101.タタキの風味の秘密とは
ようやく天ぷらを堪能し終えたのだろう。
エミリアが顔を上げた。
ささっと口元を拭き、期待に満ちた視線をこちらに向ける。
結構食べていたけど、まだまだという感じだ。
「クリス様ー、天ぷら最高でしたっ。つゆのまったり感も、塩のさっぱり感もどっちも捨て難いのですっ!」
「気に入ったようで何より。よく食べるなあと思って見てた」
これは本音だ。
天ぷらって油で揚げるだろ。
立て続けに食べるのは辛い人もいるんだよ。
でも、エミリアの食べっぷりは見事だった。
まったく勢いを落とさぬまま、一気に食べ終えている。
「なるべく温かい内に食べたかったのですよー。でも安心してくださいー、まだまだ入りますよー」
「つまり次の標的に取りかかると」
分かってはいても、お約束ってもんがある。
俺とエミリアの会話がまさにそれだ。
「はいっ。リヴァイアサンのタタキ食べたいのですー! そのポン酢がしっかり染み込んだ身が、さっきから私を誘惑して!」
「どうどう、落ち着け」
なだめるのも大変だ。
こと食事のことになると、エミリアは欠食児童そのものだ。
普段は割とまともなんだがな。
いや、今はそんなことより。
「ほら、エミリアさんの分だ。歯ごたえ重視で、ちょっと厚めに切っておいた」
こっちの方が重要だ。
差し出されたタタキを見て、エミリアが顔をほころばせる。
単純でいいよな、この子。
「ん、んんっ。この匂い――魚であることを伺わせながら、でも少し違いますー。うーん、何だろう……不思議な匂いですねえ」
エミリアは目を閉じて考えている。
しかし食欲には勝てない。
「食べている内に分かりますよねっ!」と一言、さっと箸をタタキに伸ばした。
赤身と白身が両立する一切れを、ふわりと口にする。
二口ほど食べた時、その目が大きく開かれた。
「これはまた……うーん、デリシャスなのですよー!」
いやに力感がこもっているな。
俺は自分の箸を止めた。
ローロルンはというと、俺とエミリアを交互に見ているだけだ。
こっちは放置して、エミリアに注目しておこう。
「この間いただいたカルパッチョあるじゃないですかっ。最初、あれと同じようなものだと思っていたのですよー。魚だし、ほとんど生ですしー! でもでもでもでも、これ違いますねー!」
「調理方法が違うからね」
合いの手だけ入れておく。
あとリヴァイアサンは海龍だと思うが、そこは突っ込まない。
魔物としては海龍でも、食材としては魚だ。
ごめんな、リヴァイアサン。
「軽く稲藁で炙っただけなのに、全然違うんですよっ!? 表面の皮が軽く焦げて、それがパリッと香ばしくてっ。でもその感触は一瞬、すぐに新鮮な身に舌が触れるんですー。冷えた身から、すぅっと魚独特のあっさりした旨味が伝わってきて。それが舌に同調するように、脂と共に溶けていくんですよっ!」
顔を紅潮させながら、エミリアが力説する。
水を一口飲んでから、またがぶりとタタキにかぶりついた。
今度はゆっくりと食べている。
その咀嚼が終わると、新たな感想がほとばしった。
「うう、惜しいのです。この美味しさを形容できる言葉がないー。なんだろ、なんだろ。新鮮さを中にちょっと閉じ込めて、熟成させたようなー。一歩進化させたような味といいますかっ」
「え、そこに気がついたの」
ちょっと驚いた。
よほど繊細な舌でなければ、そこには気が付かない。
普通に食べても旨いはずなので、隠れてしまうからだ。
俺の驚きに気がついたのだろう。
エミリアは表情を緩めた。
してやったり、と言った顔だ。
「分かりますよー。でもこれが何なのか、それが分からないだけなのですよー。香ばしさと奥深さがあって、癖になりそうな味なのですー。うーん、何がどうなってこうなるのでしょうねえー。ローロルンさん、分かりますかー?」
「さっぱり分からん。やたらに美味すぎて、細かい差異は分からぬのう」
「うぐっ、そうですかー。うーん、でもそれも無理ないですよねー。このトロリとした冷たい身を舌に載せるでしょー。舌の熱で、身から脂がじわりと溶けていくでしょー。身のさっぱりとした旨さに、それが融合していって」
「うむ、それには同感なのじゃ。そして皮のパリパリ感が、また良いアクセントになっておる。味付けもまた見事。ポン酢と言うたかのう、この調味料は。これがきっちりと染み込み、全体を引き締めておるしな。妾はこの料理を初めて食べる。が、しかし」
腕組みをしながら、ローロルンは言葉を継いだ。
「これは、今までの魚介類の料理の概念を変えるものじゃぞ。クリストフ、お主どえらいのう」
「そこまで凄くは無いと思うが」
あまりの激賞に、俺はやや引いている。
そんなことはお構いなしに、ローロルンは更に一口。
天ぷらも堪能していたが、こちらも舌に合うようだ。
「じゃが、妾にはここまでじゃな。とにかく気に入ったとしか言えぬ。聖女様と言う、もう一段階先の美味とは何じゃろうか」
「そこなんですー。いえ、分からなくても味わえるからいいんですよー。いいんですけどっ、何だか気になって仕方ないんですー! 何なんですかー、クリス様ー? 教えてくださいー!」
「何なんですかのう、クリス様ー? 教えてくださいなのじゃー!」
あ、二人してこっち向いた。
「教えてやるのは別にいいけどさ。ローロルン、お前若作りにも無理があるぞ。歳を考えて……うおっと、危ねっ」
「ちっ、外したかっ」
のけぞって正解だった。
歳のことを言われたからだろう。
ローロルンに攻撃されたのだ。
極小規模の火炎系呪文なので、大したことはないけどね。
髪の毛一本焦げただけだ。
「あっち、おい、俺じゃなかったら危なかったぞ?」
「お主じゃから撃ったんじゃろうが。もちっと本気で撃てば良かったかの」
「勘弁してくれよ」
昔馴染みなので、癖と気配から先読み出来た。
それでも本気で撃たれれば、回避は無理だ。
「エミリアさんの手間かけさせるだけになるからな」と呟く。
ローロルンは一瞬だけ眉をひそめ、すぐに正解に辿り着く。
「おお、そうか、そうか。聖女様ならば回復呪文はお手の物じゃったの。いいのう、クリストフよ。こんな若くて可愛い嫁を貰えて。お主にはもったいないぞ?」
「う、うえひひひ、もっとー、もっと言ってください誉めてくださいー。でしょー、若くて可愛い嫁なんですよお」
「何ちゅうだらしない顔だ。それよりいいのか? 肝心の一歩進化させた味のこと、知りたくないのかい」
話を本筋に戻す。
エミリアは「あ、いけないのですー」と舌をペロッと出した。
こいつ、狙ってるよな。
あざとい。
「うむ、今のは妾がやったら痛々しいのう。それくらいの分別はあるぞ」
「今まででも十分痛々しいよ」
「むっ、貴様!? まあ、よいわ。それで?」
「それでとは」
とぼけていると、ローロルンは鼻を鳴らした。
「知れたことじゃ。このタタキの一味違う部分とは何なのじゃ? もったいぶりおってからに」
「あっ、そーでした! それを聞くんでしたよねっ!」
「いや、俺は最初から話す気だったんだけどさ。いいや、種明かししちまおう。これは煙のおかげなんだよ」
そう言ってから、俺は火鉢の底を指す。
半分は灰と化した稲藁が沈んでいる。
そう、これが答えだ。
実のところ、このほんのちょっとの差が味の違いとなっている。
「ええっ、これって稲藁の燃えカスですよねー? これがどうやって、あの味を?」
「わからぬ、わからぬのう。妾の優秀な頭脳でも、到底分からぬ……」
「稲藁っていうか、稲藁を燃やした時の煙だな。あれで燻すことで、燻製に近くなるんだよ」
そう、この燻製効果がタタキの隠し味ってわけだ。