118.最前線の街へ
「俺は残るよ」としか、ライアルは言わなかった。
「分かった。仕方ねえな」としか、俺も言わなかった。
握手はしなかった。
ただ無言で拳を合わせただけ。
それで十分だった。
ライアルを残し、俺は魔法陣に足を踏み入れた。
転移用の魔法陣は、淡く明滅している。
俺が入ったことを確認して、魔術士が詠唱を開始した。
コーラント独特の発音が大きく響く。
それに合わせて、明滅が激しくなった。
"ベヒモスは俺達に任せとけ"
そう思った瞬間、転移呪文は完了していた。
渓谷手前の街まで、俺達は一瞬で転移した。
† † †
「クリス様ー、良かったんですかー」
「しつこいなあ。良かったも何も、仕方ないだろう。あのナージャって奴は放置出来ないんだしさ。ライアルも残るって言うし」
「うーん、それはそうなのですがー。四人が三人になっちゃって寂しいのです」
そう言って、エミリアはゆっくりと視線を俺から外した。
彼女の目には、俺とローロルンと背景しか映っていないだろう。
そう、ここにはライアルはいない。
昨日のナージャ=バンダルの奇襲は完全に誤算だった。
ああ言われたら、再襲撃を警戒せざるを得ない。
結果、ライアルはコーラントの王宮に残ったのだ。
「ある意味、ベヒモスの間接的な攻撃だよなあ」
「え、何でですかー?」
「あのナージャって奴、ベヒモスに倒されたんだろ。その時、絶命寸前になったから、魔剣に取り憑かれた」
「あっ、言われてみればそうですねえ。ベヒモスのせいで、ああなっちゃったのかー」
「そういうことだ。その結果、俺達は戦力大幅減を余儀なくされた」
戦う前から、結構な不利を背負わされたもんだ。
「まったく」と言いながら、俺は周りを見渡した。
この街の名前はミトラと言うらしい。
粗末な民家が立ち並んでいる。
それより印象に残るのは、人の多さだ。
軒先や路地裏など至るところに、人の姿があった。
南方から逃げてきた避難民だろう。
俺達の方をチラチラと見ては、サッと視線をそらす。
「歓迎されてないのかな」
「ある意味そうかもしれんな」
俺の疑問に、ローロルンが答える。
彼女は廃屋の壁に背をもたせかけていた。
「あの者達から見れば、妾らは頼みの綱ではある。だが、もっと早く来てくれたらとも思うであろう。理不尽であると分かっていても、そういうもんじゃよ」
「だろうな」
「ええっ、だってせっかく助けに来たのにー。そんな言われ方はイヤですよぉー」
悲鳴を上げるエミリアに、ローロルンは皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「まっすぐじゃのう、聖女様は。考えてみよ。故郷も財産も奪われ、この街に逃げてくるしかなかった。そんな極限状態で、人は正しい判断が下せるかの? 人とはそんなに強い生き物かのう?」
「うっ、そ、それはー。でもー、それでも何か伝わるものがあるはずなのですー」
「理想はそうじゃがな」
それだけ言って、ローロルンは押し黙る。
嫌ではあるものの、同意せざるを得ない。
九年前もそうだった。
せっかく魔王軍を退けたのに、文句を言われたことはあった。
"何でもっと早く来てくれなかった"
"あと一日早ければ、夫は殺されずに済んだのに"
"どうせ勇者様から見たら、俺らなんてカス同然なんだろ"
重い。
思い出すだけで重い。
事情は分かるけど、勘弁してくれ。
俺だって必死だったんだ。
目一杯やったんだ。
そう抗弁したかったけど、ぐっと堪えたんだっけ。
もちろん、嫌なことばかりじゃなかったけどな。
感謝されることも多かったよ。
それでも、人は嫌なことの方を覚えているもんだ。
「ご安心を。万が一にも、彼らが害を及ぼすことはありませぬ。精一杯の敬意を払うよう、ちゃんと伝えてあります」
「ああ、分かってる。」
こちらを気遣ったのだろう。
コーラントの兵士が、俺に声をかけてきた。
俺達の護衛の為に、数人の兵士が周囲にいる。
物々しい雰囲気だが、これは仕方ない。
物見遊山じゃないんだ。
「今、ベヒモスはどの辺りにいる?」
「連絡によると、ここから南へ40リークと少しといった辺りです。このペースだと、あと数日で到着します」
「了解。それまでにお出迎えの準備はしておくか」
わざと陽気に答えてやった。
今回は迎撃戦だ。
渓谷に踏み込むことも考えたが、その計画は修正した。
ぎりぎりまで引きつけ、この街の外縁部で叩く。
つまりベヒモスが渓谷から出た辺りだ。
焦れったいが、その分だけ準備する時間はある。
俺はローロルンに声をかけた。
「今回はお前が口火を切るからな。先制攻撃は任せた」
「分かっておるわ。多少時間があるなら、好都合じゃ。罠の一つも用意してやろうぞ」
「相手はベヒモスだ。容赦の必要はない。エミリアさんは……あれ?」
姿が無い。
さっきまで隣にいたのに、どこ行ったんだ。
首を巡らせる。
いたいた、裏路地を覗き込んでいる。
しゃがみこんで、誰かに話しかけていた。
「あいつ、何を勝手なことを」
思わず舌打ちしてしまった。
中には気の触れた奴だっているんだぞ。
さっき話したところなのに。
「連れ戻してきましょうか?」と兵士に言われ、頷きかけた。
だが、そうはしなかった。
エミリアが何をしているのか、分かったからだ。
「あのー大丈夫ですかー。もし体調が悪いなら、私、治してあげますよー」
「い、いいえっ、そんな畏れ多い。お気持ちだけで十分ですからっ」
「ええぇ、せっかくですからー。いつもなら治療費いただきますが、無料にしておきますよー。ほらほらー」
地面にしゃがみこみ、エミリアは話しかけていた。
避難民達が地面にへたりこんでいるからか。
目線を合わせて話そうという、彼女なりの気遣いだ。
「えーい、面倒だから勝手に唱えちゃいますよー。治癒の光ー」というのは、いきなり過ぎだが。
エミリアの右手から、白い柔らかい光が漏れた。
それが目の前の人を包み込んでいく。
「う、うわぁっ。あ、あれ、さっきまでの痛みや疲労が無い。これはその、貴女様が?」
「はい、私のおかげでーす。あ、申し遅れましたが、エミリアと言いまーす。エシェルバネス王国で聖女やってますー」
「は、はあ」
相手は毒気を抜かれたようだ。
こんな軽い聖女がいるかと思っているんだろうな、多分。
だが目論見は当たったようだ。
この様子を見て、人々が集まってきている。
警戒心よりも好奇心が勝ったのだろう。
「何とも腰の低い聖女様じゃのう。回復呪文の安売りなど、するものではないぞ?」
「ま、そう言うなって。エミリアさんのおかげで、皆の顔が違ってきてるぜ」
ローロルンを促す。
この間にも、エミリアは回復呪文を唱えていた。
ベヒモスとの戦いには、まだ時間がある。
多少疲れても、魔力は補充出来るだろう。
ギスギスした雰囲気が和らぐなら、その方がいい。
よし、俺も何か手伝うか。
俺が出来ることなんて、料理しかないけどさ。
"ヤオロズ、何かない?"
"大雑把な願いだなあ。簡単なスープでいいなら、材料あるよ"
"それで十分だよ。悪いな"
通信を終える。
収納空間から食材と大鍋を引きずり出した。
鶏のもも肉、玉ねぎ、それに固形コンソメスープだ。
これでも体を温めるには役に立つ。
「最前線で人助けってのも悪くないよな」
「お主も相当お人好しよのう」
ローロルンは呆れている。
いいだろ、別に。
剣を振るうだけが勇者って訳でもないしね。