ガーゴイルの単眼鏡
窓から差し込む日差しが少し茜色を帯びた気がする、とジゼルは椅子の背もたれに頭を乗っけて、逆さまに空を見つめた。
コマリはシモンとデートだとかで朝早くから出かけてしまった。
日本にいた頃は気持ちをひた隠しにしてあんなに悩んでいたはずが、カッレラ王国にきたときにはシモンとラブラブになっていた。
「わたしもデートに行きたい」
ジゼルがそう言ったとたん、
「ジゼル、気ぃ散るから黙っといて」
聞こえたスミトの声に室内へ顔を向ける。
魔法使い塔にいくつかある研究室の一つにジゼルはいた。
彼女の他にはスミトとゲイリー、そしてリクハルドたち王宮魔法使いの三人がいる。
魔法に素人なジゼルに彼らが説明してくれた話によると、自然の力を借りて行うことの多い地球の魔法は、どうやら精霊が力を貸してくれていたから使えていた魔法らしい。
だがこちらの精霊は地球の精霊とは違い意思がはっきりしていて、気に入った人間にしか手を貸さないため、地球の魔法を使うのは難しいことがわかった。
そのためスミトとゲイリーが王宮魔法使いに教えられることは少なく、二人はもっぱら教わる側になっている。
また、身近にいたスミトが呪文を唱えるのを見たことがなかったため、ジゼルは勘違いしていたが、魔法は完全に自分のものにするまで呪文の詠唱が必要であるらしい。
それはこちらの世界でも変わらないようで、スミトは魔法だけでなく、呪文詠唱のためにこちらの世界の言葉を夜中まで勉強をしている。
同室の彼女は遅くまで起きている彼につきあっているが、そのせいで連日寝不足だ。
そして人間、睡眠が不十分だと些細なことにカチンとくることもある。
まさにいまのジゼルのように。
「お邪魔みたいだから退散するわ。でもわたしの声で気が散るなんて、集中しきれてないからじゃないの?」
嫌味を付け加えて扉の前でスミトを振り返る。
が、彼は真剣そのものの表情で彼女が何を言ったかも聞いていないようだった。
「魔法オタク。……バカ」
部屋を出て呟いて、廊下を歩き出したところで研究室の扉が開いた。
スミトが追いかけてきてくれたのかと振り返ったジゼルは、トーケルが走り寄ってきたことでがっくりと肩を落とした。
「そんなあからさまに気落ちされると傷つくなぁ」
「わたしとスミトが恋人同士だってわかっての台詞?」
「美人に遠慮はしないことにしてる」
「そ。わたしは軽い男には近づかないことにしてる」
にこやかな笑顔を向けられたが、ジゼルはすげなく返事をしただけで、歩みを止めることはなかった。
「お、なんかマジでへこみ気味?さっきデートに行きたいって聞こえたと思ったけど、俺とどうよ?」
「けっこうよ。わたしはスミトとデートしたいの。ついてこないでくれる?」
「そういうつれない仕草もまた似合う」
トーケルが馴れ馴れしく肩に手をまわしてきたため、ジゼルは不快げに彼の手を払い除けた……はずが、手を掴まれる。
「ちょっと!」
「俺とデートしてくれるって言うまで離さないでおこう――ぅわっ!」
突然、ピンクの髪をした女が現れ、トーケルに向かって鋼鉄の棒を振り下ろした。
辛くも背後にのけぞって攻撃をかわした彼に、女は槍のごとく獲物を突き出す。
トーケルは棒を掴んで狙われた腹を防御したが、女の力を殺げなかったのか、勢いよく吹き飛んで、廊下の壁に背中からぶち当たった。
「……っ痛ぅ、なんつー馬鹿力――」
【これ以上無礼を働くならば容赦はせぬぞ】
棒の先を喉に押し付けられたトーケルが、ハハハと苦笑いしながら両手をあげた。
「言葉はわからないが雰囲気からして動くなって言ってるんだろうな――わかった。降参する。いやー、スミトからジゼルに護衛をつけてるって聞いてたけどこういうことか。まっさかあいつも精霊憑きだったとはな。こっちの世界の精霊とはちょい違うのか?奇妙な格好もそうだが、なにより触れることもできるみたいだし」
着物姿の女は「タマユラ」といってスミトの式であったはず。
「スミトにわたしを守るように言われていたの?」
トーケルを睨みつけるタマユラは警戒を解かぬまま、ジゼルの質問に頷いた。
【危険が迫ったときはお助けするようにと】
「これでわかっただろう、ジゼル。スミトは君のことが心配なんだ」
「どういうこと?」
「惚れた女を守りたいから、あんなに躍起になってこっちの魔法を覚えようとしてるんだろ。使える魔法が多ければ多いほど、守りも攻めも強固になる」
言いながらトーケルは、喉に突きつけられたままだった細身の棒をグイと横に押しやる。
タマユラは彼の腕力に驚いたようだ。
「俺も力には自信があるんだよ。もうジゼルにちょっかいかけないから安心してくれ……って通じないか」
「彼、もう何もしないって言ってるわ」
ジゼルの言葉を聞いてトーケルを見ていたタマユラの姿が、やがて霞のように薄れて消えた。
「いやぁ、可愛い見かけに騙されたな~。背中が……痛たた」
「ねぇ、スミトが魔法を学んでるのは、彼が魔法オタ……ええと、魔法が好きなのとコマリのためでしょう?」
背中をさすっていたトーケルは、うーんと考える素振りを見せた。
「それも間違っちゃいないんだろうが、やっぱり一番はジゼルのためだろうな。なにせ俺たちが第一に守るのはシモン様とコマリ様で君じゃない。あのなジゼル、自分の立場をわかってるか?次期国王と次期王妃の友人ともなれば利用するために君に近づく輩も出てくるぞ」
「利用ってどんな?」
「さぁ?単にお二人に近づくための踏み台か、それとももっと別のためか――。同じ友人という立場でも、スミトとゲイリーに迂闊に手出しする阿呆はいないだろう。彼らは魔法使いだし、地球の魔法がどういうものかわからないからだ。でも君はただの人でしかない」
自衛手段を持たない相手は狙われやすい、ということか。
わざわざ忠告してくれるなんて痛み入るが、誰も彼も疑ってかかれと言われているようだ。
「人間不信になりそうだわ」
「自分の直感とか人を見る目とか信じて、それでも迷ったときは俺たちに相談してくれればいい。神経質になるほどのことじゃあないさ」
「もっと慎重になれって言われるのかと思ったけれど……もしかしてわたしって王宮側からしても、おいしい餌扱いされているのかしら?」
自分に近づく者の動向をチェックし、敵か味方か調べるつもりではないか。
ふと気がついて尋ねてみれば、トーケルは鳶色の瞳を眇めて口の端を持ち上げた。
「スミトが魔法漬けになってることがまだ不満か?」
質問に対する返事はなく、こっちが質問されてしまった。
否定しなかったということは予想は当たっているのだろう。
(そうよね、敵からすると狙い目はわたしになるか)
コマリは当たり前だがガードが堅い。
彼女に直接手出しはできなくとも、友人を使えばと考えるかもしれない。
となれば手出ししやすいのは、腕に覚えがあるわけでも、魔法が使えるわけでもない自分になる。
(こういうのって魔法協会が使いそうな手段よね)
そして魔法協会に所属していたスミトには簡単に想像できただろう。
だからこそ彼は「もしも」を考えて必死に魔法を覚えている。
それをトーケルは教えてくれていたのだ。
ジゼルは肩を竦めて首を振った。
「わたしが何も見えてなかったのね。悪かったわ、軽い男なんて言って」
「デートはいつでも大歓迎だ。他の男を試してみる気があるならいつでもどーぞ」
「変な人ね。スミトのフォローをするくせにわたしを誘うの?」
「友情と恋愛は別物だって思ってるからな。ダチと同じ女に惚れてたからって、遠慮はしないんだよ」
「わたしのこと好きじゃないでしょ?」
「おいしい機会を逃すなんて馬鹿がすることだろ?」
ニ、とトーケルが笑んだのを呆れ顔で見たジゼルは答えないまま歩き出す。
すぐに彼もついてきて横に並んだ。
「部屋まで送ろう」
スミトとゲイリーはコマリのお抱え魔法使いということで、魔法使い塔にある王宮魔法使いのための寮に住むことになった。
なのでスミトと同室のジゼルも魔法使い塔で暮らす。
寮とはいっても部屋は色いろあるそうで、良し悪しは魔法使いとしての腕や、王宮魔法使いとなった年数などで決められるそうだ。
ただ寮暮らしが絶対ということもないようで、グンネルのように結婚を機に寮を出たり、また王都に部屋を借りる経済力を持つ者などは、入寮しない選択をすることもあるということだった。
そんな中、ジゼルたちはコマリとシモンの友人ということも手伝ってか、日当たりの良いきれいな部屋を用意され、かなりの高待遇で迎えられている。
「一人で部屋にいてもつまらないわ」
「コマリ様のドレスを作り変えるんじゃなかったのか?」
「わたしはコマリの意見を取り入れてデザイン画を描くだけ。縫製は仕立て屋がやってくれるの。にわかの素人じゃ家庭の裁縫レベルになっちゃうもの。コマリじゃないけれど魔法使い塔の中を探検でもしようかしら。ここっていろんな魔法を試したりして、それがそのまま残ってるんでしょう?」
「その分危険なのもあるけどな。入ったら一週間出られない部屋とか、外れない枷とか、襲ってくる鎧とか、呪いの鏡とか……あと魔法使いの中には変わり者もいるから下手に声をかけないほうがいい。ジゼルは美人だし、部屋に連れ込まれないとも限らないからな」
それは変人というより変態なのでは?
ストーカーのような危ない人間が王宮魔法使いになることはないだろうが、用心に越したことはない。
「トーケル、一緒に探検しない?」
ジゼルが誘うとトーケルはおかしそうに笑った。
「んじゃ、てっぺんから下に向かってくか?ここの要注意人物を教えてやるよ」
「助かるわ」
てっぺんということでまずは屋上に出たジゼルは王宮の広さを初めて実感した。
広大な敷地は端が見えない。
「王族塔と執政塔を挟んでこの魔法使い塔と対極にあるあれが神官塔。んであっちのやたら凝った外壁してるのが職人塔で、要塞みたいなのが騎士団塔だろ。あとこっちのでかいのが使用人塔で、あ、あの低い平屋は厩な。んで――」
「建物が邪魔でよく見えないのもあるし、いっぺんに覚えられないからその辺でいいわ。……あの白いのがコマリたちの住む王族塔で、その隣が執政塔よね」
「ああ、あの二つは異変があったときすぐに気づけるように、どこの塔からでも見えるようになってる。ん?」
トーケルが目を細め、近くにあったガーゴイルが手にしていた筒を取って目に当てた。
石像の手にあったときは石であったものが、彼が掴んだ瞬間単眼鏡に変わっていて、ジゼルは驚いてガーゴイルに近づいた。
石像の顔を覗き込み、恐る恐る触れてみたが石の感触しかしない。
「お、カッレラ王国屈指の貴族たちのお出ましか。シモン様のご帰還もいい加減伝わってるわな、そりゃ。これは面倒なことになるかもな」
「なに?どうしたの?」
「あそこ、執政塔に馬車がとまって人が降りてるだろ。見てみ?」
単眼鏡を渡されジゼルが片目を瞑って覗き込むと、いきなり目の前に見ず知らずの男たちが立っていて悲鳴をあげた。
単眼鏡が目からずれたせいか男たちが消え、「あら」ともう一度覗き込む。
「なんなのこれ?覗いたら目の前に人が見えるわ」
「何って単眼鏡だろ。ジゼルの世界にはないのか?」
「あるけどこんな実際に目の前にいるみたいには見えないの。3Dみたい」
「すりーでぃ?よくわからんが普通の単眼鏡に魔法がかかってて、近くにいるように見えてるんだ」
「へぇ、覗き魔が喜びそ。ん~?なんか出来る感じの渋いおじ様が建物から出てきたけど」
「出来るおじ様?あー、それたぶん国王様の側近だな」
「シモンでいうテディみたいな役割の人?言われてみれば持ってる雰囲気が似てるわね。あ、急に人が見えなくなっちゃった。壊れたのかしら」
単眼鏡を覗いたままぺしぺしと筒を叩いたが変化はない。
「覗き見防止の魔法領域に入ったせいだろ。執政塔と王族塔は王国の中枢だし、色んな魔法がかかってるんだ。てか出迎えがあったっつうことは、この貴族様ご一行の訪問は事前に国王様に知らせてあったってことか」
ジゼルは単眼鏡から目を離してトーケルに向き直った。
「さっき面倒なことになるかもって言ってたけど?」
「集まった貴族たちみんな、娘をシモン様にと売り込んできていた。ま、シモン様の愛魂のお相手が異世界にいるとわかって、「我が娘を王太子妃に」という夢は打ち砕かれたわけだけどな。だから全員、コマリ様がどんな方か気になってると思うぞ」
「じゃああの人たちはコマリを値踏みしに来たってこと?城下にデートに出ててよかったわね」
「いや~、さすがにどんなに有力な貴族でも、いますぐコマリ様に会わせろなんて、そこまで横暴な振る舞いはできないだろ。おそらくカッレラ王国にいらしたコマリ様をいつ紹介してくれるんだ、とかなんとか国王様に詰め寄ってお披露目を迫ってくるつもりだろう。国王様も貴族たちを無視は出来ないし――シモン様はコマリ様がカッレラに慣れるのが先決とお思いのようだが、もはやそうも言ってられないだろうな」
彼はジゼルの手から単眼鏡を受け取るとガーゴイルの手に触れさせた。
すると単眼鏡は見る間に石化して、何事もなかったかのように石像の手におさまる。
「コマリ様が大勢の人前に出るとなれば、なにか動きがあるかもな」
何をと聞かなくともわかる。
ジゼルは思わず両手を握り合わせた。
「皆がついているからコマリは大丈夫よね」
「その皆の中にジゼルも入ってるんだろう?そんな不安そうな顔でコマリ様の前に立つなよ。何かあるのかって気づかれる」
「ええ……うん、そうね。それに弱腰はつけいる隙を与えるだけね。わたしだってやってやるわ」
「おし、その意気だ。俺はコマリ様の身の安全を守る。だからジゼルはコマリ様の笑顔を守ってくれ」
ジゼルはふふと笑った。
「お互い自分に合った役割があるってことね。なんだかトーケルがいい男に見えてきたわ」
「惚れる?」
「そういうのがなきゃね」
「これがいいって言われたりもするけどな。スミトも俺に似たとこあるだろ?」
「スミトのは冗談。でもトーケルのは半分本気。違いはそこよ。それに彼、本当はものすごく照れ屋なの。だからわたしにあまり気持ちを見せてくれなくて、それがちょっと不満だったけど。トーケルのおかげでわたしのことを守ろうとしてくれてるんだってわかったから、もういいわ」
「精霊をジゼルにつけてるって気づかせたのはまずったなぁ。じゃなきゃ今頃、俺にときめいてたりしたかもしれないってのに」
大仰に手で顔を覆ってわざとらしい台詞を吐くトーケルは、言葉とは裏腹に本気で口説いていたわけではないのだろう。
(トーケルって面白い慰め方をするのね。本当、変な人)
でもいい人だわ、と小さく呟いてジゼルは彼を見上げた。
「魔法使い塔探検を再開しましょ。さっきは石像の持つ筒が単眼鏡になって驚いたわ」
「魔法使いの中には星を読む奴もいて、そいつらが魔法でな。建物内に飾ってる置物や絵にも魔法がかかってて実際に使えたりするけど、誰がどこに魔法をかけた道具を置いてるか俺も全部は把握できてない」
「そういう道具を探しながら建物内を見ていくのも楽しそうだわ」
「子どものいたずらみたいなもんも多いぞ」
二人して屋内に戻っていくのを一羽の小鳥が追いかける。
塔屋の扉が閉まる前にそれは建物の内へ飛び込んだ。
「心配性なこった」
階段を下るジゼルが背後を歩くトーケルを振り返る。
「何か言った、トーケル?」
「いいや、別に。あ、ジゼルさっきも言ったけどそこは踏むなよ」
「え?」
「あぁ、踏んだ」
トーケルが素早く階段の手摺りを握ったのをジゼルは見た。
同時に石階段がいきなり斜めに倒れ、彼女はバランスを崩して尻餅をつくと、そのまま階下へ滑り落ちていく。
声にならない声をあげて一階下まで勢いよく滑ったジゼルが、スライディングよろしく突き出していた足に衝撃があった。
「おわっ!」
人が廊下に転がる。
「痛ってぇ~。いきなり足が出てきた……誰だ、っぶねぇな!」




