表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/145

107.俺一人では決められなくて

「コーラントにってことは、俺らも無関係とは言えないですね」


 気が重い。

 時刻は既に夕方だ。

 窓に目をやると、日はすでに傾いている。

 斜めに射し込む赤光が、俺ともう一人の影を伸ばす。


「そうなりますな。だが、ここで焦って救援を派遣していいものか。下手をすれば、無駄死にということになりかねない」


 そのもう一人こと、ゼリックさんが口を開いた。

 片眼鏡を外し、瞼を軽く抑えている。

 さすがに疲れた様子だ。

 昼間の急報が届いてから、ずっと会議してたからな。

 しかも案件が重過ぎる。

 彼は沈み込むように椅子に座り、俺の方を見た。


「しかし、いくらベヒモスとはいえ強過ぎませんか。コーラントの使者によると、二百人以上の兵士が犠牲になっている。強力な魔物であることは知っていますが――だが」


「確かに想像以上だね。ベヒモスがまだいたってだけでも驚きだけどさ」


 俺は肩をすくめる。

 窓に目をやりながら、頭の中に地図を描いた。

 エシェルバネス王国とコーラント王国は、大きな一つの島の中にある。

 他の大陸には、海を越えないと渡れない。

 こうした事情から、両国の関係はシンプルだ。

 ライバルであり、同盟国。

 切磋琢磨し、協力しあい、共存共栄していこうってわけ。

 対魔王戦の時もそうだったな。

 コーラント王国も相当の犠牲を払って、あの戦いに参加していた。

 

 そのお隣さんが被害を受けているんだ。

 右手で膝を掴む。

 こうでもしないと、震えが走りそうだった。


「九年前にあのクラスの魔物は、全滅したと思っていましたがね。生き残りがまだいたわけですか」


「コーラントの南の方は、未開の地らしいからね。ベヒモス一体くらいなら、ひっそり生存できたってことかな。実際こうして出現しているんだしさ」


「む、確かにそうですな。だが、二百人……しかも寄せ集めではなく、正規兵が蹴散らされたか。特殊な個体である可能性が高いですね」


「まだ分からないけど、そうかも。五十人くらいでかかれば、普通はどうにかなるしね」


 ゼリックさんの懸念は理解出来る。

 ベヒモスは確かに強い。

 大型の四足獣であり、耐久力と馬力はずば抜けている。

 海のリヴァイアサンと並び、地のベヒモスと呼ばれるくらいだ。

 けれど、生き物であることは変わりない。

 もちろん、こちらのレベルや装備にもよる。

 でも二百人もの兵士をなぎ倒すというのは、ちょっと考え難かった。

 魔王クラスとは言わないが、そのすぐ下程度の強さはあるか。


 "殺れるか?"


 まただ。

 また膝が震えそうになる。

 自分が行くと決まったわけでもない。

 なのに、勝手に考えている。


 俺はベヒモスの姿を思い出す。

 過去に何体か屠ったことがあったから。

 岩めいた表皮をしていた。

 長い角を持っていた。

 家ほどもある巨体、その割には速かった。

 何より、斬っても殴っても倒れなかった。

 攻撃呪文にも耐性は高い。

 あの耐久力の化け物を、どうやって切り崩す? 

 いや、今の俺が切り崩せるのか?


 けど、仮に倒せたらベヒモスの肉、食えるよな。

 リヴァイアサンと並ぶ珍味だ。

 魅力的としか言いようがない。

 そう思うと、恐怖を興味が押しのけ始めた。

 いや、それどころじゃないんだけど。


「クリス様、大丈夫ですかな」


「っ、すいません。ちょっと考え事を」


 表情を改める。

 ゼリックさんは片眼鏡をかけ直していた。その灰色の目がこちらを凝視している。


「ベヒモスと戦うことを想定しておられましたか。いや、言わずともいいです。その顔を見れば分かります」


「隠しても仕方ないね。うん、その通り。前に殺ったことはあるからさ。その時のことを思い出していた」


「自分が救援に向かうと決まったわけでもないのに?」


「行く可能性は高いでしょう。自慢になっちまうが、俺が最強戦力なんだ。最小の犠牲で済ませたければ、俺しかいない」


「それはそうですが、だが」


 言葉を濁し、ゼリックさんは沈黙した。

 ああ、言わなくても分かるよ。

 理屈はそうだろう。

 純粋に戦力的に考えれば、そうだろう。

 けど、そんなに単純なことじゃない。

 万が一、俺が負けたらどうなるか。

 勇者の喪失は、エシェルバネス王国の威信を揺るがしかねない。

 責任問題から、内部崩壊もありえる。

 それ以上に、全国民が動揺するだろう。


「俺だって馬鹿じゃない。九年前の青臭い若造とは違うんだ。血気に逸って、勝手に出撃なんてことはしないよ。しがらみってやつがあるしさ」


 だから安心させるために、こう言うしかなかった。


「それを聞いて安心しましたよ。個人的には、出来ればクリス様を派遣したくはないのでね。恐らくそれが最善手であっても、危険過ぎる」


「負けた場合のリスクが高いってことかい?」


「それもありますが、もっと単純にです。あなたとの付き合いも長い。死地に赴かせるのは、気が進まないですな。それに聖女様もおられる」


「エミリアか」


 気が重くなった。

 そうだ、今の俺は一人じゃない。

 偽装婚約とはいえ、同居人がいる。

 もし俺がいなくなったら、彼女はどうするだろう。

 どうなるだろう。

 悲しむだろうか。

 いや、偽装婚約という微妙な関係が抹消されるのだ。

 死を悼みはするだろう。

 だが、もっと生産性のある関係へ踏み出せるとも言える。


 "いや、待て待て、俺"


 つい極端に考えてしまうのは、俺の悪い癖だ。

 まだ何も決まっていない。

 誰がベヒモスと戦うかは問題じゃない。

 この危機をどう乗り切るか、それを考えないといけない。

「すぐにどうこうってわけでも無いんですよね」と確認を取る。


「ええ。ベヒモスも積極的に暴れているわけでもないらしい。ただ、あのクラスの魔物だといるだけで脅威だ。報告によると、コーラント王国はパニック状態らしいです。南部への通行禁止、仮の防衛線の設置などの対処はしていてもね。これを放置すれば、現国王の政権も揺らぐことは避けられない」


「放置ってわけにはいかないよな。コーラントにも国としての意地があるしさ」


「ええ、ベヒモスだと居座るだけでも国が滅びます。恐怖に煽られ、コーラントを捨てる人も出てくるでしょう。排除するしか無いです」


 ゼリックさんの言うことは分かる。

 だが、誰がどうやってやるかだ。

 二百人の兵が犠牲になった。

 この事実は重い。

 それだけの敵に、どう立ち向かうか。

 誰が行くのが最適か。

 すぐに出る答えではないな。

 うん、背負い込むのはやめておこう。


「今日はとりあえず帰りますよ。必要なら、声かけてください」


「その必要が無いことを祈りますよ。私人としても公人としてもね」


「ありがとう」


 ゼリックさんを後に残し、俺はその場を後にした。

 いいさ、今は考えないでおこう。

 なるようになるだろうよ。



† † †



 普段の足取りとは程遠い。

 道行く人もどこか表情が暗い。

 ベヒモス出現の報せは、もう開示されたようだ。 

 肌で感じる変化が、非日常を実感させる。

 まったく、嫌になる。


「ただいま。ああ、モニカも来ていたのか」


 家に着いた俺を、二人が出迎えてくれた。

 エミリアもモニカも、どこか落ち着かない。

 当然だ。

 それだけの事態なのだから。


「おかえりなさいー。すごいことになっちゃいましたねー」


「おかえりなさいませ、クリス様」


 いつもと同じようにと意識しても。

 やっぱり、どこかが違うものだ。

 ちょっとした仕草に、それが出ている。

 例えば、エミリアがやたらと髪をいじっている。

 神経質になっている証拠だ。

 モニカは視線を彷徨わせていた。

 不安がその目に滲み出ている。


「夕ご飯は、いや、そんな雰囲気じゃないよな」


 自分でもそう思う。

 何だか変な感覚だ。

 空腹なのに、食べる気がしない。

 体と気持ちが、一致していない。

 ため息をついた時だった。


「私、食べたいです!」


 澄んだ声が響いた。

 声の主――エミリアが決然と手を上げている。


「クリス様のご飯、食べたいんですー! ベヒモスくらい何ですかっ! そんなことで私の、いえ、私達の大事な時間壊されたくないですっ!」


「エミリア様?」


 モニカが表情を変える。

 不安げな視線が少し落ち着いた。

 俺とモニカを見ながら、エミリアは更に言う。


「戦う前から暗くなっちゃ、ダメですよっ。ご飯食べて元気出して、それから皆で考えましょうよー! 絶対どうにかなりますって!」


「そうだな、その通りかもな」


 まったく、俺もどうにかしている。

 エミリアの方が、よほど現実を見据えている。

 こんなんじゃ、戦う前から負けている。

 そう言われても仕方ない。

 気を取り直し、立ち上がる。


「よし、ちょっと待ってろ。すぐに食べられるもの作ってやるから」


「わーい、さすがクリス様なのですよー」


「そうですね、ちょっとどん底にはまりすぎましたね。私も食べたくなってきました」


 エミリアが歓声を上げ、モニカが笑った。

 よし、俺もやる気出てきたぞ。

 今日は何を作ろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ