予約の印
王都にある仕立て屋という仕立て屋が毎日フル稼働だった。
理由は簡単、王宮で開かれる舞踏会の参加者が衣装を新調しているからだ。
彼らは出来上がった衣装を屋敷へ届け、笑顔を面に貼り付け褒め称す。
それはここコントゥラ子爵の邸宅でも変わりなく。
「よくお似合いでございます」
「いや、コートを縁取る刺繍はもう少し大きくすれば良かったとも思うのだがね。作り直すか」
姿見の前でコントゥラ子爵は右に左に向きを変える。
「あまり大柄なものになさいますと、逆にバランスを崩すかと存じます」
仕立て屋が慌てて言うのを聞いてコントゥラ子爵は「ふむ」と頷いた。
「そう言われればそうだな。こちらの方が下品でなくていいかもしれん」
ホ、と仕立て屋が安堵したのも気づかない。
仕立て屋の本音にあるのは、舞踏会の衣装の注文が殺到し、もう手一杯で新たに仕事を請けられないというだけなのだが。
そこへノックもなく扉が開いて、赤いドレスを身に纏った娘が飛び込んできた。
「お父様、ドレスの意匠を勝手に変更しないでっ!こんなんじゃ他と変わらないし、舞踏会で目立たないわ」
「おおオルガ。なんと美しい。よく似合っているのにどこが不満だね?」
「わたしは今度の舞踏会でシモン様の目を釘付けにしたいの!愛魂の相手だか知らないけど、異世界から連れ帰ったどこの馬の骨ともわからないぽっと出の女が、シモン様のお后になるなんて冗談じゃないわっ。わたしがどれだけ努力して自分を磨いてきたと思っているの?性格の悪い我儘女だと聞いたし、きっと女を武器にシモン様を誑かしたのよ。つまりシモン様も男ということ。わかっていればそこを攻めたのに、いつも紳士的でいらっしゃるからすっかり騙されたわ」
「色好みであるとおおっぴらにしている王子など世界中探してもおるまい。なるほど、それではおまえがそのドレスを気に入らないわけだ」
「ええ。わたしのこの顔と体をもってすれば、シモン様を性悪女から奪うことは容易いわ。だから他と同じドレスじゃ駄目なの。もっと体の曲線が見えなきゃ」
なまめかしい美貌と肉体は男を惑わす。
魅惑的な女性。
コントゥラ子爵の娘たるオルガは、自分が世間からどう言われているか十二分にわかっていた。
「ねえお父様、この間王宮にいらしたとき、国王様にさりげなくわたしを売り込んできてくれたのよね?」
根回しをしてきたのかと娘に問われたコントゥラ子爵は頼もしく頷いた。
「もちろんだとも」
「カーパ侯爵やミッコラ伯爵はどうだったの?やっぱりアンティアやマチルダの話を?」
「うむ……奴らもまた変わりはなかったね。他の者も隙あらばと思っているのがありありと伺えた」
「他?他の貴族の娘って年増だったり逆に幼女だったり、あとは十人並みしかいないじゃない。そんな女たち、わたしの前では霞んでしまうわ。アンティアとマチルダは認めてあげるけれど、でもやっぱり一番美しいのはわたし。そしてシモン様の后にふさわしいのは異世界女じゃなくてわたしなのよ」
オルガはキっと仕立て屋に向き直った。
「おまえ、わたしが最初に言ったようにすぐにドレスを作り変えなさい。胸元はもっと際どく、背中も大きく見せるのよ。それからここはレースではなく、わたしに似合う花を考えて、大きく刺繍にするよう言ったはずでしょう。何を聞いていたの!?」
彼女の剣幕に仕立て屋は慄きながら言い訳を試みた。
「子爵様にレースにするよう仰せつかりまして、わたくしもお似合いだと思――」
「おまえは馬鹿なの!?ドレスはお父様ではなくわたしが着るのよ?わたしの意見を聞いて、わたしの美しさを最大限に引き立たせるドレスを作る。それが仕事でしょう!おまえの感想なんて必要ないのよ。わかったらさっさとドレスを作り直しなさい!いいわねっ」
命令することに慣れた口調で言い捨て、オルガは鼻息も荒く部屋を出て行った。
コントゥラ子爵は鏡に映る自分の姿を見つめポーズをきめる。
「レースか……腰を細く絞ってこの辺りをレースで飾ってみるのも良いやもしれん。そうは思わないかね?」
たった今起こった出来事はなかったかのように話しかけられた仕立て屋は、頬を引きつらせながらも笑顔をみせた。
「お、お似合いでございます」
* * *
水晶を見つめていた男の顔が歪む。
自信過剰な女だ。
父親は父親で野心を見せながら最大の関心ごとは舞踏会の服らしい。
自分のことしか考えていないのは他の貴族も同じだったが。
水晶から顔をあげた男は椅子にもたれて息を吐く。
わざわざ『千里眼』を使ってまで貴族たちを探ることはなかったか。
異世界を見るよりはるかに楽だが、集中力が必要なこの能力は、長い時間行うことはできない。
そして一番観察しておきたいあの悪魔は『千里眼』で見られなかった。
王宮の、特に王族塔と執政塔は幾重にも魔法がかけられているからだ。
国の重要機密や王族の私生活を守るためだということらしいが、忌々しいの一言に尽きる。
チ、という舌打ちが室内に響いた。
「いつになったら悪魔を始末するつもりだ?てめぇはよ」
いつもの乱暴な声音には苛立ちが混じっていた。
「舞踏会があるんだろ?騒ぎを起こしその隙にもぐりこんで攫っちまおう。後はゆっくり切り刻めばいい」
「いや、シモン様には悪魔だけでなく愚かな者もふさわしくない」
「ああ?今見てた貴族たちも邪魔だってか?」
「排除するんだ。それがきっとあの方のためにもなると思わないか?」
男が言うと、ふん、と鼻を鳴らして促すように尋ねられた。
「なんかいい方法でもあるのか?」
「そうだな――」
男がニヤリと口の端を歪める。
それは狡賢い笑みだった。
* * *
シモンにとって夜はコマリと過ごす至福の時間だ。
そしてその夜、部屋で舞踏会の衣装に着替えたコマリを見た彼は、感動に打ち震えていた。
「なんって可愛らしいのだ、コマリ!!美しいっ」
「大げさすぎて嘘くさいなぁ――うぐっ……」
むぎゅう、とコマリを抱きしめたとたん、彼女が呻いて言葉を詰まらせる。
コマリの着替えを手伝っていた侍女たちは笑いを滲ませ、そっと部屋から出て行った。
「ああ、すまない。また……」
「わたし、いつかシモンに殺されると思う。なんでそんなにバカ力なの」
「次期国王となる身でありながら体が弱くては話にならないだろう。強靭な肉体をと幼少の砌から鍛えるのが王子の務めだ」
「えー?王子様や王様って、普通お城でぬくぬく守られてるもんでしょ?」
「なんの冗談だ?有事の際は率先して民を守らねばならないのに、ひ弱で剣も力仕事もできないなど話にならないぞ」
「んー、そう言われればそうかも。でもシモンの場合は鍛えすぎじゃない?」
「わたしは体を動かすのが好きだからな。第二、第三王子であったならば騎士団員となっていたかもしれない」
「王子様が騎士団?」
意味がわからないのはコマリの国には王族がいなかったからだろうか。
「わたしが父の跡を継いで王となる。では王位につけない弟王子たちどうするか」
「そっか、王様は二人も三人もいらないもんね」
「ああ。だからそれぞれどのような道に進むか、向き不向きを知った上で決めねばならないのだ」
「シモンは弟がいるの?」
「弟二人と妹がいる。舞踏会で会えるだろう」
「四兄弟の一番お兄さんだったのか。どーりで」
彼女の含みある言葉にシモンは首を傾げる。
「どうりで?」
「わたしが我儘言っても怒んないわけだなぁって。いいお兄ちゃんなんだろうね、シモンって。懐かれてそう」
「どうだろうか。愛魂相手にこだわって探し続けるわたしに、いい加減諦めたらどうかとここ数年は呆れられていたから、おそらく尊敬はされていないか」
「前に聞いた気がするけど、ええっとシモンの兄弟は皆――」
「ああ、自分の半身に出会っている。彼らの相手は皆、この世界にいたからな。なんだかんだと言うわりに仲が良く幸せそうで、わたしはそれがとても羨ましくあったのだ」
シモンは腕の中に囲ったままのコマリにコツリと額を合わせた。
「だから異世界にコマリがいるとわかったとき、わたしもやっと出会えると嬉しかった――今、こうして腕の中にコマリがいるのが夢のようだ。わたしを選んでくれたのが奇跡に思える」
唇を合わせて瞳を覗き込むとそこに自分の顔が映っていた。
では自分の瞳にも彼女が映っているのだろう。
そんな事を思っていたら、見る間にコマリの頬が赤く染まっていった。
「なななに、じっと見て。ドレスを汚したらいけないから着替える。――あ、エーヴァたち、出てったんだっけ。どうしよ」
全く照れ屋なことだ。
だが早く自分に慣れてほしいと思う反面、こうしてはにかむ姿も愛らしく、いつまでも見せてほしいと感じる。
「着替えならわたしが手伝おう」
背中のフックを外せるか確認していたコマリは無理だと感じたらしい。
シモンの提案に葛藤していたが。
「じゃあ、外すだけでいいからね」
「ならば寝室へ移ろうか」
「えっ!?なんでっ」
「別のドレスを着るよりそのまま湯を使えばどうかと思っただけだ」
「ああ、もう寝るだけだし寝巻きの方が楽だもんね。わかった」
納得したのか寝室へ移るコマリからブツブツと独り言が聞こえてきた。
「リメイクじゃフックの位置が変えられないっていうのが難点だなー。スカートの形を変えるときに余った布を背中に縫い付けて、新たに脇から脱げるようにする……とか無理かなぁ」
スカートの後ろが長かったりドレープを多くしたりと、女性らしい優美な意匠のドレスはまた、動きにくくあるらしい。
コマリがよく踏みつけるスカートの裾は「引きずらない」、というのがドレスを作り変えるときの大前提だったようで、しかしドレスで足を見せるのははしたないとのこの世界の常識から、床上ぎりぎりつくかつかないかという長さにしたのだという。
舞踏会用にと仕上がったドレスは実は前部分が後ろ部分より少し短いそうだ。
青と水色の二色使いで前面は刺繍だけですっきりとさせ、後ろは背中の下から尻辺りに布を重ねて花びらのようにしてあった。
それは森喰いからコマリが思いついたらしい。
胸には小さな石が縫い付けられていて、明かり玉の光をきらきらと反射している。
夜会用のドレスなためか胸元は少し深めで、コマリに真正面に立たれるとシモンの目は否が応でも胸へいった。
(細いから誤解していた。思っていたより胸があるのだな)
一度、着替え中に部屋に飛び込んだが、あの時は胸元を見たとたん隠されてしまいよくわからなかったのだ。
「……シモン、さっきからどこ見てるの」
「神秘の頂だ」
「エロ親父みたいなこと言うなっ!やっぱり自分で脱ぐ。スケベ王子は出てけ」
片手で膨らみを覆ったコマリが扉を指差した。
「脱げるわけもないだろう。わたしは背中側にいると約束する」
「本当?絶対絶対嘘じゃない?」
「ああ。コマリの後ろから、だ」
彼女の背後に立つとやっと安心したように力を抜いた。
一つずつフックを外していく。
合わせが開いて露になるすべらかな肌が、誘っているように眩しく映る。
「全部外したらシモンは一度部屋を出て――っ……ちょ、なにしてるの」
「無防備に背中を向けてくるコマリが悪い」
項に唇を押し当てて囁き、更にフックを外していく。
ドレスを開いて肩口にキスをすると、慌てたような声がした。
「脱ぐのは自分でする――」
「まだすべて外していないから脱げないぞ」
「じゃあ早く……ぁっ」
最後の一つを残して手を止めたシモンは後ろからコマリを抱きしめた。
そのまま首筋に舌を這わしたとたん、彼女から驚きともつかない声があがった。
「や、やっ……約束と違うー」
「コマリの背後にいるのだから約束は守っている」
「ずるい。最初からこのつもりだったのね!……わわ、どこに手を」
ドレスの上から胸に触れたシモンは、思っていたのとは違った感触に顔をあげた。
「硬い……なんだ、これは?」
「こっちの世界にブラってないから、コルセットをそれっぽく作り変えてもらって、胸にパットみたくくっつけたの。っていうか放して~」
「ぱっと」とはわからないが、「ブラ」なるものはあちらの世界の女性下着ではなかっただろうか。
日本で暮らしていた頃、コマリは下着だけは自室に干していた。
だからちゃんと見たことはないが、コルセットより楽そうだと思った記憶がある。
しかしこれでは――。
「感触がわからないではないか」
「感触って……どこまでエロ助なのよ、バカシモンっ!」
いくら怒鳴られようとせっかくのこの機会を逃す愚か者はいないだろう。
シモンはもがくコマリの口を手で覆い囁いた。
「悪口しか言わない口は塞いでおこう」
開いた背中からドレスの中にもう一方の手を入れ、膨らみに触れると彼女がビクリと震えたのがわかった。
「ドレスを脱がせたりしない。怖がらないで」
掬うように持ち上げ掌に包み込むと柔らかく形を変える。
たまらず口を塞いでいた手もドレスの中へもぐらせた。
「……っ……シモン…手、どけて」
「あと少しだけ」
請うように言って首筋に唇をあてる。
キスを繰り返し熱くなった吐息とともに耳朶を食むと、コマリがいきなり体を捩って振り返った。
肩から落ちそうなドレスを引き上げ、キっと怒ったような目を向けられる。
その頬がほんのりと赤くなって息遣いが荒いのは、彼女もまた昂揚しているからだという気がした。
「コマ――リっ?」
なぜかコマリに勢いよく飛びついてこられ、ベッドに膝裏をぶつけたシモンは彼女もろとも仰向けにひっくり返った。
「いきなり何を……ベッドがあって助かったな」
半身を起こそうとしたが強い力で押し戻される。
見上げた先に、馬乗りになって自分を睨んでくるコマリがいた。
「……コっ」
シモンが声をかけるより早く、胸倉を掴んだ彼女に噛みつくようなキスをされた。
強引な彼女に驚きながらも、唇を割って舌を絡められるともっと味わいたくなる。
だが自分から舌を伸ばすと素早く顔が離れ逃げられてしまった。
「いつもいつもシモンの好きにさせないんだから」
「コマリ?」
起き上がりかけるとまたしてもベッドに押さえつけられ、ならばと手を伸ばせば手首を掴んでベッドに縫いつけられてしまった。
「これではわたしがコマリに襲われているようだな」
「そうよ、襲ってるの」
意外な答えにとっさに返事ができなかった。
近づく彼女の唇が首筋に触れる。
ゆっくりと動く温かな舌の感触に理性が一気に吹き飛んだが――。
「っ!痛ぅ」
いきなり肩に歯を立てられてシモンは声をあげた。
「どうして噛むのだ。甘噛みであるならまだしも……」
「そういうエッチぃ意味じゃなくて腹いせだもん」
苛立ちの滲む声音が聞こえ、ガバ、と顔をあげたコマリは拗ねた口調で続けた。
「誘惑宣言したシモンに負けっぱなしだから悔しいの」
「負けているのはわたしの方だろう?コマリは平気そうだが、わたしはコマリがいなければ――」
「平気じゃない!」
強く遮った彼女が我に返って視線をさまよわせる。
だがシモンの無言の問いかけに観念したようだ。
「最近、変なの。エロエロシモンを目の前にしたとき、ずっと恥ずかしかしくて逃げたかったのに、今じゃうっかり見惚れちゃうし、キスだっても――も、もっ……と~~~それに、もうちょっとくっついてたいって思うし、抱っこも嬉しいし、甘えたいし、もう全然平気じゃないの――……っていうかわたしきっと痴女なんだー」
いきなりコマリが壊れたため、一拍遅れて声が出た。
「……は?」
「だってだってだって!気がついたらシモンをベッドに押し倒して首にベロチューしてたのよ!?あげくに噛み付くって……自分で気づいてないおかしな趣味があったのかも。わたし絶対変態で痴女なんだ。どうしよ~、シモン」
「変態痴女……クっ……アハハ」
シモンは堪えきれず吹き出した。
こんなに笑ったのは子どものとき以来かもしれないというほど大笑いしたあと、彼は自身の上に跨ったままのコマリを見つめた。
「案ずるな。コマリは痴女でも変態でもないぞ。わたしもコマリに触れたいし、口づけたいし、もっと近づきたいと……――ああそうか、コマリはもうわたしと同じ気持ちであったのか」
気づいたシモンは肩が見える際どい状態のドレスに指をかける。
「っ、しししシモンっ」
胸を覆って逃げるコマリを追いかけ体を起こすと、そのままのしかかるようにして、先ほどとは逆に彼女を押し倒した。
ドレスの胸元を押さえている手を取って、ベッドに押し付ける。
息を詰め、凝視してくるコマリの瞳の奥に怯えが見えた。
(先ほどはあれほど大胆なことをしてきたというのに)
身を寄せたシモンはドレスを少し押し下げ胸元に唇を押し当てた。
「っふ」
強く吸いついたときにコマリから小さく声が漏れる。
白い肌にキスマークを残し、ドレスを引き上げて彼女を覗き込んだ。
「いまつけたのは予約の印だ。これが消えるまでに覚悟を決めてほしい」
「そ、そそれって」
「わたしの気持ちにコマリがやっと追いついてくれたのだ。本当はいますぐ抱きたい。これがギリギリの譲歩だ。もう、生殺しから解放してくれ」
最後はつい本音が漏れた。
しまったという思いが頭によぎる。
柔らかな掌が頬に触れたためコマリを見た。
「優しいわたしの王子様」
それは以前にも聞いたことがある。
ではまたあのときのように待たされるのだろうか。
だがコマリの行動は予想とは違った。
身を起こして唇を重ねてくる。
離れた彼女から声が聞こえた。
「これで予約完了、ね?」
瞬間、シモンはコマリを抱きしめていた。
「イタっ」
痛いと言われても力を抜けなかった。
「ああコマリ、愛している。誰よりも、どんなときも、コマリだけを――」
「わたしも愛してる」
コマリの返事に耳を疑った。
抱きしめていた彼女を引き起こすと、ありえないくらい美しい微笑みを向けられる。
(愛しているとコマリから初めて……)
聞き間違いではなかったと、感極まったシモンは再びコマリを抱きしめた。
その後、一緒に風呂に入ろうとコマリのドレスを脱がそうとしたら、調子に乗るなと怒られた。
幸せすぎるシモンには彼女の鉄拳も甘美な抱擁となっていたけれど。




