修練室と研究室
すぐ側でブロンドを刈り上げた青年が身を起こし、怒りの形相を向けられた。
「びっくりした。階段がいきなり滑り台になるなんて――……あっ!ごめんなさい、怪我はないかしら?」
「うぇっ……銀髪美人!?本物っ?」
男に鋭く睨まれたはずが今は仰天していて、その理由がジゼルにはわからない。
「よおー、ペッテル。おまえ、あれくらい受身を取ってみせろよ。見事に転んでたな。ジゼルも、ほら、立てるか?」
いつの間にか石階段に戻ったらしくトーケルが階段を降りてくると、ジゼルの手を掴んで引き起こしてくれた。
「自分だけ手摺りを掴んで滑るのを避けたわね」
「誰かが滑り落ちるまで元に戻らないんだよ。罠に引っかかった責任は取ろうな、ジゼル」
にっこり笑顔でのたまうのが腹立たしい。
服についた汚れをはたいているブロンドの彼に向き直って、ジゼルは顔を覗き込んだ。
「どこか痛むところはない?」
茶色の瞳と目が合ったと思ったら、どういうわけか相手が落ち着かない様子になった。
「あー、このくらい大丈夫ですよ。それよりあなたは?」
さっきはブチキレていたのに、急に態度が軟化しているのが妙だ。
(もしかしてトーケルの言ってた変態かしら?)
ちらとトーケルを窺えば首を振られ、彼は気さくに青年の肩を引き寄せた。
「ジゼル、こいつはペッテル・ゲッダ。俺より女好きだから気をつけろ」
「ちょ……トーケル様、変なこと言うのやめてください」
「わたしはジゼル・ビュケよ。よろしく、ペッテル。二人は似た者同士ってわけね」
ジゼルの言葉にトーケルは朗らかに笑う。
「女好きを隠してないってところはそうか。で、ペッテル、ここでなにやってんだ?サボリか?」
「違います。修練室の掃除と焦がした天井を直すようリクハルド様に言われたじゃないですか。天井だけでなく壁とか思ったより広範囲に焦げてて気合入れて磨いたら、壁のタイル飾りがごっそり剥げ落ちたんです。もう俺らの手には負えないってリクハルド様に相談したら、王宮職人に直してもらうしかないってことになって、ついでに俺らも手伝うよう言われたんですよ。俺は今から職人塔に追加のタイルを取りに行くところです。なんか俺だけ目ぇつけられてるみたいで使いっ走りにされてんです」
「そんな愉快なことになってんのか。おし、ちょっと修練室覗いてみるか。おまえはひとっ走り職人塔へ行ってこい」
バシリとペッテルの背中をトーケルが叩いたとたん、彼はよろけて息が詰まったように咳き込んだ。
「なんだぁ?弱っちい奴だな」
「トーケル様が馬鹿力なんですよ。えっとじゃあジゼル様……また後ほど」
「え?ええ」
どうしてわざわざトーケルではなく自分に声をかけて立ち去るのだろう?
階段を走り降りていくペッテルを見送ったジゼルは、トーケルが「わかりやすい」と呟いたために目を向けた。
「あいつはジゼルみたいなのがタイプだからな~。ジゼルはどうよ?」
「どうもならないわよ」
返事を予想していたらしい彼は、「あっそ」とそれ以上触れてはこず、
「ちょい修練室に寄っていいか?」
と彼女に断って歩き出した。
「ねぇ、もしかしてトーケルって偉かったの?「トーケル様」なーんて呼ばれて……あ、シモンについてる魔法使いだからそれも当然といえば当然かしら。ってことは王宮魔法使いの中でもかなりの実力者の部類に入るとか?」
「まぁそれなりには」
曖昧な返事をされてしまったが浮かぶ笑みは否定をしていない。
「実力を認められているトーケルはともかく、わたしが「ジゼル様」って呼ばれるのはどうなのかしら?全然慣れないのよね」
「シモン様とコマリ様のご友人で、コマリ様専属の意匠屋ともなれば、誰も不敬な態度を取るわけがない。慣れるしかないぞ。同じような立場のスミトとゲイリーの二人は気にしてないだろ」
「ゲイリーは慣れているみたいだけど、スミトは背中が痒くなるって言ってたわ。あの二人、あっちの世界の魔法使いたちの間じゃ、けっこうな地位にいたみたいだし、「様」付けで呼ばれてたと思うの。なのにスミトはいまいちそういう立場が似合わないっていうか……のほほんとした雰囲気のせいかキマらないのよね」
ひどい言われようだな、とトーケルが笑う。
「スミトはああだから親しみやすいんだと思うぞ?俺から言わせりゃスミトよりゲイリーだ。あいつの無駄に甘い顔は完全に宝の持ち腐れじゃないか。無愛想すぎるぞ、あいつ。あ、けどコマリ様の前では表情が和らぐし、そういうときのゲイリーは話しかけやすいよな」
「そうそう、コマリがいないとダメなのよね。近寄りがたくって。コマリだって彼に普通に話しかけているだけに見えるのに、わたしたちと何が違うのかしら?」
「んー?愛想なしっつっても近寄りがたいってほどじゃないだろ。異世界で何があったか知らないが、ジゼルが構えすぎてるんじゃないか?」
確かに構えているところはあるかもしれない。
魔法で操られたことに、やはりまだわだかまりがあるからだろうか。
(ゲイリーが謝ってくればわたしだって……って、彼が謝るなんてありえないわね)
ジゼルは彼にどう返事をすればいいのか困って話題を変えた。
「そういえば修練室ってなに?」
「その名の通り魔法使いが魔法の修練をする魔法に耐久性がある部屋だな。壁のタイルがはがれたっつうのは、単に部屋が古いからだろうが」
「スミトたちが魔法を学んでる部屋は研究室ってことだけど」
「魔法に耐久性があるのは研究室も一緒だ。本来は個人か数人のグループで魔法を研究するってときにあてがわれる部屋だが、いまあそこは空き部屋だし――」
トーケルがジゼルの耳元に唇を寄せた。
「敵に俺たちの手の内を明かさないためにも使ってる。スミトとゲイリーの実力が未知だと手出ししにくいだろうし、何か策を練ってると思わせられたら上々だ」
小声で囁かれた内容に納得したあとすぐに身を引いた。
「近いわ」
「いやだって、どこまで伝わるかって思うとついな」
「何の話?」
ニヤニヤ笑うトーケルが背後を振り返って、つられたジゼルも廊下を見たが何もなかった。
「こっちの精霊は玉に変化するくらいなのに、変幻自在の精霊なんているんだな」
「精霊?がなに?」
彼の独り言がよく聞こえなくて尋ね返したが「別に~」と首を振られた。
廊下を進むと扉が開け放たれたままになっている部屋についた。
中には数人いてどうやら休憩しているようだ。
彼らの側にある壁は途中までタイルが飾られていて、そこでタイルが足りなくなったのか作業はストップしている。
トーケルが若い男女に近づいていくと、気づいた彼らは立ち上がった。
「トーケル様、わざわざ見に来てくださったんですか?」
思い切りのいい前髪をした可愛らしい子が、緊張した面持ちでトーケルに話しかけるのを見て、ジゼルはすぐに気がついた。
(彼女、もしかしてトーケルが?)
トーケルも隅に置けないじゃない、と内心冷やかしていたジゼルは視線を感じた。
眼鏡の青年と色白の青年が自分とトーケルを交互に見ている。
「なにか変な誤解をされてるのかしら?」
「誤解なのですか?まさかトーケル様が人妻にまでと思ってしまいました」
「人妻?」
眼鏡の青年の台詞に耳慣れない言葉があって彼女は尋ね返した。
「異世界からいらした黒髪の魔法使いの方の奥方では?」
「わたしとスミトは結婚してないけど」
「そうなのですか。部屋が同じのようですのでてっきりご結婚されているものと――」
「人妻か。いい響きだ」
トーケルが会話に割って入ってこう言ったとたん、色白の青年が冷たい眼差しを彼に向けた。
そこへ先ほどの彼女が萎れたように呟く声がジゼルの耳に届いた。
「トーケル様って人妻も好きなの?」
トーケルは聞こえなかったのか、色白の青年にからかうように声をかけている。
「おまえはまぁたそんな顔しやがって。ちょっとは羽目はずしてみろ。おいヴィゴ、クレメッティを城下に連れ出して遊ばせろ」
「なぜわたしを名指しするのですか。そういったことならペッテルが適任でしょう」
「いや、おまえもどっちかっていうと堅物な奴だろう?一緒に楽しんでくればってだけだ。いい店紹介してやるぞ」
「けっこうです」
眼鏡の奥のダークブルーの瞳が呆れを含んだものに変化した。
トーケルがやれやれというように頭をかく。
「なんだよ、おまえら。好きな相手でもいるってのか?」
「いません。が、トーケル様がおっしゃる店にいるような方は好みではないです」
きっぱりと答える眼鏡の青年の隣へトーケルが眼差しを移すと、
「私的なことを話さねばならない理由がわかりませんし、余計なお世話であると感じずにはおれません」
色白の青年が歯に衣着せぬ物言いをした。
「あー……前から思ってたが、クレメッティは少し尖がりすぎだな。敵を作るからほどほどにしとけ」
生意気な部下に怒るでもない彼は、ふざけて見えるが実はなかなかできた男かもしれない。
へぇ、とトーケルのことを見直していたジゼルに彼は三人を紹介した。
眼鏡の青年がヴィゴで色白の青年がクレメッティ、そしてトーケルのことが好きな彼女はマーヤと言うようだ。
ジゼルも彼らに自己紹介をしてしばらく話をし、次に王宮職人の薀蓄を聞きながら修練室の見学を終えた頃、ペッテルがタイルを持って戻ってきた。
爽やかな気候であるのに汗だくなのは走ってきたからだろう。
今度一緒に食事でも、と積極的なペッテルに、スミトも一緒でいいなら、とジゼルが返事をしたためか、膝をついて打ちひしがれていたのがおかしかった。
ならばとトーケルが皆で食事に行くことを提案して、マーヤがコマリの侍女のドリスたちも一緒にと言い出し、あれよという間に大人数の食事会が企画されることになった。
侍女たちとどうにか仲良くなろうとしているコマリのために、自分が彼女たちの本音を聞いてみてもいいかもしれない。
それに魔法漬けになっているスミトの息抜きだってさせられる。
ジゼルは今晩早速スミトに食事会の話をしようと意気込んだ。
* * *
少し休憩しようというグンネルの提案で、ゲイリーを含む研究室の皆が頷いた。
お茶を淹れてくるという彼女にスミトも手伝いとして部屋を出ていってしまう。
ゲイリーは机上の魔法書に視線を落とした。
休憩中だが読んでおこうか。
少しでも早くこちらの世界の魔法を理解したい。
今まで自分が地球で使っていた魔法のほとんどは自然の力を利用していた。
つまり自然の「気」を利用する。
そしてこの世界では自然の「気」=精霊で、しかも精霊には明確な意思があるらしい。
要するに彼らが力を貸してくれなくては、ここでは地球の魔法のほとんどは発動しないのだ。
軟禁中、グンネルに憑いている精霊に自分の魔法が阻止されていると思っていたが、あれはただ単に、こちらの世界の精霊に無視されていただけ、ということだったようだ。
そういえばこの話をしていたとき、スミトはグンネルに憑いた精霊のことを「使役精霊」と発言して、怒りと共に痛烈な一撃を腹に食らっていた。
「モアは友達だ!」と熱くなる彼女は、どうやら友や友情が大好きらしい。
以前自分にも向けられた熱血ぶりを思い出しゲイリーは呆れたものだが、先ほど二人一緒に部屋を出て行ったところを見ると仲良くやっているのだろう。
少し前にジゼルとトーケルもいなくなっていたため、室内はゲイリーとリクハルドだけになっていた。
ゲイリーは魔法書に指をかける。
せめてリクハルドたち王宮魔法使いの三人くらいには魔法が使えないと、コマリ付き魔法使いと胸を張ってはいえないのではないか。
だが彼は読むのをやめた。
精霊の力を借りないこちらの魔法は己の魔力に頼るのみで消耗が激しい。
特訓の日々でさすがに疲れていると感じたのだ。
「ゲイリー、×××××××××」
リクハルドに何か言われて首から外していた魔法石を手に取った。
気づいた彼がもう一度繰り返してくれる。
「頼まれていた、文字の勉強本が手に入った。あとで渡す」
「ああ、早かったな。助かる」
「コマリ様もこちらの世界の文字や言葉を勉強なさっているようで、それを知ったスミトが余分に書物を用意するようテディに頼んだらしい。自分とジゼルは共用であとはゲイリーの分、と言っていたそうだ。おまえのことをよくわかってるな」
魔法協会を逃げる直前の頃は互いに関わるのを避けていたはずなのに。
無言のままゲイリーが椅子に腰を降ろすと、リクハルドも椅子を引き寄せ彼の側へ座った。
「わたしでよければ仕事のあと言葉や文字を教えるがどうだ?」
王宮魔法使いの三人にこちらの魔法を教わっているうち、ゲイリーはそれぞれがどんなタイプか見えてきた。
熱血過ぎるグンネル、気安いトーケル、真面目なリクハルド。
ゲイリーは常に程よい距離を保ってくれるリクハルドが、一番付き合いやすいと感じていた。
「リクハルドがいいなら頼みたいが」
「別にかまわない。呪文を教えてみて思ったが、ゲイリーもスミトも覚えは早いし発音がいい。耳がいいんだろう。この調子なら案外はやくこちらの言葉を話せるようになるんじゃないか?――おまえがこうまで言葉を覚えようとするのはコマリ様のためか?」
「こちらの魔法を使うには呪文がいる。魔法石のおかげで魔法書の呪文は読めても、この世界の言葉でないと発動はしないし、ならば言葉を覚えなくては話にならないだろう」
「だからそうやって魔法をものにしたいのは、コマリ様を守ることに繋がるからじゃないかと聞いているんだが」
「自分のためだ。この魔法に溢れた世界で自分がどこまで通用するか試したい。王宮魔法使いは一流どころと言われる魔法使いなのだろう?そんな相手が集う王宮にいられるのならば、コマリの専属魔法使いにもなるというものだ」
「もっともらしいことを言っているが本音は違うだろう?コマリ様が狙われているとシモン様に伺ったときは顔色を変えていたくせに」
いきなり濃緑の瞳にひたと見据えられ、そんな態度を取られることに心当たりのないゲイリーは面食らった。
「コマリ様はシモン様のお后様となられる方だ。コマリ様が信じてらっしゃる友以上の感情があるなら生涯隠し通せ」
すぐに言葉が出なかったため沈黙が流れる。
「……わたしはコマリに恋愛感情の欠片も持っていないが?」
「本当か?」
重ねて問うということは本気で案じているらしい。
「リクハルドはあんな色気も感じない子どもに欲情するか?」
「コマリ様はまだお若い。シモン様とご一緒にいらっしゃれば、これからいくらでも化けるだろう」
彼の言葉に、にや、とゲイリーは笑う。
「認めたな?」
「なにをだ?」
「コマリに色気がないと認める発言をしただろう」
「あ!っいや、そんなつもりは――コマリ様はお可愛らしいし見ているだけで微笑ましいというか……」
「わたしもリクハルドの言うような思いを感じているだけだ」
魔法協会に染まったはずの自分が、とゲイリー自身も意外だった。
コマリを魔法協会から守るほど気に入った理由はなんなのか。
あの日、泣いているコマリに声をかけたのは打算があったからだ。
うまく丸め込んで引き止めておき、スミトと交換する人質に使えるだろうと。
計算外だったのは、彼女の言葉が思いのほか自分の気持ちを揺さぶったことだ。
どうしてと自分に問いかけ思い出したことがある。
「いうなれば妹みたいなもの、か?」
「妹?」
「ああ」
いまはもういない本当の妹とコマリがどこかダブるのだ。
魔法協会に行くことを自分で選んで、それまでの全てを忘れようとしたせいか、妹のことは微かにしか覚えていない。
が、忘れ去る前に思い出せた。
(後悔しているのか?)
ゲイリーは自問する。
いや、魔法協会へは望んで行ったのだ。
そして望んでカッレラ王国に残った。
なにしろ地球にいた頃とは段違いの高レベルな魔法を学べる。
コマリを利用して王宮に残る代わりに、彼女を守っているだけだ。
人が知りたがる疑問の答えはそんな程度でいい。
リクハルドは信じなかったがこれも本音としてあるのだから。
そしてコマリを妹のように思うのも偽りではない。
行動の理由が一つとは限らないとリクハルドに言ったところで、打算とは縁遠そうな彼には、最初の理由は理解され難いだろう。
そんな気がして妹説で押し通すことにしたゲイリーだ。
「兄とは妹には優しいものだ」
もっともらしく言い切ってみたものの、彼は実のところ妹にどう接していたか覚えていない。
ただ、同い年でありながら弟のように思ってたスミトには、拳骨を食らわせることもあったので、性別の違う妹という存在には優しくあるのが兄ではないかという気がしたのだ。
「ゲイリーの口からそういう台詞を聞くと嘘っぽいな。本気で言ってるなら溺愛しそうだが」
笑いながらのリクハルドの言葉に、ゲイリーは「溺愛……」と呟いた。
血も涙もないと言われることのあった自分からすれば、溺愛とはなんとも耳慣れない言葉だ。
――だが面白い。
「それはやってみてもいいかもしれないな」
「やってみても?」
不思議そうな顔になるリクハルドをよそに、ゲイリーはわずかに目を細めた。
いつもどこか余裕を見せているシモンの嫉妬に歪む顔が見れる。
(コマリもわたしの性格が悪いと言っていたのだし、そこはいい兄でいる必要はないだろうな)
兄のような思いと聞いて安心した様子のリクハルドの向かいで、とんでもない事を思うゲイリーの表情は変わらない。
良くも悪くも感情が面に出ないのだ。
そしてこれがゲイリーという男だった。