116.束の間の休息のはずなんだけどな
緊張から開放されたせいか、皆よく食べる。
食べるという行為自体に、リフレッシュ効果もあるのだろう。
人間、気分転換は大切だ。
「うん、このスープがいいね。くどくなくて、全部の具に馴染んでいる。キャベツとベーコンの味も溶けていて、飲みやすいな」
「うむ。妾は味付けが気に入ったぞ。おりいぶおいると言うたか? 癖がありつつも、後を引く風味が残るのう。ニンニクと鷹の爪でピリッと辛みがあるのも良い!」
ライアルとローロルンも気に入ったらしい。
感想を述べながら、パスタを口にしている。
俺も自分の分を食べている。
滑らかな喉越しは、スープパスタの特徴だ。
ベーコンからにじみ出た脂を、キャベツが吸収している。
この二つの食材は相性がいい。
スープを飲むと胃に染みた。
気づかない内に、体が乾いていたようだ。
そりゃそうか。
コーラントの方が暑いもんな。
「全部じゃなくてもいいから、スープも飲んだ方がいい。汗と一緒に、体から塩分が流れ落ちている。このスープ飲んでおけば、ある程度補えるから」
皆に声をかけながら、自分自身の分を飲む。
次にスープをパスタに絡めて、じっくりと食べてみた。
細いパスタには味が染み通り易い。
パスタの原料は、ただの小麦粉だ。
そのままだと、ほとんど無味無臭。
だからこそ味付けが重要だ。
「ほんとにこれ、食べやすいのですっ。適度なボリュームで、お昼ご飯にはピッタリですよねー」
「キャベツのおかげで野菜も摂れるしな」
「妾もこれは気に入ったぞ! また食べたいものよのう」
「食べられるさ、絶対に。俺達、こんなところで死ねないもの」
何気なくライアルが言った。
重い発言だったと思う。
だけど、不思議と暗くならなかった。
気がつけば「だよなー。まだまだ作りたい料理があるんだ。ベヒモスくらい、何だってんだよ」と笑い飛ばしていた。
「そうですよおー。それにベヒモスだって、食材なんですよねー? クリス様にかかれば、美味しく調理されてびっくりポンですー」
「ふ、ふはははっ。聖女様は勇ましいのう。初めての実戦とはとても思えぬ。なるほど、ベヒモスも食材か」
「それくらい気楽な方がいいと思うよ。大丈夫、前線はクリスと俺が支えるからさ。突破なんかさせない」
「へっ、お前にばかり見せ場作らせねえからな? 力馬鹿タイプの魔物なら、俺の方が得意なんだよ。勇者の底力見せてやる」
ワイワイと話す。
会話の合間に、スープパスタの残りを食べる。
会話が食事の潤滑油となる。
食事が会話の雰囲気を和らげる。
気がつけば、俺達は笑っていた。
食べ終えた頃には、すっかり気分が良くなっていた。
やっぱり空腹は心の敵だな。
しみじみとそう思いながら、皿を横にやる。
控えていた召使いが、それを片付けてくれた。
後片付けをしてくれるのは、とても助かる。
「すまない、ありがとう」
「いいえ、何をおっしゃいます。当然の努めですから」
若い女性の召使いは頭を下げた。
恐縮しているらしい。
「そう固くなることない。ええと、この後はこの部屋を使っていいんだっけ?」
「はい。この食堂と隣の応接間を、ご自由にお使いください。私共は廊下に控えております。御用があればお呼びください」
「分かった。夕食までは自由時間だな」
これは先程、ファリアス王に言われたことだ。
晩餐会を開くので、それまではリラックスということらしい。
予定を頭の中でなぞる。
晩餐会が終われば、そのまま就寝。
明日の朝、転移呪文で渓谷前の街に移動する。
つまり最前線だ。
体を休められるのは、今日が最後だろう。
それを分かっているからか、召使いも無駄なことは一切言わない。
「はい。それでは後程」とだけ言い、退室する。
後には俺達だけが残された。
「隣の部屋には何ぞ面白いものがあるのかの?」
「ローロルン、あんまり余所の国で変なことするなよ。大人しくしておけ」
「まだ何も言うておらんわ!?」
目を剥くローロルンには何も言わず、俺は隣室に移動した。
ここもよく風が通る造りになっている。
壁の下方に隙間があり、風を感じる。
座椅子にもたれ、ゆっくりと背を伸ばした。
緊張の糸がほぐれ、ゆるりと眠気が押し寄せた。
「少し寝る。起きるまで放っておいてくれ」
それだけ声をかけて、傍らの薄布をかぶった。
肌理細かい布だと感じた次の瞬間には、俺は眠りの淵に落ちていった。
薄っすらとした眠りは、いきなり破られた。
意識が半覚醒する。
エミリアが俺を揺さぶっていた。
その顔がちょっと引きつっている。
「何だよ?」と不機嫌に答えつつも、跳ね起きる。
ただごとじゃないっぽい。
「ごめんなさい、起こしてしまってー。でも、何か変な人が王宮を訪ねてきていてー。勇者様にも一応声をかけてって言われたんですー」
「変な人って」
そんな曖昧なこと言われても困る。
そもそも来客の対応は、俺の仕事じゃないだろうに。
ん、待てよ。
ふと思い出したことがあった。
側にいたライアルに声をかける。
「なあ、ライアル。あの件と関係あると思うか?」
「さあ、分からない。でも、コーラントはそうかもしれないと思って居るんだろうね」
「なるほど」
立ち上がる。
ベヒモス対策会議の前、ファリアス王は何を言っていた?
今朝、王宮の衛士が殺された。
その対応をしていたと、最初会った時に言っていた。
これはこれで緊急事態だとも。
「わざわざ行くまでも無いとは思うが、念の為か」
そうは言いつつ、俺は早足で歩き始めた。
召使いの誘導の下、廊下を急ぐ。
エミリアらもついてくる。
何人かの人とすれ違う。
どことなく、緊迫した空気が漂っていた。
「聞かなくていいんですかー?」
「行った方が早いさ」
エミリアに答えた時、視界がパッと開けた。
王宮の外に出たのだ。
目の前には人だかり。
すでに太陽は傾き、空は赤い。
熱をはらんだ空気が肌に刺さる。
息苦しさを抱いたまま、人混みをかき分けた。
何だろう、この不穏な雰囲気は。
「あれは、いや、まさか」
「ベヒモス討伐で死んだと聞いていますよ」
「だが、あの剣は? それに容貌もどことなく」
細切れな雑音も突き抜けた。
あれか。
一人の男が立っている。
身に着けた長衣はボロボロだ。
フードを被っているから、顔ははっきり見えない。
だが、その右手が剣を握っていることは分かった。
明らかに不審者なのに、何故つまみ出さない?
その疑問は、すぐに解けた。
「ナージャ=バンダル。そなた、生きていたのか? 何故そのような格好のまま、動かない?」
黄昏の空に、ファリアス王の言葉が響いた。
声に迷いと警戒心が混じっている。
人混みの一部がためらいがちに退く。
ナージャと呼ばれた男は、ゆるゆると首を傾けた。
生気の無い瞳がそれに合わせて動く。
かなりの距離を隔て、ファリアス王の姿を捉えた。
「……誰だ……ナージャとは……誰のことだ……?」
ひび割れた声は、とてもこの世の物とは思えなかった。
男がゆらりと右手を動かす。
その手の刃がぞわりと朱い夕陽を反射した。




