「そんな、お客様! という茶番は置いておいてだな」
「あっ、せっかく人が楽しんでいたのにいー。ひどいのですー」
「本題に入れないだろ。簡潔に言うぞ。ヤオロズから、地球の食材をしばらくもらえなくなった。地球の武器を使った代償だ。なので、俺の料理のレパートリーも変えざるを得ない」
「え? クリス様、それは本当なのですか……?」
エミリアが恐る恐る問うてくる。
頷くしかない。
「本当だ。供給停止が何ヶ月続くかは不明だけどな。だから、これまでのように作ることは出来ない。ストックをちまちま使っていくから、我慢してくれ」
そう言いながら、俺は立ち上がっていた。
エミリアの顔をまともに見ることが出来なかったのだ。
正直に言おう。
俺は彼女の反応が怖かった。
地球の料理が食べられないというのは、単なる食事の問題じゃない。
俺との同居のメリットが半減するということだ。
食材が制限されれば、同じようにはいかない。
カレーも生姜焼きも、その内に作れなくなる。
"ある意味、頃合いだしなあ"
食卓を離れ台所へ。
意味も無く、食器を片付けてみたりした。
そうだよな。
もともと偽装婚約だもんな。
不自然な関係を解消するには、いいきっかけなのかもしれない。
周囲は何か言うだろう。
だが、そんなものはどうにでもなる。
ベヒモスとの戦いの後遺症とか、適当にでっち上げればいい。
「だから――」
その先は言えなかった。
彼女の方を向くことも出来なかった。
自分でも卑怯だなと思う。
俺はエミリアに選択肢を押し付けている。
自覚し、自嘲し、だが何も言えない。
「だから、しばらく我慢なのですねー? 分かりましたー、大丈夫でーす」
耳を疑った。
「え? 今何て?」
予想外に明るい声に、振り向いてしまった。
エミリアは平然としている。
おかしい、まるでショックを受けた様子がない。
念のため、聞き直してみる。
「あのさ、もう一回言うけど。俺、今まで作っていたようには料理出来ないんだよ? いつになったら再開するのか、不確かなんだよ?」
「ええ、分かっていまーす。だから待つと言ったのですー」
「いや、待つってそんな簡単に」
「だって、私、クリス様の婚約者じゃないですかー。相手が困っているからこそ、側にいるものだと思うのですよ?」
エミリアは首を傾げている。
不思議でならない、とでも言うかのようだ。
予想外の反応だった。
だけど、これは何だろうか。
くすぐったくて暖かいものが、胸の奥から湧いてくる。
「うーん、そうきたか」
苦笑してしまった。
馬鹿だな、俺は。
エミリアの気持ちを全然考えていなかった。
このままでいいとは思わない。
ずっとこのままとはいかないだろう。
けれど、彼女の優しさが今はありがたかった。
無視することなど出来ない。
微笑が漏れた。
エミリアは「あれ、何かおかしなこと言いましたー?」と少しだけ顔をしかめた。
「いや、全然。どうやら俺一人で考え過ぎていたらしい。その事に気がついただけだ」
「はあ」
とりあえず、今はこれ以上は言わないでおこう。
きちんと切り出すのは、別の機会にしよう。
優先すべきは最高の食材の方だろう。
人の悪い笑いをわざと浮かべてやる。
「ところで、ベヒモスをどう料理するか聞きたくないか?」
「聞きたいですー! どどどどどうやって食べるのですかー! あのリヴァイアサンと並ぶ天下の珍味をー! もう決めているのですかー!」
「ちょっと落ち着け。一つは」
「一つは!?」
「まだ何も言ってないから! 一つはビーフシチュー、もう一つはローストビーフ。後者を作るには、石窯が必要だ。だから、すぐには食べられない」
「石窯っ!? わざわざ建造するのですかー!」
「一生に一回食べられるかどうかだからな。せっかくだから手をかけたいんだよ」
どうせなら、とことんこだわりたいからね。




