122.勇者の実力
「あっち、あちちち! ちゃんと敵だけ狙ってくれよな!?」
直撃ではないが、熱いものは熱い。
ローロルンの狙いが逸れた結果だ。
ごく小さな被弾に過ぎないが、味方を巻き込むなよ。
「うむ、すまんのう。しばし交代してやるから、それで許せ」
お前、それで謝ったつもりか。
上空のローロルンを睨む。
けれど、こいつが頼りになるのも確かだ。
「ったく、しばらく任せたぜ」
それだけ言い残して、さらに下がった。
ベヒモスの注意は、完全にローロルンに向いている。
貴重な休憩時間だ。
「大丈夫ですかー」とエミリアが近寄ってきた。
「大丈夫、と言いたいところだが。ノーダメージとはいかないな」
「あ、やっぱりそれは難しいのですね。擦り傷、打ち身、それに打撲が少々ですねー。回復呪文かけますから、しばらく動かないでくださいねー」
予め準備していたのだろう。
回復呪文の発動が早い。
俺の体を白い光が包み込む。
支援呪文と加護の力は、回復呪文の妨げにはならない。
荒かった呼吸が落ち着いてきた。
全身に負った傷も塞がっている。
「助かる」と自然と呟いていた。
「いいえー、どういたしましてー。でもこの程度の怪我で済むってすごいですねー。あんな大きな魔物が相手なのにー」
「二重に強化しているからな。これが無ければ、立っていられないだろう」
これは謙遜ではない。
エミリアの強化呪文に加え、ヘスケリオンの加護が効いている。
自分の体を見る。
白い柔らかい光に加え、鋭い銀の光を帯びていた。
時折、バチバチッと細い紫電が煌めく。
見た目だけでも、威圧感はあるだろう。
ベヒモスがびびるかどうかは知らないけど。
「それに自動回復能力が無ければ、もっと酷かった」
「かけておいて良かったですねー」
「ああ。ちまちまとは言え、確実に回復するからな」
ほんとそう思うよ。
直撃こそ避けても、完全に回避するのは難しい。
ベヒモスはでかい。
でかいので、単純な攻撃でも攻撃範囲が広い。
角や爪、それに尻尾が無作為に襲ってくる。
まったく、よくこの程度で済んだものだ。
"束の間の休憩だけど、何か食べるかい?"
脳裏に声が響く。
ヤオロズか。
そう言えば、朝から話していなかった。
"いや、いい。とてもそんな気分じゃないしな"
"それもそうだな。しかし、あのベヒモスとかいう魔物……強いな"
"分かるのか?"
ヤオロズと会話しつつ、戦況を観察する。
ローロルンは中々の奮戦ぶりだ。
飛翔能力を活かし、雨あられと攻撃呪文を撃ち込んでいた。
火炎が炸裂し、赤い炎が爆発する。
氷雪が嵐となり、ベヒモスの巨体を白く包む。
更には電撃が落とされた。
個々の呪文のランクは低いが、手数が違う。
「普通はあれだけ撃ち込めば、倒れるんだがな」
思わず口に出してしまった。
エミリアが「んー? ああ、ヤオロズさんですかぁ」と察する。
俺の様子で分かるらしい。
長い付き合いだ。
"不沈艦と呼ばせてもらうよ。怪獣映画に出てきても、おかしくないね。大型トレーラーが暴れているようなものだ"
"トレーラー、ああ、あれか"
地球で使われている輸送機器の一種だったな。
サイズと馬力を考えれば、言い得て妙だ。
人間が相手に出来るものじゃないぜ、まったく。
両手を軽く握る。
痛みは無い。
脚を曲げ、伸ばす。
よし、不自由は無い。
心臓の鼓動も収まっている。
体の感覚と動きが連動していた。
"しばらく待ってろ"
ヤオロズとの通信を遮断した。
前を見る。
ローロルンがベヒモスの攻撃をかわしていた。
そのまま左側へと飛び、側面から攻撃呪文を撃ち込んだ。
だが、その攻撃は通っていない。
ドゥンと鈍い音だけが響く。
自分の顔が引きつったのが分かった。
「土系の防御呪文だと。しかもあのタイミングで発動か。多分、自動防御だ」
「えっ」
「ベヒモスの顔の周りに、土塊が浮遊している。あれでローロルンの攻撃を防ぎやがった」
息を呑むエミリアに、手短に説明してやる。
警戒心を高め、俺は前に出た。
同じ攻撃を続けるのは良くないようだ。
「ローロルン、下がれ! このベヒモス、こちらの攻撃を学習してやがる! その内、全部対処されるぞ!」
返事より先に駆け出した。
全回復した体は、あっという間に最高速に達する。
盾も鎧もつけていないのは、速さに特化するためだ。
ヒュ、と風が鳴る音が聞こえた。
ローロルンが下がる。
そのポジションを埋める。
ベヒモスの注意が、空中から地上へ向く。
だが遅い!
「第二ラウンド開始といこうぜ!」
迷いは無い。
やや遠い間合いから、大剣を振り下ろす。
特大の剣圧が飛び、ベヒモスの右角に当たった。
僅かに押し込んだのみ。
微かに怯んだか。
ここからどう攻める。
俺にとっての左、ベヒモスの右側へと回り込む。
「ついてこれないよな?」
巨体の割にはすばしっこい。
それは認めるさ。
だが、絶対的な速度が違う。
追うのは諦めたらしく、尻尾で迎撃か。
いい判断だ。
だが、これを跳躍でかわす。
がら空きの胴体へ、斬撃を叩きつけてやる。
落下の勢いを加味した一撃だ。
岩の如き装甲でも、これならっ!
"通った"
手応えあり。
堅い皮膚が割れ、刃が食い込む。
ギオオオォッという叫びが、ベヒモスの口から迸った。
お前みたいな魔物でも、痛覚はあるのか。
そうか、ならもっと存分に味わえよ。
「はっ!」
落下しきる前に、今度は下から上へ振り上げる。
攻撃自体は空振り。
だが狙いはそれじゃない。
大剣の重みと勢いを利用して、俺の体は再び浮いた。
空中で逆手に持ち替える。
そのまま右手一本で剣を持ち、また落下。
重く湿った手応えがあり、衝撃が腕に響く。
刃が通った。
赤い血が迸る。
それを見て、俺は笑う。
きっと怖い笑いだったろうな。
ベヒモスが身をよじる。
剣が外れ、俺は支えを失う。
そのまま落ちる前に、思い切りベヒモスの脇腹を蹴った。
足裏への堅い衝撃と共に、俺は横に跳んでいる。
「巻き込まれるわけにはいかねえんだよ」
転がって受け身を取る。
立ち上がるとベヒモスと目が合った。
獅子に似た顔の中で、双眼が吊り上がっている。
凝視されただけで体が竦みそうだ。
それを意志の力で何とかこらえる。
「てめえが相手にしているのはなあ」
チリ、とまた紫電が舞った。
足元の砂が弾ける。
「ただの人間じゃねえんだよ。勇者なんだよ、こう見えてもな」
不器用でも。
結婚生活が上手くいかなくても。
訪ねてきた子供を泣かせてしまっても。
それでも、俺を信じてくれる人達がいる限りは。
俺は、クリストフ=ウィルフォードは、勇者であり続けるんだ。
一歩二歩と踏み出した。
大剣を上段に構え、そのまま駆ける。
「だからさ、ここでてめえをぶった切る。極上の食材にして、上手いこと料理してやるんだよ。大人しくふっ飛ばされとけ!」
俺の挑発を理解したのかしていないのか。
ともかく、ベヒモスは咆哮した。
その音の暴力を引き裂きながら、大地を蹴った。
はっ、ここまでやってようやくてめえの顔の高さか。
だが、これならどうだ。
「断岩一閃!」
気合の声と共に、大剣を振り下ろした。
技としてはシンプルそのもの。
跳躍時の勢いを、真っ向唐竹割りに足した。
それを剣圧に乗せただけだ。
だが、威力は折り紙付き。
そして狙いはただ一点。
剣圧が空間を断ち、ベヒモスの右の角に激突した。
バキリと鈍い音を立て、その角が折れる。
時間が止まる。
ゴロ、と節くれ立った角が転がる。
ベヒモスの動きも止まり、そして絶叫が迸った。
止まった時間が再び息を吹き返す。
「まだまだここからだ!」
着地と共に、俺は更にベヒモスに肉薄した。
俺の動きが止まるのが先か。
てめえの生命力が尽きるのが先か。
根比べと行こうじゃないか。




