112.異国の地にて
「いい部屋なのです。下にも置かない歓迎ぶりですねー」
「文字通り救世主だからね。ここで俺達が帰ったら、どうなると思います?」
「ベヒモスに踏み潰されて、一巻の終わりですかー」
「ほんとのことでも、もうちょい気使えよ」
エミリアとライアルの会話に割って入った。
コーラント王国の人に失礼だろ、まったく。
周りに人が少ないとはいえ、気は使っておくべきだ。
ローロルンは「暇じゃからな、口もすべるわ」と皮肉っぽく呟いた。
「気持ちは分かるけどな」
改めて周りを見る。
一方以外は壁の無い部屋だ。
吹き抜けというのだろうか。
床には白いタイルが敷き詰められ、所々に植物の鉢がある。
快適な部屋ではある。
だが、仲間内で話している場合でもないだろ。
コーラント王国の一室に転移後、俺達はここに案内された。
「すぐに責任者が参ります」と言われたが、少々時間が経っちゃいないか?
風のおかげで涼しいけれど、待つだけなのは退屈だ。
部屋には何人か侍従らしき人がいる。
ちょっと聞いてみようか、と思った時だった。
「お待たせして申し訳ありませんっ」
部屋の扉が開く。
分厚い黒檀の扉が軋み、人影が滑り込んできた。
褐色の肌はコーラントの人間の特徴だ。
ゆったりとした長衣は白く染め上げられている。
かぶったフードから、黒い巻毛が覗いていた。
後から何人か従者らしき男が続く。
「ファリアス=コーラントです。この度は我が国の為にご足労いただき、感謝の言葉もありません。改めて御礼申し上げます」
「えっ、ファリアスということは」
慌てた。
まさかいきなり最重要人物か。
「国王陛下自らご挨拶とは恐れ入ります。クリストフ=ウィルフォード、及びその同行者です。知らぬこととはいえ、ご無礼を」
片膝を着き、頭を垂れた。
皆も俺に続く。
勇者とはいえ、相手は国王だ。
礼を失する訳にはいかない。
「いえいえ、何をおっしゃられるやら。今回、助けていただくのは私どもです。むしろ偉そうにしていてください」
「クリス様ー、ああおっしゃってますよー」
「エミリアさんは黙ってろ。いえ、こちらの話です」
えらく気さくな王様だな。
が、エミリアには釘を刺しておく。
ファリアス王に愛想笑いを向け、ゆるゆると立ち上がった。
"ん?"
微かに引っかかったのは、ファリアス王の表情だ。
国の一大事なので、焦燥しているのは分かる。
朗らかな表情はポーズだというのも分かる。
だが、怯えに似た感情が見える。
そこまで緊急事態なのか。
今日明日にもコーラントが滅ぶような?
「本題に入る前に、お尋ねしたいことがあります」
「何でしょう、勇者様」
「クリスで結構です。失礼ながら、陛下のお顔が想像以上に優れません。もしや、ベヒモスの動向に何か異変が?」
考えられることと言えば、それしかない。
ベヒモスの侵攻速度は遅いと、俺達は聞いている。
無作為に辺境の村を狙い、潰しているらしい。
腹は立つが、良いこともある。
その分だけ避難の時間が稼げているのだ。
家畜や土地を放り出すことは悔しいだろうが、命あってのものだねだ。
しかし、もしベヒモスが急に積極的になったとすれば。
一瞬、背筋が寒くなった。
「いえ、そうではありません。楽観はもちろん出来ません。ですが、ベヒモスについては変わりなし。比較的のろのろとうろついています」
「予断は許さないが、火急の事態ではないと。であれば、何故そのような顔を?」
「顔に出ていましたか。お恥ずかしい話だ。そうですね、この際全部打ち明けてしまいましょうか」
ファリアス王がため息を漏らす。
まだ若い。
三十手前くらいか。
一人で全部抱え込むのは無理だろう。
「どうぞ。ベヒモスと関係あることですか? 無くても結構です」
「多分、関係ないとは思います。だが、より身近な脅威かとしれません」
自分でも歯切れが悪いと思ったのだろう。
フードを取り、苛立たしげに髪をかき上げた。
手で俺達に座るよう促し、自分も椅子に座る。
藤で編んだ椅子がキシ、と鳴った。
涼風が部屋を駆け抜ける。
そして俺達の自己紹介を聞いてから、ファリアス王は話し始めた。
「昨夜、衛士が斬殺されるという事件がありました。その事件を検討していた為、ご挨拶が遅れたという次第です」
「衛士が? 王宮のですか」
「こ、恐いのですよー」
俺の横でエミリアが顔を引きつらせる。
基本的に、彼女は争い事は苦手だ。
「このような時に面目ありません。市井ならば、そうした辻斬りもありえます。だが、場所が場所です。皆、神経質になっている」
「王宮仕えの衛士が斬殺って、結構ありえないですね。おっしゃる通り、場所が場所だ」
そう言ってから、ライアルがローロルンを見る。
エルフの魔術師は数秒だけ考えた。
「質問させてもらってもよいかの。衛士の殺害現場は、具体的にはどのあたりであろうか」
「王宮へと至る門の近くですね。門を境にして、市街地と王宮の周縁部が隔てられている。つまり、下手人は王宮に近付こうとしていた」
「と考えても無理はないのう。そこを衛士に発見され、凶刃を振るったか。しかし、何が目的なんじゃろうな?」
「お前でも分からないのか」
密かにローロルンの頭脳には期待している。
時期が時期だけに、この事件も無視は出来ない。
妙な雲行きになってきやがった。
「王宮に近付こうとしたまでは分かる。じゃがな、見つかったのであれば逃げればよい。下手に衛士を殺したなら、警戒が強まるばかりじゃ。まさか衛士を殺すのが目的ではあるまい?」
「まあな。もっと影響力のある人物が多数いるからな」
「例えば余とかですね」
「本人を前にして言いづらいですが、そうですね。あるいはお后様とか」
「いえ、結婚はまだなので。残念ですが」
そう言って、ファリアス王は表情を少し曇らせた。
この歳で未婚となると、何か事情があるのだろう。
王族であれば、十代半ばでも結婚の話はあるし。
とりあえず、そこは触れずに話を進める。
「ベヒモスだけじゃなく、謎の辻斬りですかー。嫌な感じですねー」
エミリアの言う通りだ。
とはいえ、あくまで俺達の目的はベヒモスだ。
さしあたり、そちらに集中するとしよう。
「やはりベヒモスの方を優先したいですね」と俺は話を元に戻す。
ファリアス王も否とは言わない。
「そうですね。こちらは別の事件として処理しましょう。全く、このような時に忌々しい」
「国の混乱時こそ、不届き者が出るものです。用心されるに越したことは無いでしょうね」
話を一旦切り上げ、場所を移すことにした。
王の先導の下、部屋を出る。
ベヒモスに謎の殺人犯か。
両者の間に関係はあるのか無いのか。
現時点では分かるわけも無い。
もやもやした気持ちのまま、俺は厚い絨毯を踏みしめた。
廊下には見知らぬ白い花が生けてある。
その光景が、ここが異国だと実感させた。