102.聖女様は無意識毒舌
「燻製って言うと物珍しいけどさ。煙でいぶされた食べ物あるだろ? あれだよ」
俺はタタキの表面を見る。
煙の跡など残るわけもない。
だが、その効果は確かにあるんだ。
「正確に言えば、タタキは燻製ってほどいぶされていない。疑似燻製ってところかな。それでも、生の状態とはちょっと違う。煙による殺菌作用と、独特の風味がつくんだ」
「あっ、じゃあ私が感じた一味違うというのは」
「そう、後者の方だね。口では説明しづらいけど、あるだろ? 鼻をくすぐるような、微かな風味がな。それだよ」
「そうそう、そんな感じですっ。皮の焦げの奥に隠されたようなー。渋さと香ばしさ、あと甘さが残るというかー。上手く説明出来ないのですが、ううう」
「いや、そんなもんだと思う。風味って、そもそもはっきりしたもんじゃないしな。一味違うぞ、面白いぞと思ったなら十分だ」
「ぐ、ぐぬぬぬ、妾はそこまでは分からなんだ。美味い美味いと夢中になっておったからな」
「あー、それ多分、私がクリス様のお料理に慣れているからですよぅ。ローロルンさんは初めてでしょ? 圧倒されちゃったから、気づかなかっただけですよー」
「おお、なるほど」
「天ぷらとタタキが美味いと思っただけでも、十分だろ。いくら美味いからっていっても、拒否する人はいるからな」
「何っ、こんなに美味であってもか? それは些か贅沢ではないか?」
ローロルンは驚くが、残念ながらあるんだよなあ。
座り直し、俺はタタキに箸を伸ばした。
リヴァイアサンの赤と白の身は、見た目からして美しい。
つまみ上げ、口の中に放り込む。
十分に染み込んだポン酢が効いている。
その直後、赤身のまったり感が口の中に広がった。
それが終わると、白身のさっぱりとしたコクが溶けていく。
「そもそも生魚ってだけでも、無理な人は無理だ。あと、珍しい料理というのは自分の知らない料理と同意義だ。知らないものは危ない、と考える人もいる。そうなると、いくら美味しかろうが試すこともない」
「おお、なるほどな。美味かどうかより、その手前の段階で拒否するとな。ふむ、食べさせるというのも大変なんじゃな」
「私は最初からもりもり食べていましたけどねっ! 食卓に出るものは、全て自らの胃袋に!」
「そういう意味では、君はありがたい存在だよ。多少失敗しようが、よく食べてくれるからな」
まったく警戒しないのもどうかと思うが。
毒殺でも仕掛けられたら、イチコロだぞ。
今度それとなく注意しておくか。
ま、それは今言う必要は無いな。
改めて食卓を見る。
「飲めるよな?」
これだけの料理があるなら、酒の肴には十分だろ。
意気揚々と酒杯を掲げる。
「いやー、しかしじゃ。お主、腕を上げたのう。昔から料理上手じゃったが、今や異世界料理じゃからのう」
「色々あったからな。あ、そうだ。リヴァイアサン持ってきてくれて、ありがとな。こっちも貴重な経験が出来たよ」
「私からもお礼を申し上げますー。ローロルンさんが来てくれなかったら、食べられませんでしたからー」
「いやいや、大したことではないぞ。こんな美味いものを食べられたなら、頑張った甲斐があったというものじゃ。幼龍とはいえ、リヴァイアサンじゃからのう」
「あ、お前。密かに自分は凄いって持ち上げてるな?」
「バレたか。しかし、実際凄かろうが。妾なりに誇りに思える程度には、激戦じゃったからな」
「お一人でですもんねえ。あれ、私、ふと思ったんですけどー」
天ぷらに塩を振りつつ、エミリアはローロルンを見た。
聖女の緑色の目が、エルフの紫色の目と合った。
「ぬ、どうされたのじゃ?」
「ローロルンさん、何で一人でふらふらしてるんですかー? 高名な魔術師なら、引く手あまたなんじゃないですかー? 引っかかるのですよー」
「そ、それはじゃな……妾のレベルが高過ぎて、誰もついてこれず」
「嘘つけ。お前の癖のある性格のせいだろ。敬遠されて、ぼっちプレイしか出来ねえだけじゃねえか」
「ぬあああ!? き、貴様、クリストフっ! 昔から妾が気にしておることを!」
俺に指摘され、ローロルンが激怒する。
ただし、タタキを頬張りながらだ。
どこか間が抜けている。
しかもエミリアにも突っ込まれる始末だ。
「え、もしかしてローロルンさんて、お友達いないんですかー。それでお一人で各地を周回プレイしてる? なるほど、そういう事情がー」
「その哀れむような目を止めてくれんかのう!? 余計に傷つくわ、聖女様っ! あー、どうせそうじゃよ。妾は孤独が似合う女じゃよーだ」
「えへへ、そんな拗ねないでくださいよー。だったら私とお友達になればいいじゃないですかー」
「え?」
驚いた。
ローロルンが意表を突かれた顔をしている。
長年の付き合いだが、初めてかもしれない。
そうさせた張本人は、和やかな笑みを見せた。
「一緒にこうして食卓を囲んだのですよー。これも何かの縁なのですー。私で良ければ、これから仲良くしていきましょうよー」
「よよよよろしいのかっ。自分で言うのも何じゃが、結構人並み外れた性格じゃぞ? 嫌なことも言うかもしれんぞ?」
「その時は注意しますよー。そんなこと言ってたら、人と付き合うなんて無理ですってー。その人のいい点も悪い点も含めて、お付き合いしていけばいいんですよー」
「へー、意外に大人だなあ」
呟きながら、酒を一口含む。
何だろ、やけにこの一口が美味い。
「あったり前じゃないですか、クリス様ー。聖女なんてやってたら、それなりに苦労もしますもん。そこそこ度量は広いつもりですよー。だから、ローロルンさんが嫌じゃなければー」
「嫌なことなどあろうはずがなかろうっ! そ、そうかあ、妾は聖女様の友達かあ。何だか照れるのう。ふふ、うふふふふ」
「その笑い方、気持ち悪いんだが」
「クリストフは黙っとれ」
「えへへ、そんなに喜んでもらえて私も嬉しいですー」
エミリアがにこにこと笑っている。
ローロルンも釣られて笑った。
特徴的な長い耳は、ピクピクと動いている。
よく見れば、先端が真っ赤だ。
「何だよ、お前照れてるのかよ」
「はあっ!? 何を言っておるんじゃ、お主はっ!? どこをどう見て、そのようなっ」
「耳が真っ赤に染まってるんだけど? へえー、そんなに友達が出来て嬉しいかあ。ちょっと意外だなあ」
「だだだだだ黙っとれ! 自分を認めてもらえることは、幾つになっても嬉しいものじゃっ」
「そうだな、分かるよ。例え二百七十歳になっても、嬉しいもんだよな!」
「そうそう、二百七十を超えても――お主、まだ妾の年齢のことを言うかあー! エルフにしては、まだ若いんじゃぞっ。人間で言えば、まだ三十歳にもなっとらんっ。お主より若いんじゃからなっ!?」
「その年齢にこだわる様子が、却って痛々しいんだよな」
俺の指摘がよほど刺さったのだろう。
ローロルンの目が点になった。
「そこまで言うかあ、この外道があー!」と悶えながら、天ぷらをかじる。
半ばヤケになってやがる、こいつ。
「クリス様ー、女の子の年齢をネタにするのはダメですよう。例えローロルンさんがエルフでも、心はまだ乙女なんですからあ」
「お、おお! さすがは聖女様っ。よく分かっておるのう!」
「三百歳近くても、ロリババアであっても、可愛がってあげないとダメですよー。ねっ、ローロルンさん……あ、あれ、どうしたのですかー?」
「どうしたって言ってもさ」
そこで口をつぐんだ。
エミリア、君の今の言葉がとどめになったんだぞ。
自分でそれくらい気がつけよな?
ローロルンの様子を見る。
虚ろな目をさ迷わせながら、ブツブツ呟いていた。
「三百歳のロリババア、ポッポー」と聞こえてくる。
密かに気にしてたんだなあ、こいつ。
ちょっと可哀想になってきた。
「ねー、クリス様ー。ローロルンさん、大丈夫ですかー? さっきから動かないですよー」
「ああ、うん。ほっとけばその内動くさ」
「そうですかあ。じゃあ、彼女の分は取っておきますねっ」
「お、優しいね。食いしん坊の君にしては、気前がいいな」
「えへへ、だってせっかくのお友達ですからー」
何とも言えず、俺は視線を反らした。
悪意が無いってのが、実は一番危険なんだろうな。