108.好きでくすぶってるわけじゃない
結論が出ない状態というのは落ち着かない。
一日一日、緊張だけが高まっていく。
けれども、俺達に出来ることは無い。
ただ、決定を待つだけだ。
それしかないと分かってはいても、もどかしい。
「いやなもんだね、こういう事態は。まだ魔王がいた頃の方が分かりやすかった」
「一刻も早く魔王を倒せ! しか目標の立てようが無かったからの。こういうまだるっこしい事態は好かん」
「微妙なことなんだから、仕方ないだろ。ただの魔物じゃないんだしさ」
ライアルとローロルンをなだめながら、俺はエールを一口飲んだ。
情報交換も兼ねて、飲んでいる最中だ。
昔なじみの酒場は、客も少なくなっている。
飲んで浮かれる気分でも無いってことか。
「ただの魔物じゃないからこそ、速攻で沈めるべきなんじゃろが。お偉方は何をもたもたしとる? こうしている間にも、ベヒモスが暴れるかもしれんのじゃぞ」
「んなこた分かってんだよ、お前に言われなくても。ここで決断間違えたら、取り返しがつかない。だから慎重なんだろう」
「ちっ、つまらん男になったのう、お主。昔のお主なら、こんなことは言わなんだ」
「何とでも言え」
ローロルンの挑発にも、俺は乗らなかった。
多分、彼女もわざとなのだろう。
「立場があるからの」と呟き、酒を含む。
一口、次いで豪快に二口目。
エルフらしくない豪快な煽りっぷりだ。
ライアルはというと、黙って静かに飲んでいる。
こいつにも聞いてみるか。
「ライアル、お前はどう思う?」
長年の友人からの返事は早かった。
「待てばいい。だけど、期限は切るべきだと思う」
「期限ね」
「ああ。誰が派遣されるのか、どう倒すのかも重要だ。けど、放置すればするほど事態は悪化する。もちろん、俺達がコーラント全体の心配する義理なんかないよ? でも、出来ることがあるなら」
右目を一度閉じ、開けた。
また口を開く。
その瞳が黒く輝いていた。
「俺はその力を振るいたいね。もう傍観者にはなりたくないからさ」
「そうか」
その言葉の裏が分からない程、俺も馬鹿じゃない。
あの時――加護を喪ったあの時か。
志半ばでへし折れ、パーティーから離脱したことか。
乗り越えたとしても、過去はそうそう消えるもんじゃないからな。
俺には分かるようで、分からない感情だ。
親友だからこそ、簡単に分かるなんて言えない。
言っちゃいけない。
「うん。そうだなあ、俺はまだくすぶってるんだろうな。本当は魔王相手に全力をぶつけたかった。でも、それは叶わなかった。だから、その機会を探してるのかもね」
「そこまで渇望しておるのなら、迷うこともなかろう。のう、ライアル? クリストフが動けぬなら、妾と二人で殺らんかえ。お主が前衛、妾が後衛。ベヒモス相手でもどうにかなろうぞ」
「いや、何が何でもってわけじゃないよ。機会が巡ってくればいいなってだけだ。それにさ、ローロルン」
「何じゃ、意味ありげなその目は」
「いくら何でも、二人では無理だろ。むざむざ死にに行くようなもんだ」
「ちっ、痛いところをつきおる」
ローロルンは苦笑し、酒杯を置いた。
本当はこいつも分かっているんだろう。
たった二人で倒せるほど、ベヒモスは甘い相手じゃない。
ただ俺を刺激するために、わざと言ってみただけだ。
「その時が来たら、俺は行く。必要があれば、ベヒモスでも臆しはしない。だから絶対早まるなよ?」
「分かってるよ。クリスを置いて、抜け駆けなんかしないさ」
「勇者を出し抜くのも面白そうじゃが、妾もそこまでゲスではない。他の者が適任となるなら、それはそれで良いわ。楽できるにこしたことはないからの」
「頼むぜ、ほんと」
この時、俺自身も半信半疑だった。
ベヒモスという強敵相手に、どうするべきなのだろうか。
エシェルバネス王国が、国としてどう決断するのか。
大兵力を増援して、討ち取るか。
俺という切り札を切るのか。
どちらが正しいのだろうか。
俺にも分からない。
分からないから、こうして迷っている。
"なあ、クリストフ。こういう時こそ、お前がやらなきゃいけないんじゃないのか"
自問と共に、酒を流し込む。
酔いがまた少し回る。
つまみと共に、また酒を飲む。
"出しゃばる場面じゃない。他の者でも出来るかもしれない。いつまでも俺一人で背負い込むもんじゃないさ"
また自問する。
心の中で、二つの自問がせめぎ合う。
葛藤ってやつか、これが。
この感情が遠慮なのか、臆病なのか今の俺には分からない。
「九年前なら、何も考えずに突っ込んでいけたんだがな」
「仕方ないよ、俺達もそれなりの立場だしね」
「そうじゃな、妾も自重するべきかもしれん。妾のような可憐かつ有能な魔術師は、ごく貴重じゃからの。あたら危険な場面に踏み込むのも、人類の損失じゃ」
「可憐? 有能? 誰が?」
呆然として、俺はローロルンを見た。
耳がおかしくなったのだろうか。
ライアルは向こうを向いている。
肩が震えているのは、笑いをこらえているからだ。
「ぬ、何じゃ異論は認めぬぞっ。このたおやかな振る舞い、上品な微笑みを見よ。有能は言うまでもなかろうが」
「いいか、ローロルン。お前は辞書を読み直した方がいい。きっと自分の過ちに気がつくから」
「クリストフ、お主さりげなく馬鹿にしておるのか……?」
「そんなことはないさ」
「そうか、それは妾としても一安心じゃ」
「違うね、真っ向から馬鹿にしてるって意味だよ。さりげなくじゃない」
「そっちかえ!?」
ローロルンがのけぞった。
俺達の掛け合いを見て、ライアルは笑っている。
酒場の店員の女の子も、クスクスと笑っていた。
そんなに面白かっただろうか。
また一口酒を飲むと、空になった。
「ありゃ」と呟く内に、新たな一杯が注がれる。
目を上げた。
さっきの酒場の女の子が立っている。
「頼んでないんだけど」
「お店からの奢りですよ、勇者さま。久しぶりに笑わせていただいたので」
「へえ、気が利くね」
女の子の肩越しに見れば、店主が頭を下げていた。
そういうことか。
「じゃ、遠慮なく」と酒を飲み干す。
グラスを置くと、すぐにお代わりが来た。
「サービス良すぎないか?」
「いえ、これはあちらのお客様からです」
「何だって?」
粋な真似を、と思いながら、視線をカウンターへ滑らせる。
男だ。
薄茶色の髪と目。
そして感情をわざと消したような顔に見覚えがある。
立ち上がり声をかけた。
「侯爵夫人はお元気かい、グランさん」
「お久しぶりです、勇者様。それなりにですね。とりあえず表面上は、ですが」
「こんな事態でも、下流区民への援助を?」
「止めていませんね。しかし、状況次第ではそれも断念せざるを得ません。それもあって、今日はこちらに来た次第」
「何だよ?」
問いはしたが、薄々予感はしていた。
もしかしたら、俺は待っていたのかもしれない。
「もし、勇者様に少しでもその気があれば。ベヒモス討伐に乗り出せるよう、手を回します」
即答はせず、俺はグラスを掴んだ。
そうだ、やはり俺は。