117.魔剣に操られし者
事前の約束があったわけではない。
劇的な出来事があったわけでもない。
だが、その場にいた人々全員が一斉に動いた。
その数、およそ三十人。
王を守り、この不審者を包囲するには足りる数だ。
「陛下は下がって! 衛士は前へ! ナージャ=バンダル様、いや、不審者を包囲しろ!」
隊長らしき男が叫ぶ。
声に苦渋が滲んでいた。
死んだはずの男が生きていた。
なのに、もはや正気ではない。
これでメンタルにこない奴がいたら、相当おかしいぜ。
「ライアル」
「分かってる」
二人揃って前に出た。
エミリアとローロルンを背中にかばう。
その間に、衛士達はナージャを包囲していた。
乱れぬ動きに、練度の高さがうかがえる。
「ナージャ=バンダル。貴殿の様子、不穏極まりない。残念だが、拘束させてもらう。その手の武器を捨てろ」
「……武器? ああ、これか。残念だが、それは出来ない相談だ」
「何?」
隊長の声が尖った。
空気が張り詰める。
夕焼け雲が裂け、ナージャの顔が朱に染まった。
彫りの深い顔に、不気味に影がさしている。
「もはや俺にはこの剣しかない……剣を捨てれば死ぬ。また死ぬ。この剣が俺を生かしてくれるからだ……だから人を斬った。そうだ、今朝だ」
確定だ。
灰色の疑惑が黒に変わる。
それに合わせ衛士達の僅かな戸惑いが、怒りへ変わる。
尊敬すべき剣士は罪人へと堕ちた。
その事実を噛み締めていた。
「ベヒモスを切った。手応えはあった。だが殺せなかった。殺せないまま、俺は逆に一撃を喰らった。気がつけば誰もおらず……俺には剣しか残されていなかった。もはや……もはや……この剣を貫くより他に考え考えカンガエラレヌゥ!」
「っ、止む得ん、討ち取れっ!」
ナージャ=バンダルは明らかに錯乱していた。
これ以上は危険と判断したのだろう。
ファリアス王が号令を飛ばす。
国王自らの命令は重い。
衛士達が槍を一斉に突き出した。
だが、届かない。
「遅イ!」
ナージャの叫び、上からだ。
跳躍して、数本の槍の突きをかわしている。
そのまま後方に着地した。
低い姿勢から、こちらに突進してくる。
だがこちらも黙って見ているだけじゃない。
「やらせるか!」
ダッシュして、ナージャの前へ立ち塞がる。
狂った剣士は高々と剣を振り上げていた。
魔剣と聞いた通り、独特の雰囲気がある剣だ。
厚い刃は反っており、凄みがある。
呼吸を読む。
振り下ろした瞬間を狙い、体を反転させた。
俺の鼻先三寸を、ナージャの魔剣が通過する。
どっと冷や汗が流れ落ちた。
"読み通り、空振りさせた。だが余裕はまったくない"
思考の断片がちぎれ飛ぶ。
同時に、左拳を突き出していた。
剣を振り下ろした直後の硬直を狙ったんだ。
必中の確信があった。
だが、これがかわされる。
ナージャが無理やり上体を捻り、そのまま横に跳んでいた。
俺から見て左だ。
突き出した拳には、何の手応えもない。
「野郎、いい勘してやがる」
俺とナージャの距離が空く。
その距離を埋めるように、ライアルが一歩前に出た。
右目が黒く鋭い光を放つ。
「あの魔剣に半ば操られている感じだな。瀕死の状況に陥った時に、魔剣にすがった代償だろう。哀れだが、もうどうすることも出来ない」
「剣の虜ってやつか?」
「ああ。剣に生き剣に殉じた者の中には、ああなってしまう者もいる」
ライアルにも思うところがあるのだろう。
どこか沈痛な響きがあった。
だが、それも一瞬。
「剣士の妄執は、剣士が断ち切るのが道理。クリス、この場は譲ってもらう。武装召喚、第一の魔剣。白銀驟雨!」
遠慮などまったく無かった。
ライアルが呼び出した六本の小剣が、銀の軌跡を描く。
「やった!」と誰かの声が聞こえた。
だがその声に重なったのは、剣擊の音。
ナージャの魔剣が一閃し、小剣を叩き落とす。
三本落とされた。
残り三本は転がってかわされる。
「ヤル……! だが、これだけではナイナ!」
「無論そのつもりだ。武装召喚、第二の魔剣。妖刀村正」
ナージャが歓びに打ち震え、ライアルがそれに答える。
その右手に掴むのは、細い刃が特徴的な剣だ。
紺糸を巻いた柄を両手で握り、ライアルが静かに言った。
「お前も剣士ならば、その生き様を汚すな。魔剣を遣う者が遣われるなど、言語道断。俺が引導をくれてやるよ」
「ふむ……知らぬ顔だが、その考え方キライデハナイ」
両者、互いに踏み込んだのは同時。
刃鳴りと斬撃の擦過音が重なる。
剣閃が空間を刻む。
刃と刃が交錯した。
何合か撃ち合うが、まったくの互角。
ライアルの逆袈裟が絡め取られた。
お返しとばかり、ナージャが下段からまくる。
その豪剣を、ライアルは村正で弾く。
高度な技術の攻防は、果たして勝負尽かず。
二人は再び間合いを離した。
「い、今何があったんですかー」
「見りゃ分かるだろ。斬り合いだよ、斬り合い」
「全然見えなかったですよおー。速過ぎなのですー」
「そりゃそうか。悪かった」
エミリアが驚くのも無理は無い。
足の運び、体さばき、剣閃、そのどれもが一級品だ。
全部見えていたのは、俺くらいか。
ローロルンも駄目っぽい。
ピクピクとその尖った耳を震わせている。
「やるのう、ライアルめ。妾が知らぬ内に腕をあげておるわ」
だが、その賞賛の声も届いていないだろう。
ライアルはまだナージャと向かい合っている。
ピリピリとした緊張は、しかし。
ナージャが唐突に笑ったことで崩れた。
「ク、クハハハッ! 面白い、実にオモシロイ。我が剣にこれほどまでに抗ウトハッ。これほどの剣の遣い手がいたとは、オドロキダ」
「俺もだ。正直ここまでとは思わなかった。だからこそ残念だよ」
「何がダ?」
「あんたが魔剣の虜になっているからさ。正々堂々と競いたかったね」
その問いには答えず、ナージャはスッと間合いを開く。
ライアルは詰め寄りかけたが、すぐに止まった。
ナージャの剣から、ぞわぞわと黒い霧が沸いてきたからだ。
ただの脅しかもしれないが、万が一ということもある。
「名を聞いておこう、黒髪の剣士ヨ」
「ライアル=ハーケンス。ランク10の魔剣遣いだ」
「くく、良い名前ダ。良き剣士に相応しい名ダ。良かろう、雑兵を相手にしてもシカタナシ。ライアル、貴様を切り刻もうトシヨウ」
「それは光栄」
チャ、と村正が鳴る。
その猛りを、ナージャの言葉が封じ込んだ。
「慌てるナ。今日ではない。五日後、再びここに来る。そこで決着をツケヨウデハナイカ」
「五日後?」
「ああ、五日後ダ。その時、お前の最高の剣を見せてモラオウ。このようななし崩しではなく、剣士らしく果たし合いデナ。来なければ、その時は……また別の者が死ぬとオモエ」
ナージャの語尾が霞む。
黒い霧が一層濃くなり、そのぼろぼろの長衣を包んだ。
赤い夕陽が霧に差し込み、一陣の風が舞った。
全ての霧が散った時には、呪われた剣士の姿はその場から消えていた。