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119.勇者、出陣

 ベヒモスの進行速度は比較的遅い。

 一日に約10リーク程度だ。

 もっと速く移動できるはずだが、急ぐ必要もないのだろう。


「渓谷内に入ったという連絡がありました。ここを通過するのは間違いありません」


「良かった良かった。これで大回りでもされたら、準備が無駄になるからな」


 報告してきた兵士が「ハッ!」と敬礼で応えた。

 律儀なことだ。

 昨日は転移してから、街の様子を見ただけで終わった。

 本格的な準備はこれから行う。


「エミリアさん、ローロルン」


 二人に呼びかける。

 先にエミリアが振り向いた。


「はーい、何でしょうかー」


「聞いた通りだ。ベヒモスがここを通るのは間違いない。渓谷の長さは約40リーク。つまり、あと四日か五日あれば着くだろう」


「いよいよですねっ」


 エミリアが勢いよくパンをちぎる。

 緊張はしていないらしい。

 結構なことだ。

 もう一人はというと――どう見ても駄目だ。


「おい、起きろ。のびてる場合じゃねえだろ」


「妾は朝は弱いのじゃよ、放っておいてくれい……」


 典型的な夜型らしい。

 ローロルンはぐだりとのびている。

 長い白金色の髪が食卓に広がっていた。

 低血圧なのだろうか。

 鉄分摂った方がいいぞ。


「おい、ほうれん草とか食うか?」


「ホウレンソウ? なんじゃ、それは。異世界の食べ物かえ?」


「そう。朝弱い人にお勧めの野菜」


 とは言ったが、食べてすぐ効くもんじゃない。

 分かった上で言ってみただけだ。

 ローロルンもそれは承知している。

「ふぅん、考えとくんじゃよ」と呟きながら、体を起こす。

 その紫色の目が俺を向いた。


「ライアルがこちらに来るのは難しそうじゃな」


「無理だろう。ちょうどナージャの言っていた日とかぶる。仮に一日ずれても、余裕は無いだろうな」


「じゃろうな。まったく、最悪のタイミングじゃったな」


「ライアルさんがいないのは寂しいですねえー」


 三人で揃ってため息をつく。

 いないものは仕方ない。

 仕方ないと諦めつつも、無いものねだりをしてしまう。

 それが人間だ。

 根性とか気合とか、そういう問題では無い。

「戦力ダウンは策でカバーするさ」と声をかけ、俺は立ち上がった。

 エミリアも俺に続く。


「どこ行かれるのですかー、クリス様ー」


「兵士達と打ち合わせ。迎撃戦だから、大型弩弓(バリスタ)が使える。牽制くらいにはなるからな。エミリアさんはどうする?」


「一緒についていきますー。どんな感じなのか、見ておきたいなあーと」


「立派な姿勢だが、ちょっと待った。初陣がベヒモスか。その前に対魔物戦、経験しておいた方がいいな」


「ふえっ!?」


「ふえっじゃねえよ。実戦の雰囲気くらいは味わった方がいい。ローロルン、頼めるか?」


「うむ。なるべく近辺の魔物を狩ればいいのであろう」


 驚くエミリアとは対照的に、ローロルンは落ち着いている。

 ミトラの街の周囲は荒れ地だ。

 うろうろしている魔物は一定数いる。

 日帰りでも、数回くらいは戦闘経験を積めるだろう。


「ローロルンの後について、とにかく見ておけばいい。余裕があれば、呪文の一つも唱えておいて。後衛だからって、のほほんとはしてられないからな」


「は、はいっ」


「慣れじゃよ、慣れ。ピクニック気分でついてくればええ」


「今日だけでいい。ローロルンも明日から迎撃準備にかかってくれ。じゃ、お互い頑張ろうぜ」


「ううー、頑張るのですー」


 いや、ほんと頼むよ? 

 本番でびびって駄目でした、とか無しだからな?



 徐々に緊張が高まっていく。

 残された数日間を、俺達は準備に費やした。

 基本的には、戦闘は俺、ローロルン、エミリアで受け持つ。

 一般兵の攻撃では歯が立たないからだ。

 ただ、大型弩弓(バリスタ)は別だ。

 城壁でもぶち抜くというだけあって、これは通用するらしい。


大型弩弓(バリスタ)四台を半円状に配置するだろ。突破されたらおしまいだから、中央は俺ら」


「渓谷から出てきたら、いきなり先制攻撃ですよねー。開幕即ノックアウト出来たら、楽ですよねー」


「それが出来たら苦労せんわい。聖女様は強化呪文(バフスペル)は使えるんじゃろ? 長期戦必須じゃから、それは使ってほしいのう」


「出来ます、出来ますー。女神の加護を与える呪文がありますー。とにかく便利なんですよー。じゃんじゃんかけちゃいますよぉー」


「一応言っておくけど、回復呪文用の魔力は残しておいてくれよ」


 実戦でプッツンして呪文乱発とか、よくあるからな。


「大丈夫なのですっ。冷静沈着とは私の代名詞ですからー。クリス様の支援と回復は、私が引き受けまーす」


「その意気じゃ、聖女様」


 冷静沈着?

 いや、突っ込むまい

 ともかく、この二人は慌ててはいないか。

 その点は心配無用のようだ。

 俺自身はどうかって? 

 大丈夫に決まってるだろ。

 愛用の大剣は研ぎ澄まし、限界まで切れ味を高めている。

 一般兵相手に軽く立ち合い、勘も取り戻しておいた。


 大剣の他に武装は無い。

 昔は鎧もつけていたが、今は必要ない。

 スピードを優先して、とにかくかわす。

 当たればそれまでだ。


 "明日には来ているだろうな"


 窓の外は既に暗い。

 夕方の報告によれば、あと7リークだ。

 今から眠れば、早朝にはベヒモスとご対面だろう。

 そう思うと、体が震えた。

 全力でぶつからねば勝てない相手か。

 久しぶりだな。


「やり残したことは無いな? なら、さっさと寝よう。寝不足で相手出来るほど、甘い相手じゃないぜ」


 返事は待たなかった。

 二階の自分の部屋に戻り、窓際に寄りかかる。

 床に差し込んだ月光を目で追い、そのまま頭を上げる。

 細い細い月が、暗い空に輝いていた。

 目を閉じる。

 己の中に昂ぶるものを、荒い息に託した。


 ドクン、と震えるものがあった。

 心臓じゃない。

 体の他の臓器でもない。

 ビリ、と背骨に沿って刺激が走る。

 力が指先までも充ちてゆく。

 自分のものじゃない何かが、ゾク、と取り憑いた。


 "違う、今じゃない。これは明日まで取っておくものだ"


 自分に言い聞かせ、静かに長く呼吸をする。

 潮が引くように、力が鎮まっていった。

 手のひらを開くと、じわりと汗が滲んでいた。

 耳鳴りがする。

 まるで狼の遠吠えのように、その残響が鼓膜に残った。

 俺の加護の源は、相変わらず血気盛んなようだ。


 "まったく、聖狼というよりは餓狼だぜ"


 ため息をつき、俺はもう一度月を見上げた。

 白々とした月の光は優しかった。

 眠ろうと決め、そのまま瞼を下ろす。

 眠れないかもと思っていたが、それも杞憂だったらしい。

 すぐに意識を手放し、俺は夢の住人になっていた。



† † †



 "懐かしくないか、クリス。九年前もこんな夜じゃなかったか?"


 夢の中で、俺は自分自身に問いかける。

 こんな夜、ああ、そうか。

 魔王の城へ踏み込もうとした時のことだ。

 最後の勝負を挑む前夜も、確かこんな月夜だった。


 "九年経過したけれど、俺は何か変わっただろうか"


 どうだろうか。

 揺蕩(たゆた)いながら、ぼんやりと考える。

 変わったようではある。

 変わらないままかもしれない。

 結婚して子供が生まれた。

 上手くいかず離婚した。

 そして今は、偽装婚約中ときている。

 その相手を、隣国まで連れてきている。

 何だかなあ。

 これだけ考えれば、デタラメな人生だ。

 俺は悪人ではないとは思うが、立派でもないだろう。


 "それでも、俺は"


 勇者なんだ。

 料理が好きで、剣を振るう力がある勇者なんだ。

 少なくとも、この危機を乗り切るまでは――その名からは逃げない。

 逃げる意志も無い。

 これが……俺なんだ……うん。


 暗く、暗く、意識が夜の中に沈み込んでいく。


 幾ばくか時が経過した、のかもしれない。


 ふわりと意識が浮上し、視界が微かに白くなった。

 耳、何か聞こえる。

 けたたましく、騒がしいこの音は。

 そうか、事前に決めていた合図だ。

 眠っていたミトラの街に、警報が鳴り響く。

 この警報の意味が分かるのは、俺達と兵士だけだ。

 察しはつくだろうけどな。


 ベッドから跳ね起きた。

 冷たい水で顔を洗う。

 体が覚醒する。

 愛用の革長靴(ブーツ)に足を突っ込んだ時、階下から声が聞こえてきた。

 抑えてはいるが、その響きは鋭い。


「ベヒモス接近、街まで残り1リーク半!」


 返事より先に飛び出す。

 出迎えた兵士達に頷き、共に街の南へと向かう。

 エミリアとローロルンもちゃんとついてきている。

 感心だ。

「おはよう」と短く声をかけた。


「おはようございますー」とエミリアが微笑で答えた。


「うむ」とだけ、ローロルンは答える。


 朝の涼やかな空気を吸い込む。

 何かの草木の匂いと共に、肺が洗われる。

 秋だな、と脈絡も無く思った。

 ぞわりと熱い何かが喉を焼く。

 次の一歩を力強く踏み込んだ。

 

「ベヒモスはここで沈める。勇者クリストフ=ウィルフォード、出る!」

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