109.侯爵夫人の策とは
「表向きの事情はともかく、どうなんです。勇者様は戦いたいのか、そうではないのか」
グランの語調はきつくない。
俺もそれに合わせて答えることにした。
そうだな、素直に話してもいいか。
「本心を言えば、俺が出たい。まだやれると。クリストフ=ウィルフォード健在と。そう言いたい気持ちもある。俗っぽい理由で悪いけどさ」
「はい」
「でもさ、それだけじゃないんだ。俺が行くのが、一番手っ取り早いはずなんだ。大規模な遠征準備もいらない。さくっと行って、片付けてくればいい。なのに、色んな思惑が絡んでそれが出来ない。勇者としての力を勝手に振るえない。それがもどかしいよ」
胸の内を吐き出すと、少し楽になった。
空になった胸中を様々な想いが満たす。
国同士の事情も分かる。
俺という切り札を簡単に使えば、もう後が無いのも分かる。
個人的にも、ためらう理由が無いわけじゃない。
死ぬかもしれないという恐怖はある。
死ねば、もう会えない人もいる。
エミリアはどうなるのだろう。
彼女を置いて行っても、笑って送り出してくれるのか。
"だが、だが、それでも"
恐怖もためらいも踏まえた上で、俺は。
勇者の名に賭けて、俺は。
「ベヒモス討伐を自分の手で成し遂げたい」
「やっぱりそうですか。そこはやはり、譲れないのですね」
「ああ。食材としての魅力もあるしな。何が何でも確保したいし」
「は?」
グランが当惑したような声をあげた。
説明が必要らしい。
「ベヒモスってな、美味いらしいんだよ。リヴァイアサンはこの前食べた。だから、ベヒモスも是非調理したいんだよな。絶品に違いないんだ」
「ほんと、クリスはぶれないねえ」
「料理バカじゃな」
「やかましい。そんなこと言ってると、食べさせてやらないぞ?」
ライアルとローロルンが茶々を入れてきた。
黙らせて、グランの反応を待つ。
微妙な表情だが、どこか可笑しそうだ。
「ふ、ふふふっ、なるほど、食材ですか。勇者様にとっては、あのベヒモスも食材に過ぎないか。やっぱり格が違いますね」
「もちろん危険極まりない魔物ってのは分かってる。その上でだよ。俺がベヒモスを倒す。皆、ビクビクせずに済む。俺はベヒモスを食材として手に入れる。な、いい話だろ」
「八方全て収まるってことですね。分かりました。それが本意であれば、勇者様の後押しをしましょう。これはリーリア=エバーグリーン侯爵夫人のアイデアです。もしよければご説明します」
「聞かない手は無さそうだな」
椅子に座り直し、グランに向き合った。
ライアルとローロルンも、ちゃっかり同席している。
「いいのか?」とグランに確認してみた。
「構わないですよ。では、そろそろ話しましょうか」
酒杯を置き、グランは口を開いた。
細かい点は省いて、要点だけテンポよく説明していく。
酒の入った頭でも、さくさく理解出来る。
話自体、そんなに複雑なものでもないしね。
「――と、まあこういうわけです。ロビー活動及び、情報操作ですね」
グランが話を締めくくる。
俺は聞いたばかりの話に、考えを巡らせた。
可能だろうか。
だが、これしか今はやりようが無いのか。
「確認させてもらっていいか、グランさん。大きく分けると、貴族層と平民層にそれぞれ働きかける。俺が出ることが、一番デメリットが少ないこと。そして俺が乗り気だということ。つまり、勇者が乗り出す雰囲気を作り出す。その上で、勅命を引き出す」
「はい、そうです」
「貴族層への口利きは、エバーグリーン侯爵家が主導するんだな。ロビー活動を展開して、俺が出る形へ持っていく。そこは、リーリア夫人がきっちり約束してくれたんだな?」
「ええ。やる気満々でしたね」
「相変わらず策士だね、あの侯爵夫人は」
「お、ライアル、そのリーリア夫人とやらを知っておるのか?」
ライアルが苦笑すると、ローロルンが突っ込んだ。
そうか、会ったことないんだよな。
「よく知ってるよ。見た目は可愛らしい方なんだけどね」
「その言い方だと、頭脳はキレそうじゃな」
「敵に回したくはないかな」
「それは俺も同感だ。今回の件も、彼女が自分で考え出したんだろ?」
話を引き取り、グランに尋ねる。
「ええ、そうです」とあっさり頷かれた。
そのまま説明を補足してくれる。
「まだ少数ですが、コーラント王国からの流民が確認されています。国境付近で、どうにか保護してますがね」
「読めた。それが王都へ辿り着けば、か」
「そうです。リーリア様が手がける下流区域への援助が難しくなる。下流区域の居住者への援助は一時停止。それをコーラントからの流民へと向けることになりましょう。国としての体面を保つため、そちらが優先になります」
「だろうな。つまり、このベヒモス問題を早期解決しないと面倒だってわけか。俺を引っ張り出したいのも、そのためだな」
「ちょっとわがままだとは思ったのですが」
「いいよ。俺にやる気がなければ、この話も無かったことになるしな。それでだ、下からの突き上げも必要なんだろ。俺が出ることが一番いい。その空気を作ることも、並行してやる。そして世論を外堀から埋める」
「はい。主に平民層への働きかけですね。勇者様が出ると決意された。この程度の噂でも、浸透すれば力になります。むしろ、こちらが本命かな。平民の方が人数では圧倒的ですから」
「だな。で、その噂をばらまくのはグランさんか。一人ってわけじゃないよな?」
「もちろん、何人か使います。私の他にも諜報要員はおりますからね」
「さらっと怖いこと言うね」
とはいえ、この際手段は選べないか。
国全体が後押しするなら、俺が出るのも自然な成り行きとなる。
それを画策するとは、リーリア夫人恐るべしか。
「いいんじゃないかな」と言ってやる。
「分かりました、ありがとうございます。あと一つ、リーリア夫人から伝言です。ロージア公爵家にも、この件でご助力頼みたい。ご了承くださいとのことです」
「あそこまで使うのか?」
つまり、前妻のマルセリーナの実家だ。
確かに公爵家だけあって、影響力は大きい。
わざわざ引っ張り出す気か。
「ええ。勇者様としては、ちょっと複雑でしょうけれどもね。離婚というしこりがあるからこそ、もしロージア家が後押しすれば。そういうことです」
「それだけロージア家は今回の件をシリアスに捉えているってことか。確かに影響力はありそうだな。分かったよ、それでいい」
毒食わば皿までだ。
頷くと、グランが一通の封書を取り出した。
目を通す。
今回の計画の概要が記されていた。
封書の表には、侯爵家の家紋が押されていた。
正式な書面ということだ。
下の方にサインして、グランに返す。
「リーリア夫人によろしくな。お膳立てしてくれるなら、積極的に乗るよ」
「ありがとうございます。正直色んな意味で助かります」
グランの表情は、いつもと同じだ。
感情をわざと消したように静かだ。
だが、その顔が僅かに揺らいだ。
「結局、勇者様に全てを押し付ける形になっていますね」
「ああ、確かにね。でも、別にいいって。好きで引き受けるんだからさ。気にすんな」
とは言っても気にしそうだな。
この人、根が真面目そうだから。
ま、俺が出来ることはたった一つだ。
速やかにベヒモスを倒し、無事に帰ってくる。
これに尽きる。
その為には、一人じゃ無理だ。
「ライアル、ローロルン。折り入って頼みがある」
「その言葉、待ってました」
「皆まで言うでない、クリストフ。妾も分かっておる」
「あ、そう」
格好良く決めようと思ってたんだが、必要無かったか。
でも何にも言わないのもな。
二人に振り向き、一応言っておく。
「ベヒモス討伐、一緒にやろうぜ。俺達ならやれる、やれる、絶対やれる」
「軽いな、おい!?」
「うわー、これは無いわー。妾もドン引きだわー」
「ちょ、待って、断られたら即死亡コース確定なんですけど」
慌てたけど、そこは長年の仲間だ。
ライアルはグッと親指を立て、ローロルンはニヤリと笑う。
よし、これで万全だ。
ほっとしていると「あの、聖女様はどうするんですか?」とグランに聞かれた。
「えっ、連れていくわけないだろ。戦闘なんか絶対無理だよ、あいつ」
「いや、でも勇者様が行くなら一緒に行くと言いそうですが」
「いや、まさか。そんなことあるわけない。無い無い、脅かすなよ」
とは言いつつ、俺は内心焦りを感じた。
エミリアならやりかねないな。
本当にそうなったら、どうしよう。