秘密の差し入れ
舞踏会から半月も過ぎた頃には、カッレラ王国の貴族や有力者の間にこんな噂が広まった。
ミッコラ伯爵の娘が未来の王妃、コマリ様と親しくしているらしい。
三大貴族から頭一つ抜きん出た伯爵につくべきかどうかが思案のしどころ、と。
先んじて伯爵にへつらう者、じっと様子を見る者、仲間と相談する者――。
そしてここカーパ侯爵の屋敷では苛立つ者が一人。
「聞いているのか、アンティア」
アンティアの部屋でカーパ侯爵が、壁際に飾られた花を眺めている娘へ焦れたように言った。
窓から差し込む日の光を受けて、淡く輝く金髪を揺らし振り返った彼女は、微笑を浮かべていた。
「聞いておりますわ、お父様。マチルダ様が王宮に通って、こちらの世界に不慣れなコマリ様をお慰めになっているのでしょう?マチルダ様はお優しい方ですもの。きっとコマリ様もマチルダ様のお人柄を気に入られたのですね」
「何を暢気なことを言っているのだ。おまえも王宮へ出向きコマリ様に気に入られてくるのだ」
「まぁお父様ったら。わたくしのことを気に入るかどうかはコマリ様次第で、わたくしがどうこうできるものではありませんわ」
ふふふと笑う娘の様子にカーパ侯爵は片眉を上げた。
「コマリ様がマチルダを気に入ったのなら、おまえも同じように笑顔を見せ、優しくしてやればよい。おそらくまだコマリ様はカッレラに来た不安を拭えずにいるはず。人は弱っているときに、手を差し伸べてくれる者に全幅の信頼をおくものだ。ミッコラ伯爵もそこのところを良く心得ていたとみえる。完全に出遅れたわ」
無言のアンティアに父である侯爵は命令する。
「午後より王宮におまえが出向く旨使いを出してある。支度をして出かけなさい」
「わかりました」
従順な娘の返事を聞いたカーパ侯爵は髭を撫でつけ満足そうに頷いた。
部屋を出て行く侯爵と入れ替わるようにして侍女たちが室内に入ってくる。
「いつもながら勝手ですこと」
呟いて花瓶にある花の蕾に指先で触れた。
侍女の一人がアンティアに声をかける。
おっとりと振り返った彼女には先ほどと変わらぬ微笑が浮かんでいた。
* * *
王族塔の厨房は朝から大騒ぎだった。
「うわぁん焦げたー」
鉄の扉をあけてオーブンの中を覗き込んだ小鞠は情けない声をあげた。
彼女の側にいたドリスが「あらあら」と肩を抱き寄せる。
「泣くのならわたしの胸をお貸しいたしますわ、コマリ様」
「そこ!何気に腰にまわした手を離すっ。サデ、コマリ様の安全確保」
「はい」
サデに引き寄せられ背中に庇われた小鞠は、ドスンと誰かにぶつかって、背後を振り返った。
「あ、料理長。またクッキーが焦げたの」
見上げた先にいたのは舞踏会の前日、使用人のふりをした小鞠が話をした料理人の男だった。
どうやらこの厨房の責任者だったらしい。
あの日のことを覚えていたのか侍女と共に厨房を訪れた小鞠が、シモンの相手となる「コマリ様」と知って真っ青になっていたが、彼女が気にしていないと告げると安心したように笑った。
今もこちらを見下ろす顔に屈託のない笑顔が浮かぶ。
「また炭にしましたか?」
「炭にはなってないけど」
「コマリ様、問題ありません。こんがり焼けておいしそうに出来上がっていますよ」
オーブンからクッキーの並んだ鉄板を取り出すエーヴァがにっこりと笑った。
料理長は台の上に置かれた鉄板を覗き込みうんうんと頷く。
「初めてにしちゃ上出来です。先ほど、一度目のクッキーを炭にしたとは思えないほどの上達ぶりです」
クッキーなら日本でも焼いたことはあるけれど、こっちのオーブンは日本のとえらく違うし、もちろん使ったことがないから「初めて」でいいだろう。
「本当?でも端がけっこう焦げ焦げじゃない~?――食べてみよ。アチチっ」
小鞠は焼きたてのクッキーを一つ摘んで一口齧る。
サク、と砕けて、咀嚼してみると甘い生地に香ばしさも加わってけっこういける。
「ん?おいしい」
「ですから問題ないと申し上げたではありませんか」
「うん。はい、皆にも1枚ずつどうぞ」
鉄板からクッキーを取って配ると皆が恐縮したような顔になった。
「わたしたちがいただいてはシモン様への分が――」
「いいのいいの。生地はまだあるしこれは試作品。さ、次のクッキー焼いちゃおう」
用意しておいたクッキーの種を乗せた鉄板をオーブンに入れようとしたら、「危ないですから」と料理長自らが中に入れてくれた。
ドレスではなく、町娘が着るワンピース型の普通服を着ている小鞠は、手で顔を仰ぎながら巨大な料理用の炉を見つめた。
カッレラには電気やガスの焜炉なんてない。
日本の昔話に出てくるような竈とは違って、大きな鉄の箱に薪をくべてその上で煮炊きする。
その鉄の箱が炉だ。
またオーブンのことは、コマリが心の中でそう呼んでいるだけで、こちらでは天火というそうだ。
天火は箱型の炉の上にまた箱をくっつけてあるような感じだから、箱の下方のほうが温度が高く、熱の回りが均等ではないらしい。
薪の燃え方に左右されるため癖を読むのは簡単ではなかった。
そして炉は鉄の箱を熱しているわけだから触れれば火傷をしてしまう。
料理長が「危ない」と言ってのはこういうわけだ。
これからカッレラは夏に向かっていくのだから、炉のせいでここは蒸し風呂のようになるのだろう。
小鞠の仕草に料理長は高い天井を見上げた。
「夏場は魔法で天井から冷風を送ってもっているんですが今年はまだ――」
「涼しい部屋で料理ができるの?よかった。真夏にこの熱じゃ倒れちゃうものね」
「少々の暑さには慣れてしまうんですがね」
「熱中症って怖いんだから侮っちゃダメなのよ。ちゃんと水分補給しなきゃ」
「ネッチュショー?」
「あ、えっと汗をいっぱいかいたらそのぶん水分を取らなきゃ危険なの。あと塩分も取らなきゃいけないし。具合が悪くなったら首とか脇とか足の付け根とか、血管が皮膚表面に近いところを冷やすといいからね」
熱中症対策はどんなだったかなと思い出しながら言えば、料理長だけでなく侍女たちまで尊敬の眼差しを向けてきた。
「コマリ様は医学の知識があったのですか」
「え!?まさか」
料理長の言葉にぎょっとした。
「そういえばコマリ様は異世界では高名な学者に師事し、学び舎でも才女で通っていたと、マッティ魔法長官がおっしゃっていたのを聞いたことがあります」
とエーヴァが言えばサデが思い出したようにポンと手を打った。
「最近、王国内でシモン様の命令でなされている街の整備や点検、修理なども、もとはコマリ様が案を出されたのですよね?」
「う、えぇ?そんなこと言ってない」
「でもシモン様に直接お話を聞いたマッティ魔法長官から伺ったとヴィゴさんは――」
「へぇ~、ヴィゴと上手くやってるんじゃない」
サデの口からヴィゴの名がでたとたん、すかさずスサンが突っ込む。
「いえ、あの……王宮内で会えばお話をするくらいですから」
スサンにからかわれて頬を染めるサデの隣でドリスがうふふと笑う。
「まあ晩生さんね。お姉さんが手取り足取り教えてあげましょうか?」
サデの手を取るドリスの手首を掴んでスサンが引き離した。
「あんたはちょっとは節操を持ちなさい」
「わたしは可愛い女の子すべての味方なの」
小鞠が彼女らの遣り取りを笑って見ていたら、視線に気づいたらしいドリスが言った。
「もちろんコマリ様が特別なのは変わりませんから。お茶目で可愛らしいだけでなく、慈悲深くお優しい、そのうえ政や医学にも精通した大天才だったなんて。クッキーを作るのも初めてにしては手馴れたものでしたし、何事にも才能豊かなのですね。ですのにいつもご謙遜なさってばかりなんですから。シモン様のおっしゃるとおり本当、恥・ず・か・し・が・り・や・さ・ん」
「いやあの謙遜っていうんじゃなくてね?わたし――」
「あら、なんだか少し焦げ臭くありませんか?」
政治にも医学にも精通してないから、と続く小鞠の言葉は、エーヴァの声に遮られてしまった。
「クッキーが焼けたんだろう。火の勢いが少し強いかもしれないな」
料理長がオーブンの扉を開けて覗き込み鉄板を取り出してくれた。
そこには狐色に焼けた丸いクッキーが並んでいる。
所々火が通りすぎていたり、ちょっと形が歪んで不恰好なのも手作りの醍醐味だろう。
「コマリ様、次に焼くクッキーはどれですか?」
料理長に尋ねられた小鞠は首を振った。
「まだ用意してないわ」
「コマリ様、本日はアンティア様がいらっしゃることになっておりますが、覚えておいでですか?」
「あ、そうだった!はいみんな、今からおしゃべり禁止。クッキー作りに専念します。鉄板からクッキーをとって、出来のいいものとそうじゃないのに分ける係と、鉄板にクッキーの種を並べる係にわけよう。料理長はオーブンの火の管理をお願いね」
慌しくお菓子作りが進められても、すべてが焼きあがるのに一時間半ほどもかかってしまった。
アンティアの訪問のこともあり、後片付けをスサンとサデに任せて部屋に戻った小鞠は、出来の良いクッキーの中から更に形のきれいなクッキーを選び出し、籠に詰めてドリスに差し出した。
「わたしは今から急いで着替えなきゃいけないし、これ――」
「はい、シモン様へお届けするのですね」
「ううん、ペッテルに差し入れ。ただしわたしからっていうのは秘密にしてね」
「ペッテルに――ですか?てっきりシモン様のためにお作りになっているものとばかり思っていました」
「もちろんシモンにもちゃんと渡す」
ドリスと同じように目を丸くしたエーヴァにもちらと視線を向ける。
こちらでは身分の高い者が料理や菓子を作ることはないらしい。
小鞠が日本では自分で料理を作っていたと彼女たちに話すととても驚いていた。
しかし料理の心得があるのならと、今朝、小鞠がいきなりお菓子作りをしたいと言ったときも、反対はされなかった。
アフタヌーンティや夕食のための仕込があるだろうところ、エーヴァが料理長に話を通してくれ、厨房の一角を借りきったが、彼女もまさか、小鞠が新人魔法使いのためにクッキーを作っていたとは、思わなかったに違いない。
「あのね、昨日ジゼルから、明るくしててもペッテルがなんだか落ち込んでるみたいだって聞いて、シモンに聞いていた話と違うからもう一度シモンに確認したの。そしたらリクハルドたちから聞いてた話を教えてくれてね。舞踏会から半月ほどもたつのに犯人が捕まらないし、このままじゃ秋への時節送りの後に王宮を去らなきゃいけなくなるって、ペッテルが不安になってきてるのだろうって。わたしは食事会でペッテルを見てるし彼が犯人だと思えない。でもわたしはシモンみたいに犯人探しの指揮をとって、ペッテルの無実を証明するようなことはできないし、犯人かもしれないとされている彼を直接励ましに行くのも、きっと駄目でしょ?」
話を聞いていたドリスが珍しく真面目な顔になっている。
「ドリスはマーヤと仲がいいし、魔法使い塔へ行ってもそう変に思われないわ。だからお願いね。「負けるな」って気持ちを込めてクッキーを作ったのが、ペッテルに伝わるといいのだけれど」
「わかりました。必ずペッテルに届けます」
大切な使命を負ったとでもいうように、クッキーを手にきびきびと部屋を出て行った。
小鞠が残った侍女長に向き直るとエーヴァは無言のまま目を伏せた。
「犯人かもしれないペッテルに肩入れしてるって、きっと王国の重臣の人たちが知ったらいい顔しないよね。公の場では隠すから」
「わたしは良き主に仕えることができたと心から思います」
「え?」
「騎士ではありませんが――わたしエーヴァ・カヤラは、生涯ゆるぎない忠誠を捧げるとコマリ様に誓います」
そう言って頭を下げるエーヴァに小鞠は驚いてしまった。
彼女はまるで何かを待っているように微動だにしない。
騎士が忠誠を誓うとき王は何か言葉をかけるのだろうか。
頭の中に王に跪く騎士の絵画が浮かんだが、絵からは台詞まではわからなかった。
「えと、ありがとう?」
なんと言っていいものかと困り果ててこう言えば、くす、とエーヴァが吹き出して顔をあげた。
「さすがはコマリ様ですね」
「だ、だってこういうときになんて言うか知らないから」
「はい」
「それから忠誠って、あとでわたしに幻滅したってしらないからね」
「はい」
くすくすと笑う彼女は「お召し替えを」と寝室へと促す。
こちらに来てすぐにエーヴァたちと会ったときは、侍女たちと仲良くなって、シモンがテディやオロフと信頼し合っているような関係になりたいと思った。
(ちょっとは近づけてるってことかな。でもなんか子ども扱いされてるところがあるような)
シモンのように毅然とした態度であらねばならないのか。
気づいて彼を真似るように小鞠はしゃんと背筋をのばした。
「ドレスは涼しげなものがいいわね」
彼女の口調の変化にエーヴァはすぐに畏まって頷く。
寝室に移動しながら小鞠は呟いた。
「よし完璧」
小声にエーヴァが口の端を持ち上げたが、拳で覆って誤魔化すと彼女のあとに従った。




