食事会
その日、カッレラ王国の貴族を始めあらゆる有力者にそれは届いた。
王宮で開かれる舞踏会への招待状。
春が終わり夏が始まる時節送りの日が開催日とされ、とても急なことであるのに誰もが参加を決めた。
理由はそう、第一王位継承者シモン王子の選んだ女性を一目見たいがため。
招待状では何も触れていなかったが、未来の王妃のお披露目も兼ねていると皆が期待した。
そして実際、お披露目も兼ねているのは言うまでもなく、王族塔の一角では連日、朝から晩までびっちりスケジュールを組まれ、ただひたすらレディたるにふさわしくと厳しい教育を受けている人物がいた――。
「ちょ、ちょっと休憩……死ぬ」
ここのところ毎晩、王族塔の広間に十四名もの人間が集まってダンス教室が開かれる。
ダンスとはいっても社交ダンスだ。
そしてこの教室。
約一名のド下手な素人のために、他の十三名が付き合っているというものだった。
ド下手な素人とは言わずもがな、カッレラ王国第一王子の未来の后――小鞠のことだ。
舞踏会で人が大勢いる中いきなり踊るよりはと、シモンと二人だけの練習は早々に切り上げ、友人や臣、侍女たちを参加者にみたてて、本番に向けての予行練習はばっちり……のはずだったのだが。
よれよれと壁際の椅子に近づく小鞠はドレスの長い裾に足をとられた。
「うぎゃっ」
無様な悲鳴をあげ見事にすっ転ぶ。
(うぅ、全身筋肉痛であちこち痛い。ていうかしんどくて眠いし、このまま寝ちゃうってどうかな)
いや、寝てしまおう。
超過密なレディ教育のスケジュールを組んだのはテディで、しかも先生も彼だった。
そしてこのテディ先生は鬼かというほどスパルタだったのだ。
テーブルマナー、所作、話術、最低限覚えておく貴族名、カッレラの歴史、一般常識……等々。
女性らしい仕草を実演できたり、質問すればすぐに答えをくれるその博識ぶりには驚くほどだったが、デキる男はできないおバカのことをわかってくれない。
あれもこれもと詰め込まれた小鞠の頭はいまやパンク寸前、加えて日常的に優雅な立ち居振る舞いを意識しておくよう鬼先生に脅さ……お願いされ、ダンスまで踊っている体はもうボロボロだった。
ベッドに入れば電池切れの玩具のように即座にご就寝、という毎日が続いている。
いまなら硬い床の上でだって寝れるよね、うふふ。
小鞠は床にうつ伏せに転がったまま起き上がることもせず脱力して目を閉じた。
「コマリ、大丈夫か?どこか痛めたのではないか?」
なのに慌てた様子のシモンに抱き起こされてしまう。
周りに彼以外の顔も集まっていて、それぞれの表情から窺うに自分を心配してくれているようだ。
彼女は休みたいと悲鳴をあげる体に鞭打って、なんとか愛想笑いを浮かべる。
「平気だーよっと」
気合と共に半身を起こし、シモンの手を借りて立ち上がったところで、逸早くゲイリーが椅子を持ってきてくれた。
「ここに座って少し休むといい。初めの頃に比べて随分とうまくなっているし、そう根をつめなくとも舞踏会で恥をかくこともないだろう」
「本当?姿勢よくかつ気品を漂わせ、でもって足元を見ちゃだめとか……ダンスって意外に筋力がいるから体がバキバキ。普通に歩くときのドレス捌きだって、まだまだうまく出来ないのに」
舞踏会当日のドレスはジゼルデザインのリメイクドレスを着ることになっている。
動きやすいものに作り変えてくれているから、今ほど苦労はしないだろうか。
椅子に腰を降ろしながらの彼女の台詞にゲイリーは口元を笑ませた。
「今までドレスを着た生活をしていなかっただろう?不慣れなコマリをうまくフォローするのがシモンの役目だ。当日も彼に任せておけば何も心配することはない。――そうだな、シモン?」
「……もちろんだ」
答えるシモンの眼力は鋭く、相手も同じ目をしていれば火花でも散りそうだが、かたやゲイリーはすましたものだ。
最近、気のせいではなくゲイリーがやたらと自分に構ってきて、笑顔てんこ盛りな上ありえないくらい優しかった。
シモンの前では激甘といっていい。
あまりの甘々っぷりに誰もが唖然としたが、リクハルドだけは納得して「兄のような気持ち」で接してくれているからだと教えてくれた。
一人っ子の小鞠は兄がいたらこんな感じかと嬉しくて、以前よりもゲイリーに親しみを覚えたのは言うまでもない。
そんな小鞠の気持ちを尊重してくれているシモンだが、彼がゲイリーへ抱く感情は別らしい。
売られた喧嘩は買うのが礼儀だ、と毎度毎度張り切って威嚇している。
(なんとなくゲイリーさんってシモンに見せ付けるように優しくしてくる気が……)
きっとからかっているのだろう。
そのくらいにはシモンに気を許しているのではないか。
小鞠はそう彼に言ってみようかと思ったけれどやめた。
二人はどこかこの遣り取りを楽しんでいる風でもあるし、これが彼らなりのコミュニケーションの取り方のような気がしたのだ。
こうしてみるとカッレラ王国に来てからこっち、ゲイリーから棘がなくなって接しやすくなったと思う。
シモンの言っていた「しがらみ」が消えたからだろうか。
なんにしても良い傾向だろう。
(このままいい感じにゲイリーさんが変わって、澄人さんもゲイリーさんに構えなくなれば、二人の仲直りは近いかもしんない)
そんな想像を膨らませ澄人を見れば、彼は眠そうに欠伸を漏らしていた。
が、小鞠の視線に気づくと、すぐにいつもの脱力系笑顔を浮かべる。
「おっきい欠伸してるとこ見られてしもたなぁ」
「澄人さんもここのところ疲れてるっぽいけど魔法の練習がハードなの?」
「ちゃうよ~。こっちの魔法の本が面白くてつい夜更かししてもうてるねん」
澄人に誤魔化されているかもと、確認のためにジゼルを見れば、「魔法バカだから仕方がないわ」と呆れ顔が返ってきた。
「「バカ」言われたらグッサーとくるわ。通訳機能て関西弁対応してくれへんのかなぁ」
首飾りをつつく澄人は近くにいた王宮魔法使いたちに「でけへん?」と尋ねているが、彼らは困った様子になっただけだった。
そういえば小鞠と同じ日本人のはずの澄人だが、彼は社交ダンスを踊れた。
聞けば魔法協会にいた頃、必要に駆られて覚えたのだそうだ。
そんなわけで同じ魔法協会に属していたゲイリーはもちろん踊れたし、ジゼルも子どもの頃知り合いに教えてもらったとかで、基本的なステップなどはマスターしていた。
カッレラの者たちは騎士のオロフでさえ踊れたのが驚きだったが、どうやら子どもの頃に一般教養として学校で教えるらしい。
「コマリだけでなくスミトも疲れているようだし今日はもう切り上げよう」
シモンの言葉が合図となって社交ダンス教室はお開きとなった。
先ほどの澄人と同じように小鞠に欠伸が漏れる。
とたんに「淑女は人前で欠伸をしない」という目をテディより向けられて、慌ててそれを噛み殺した。
そこへ。
「トーケル様、食事会のことなのですけれど」
ドリスの台詞が聞こえて、小鞠は思わず耳をそばだてた。
若手を含む王宮魔法使いや侍女たちと食事をすると、ジゼルから聞いていたからだ。
「部屋に戻――コマリ、どうしたのだ?」
シモンの声を右から左に聞き流して、小鞠はトーケルたちの元へそっと近寄っていく。
聞き耳を立てて得た情報によると、食事会は城下にある店で明日行われるらしいとわかった。
「仕事のあと城下で食事して、夜は王宮でダンスの練習っつうのはちょっとキツいな~。親睦を深めるどころじゃない」
顎を撫でつつトーケルが弱り顔になっている。
なるほど、ダンスの練習があるせいで早々に食事会をきりあげ、王宮に戻ってこなければならないのか。
気づいた小鞠は口を挟んだ。
「じゃあ明日、ダンスはお休みにして遅くまで楽しめば?」
「いやでも、コマリ様が舞踏会に向けて毎日頑張っていらっしゃるのに、俺たちが休むっつうのは――うわっ、コマリ様!」
集まっていた輪が開いてそこにいた全員に注目されてしまった。
「一日くらいお休みしてもかまわないわ。で、結局誰が参加するの?」
「えーっとゲイリーを除くここにいる全員と、後は後輩の王宮魔法使い四人です」
ジゼルに聞いていたメンバーより増えている。
「テディやオロフも誘ったのね。エーヴァは迷ってるみたいだって聞いてたけど、行くことにしたの?」
「はい。グンネル様に強く誘われて断りきれませんでした。コマリ様にはご不便をおかけすると思うのですが――」
「そこは気にしなくていいから。グンネル、強引に誘って正解」
「はい。エーヴァは仕事に真面目過ぎるのです。――ほら、コマリ様もこうおっしゃってくださってるんだからさ。エーヴァは数人でってほうが好きだけど、たまには大勢で騒ぐのもいいもんだよ。皆の仕事以外の顔を知るいい機会だ」
グンネルと目を見交わして「そうね」とエーヴァが笑う。
幼馴染みの二人はやっぱり仲がよいようだ。
「で、ゲイリーさんはどうして行かないの?」
輪から離れているゲイリーへ小鞠が尋ねると。
「騒がしいのは苦手――……なんだ?」
話の途中で素早くゲイリーの手を掴むと、見咎めたシモンが眉間に皺を寄せた。
彼女はシモンの手も握ると、両手を高く掲げて二人の手を持ち上げる。
「はい!明日の食事会にわたしたちも参加します」
とたんに「えぇ!?」と誰もが絶句した。
「空耳だろうか?いま、わたしやコマリも参加すると――」
「うん、参加するって言った。っていうか参加したい。だってすごく楽しそうだもん。皆、気を遣うっていうなら一次会で帰るし、あ、や……一時間でもいいの……え、えと、ほんのちょびっとだけ、とか?……だから、ね?」
「そんなに行きたいのか」
小鞠の言葉を聞くうちシモンの表情が可笑しそうに崩れた。
逆にゲイリーは握られた手を引いて彼女から離れてしまう。
「コマリがどうしても行きたいというのはわかったが、そこへわたしを巻き込むのはやめてくれ。騒がしいのは好きではないと言っているだろう」
「きっと皆一緒の方が楽しいってば。それにほら、カッレラのおいしいお酒に出会えるかもしれないじゃない。ゲイリーさん、お酒好きでしょ?」
「酒」という言葉に一瞬反応したゲイリーを彼女は見逃さず、勢いに任せて畳み込んだ。
「はい、ゲイリーさんも参加ね!」
小鞠は残りの仲間に向き直ってにっこりと笑った。
「明日は無礼講で楽しもう!」
言葉を失っていた皆が顔を見合わせ、彼女につられたように笑い出した。
こうして小鞠の明日の食事会参加が決定した。
* * *
次の日。
店に来たルーキー王宮魔法使いの四人は、小鞠とシモンを見て優に数十秒は呆けていた。
「なんでここにシモン様が――それにコマリ様まで……いや本物がいるわけないよな。よく似たそっくりさんか!こういう悪戯をするのはトーケル様ですか?」
アハハと笑いながらそう言った青年が、短く刈り上げたブロンドの頭をかく。
「本物よ」
と小鞠が訂正したとたん彼はあんぐりと口を開けた。
そして彼女とシモンを偽物呼ばわりしたことを平謝りしだした。
「よい。今日は無礼講だ。周りに変に思われるからあまり畏まるな。コマリがどうしても参加したいと言うので仲間に入れてもらったのだ。驚かせてしまったな」
シモンがこう言わなければしまいには平伏でもしていただろう。
彼はペッテルといってルーキー四人の中で一番元気がよい男だった。
ジゼルに憧れの眼差しを向けていたせいで、澄人は危機感を覚えたのかすっかり彼をマークして、そんな恋人の様子にジゼルはずっとご機嫌だった。
もっと気持ちを見せてほしいと言っていたし、嬉しくて仕方がないのだろう。
トーケルは面白がってペッテルを煽っていて、そこに便乗するオロフが絶妙のタイミングで、澄人をチクチクと苛めているのが可笑しかった。
マーヤとは一度、王宮魔法使い室で話したことがあるため覚えていた。
おでこ全開に近い前髪は目を引くが、明るい性格の彼女に似合っている。
小鞠つき侍女のスサン・サデ・ドリスと親しいようで、特に仲が良いらしいドリスの邪発言のあしらい方は、見習いたいくらい見事なものだった。
眼鏡男子のヴィゴは若手魔法使いのまとめ役と言ったところで、食事会が進むとサデとはなんだかいい雰囲気になっていた。
こっそりスサンが教えてくれたところによると、サデの方がヴィゴに仄かな想いを抱いているらしい。
この二人は放っておく方がうまくいくのではというテディの言葉に従い、小鞠はあたたかく見守ることに決めた。
クレメッティは自ら進んで発言はしないが口を開けば率直過ぎて、盛り上がった場に水を差してしまう青年だった。
しかもグンネルが注意しても平然としたもので、逆に彼の態度にムッとするグンネルを、リクハルドとエーヴァが宥めるのに苦労していた。
ゲイリーはそんなグンネルを呆れた目で見ていたが、今は一人我関せずと酒を飲み続けている。
そして酒にしか興味がない彼をスサンが気にしていたりするのだ。
全部で十八人という人数が一度に座れるテーブルがなく、六人ずつに別れて席に着いていた。
別々のテーブルとなっているスサンとゲイリーの様子を、密かに観察していた小鞠は、
「こっちは前途多難っぽいなぁ」
と手にしていたグラスから果実酒を一口飲んだ。
「前途多難?――もしかしてゲイリーとスサンのことを言っているのか?」
独り言をどうやらシモンに聞かれてしまったらしい。
小鞠の視線を追った彼が声を潜めて尋ねてくる。
「もしかしてって……シモンもやっぱり二人は「ない」って思う?」
「ゲイリーは来る者は拒まずという男であるとは思うが、そこに気持ちがあるかと言われれば……――それはまた別物だろうな」
それって体だけってことだろうか。
アダルティな考えはわかんないぞと酒を飲み干したところで、シモンがひょいと彼女の顔を覗き込んできた。
「目尻が赤いな。そろそろか」
そろそろ、とはなんだろう?
だが彼と目が合って、すぐに別の思考が取って代わった。
「きっれーな青だなぁ」
にへーと笑いながら青い瞳を見つめる小鞠は彼の顔に手を伸ばした。
「あらコマリのグラスも空じゃない」
が、隣のテーブルからのジゼルの問いかけに、頬に触れそうな手を止め振り返る。
「わたしも注文するんだけど一緒に頼む?コマリは次、なに飲むの?」
グラスが空?ってなんだっけ……。
回転の遅い頭でぼんやり思い、テーブルのグラスを見て酒を思い出した。
「えーっとぉ、今度はちょっとさっぱりしたやつがいいな」
「いや、コマリはもう酒は終わりだ」
「え~?なんでよ?」
「酒が一定量を超えるといきなり酔っ払って寝てしまうと言っていただろう?ユウタの部屋で飲んだとき、眠る前のコマリが今のような感じだった」
「まだそこまで飲んでないし酔っ払ってないもん。だから寝ません」
隣のテーブルからまたジゼルの声がした。
長くなりそうだと思われたのか「コマリはあとで頼んでー」と聞こえてくる。
「こちらの酒はどれもアルコール濃度が高いのだ。日本にいたときと同じ感覚でいない方がいい。現に今のコマリは少し酔っているだろう?人前であるのにわたしに触れてこようとしたのがいい証拠だ」
シモンを睨んでいた小鞠だったが、彼の最後の台詞に数秒前の自分の行動を思い返した。
(そ、そういえばそんな事をしたような、しなかったような……)
ひぃぃぃ、皆の前なのに自分からシモンといちゃいちゃしちゃうとこだった。
なんかついふらふらと引き寄せられて……。
(や、ふらふらっていうかふわふわする。シモンの言う通り、わたし酔ってるかも)
やっと自分の状態に気がついた小鞠だ。
「シモンが正しいみたい。ごめんなさい」
「いいや。わたしに甘えてくるのは大歓迎だ。少し酔ってくれているぐらいの方がいいぞ?」
くすくすと笑うシモンは無愛想な態度を取った自分に気を悪くした様子もない。
こういう彼を見るたび大らかで優しい人だと思う。
「シモンってどういうときに怒るの?」
「どういう意味だ?」
「え?そのまんま。だっていまのわたしの態度に怒ったっていいのに笑うから」
「怒るほどのことでもないだろう?むしろ拗ねた顔が可愛くて抱き潰した――」
「はい、そこはもういいから」
そうだ、この人ってば愛魂マジックにかかってるんだった。
「普段、怒ったりしないの?って質問で」
「人並みには怒るぞ。どういうとき、と言われてもすぐには思い浮かばないが――ああいや、一つあるな。コマリを悲しませたり傷つける者がいたら怒る。自分がされるより腹が立つだろうな」
「恐るべし、愛魂マジック」
小鞠が呟いた瞬間、シモンとは逆隣に座るテディが小さく吹き出し肩を震わせる。
だがテディに背を向ける彼女は気づかなかった。
愛魂マジックのせいで目が曇ってるとしても、自分のために怒ると言ってくれたら嬉しい。
テーブルの下でシモンの手に触れた。
大きな手が優しく握り返してくれるのがくすぐったい。
「今日は来てよかった」
「そうか」
「うん。ガールズトークもできたし」
「ああ、随分と盛り上がっていたな。女性は色んなものに敏感だとつくづく思ったぞ」
おいしい料理店とか流行のファッションとか人気のお菓子とか、どこの世界の女の子も興味を持つものは同じだった。
それに恋愛に関する話が大好きなのも一緒だ。
恋バナに花を咲かせていたとき、時節送りの日が近づくと惚れ薬が出回ると聞いて驚いたけれど。
年に四度ある時節送りの日は王国を挙げて祝うらしい。
冬から春なら花、春から夏なら樹木、夏から秋なら果実、秋から冬なら木の実で作った酒を、そして子どもは酒を数滴混ぜた果汁を、飲むのが慣わしなのだそうだ。
特に酒は「ふるまい酒」と言って、どこに行っても必ず振る舞われるため、惚れ薬は目当ての相手が飲む酒に混ぜて飲ませればいい。
もちろん惚れ薬なんてものは偽物だが、好きな相手の目の前で薬を入れて酒を手渡す=あなたのことが好きです、という意思表示になるらしい。
「なんかバレンタインデーみたい。チョコじゃなく惚れ薬っていうのが面白いなぁ」
「ん?ばれんたい?……ああ、もしかして時節送りの日のことか?コマリの世界ではチョコレートを渡すのか。わたしは愛魂があるせいか、これまで特別気にしたことがなかったな」
「好きな人に告白をって、気持ちを後押ししてくれる素敵な日だって思う。あ、ねぇ舞踏会では参加者にお酒を配る?」
「ふるまい酒か?それはもちろん――……コマリ、その顔はなんなのだ?まさか惚れ薬まで用意しろと言うつもりか?」
「舞踏会って言ったらたくさん人が集まるんでしょう?恋人募集中の人だっているかもしれないじゃない。片想いの人だって。そういう人たちが勇気を出せるように、王宮側が手助けするってどう?」
期待いっぱいの眼差しをシモンに向けると、彼は言葉に詰まり「今から用意するのは」と額を押さえた。
「~~~~~テディ、聞いていたか?」
悩んでいたはずが、結局は小鞠を挟んで座るテディに声をかける。
「はい、明日一番に国王様にご相談しに参ります」
「え?そんな大ごとになるの?だったら――」
「参加者に心より楽しんでもらうのが舞踏会を主催する王宮側の務めだ。それにコマリの案は皆に幸せを運ぶ種となるかもしれない。そういうことはやっておかねばな」
思いつきを「幸せを運ぶ種」と言われて、彼女自身とても素晴らしい案のような気がしてきた。
「そっか、幸せか。うん、じゃあやっぱり用意したいね。惚れ薬が品薄で作らなきゃっていうなら手伝うし――あれ、そういえば惚れ薬って何でできてるの?偽物なんでしょ」
興味がなかったためか知らなかったシモンの代わりに、普通の水だとテディが答えてくれた。
水ならば小さな瓶につめるだけですみそうだ。
そこへ、途中から話を聞いていたらしいオロフも会話に参加してきた。
「ここ最近は激辛や激甘、酸味、苦味を感じさせる悪戯薬もあるんです。そちらは友人同士で楽しむために使うことが多いのですが」
「ふむ、時節送りの日は民の楽しみの一つになっているのか」
シモンが興味深そうに話を聞いている。
小鞠は「悪戯薬」というワードに心の中で食いついていた。
手に入れてシモンに飲ませてみたい。
かといって城下に一人で買い物は行けないのだ。
(あ、調理場から塩とか香辛料とかもらって自分で作る?)
悪戯薬をシモンに飲ませるという悪戯は楽しそうだ。
小鞠はうきうきと心を弾ませた。
「うん、やっぱり今日来てよかったな。ね、シモン」
「あまり可愛い顔を見せてくれるな。我慢できずにキスしてしまうぞ」
からかい混じりの声とともにシモンが艶っぽく笑んだ。
とたんにドキンと跳ねてしまう胸をどうにかできないだろうか。
――誘惑はするに決まっている。
なぜか脳裏に蘇った声に彼女はうろたえながら俯いた。
あの日以来、彼はより積極的になった。
(人前じゃ誘惑しない約束なのに)
指先で、声で、眼差しで誘ってくる。
眠る前のキスが以前より濃密なものに変えらていってるのは、気のせいじゃないはずだ。
――もっと?
そう尋ねられれば簡単に頷いてしまうほど、メロメロにされてしまうのが恥ずかしかった。
でも抱きしめられると満たされて、幸せで、もっとくっついてしまいたいと……。
「コマリ様、お顔が真っ赤でいらっしゃいますが」
笑いを滲ませたテディの言葉に小鞠は我に返った。
頭の中のあれこれを彼に見られようはずもないのに、動転してシモンの足を思い切り踏みつける。
「っイ!」
「ダダ漏れは禁止!」
小鞠の大声に皆がびっくりしたのか静まり返った。
いけない、つい大きな声を。
ますます赤くなって小さくなる彼女を周りが不思議そうに見つめる中、シモンだけが楽しげに笑った。