デザートはいかがしましょう。
ちょうど一年前、私は、ニコラに会った。
二年前の春、通学のため越してきた場所に、家族以外の人物をあげたことのなかった部屋に、彼女は当たり前のように居直っていた。赤いワンピースドレスをはためかせて、部屋中を物色するように闊歩していた。
どうしたの、と聞くと彼女はこう答える。色の綺麗な歯を見せながら、「わしをおぬしの友達にしてくれ」と。
大きな瞳が、さらさらとした琥珀色の髪が、幼い体躯に張り付いた無垢な笑顔が、私の心をとらえて離さない。幼い子、とりわけ女の子はなんだってこんなに愛おしく思えてしまうのだろう。彼女達は、溺愛と敬愛の対象であり、崇拝と讃美の対象でもある。
ベージュ色のテーブルのそばにぺたんと座り込む仕草も、私の顔をほころばせる。抱き枕にしてしまいたいと思っているうちに、私はニコちゃんをぎゅっと腕の中に抱きしめていた。
「なんじゃ、こそばゆいのう」
「可~愛い~!!」
「…おぬし。見知らぬ人物が家に入りこんでおるのじゃぞ。第一声は『どうやって入ったの』やら『誰ですか、あなたは』とかそういう言葉じゃろ」
「あー、そっかぁ。どこから来たのかな~?お名前は?」
「ワシはサン・ニコラ百二十四世だ。ニコラと呼べ」
「ニコちゃんね」
「サンタ庁からサンタクロースとしてやってきた!」
胸を張るような仕草を見せるが、腕の中にいるので思うようにいかない。
「三多町?この近くにそんな町あったかなぁ」
「サンタクロースと言ったのを聞いておったかの…?齢もおぬしより大分上じゃぞ。今年で百五十八になる」
「おばあちゃんのサンタさんなんだ~。こんなに可愛いのにね~…えいっ」
右の頬と左の頬を、優しく手で挟んでみる。百五十八歳とは思えないほどの柔らかさと弾力を感じる。
「にゃにをしゅりゅ(何をする)」
どこからどう見ても年齢通りには見えなかったけれど、底なしの可愛さのせいでそんなことはどうでもよくなった。
小さなサンタさんは、何をするでもなく人間の生活を満喫するだけだった。「友達になるとはそういうことじゃろ」と言うので、私もそれに応えてあげるべく、食事を作ったり、映画を見せたりした。カルボナーラのパスタを振舞ったのだけれど、予想外の熱さに涙を浮かべていたので、息を吹きかけて冷ましながら食べさせる。すると、私の分も冷ましながら食べさせ返してくれた。
食事が終わると何か映画を見たいと言うので、どんなのが見たいの、と聞くと「恋愛映画がいいのう」と呟いた。手近にあったDVDを手にとって、それをプレーヤーに入れる。十年ほど前の映画だけれど、色褪せることのない鮮明な映像が、頭の中を駆け巡る。主人公の恋人が海に沈んでいくシーンを見ながら、私と幼いサンタは涙した。彼女は、口をへの字に曲げて大粒の涙を流した。
気がつけば日付も変わろうという時間になっていて、彼女は唐突に「そろそろお別れじゃ」と口を開いた。もう少し一緒にいればいいのに、と提案するが「そうもいかん」と言う。「おぬしと一緒にいるべき相手は、ワシではない」とも言う。
「第一外国語というやつで、おぬしの隣に座っている無表情の男がいるじゃろう」
「えーっと…私のとなりは確か、相馬くん…だったかな?」
「そやつは見かけによらずノリの良い男じゃから、話しかけてみるのもよかろう」
「え…?でも、どうやって話しかければ…」
「ワシの言えることはこれだけじゃ。また、来年じゃ!」
言い淀む私に、幼いサンタは、そう言い放った。
彼女がいなくなって、また一人だけの時間が戻ってくる。針の回る速度が遅くなった時計を見て、そろそろ寝る時間かな、と考える。ベージュのカーテンを開けて窓の外を覗くと、ちかちかと光る明かりが見えた。
「クリスマスかぁ…」
独り言がもれる。シンクの中にあった食器を片付けると、来訪者の跡もすっかり消えてしまった。
あれからちょうど一年が経ち、私は相馬くんと二人で、見慣れた玄関に立っていた。
「あがってお茶でもどうですか?」
「それ、私が言うセリフなんですけど~!」
「まぁ遠慮せずに、どうぞどうぞ」
そう言いながら、図々しくも家主のフリをした相馬くんが廊下を歩いていく。ちゃっかり出ていく時と同じスリッパを履いている。よほど気に入ったのだろう。
「いやぁ、綺麗にしてますね。奥さん」
窓のはめられた扉を開けて居間に足を踏み入れると、彼がふざけて言う。
「ニコちゃんが来るってわかってたからね~♪たった一年であんなに大きくなってるとは思わなかったけど」
「大人にも、子供にも、なれるみたいだよ。あの神様」
「そうなんだ~。私は、子供の姿の方が好きだったなぁ」
大人の姿も綺麗なのだけれど、子供の姿の可愛さ、抱き心地への思い入れが強い。そんなことを考えていると、散乱したDVDのケースが目に入る。相馬くんもそれに気づいたようだ。
「あれ~、片付けてあったはずなんだけどなぁ」
「…ニコラだ。占いハウスにいるときに『今いいところなのじゃ』とか言って、赤い目をしながらどっかに消えたの変だと思ったんだよな」
「あのとき映画見てたんだ~。ニコちゃんらしいや」
「自由奔放、天真爛漫ってやつね。あやつを乗せるためだけのソリを引かされたときはさすがに、どこにも辿り着けはしないのに回し車を延々と回し続けるハムスターの気分になれた」
「どんな気分!?」
「………!?」
「…どうしたの?」
ケースの束に顔を向けていた相馬くんが、声にならない声をだす。つられて視線をうつすと、彼が黒い布切れをつまみ上げているところだった。それがどうしたの、と訊ねそうになるが細部まで見てしまえば、そうもいかなくなってくる。
布切れは、面積の削られた三角形のような形をしていた。それは紛れもなく人間の腰に沿うようにデザインされたものであり、その中でも露出の激しい部類に入るものだった。
「ごめんなさい、そういうものとは知らなくて」彼は淡々と言いながら、指につまんだそれをあった場所へと戻す。
「わ、私のじゃないよ!そんなの履いたことないしっ!」
焦った私はすぐに否定の言葉を口にした。顔が火照り、赤くなっていくのが自分でもわかる。
前面が特にひどいのだ。隠す気がないだろう、と言ってしまえるほどに向こう側が透けていた。
そういう類の衣類があることは知っていたが、間近で見るのは初めてだった。自分もいつか身に付けるような日が来るのか、と思いながら布切れを見つめていると訝しむような視線を投げかけられる。
またも焦った私は、それを手にとって目の当たらない場所へと放とうとした。硬い手触りが掌にあったので何かと思って目を向けると、「クリスマスプレゼントじゃ ニコラ」と理解不能な文字を見つける。どうしてこれなの、という単純な疑問しか浮かんでこなかった。
それからというもの、何を話していいかわからずお互いに言葉を出せずにいた。目の前の彼はというと、笑いをこらえているのか口元がぴくぴくと動くのを誤魔化すのに必死なようだった。さっきから、あらぬ方向へと視線を泳がせている。私はというと、外の景色をガラス越しに眺めているフリをしていた。けれどもベージュのカーテンが視界の中に広がるだけだ。
「…そういえばあの紙どうした?」沈黙を破って彼が言った。
「あぁ~、まだ持ってるよ」腰に立てかけるように置いていたそれを取り出してみせる。「ほら」
「使わせてくれてもいいんだよ」
「どうしてもこれが使いたいのですね…ですが、これは人の心を読めちゃうモノなんですよ!」
「余計使いたくなってきますね、それは」
「なので、ダメです!」
「何っ」彼はわざとらしく渋い顔をしてみせた。
これはニコちゃんが雑用と呼ぶ仕事をしている間に貸してくれたものだ。別行動をしている時には、使う機会もなく存在を忘れかけていたのだけれど、占いハウスでふと思い出したのである。勿論それは人の心を読めるだけの代物なので、それとわからないように何気なく話題を振ってから使ったのだ。
それを渡す時、彼女は言った。「予定通りじゃが、一年も経っているのに何も進んでおらぬな」と。「今日がその時じゃからな。しっかりと心の準備をしておくのじゃ」とも。目の前にいる彼との関係を言っていることはわかっていた。どうしてそのタイミングで言ったのか、今になってようやくわかった気がした。
彼女は未来が見えると言っていた。実際に教えてくれることはなかったけれど、彼女の言葉が間違いであった試しがない。それだけで十分だった。
私は決意を胸に、彼に向き直った。口を一文字にして、真っ直ぐに栗色の瞳を見つめる。彼は面食らったような表情を見せる。
「つ、使ってもいいよ」私は丸めたままの紙を差し出した。
「お、おう…いいのか」彼はそれを戸惑いながらも受け取る。
紙が広げられていく音を聞きながら、私は目を閉じた。
書いてあることはわかっている。何せ自分の心の中だ。さっきから一つのことしか考えていない。
───貴方のことが 好きです───
紙を再び丸めるような音が聞こえた。彼はどうやら読んだようだけれど、無言のままにそれを返してくる。その行動の意味を考えていると、彼が開くようにとジェスチャーで伝えてきた。どうやら自分の心も読めというサインらしい。指示のままに丸まったそれを恐る恐る開いてみる。
彼は天井を見つめて拳を強く握っていた。
───僕も同じ気持ちです───
書いてあったことが目に入ると、思わず声が出そうになり手で口を押さえる。けれども続きを読んでいくうち、その内容に不審な点があることに気づいた。いつの間にか押さえていた手が重力に耐え切れず落ちていく。
「…僕も同じ気持ちです。だけどさっきの下着が気になって仕方がない。あれは多分ニコラのだよな。初めて会った時履いてなかったしなぁ。神様の裸っての見れるのも、あれで最後かもしれない」思わず音読してしまう。そして厳しい視線を向ける。「…へぇ、ニコちゃんの裸見たんだぁ」
「いや、その、見たというか目に入ってきたというか…鈴の裸の方が興奮するから!絶対!」
「嫉妬してるんじゃないからぁ!!しかも本心だし!!!」彼の言ったことがそのまま紙に表れる。私としては、デリカシーの無さに対しての叱責を込めたのだけれど、全然わかってくれていないようだ。
「そんな危険なものは早くしまいなさい!!」
「危険にしているのはどこの誰ですか!」
「…ッ!!裁判長!!再審を要求します!!」
彼は挙手をしてそう言うと、背筋を伸ばして正座した。やり取りの中で自然と立ってしまったせいで、上から見下ろす形になる。
「被告人は、何か言いたいことがあるようですね」
私がそう言うと、彼はまたジェスチャーで紙を見るよう伝えてくる。視線を紙の中ほどにうつす。そこには先ほどとは打って変わった真摯な言葉が並んでいた。
読み上げるのも照れ臭くなってしまうほどの文字の羅列を見て、彼を咎める気持ちもなくなってしまう。そこに書いてあることが、全て真実であることを知っているからだ。
「…読み上げないんですか、裁判長」彼が上目遣いで私の顔色を窺う
「えーっと…。じ、自分で読んでみてください」そう言って紙を渡す。
「恥ずかしくてとても読めないから、相馬くんに読んでもらおう」
「私の心を読んでどうするの~!」
「いや、書いてあるから…」
「し、しまった…やられましたわ…」
「うん、勝手にね」
彼は笑顔でそう返す。「お互いの手を握るのです。さすれば、お二方に幸せが舞い降りるでしょう」とどこかで聞いたようなセリフを口に出して、左手を差し出してくる。それに応じて右手をその上に重ねる。すると優しく抱き寄せられた。彼の胸に顔を埋めると、鼻のあたりにサンタ服の白い毛玉があたって少しくすぐったかった。
どのくらいの時間そうしていたのだろう。不意に彼が肩を押したので、バランスを崩して後ろにあったベッドへと倒れこむ。背中に弾力を感じると同時に、視界を覆っていた彼の身体が消えた。あまりに突然の出来事だったので、咄嗟に彼の手を離してしまった。
しばらく胸に手を当てて目を閉じていた。心臓が飛び出してしまうのではないか、と本気で思えてしまうくらいに鼓動が強くなっていたので、必死になって押さえていたのだ。
後ろから聞こえてきたのは、愛の囁きでも、弁解の言葉でもなく、安らかな寝息だった。そういえば、と思い出す。相馬くんは、力仕事ばっかり任されていたんだっけ。疲れていたんだね、と彼を見ながら声をかける。期待していたわけではないが、当然返事はかえってこない。私も目を閉じてみると、すぐに眠りについてしまった。不思議と寒くはなかった。
クリスマスに書き始めて、気づけば正月明けてしまいました。ただただふざけたい一心で書き上げました。随所に小ネタを挟んでおいたので、元ネタを知っている方は楽しんでくれれば幸いです。
ところでタイトルの話になりますが、当初は「トナカイ 始めました。」にしていたのですけれど、どうやら同時期に似たようなタイトルのアニメが放映されていたことを知ったので、後になって変更しました。冷やし中華始めましたっていう芸人さんのネタありましたよね。あれから着想したので、サブタイトルも一応はそれに沿ってつけています。
プロットも書かずにやっているので、割とつなぎが雑なところはありますが、生暖かい目で見ていただければ、と思います。ご精読ありがとうございました。




