125.剣士二人 前編
男はふと、空を見上げた。
いつの間にか、夕方になっている。
夕日が差し込み、男の視界を赤く照らす。
異国の夕日だ。
同じ太陽の光なのに、何故か違ってみえた。
それはただの感傷か。
あるいは赤く染まった風景が、流血を連想させるからか。
"どっちでもいいか"
くだらない迷いだ。
気にかけることじゃない。
そんなことは今は重要じゃない。
今頃、クリストフ達はベヒモスと戦っているのだろう。
それに比べたら、本当に何でもないことだ。
男――ライアル=ハーケンスは立ち上がった。
木陰から出る。
綺麗に刈られた芝生を踏む。
このコーラント王国の庭園で、ライアルは一日中待っていた。
約束通りであれば、そろそろ来てもいい頃だ。
何せ、朝から待ちぼうけだったのだから。
「おーい、もう一日が終わるんだけど。やるなら、そろそろ始めないか。日が暮れては、お互い面白くないだろ?」
ライアルの声が無人の庭園に響く。
そもそも場所はここでいいのだろうか。
日にちは一方的に決められたが、場所の指定は無かった。
「ここが戦いやすそうなので」とライアルが意見したので、待たせてもらっている。
普通は王宮の庭園には入れないからである。
疑念が渦を巻く。
もしかしたら、奴はここには来ないかもしれない。
王宮の正門や裏門、果ては市街地に来る可能性もある。
そうなったらどうするか。
"そこまでは責任持てないなあ"
場所が特定出来ないのは、ライアルの責任ではない。
勝手に再戦をもちかけたきたのは、奴の方である。
それなら、こちらの待機場所くらい突き止めてこい。
ライアルはそう考えている。
些か論理の飛躍はあるが、彼なりに真剣に考えた結果であった。
「来ないのかなあ。だったらもう帰るよ」
先程の声かけから、たっぷり百は数えた。
肩透かしか、とため息をついた時だった。
庭園の隅に鋭く視線を送る。
人影がポツリと立っていた。
先日のボロ布のような服とは違い、きちんとした身なりをしている。
麻を二重織りにした服だ。
フードも今日は外しているため、その顔が顕になっている。
ライアルは改めて観察してみた。
顔の彫りは深い。
黒に近い茶髪を丁寧に後ろに撫で付けている。
これだけなら、まともだ。
だが、澱み濁ったその目が問題だった。
生気の欠片もそこには無い。
「ナージャ=バンダル、だったね」
問う。
秋風が舞い、ライアルの短い問いを男――ナージャの元に届けた。
「あア。待たせたナ、確か、そう。ライアル=ハーケンスだった、ナ」
ぎこちなくナージャは答えた。
言葉もどこか濁っているが、受け答えは出来るようだ。
人としての理性が少しは残っているのか。
剣士としての本能だけではなく。
「いかにも。先日はどうも。君が来たら物騒だから、俺だけ王宮に残った。置いてきぼりさ」
「置いてきぼりトハ?」
ナージャが太い首を捻る。
苛々したが、そこはこらえる。
「俺もベヒモス討伐に参加する予定だったんだよ。けど、君のせいで行けなくなった。日にちが重なってしまったからね」
「……そうカ。それは済まなかったナ」
意外にも、ナージャは謝った。
だが、ライアルは見逃さなかった。
ナージャは頭を下げながら、その右手を左腰に伸ばしている。
すなわち、剣の柄を握る仕草。
「全く、本当に全くだよ。しかも今日は一日中、この庭で待ちぼうけだ。こう見えても苛々してるのさ」
答えながら、ライアルは右手を前に出した。
二人の立ち会いは既に始まったも同然だ。
ナージャの服には血は着いていない。
つまり、誰も斬らずにこの庭園まで来たのだろう。
衛士の怠慢が問われそうだが、良いこともある。
ここでライアルがナージャを倒せば、今日の犠牲者は無い。
平和以上に良い事など無い。
「だからさ、始めようか」
「ありがたい話ダ。この死に損ないの願いを、受けてもらえるトハナ」
「俺も剣士の端くれだからな。それじゃ行くぞ」
ここから先は言葉は不要。
行動と結果が全てだ。
会話が止まる。
シィン、と庭園の気配が凪いだ。
人の気配がしないばかりでは無い。
鳥の鳴き声も、虫の音もしない。
静寂がミチリと高まり、そして唐突に弾けた。
「召喚、第一の魔剣! 白銀驟雨!」
「参ル!」
先手を取ったのはライアルだ。
六本の小剣を呼び出し、一気に射出する。
小細工は無い。
真正面へ、最高速で叩きつける。
ナージャはそれを自分の剣で迎えうつ。
形は偃月刀だが、刃が厚い。
その剛剣が唸り、白銀驟雨を叩き落とした。
"やる!"
牽制のつもりだったが、それにしてもだ。
しかし、これは織り込み済みだ。
ライアルは既に次の武器を手にしている。
第二の魔剣である妖刀村正。
やや細身の刃は緩く曲がり、刃紋が夕日を照り返す。
これを両手で右下段に構え、そのまま突進した。
ナージャも間合いを詰めてくる。
魔剣に操られていても、動きはしっかりしているらしい。
「シッ!」
右下段から、思い切りよく切り上げる。
下から上への攻撃は、距離を測り辛い。
だが、外れた。
ナージャは右に跳び、この一撃をうまくかわしている。
反応が速い。
あの半分腐った目でも、ライアルの剣が見えている。
「楽しませてもらおうカ、ライアルッ!」
絶叫と共に、ナージャが踏み込む。
迷いの無い打ち込みを、真っ向から迎え撃った。
刃と刃が激突する。
予想以上の重い手応えに、ライアルがたたらを踏む。
捻じ伏せんとばかりに、ナージャが押した。
強引だが、それだけの力量がある。
「っ、やる……」
「ほらほら、どうシタ! こんなものではナカロウ!」
一瞬たりとも油断出来ない。
左からの袈裟がけを何とか止める。
厚い偃月刀の一撃だ。
凌ぐのが精一杯。
かと思えば、右から。
容赦の無い横殴りが閃く。
村正を振るい、どうにかこれを防いだ。
ギャリリリと耳障りな音は、魔剣同士が反発しているからだ。
「執念ってやつか」と唸りながら、ライアルはどうにか弾いた。
ナージャが大きく体勢を崩す。
この機を見逃すわけにはいかない。
「もらう!」
トン、と軽く足を運ぶ。
両手で村正を引き、そこから一気に突き出した。
滅多に見せない突きだ。
狙いは敵の喉。
だが、この起死回生の一撃が外れた。
ナージャが大きく上体を反らしたのだ。
その動きは、明らかに人体の限界を超えている。
上体が後方へ倒れるが、下半身はしっかりと地を掴んでいた。
しかも、その体勢から反撃の右足が跳ね上がる。
「うおっ!?」
突きの後の硬直。
かわせないと判断し、ライアルはわざと体の力を抜いた。
左肩がガクンと落ち、ナージャの蹴りを受け止める。
重い衝撃だが、想定内だ。
蹴りの威力が最大になる前に、体で止めた形になっている。
ナージャもこれ以上は攻められない。
追撃を諦め、くるりと後転する。
自然と二人の間合いが開いた。
「あの突きをかわして、逆に攻めるか。相当出来るな」
この前とは違う。
賞賛を口にしつつ、ライアルは警戒心を高めた。
左足を後方に引き、村正もそれに倣う。
ちょうど村正の刀身を、自分の半身で隠すような構えだ。
脇構えと呼ばれるこの構えを、ライアルは滅多に使わない。
よほどの強敵でなければ、使う必要が無いからだ。
「こちらも驚いたヨ。まさかあの蹴りを潰されるとはナア。やはり相手に選んで正解ダッタ」
対するナージャは上段に構えた。
胴をがら空きにしてでも、攻撃を重視している。
リスクを最大に取れるのは、やはり魔剣に操られているからか。
ザ、とナージャが前に出る。
芝が鳴った。
そう思った時には、非業の剣士は更に踏み込んでいた。
濁った視線がライアルを捉える。
体重の乗った一撃は、まさに剛剣と呼ぶに相応しい。
受けることもかわすことも至難である。
故に、ライアルの取った手は。
「疾ッ!」
より速い一刀を繰り出すのみ。
右半身の脇構えから、膝、腰、背骨をくるりと回す。
その動力を右手肘から先に連動させた。
どこにも無駄な力は入っていない。
右手一本で村正をやや斜め上に振り抜いた。
ナージャの一撃よりも速い。
先の先。
相手の速攻を更に上回る、超速の一撃だ。
「ガッ!?」
ナージャの呻き声が響く。
その右手首に、刃傷が刻まれていた。
ブシュ、という鈍い音と共に黒っぽい血が迸る。
「浅いかっ!」
対照的に、ライアルは渋い顔だ。
だが、悔やんでもいられない。
振り抜いた村正を構え直す。
その時には、ナージャも体勢を立て直していた。
傷など気にしていないようだ。
そのまま、少し間合いが遠くなる。
「くふ」と薄い笑いを浮かべ、ナージャはまた構えた。
ダメージを負ったとはとても思えない。
「こりゃ徹底的にやり合わないと駄目かな」
黒髪を風になびかせながら、ライアルは呟いた。