124.異世界の力とは
ヤオロズの申し出について、思うところはあった。
今の俺が取り得る最適解だとは分かっている。
それでもやはり、禁忌の手段に近いだろう。
本来この世界に無い物を持ち込み、使用する。
それがどんな影響があるのかは分からない。
つまり、後にとんでもない悪影響が出るかもしれない。
"それでもやるしかないよな"
迷いを吹っ切り、俺は立ち上がった。
体力は元に戻っている。
エミリアの回復呪文のおかげだ。
前方を睨む。
数百歩の間合いを隔て、ベヒモスが暴れていた。
ローロルンが相手しているが、そろそろ限界だろう。
時折、大型弩弓の攻撃が飛ぶ。
兵士達も精一杯やってはいるんだ。
だが、これも大して効いちゃいない。
「クリス様、どうされたんですかー?」
エミリアが不思議そうに俺を見上げた。
いつまでも動かないので、不審に思ったのだろう。
すぐには答えなかった。
ただ、黙って彼女の顔を見た。
ゼリックさんの提案に沿って、俺はエミリアと一緒に住むようになった。
仮の、嘘の婚約関係。
だけど、彼女は俺の料理をよく食べてくれた。
綺麗に食べ終えた皿を見ると、いつしか心が満たされた。
「なあ、エミリアさん。俺さ、ヤオロズの力を借りることにした」
ポツ、と呟いた。
一度大きく瞬きをして、エミリアは「はい」と頷く。
「ここまで頑張ったけど、手持ちの戦力じゃ通じなかった。俺もローロルンも手札は全部使っちまった。ライアルがいれば違ったかもしれないけど、いないんだから仕方ない」
「はい」
俺の発言は敗北宣言とも取れる。
動揺してもおかしくない。
それでも、エミリアはただ受け入れてくれた。
確かな信頼が伝わってきた。
それが有り難かった。
「だが、まだ終わりじゃない。取れる手段は全部使う。ヤオロズが助けてくれるなら、それを借りる。この世界にどんな影響が出るかは分からない。それでも、俺は」
胸が詰まった。
言葉が途切れた。
それでも俺は。
「ベヒモスを倒す。そしてまた料理をして、エミリアさんに食べてもらいたい。こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。だから、俺は決めた。異世界の力を借りるってな」
「分かりましたー。クリス様がそう言うなら、異存は無いですー。私もクリス様のご飯、もっと食べたいですしー」
答えながら、エミリアは笑った。
この追い詰められた局面にいながら、それでも笑った。
一瞬見惚れてしまう程、透明感のある笑顔だった。
「だから、クリス様の思う通りやってくださいー。私はクリス様をずっと信じていますからー」
「ああ」
短く答えながら、意識を自分の内へ切り替える。
すぐにヤオロズが反応した。
"準備はいいかい、クリス"
"どうせ聞いていたんだろ。いいも悪いも無いさ。一番リスキーなのは、あんたなんだ。気を遣うなよ"
"それはそうだけどね。ま、いいか。決意が鈍らない内に、やってしまおう。命あってのものだねだ。右手を出してくれ。そう、手のひらを開いて"
ヤオロズの指示に従う。
空っぽの右手を前に出す。
握手するかのようだが、当然そこには何もない。
"それでいい。では、やるとしようか。説明するより、もはや目で見た方が早いからね!"
ヤオロズの声が大きくなった。
パッと右手が明るくなる。
淡い光の粒子が集中している。
その光が徐々に強くなり、周囲の風景を照らし出す。
夕暮れで赤く染まった土に、白い輝きが刺さる。
ドン、と右手に重い手応えがある。
光の粒子が唐突に消える。
そして、俺の右手は黒い何かを掴んでいた。
「これが異世界の武器なのか?」
思わず声に出していた。
俺、もっと大層なもんかと予想していたんだ。
でも、これは少なくとも見た目はちゃちい。
頼りない。
俺の右手は、黒色の長い円筒を掴んでいる。
金属製なのか、結構重い。
円筒の片方の端には、木製の握りが付いていた。
この握りを持てば、円筒の部分が棍棒になる。
いや、まさかね。
棍棒でベヒモスが倒せたら苦労しないよ。
"それは近接武器じゃない。M79グレネードランチャーと言って、遠距離武器の一種だ。使い方は私が教えてやるから、いってこい!"
「その言葉信用していいんだよな!?」
半信半疑ながら、もう後戻りは出来ない。
一気にベヒモスとの間合いを詰めた。
「た、助かったのじゃー」と、ローロルンが情けない声をあげる。
やはり結構やられたようだ。
着ているローブにも、あちこち血の染みがある。
ベヒモスはというと……ちっ、舐められたもんだ。
追撃もかけずに、じっと佇んでいる。
完全に詰めの作業に入ったってか?
今更焦らなくても、自分の勝ちは動かない。
そんな風にも見えるぜ。
だが、勝負ってのは最後の最後まで分からない。
"最初の一発だけ、私が君の体を借りる。それだけで、君なら覚えられるはずだ。体に染み込ませろよ"
"頼む"
言うが早いか、自分の体の感覚が遠くなる。
神様に身体が操られるってのは、奇妙なもんだな。
手足の動きが自分の支配から離れた。
頭だけがやけに明晰に働く。
俺の右手。
M79とかいう武器の柄を掴んだ。
ガチリと何かのスイッチを外すと、円筒部分がカクンと開いた。
ちょうど中折れした形だ。
俺の左手が動く。
黒いずんぐりした弾を掴んでいた。
いつの間にと思う暇も無い。
左手は滑らかに動き、円筒部分に弾を送り込む。
右手を軽く手元に引くと、M79は元の形に戻った。
最初から最後まで、この間僅か数秒。
ほとんど瞬間芸だ。
"この世界の基準で言えば、M79のサイズは長剣並み。重さも大体同程度。扱いは問題ないだろ?"
"だと思いたいね。で、ここからどうするんだ?"
"決まっているさ。こうして引き金を引く!"
嬉々とした様子で、ヤオロズは俺の体を操った。
右手が持ち上がり、黒い円筒の先をベヒモスに向ける。
左手はぶらりと下げたまま。
引き金って何だ、と問うより前に分かった。
ああ、この右手の人差し指がかけられてるやつか。
そして俺の意志には関係なく、指が動いた。
「うおっ!?」
唐突に感覚が戻る。
だが、驚いた点はそこじゃない。
M79なる武器から、さっきの弾が吐き出された。
真っ黒い金属の弾が飛ぶ。
「駄目だろ、あんなのじゃ」と絶望したが、それが一瞬で覆った。
"おめでとう、命中ー!"
「うお、すげえな」
ヤオロズの祝いの言葉を、轟音がかき消した。
敵前だというのに、呆気にとられちまったよ。
だってさ、あんな小さな弾が爆発したんだぜ?
ベヒモスの角で弾かれた時は、がっくりきたけどさ。
その瞬間に大爆発だ。
ぶわりと熱をはらんだ黒煙が舞っている。
真紅の火炎をいきなり浴び、さしものベヒモスも驚いたか。
怒りの叫び声を上げ、身を低くした。
突進してくるか。
むしろ願ったり叶ったりだ。
"じゃ、あとは頑張ってね。使い方は分かるよね"
「ああ、覚えた。残りの弾は?」
"左手出せば、そこに呼び出してあげよう。そら、来たぞ"
「だな」
この瞬間、俺は笑っていた。
まだこっちの不利には変わらない。
だが、明らかにベヒモスは動揺している。
後脚をフルに活かし、一気に突撃してきた。
さっきの一発で頭に血が上ったか。
対照的に俺はひどく冷静だ。
頭の中の知識を総動員し、このグレネードランチャーの構造を把握する。
ヤオロズが叩きこんだ知識によれば、こいつは単発式だ。
擲弾といって、爆発物が詰め込まれた弾を撃ち込むらしい。
なるほど、だからあれほどの爆発が生じたわけだ。
ローロルンの火炎系呪文に似ているな。
「てめえが慣れる前に、撃てるだけ撃ってやるよ」
さっきの動きをなぞる。
銃身に弾を詰め込み、右手で構える。
地響きを立てながら、ベヒモスは突進してくる。
さっきまでならびびっていた。
だが、今は違う。
遠距離攻撃を手に入れたならば、俺が先手を取れる。
それに、こいつは異世界の武器だ。
お前の防御のレパートリーには無いだろう。
「こいつが俺の切り札だ。存分にくらっとけ」
躊躇いなく引き金を引いた。
子供の拳程の黒弾が飛び、またもや爆炎を引き起こす。
赤と橙の炎が飛び、爆風がベヒモスを押し返した。
恐ろしい破壊力だな、これ。
火炎によるダメージに加え、爆発の圧力が効いている。
予想以上の攻撃力だ。
この隙に側面に回り込む。
移動しながら、三発目の弾を銃身に放り込んだ。
黒い金属がガキリと鳴り、俺の心を踊らせる。
「自動防御だろうが何だろうが、全部ぶっ飛ばしてやる」
負えるだけのリスクは負ったからな。
ここから一気に逆転してやる!