ドラゴン
馬車で移動して着いた場所は人気のない山の中だった。
ドラゴンが向かい合った紋章が刻まれた頑丈な門扉には、これ見よがしに鎖が巻かれ簡単には壊れそうもない南京錠までかかっている。
「ずっと柵が続いてたけどここ?木が鬱蒼と茂ってて奥が見えないわ。門に掘り込まれてるこの紋章、柵にも一定の間隔であったみたいだけど」
「二頭のドラゴンは王家の紋章だ。ここより向こうは王家所有の地だと紋章で示し、民が誤って入らないよう柵で囲っている。――二人はここで待て」
シモンはテディとオロフにそう言ってコマリに手を差し出した。
「わたしがいいと言うまで絶対に手を離さないでほしい」
シモンの台詞に頷く彼女は、もう一度門の中を窺ってから、恐々といった様子でシモンの手を握る。
「守人に告ぐ。我が名はシモン・エルヴァスティ。カッレラ王国の王家に属する者である」
シモンの声に反応するように紋章のドラゴンが動いた。
ぎょっとしたようにコマリが一歩退いたため握る手を引き寄せる。
「魔法で動いているだけで本物ではない。ドラゴンは絶滅してもういないと以前言っただろう?本物は見上げるほど大きかったと伝わっている」
門扉から抜け出るように首をもたげた二匹のドラゴンが、背中の羽を広げて門の上に飛ぶと、威嚇するように牙を剥いてシモンたちを見下ろした。
彼は怯むことなく爬虫類を思わせるドラゴンの瞳を見据える。
「彼女の名はコマリ・サハラ。我が后となる女性だ。これより彼女と中に入る。門を開けよ」
バサとドラゴンが大きく羽を広げ、怯えたコマリがしがみついてきたとたん、右と左にいたドラゴンが突然炎を吐いた。
悲鳴をあげる彼女を胸に抱きしめ、シモンはオレンジに染まる視界の中で声を張り上げる。
「冗談はよすのだ、ボー!」
「シモン様に触れてるんですからお后様は黒こげになんぞなりませんよ」
しわがれた声が聞こえ炎が消えると景色が一変していた。
門扉や木々が消えて、風にそよぐ草花に昆虫が飛び交い、天からは鳥のさえずりが聞こえる。
見渡す限りの草原に太陽光を反射する湖があった。
草原はやがて森に繋がり、さらに遠くには山々がそびえている。
炎に包まれたはずのシモンとコマリはどこも焼けておらず、二人の前に土色の服を着た縮れ髪の小男が立っていた。
シモンが彼に険しい目を向けたところで、胸に抱いていたコマリが身じろぎした。
「シモン?ドラゴンが火を噴いたと思ったけど……えぇっ!?ここ、どこ?」
「門の内側だ。王家の所有地には魔法がかけてあって中が見えないようにしてある。王族以外の者が侵入しようとすれば、柵や門扉に刻まれた紋章のドラゴンが動きだし、まず侵入者を威嚇する。それでも無理に押し入ろうとすれば炎に焼かれることになるのだ」
「あ、だから絶対に手を離しちゃだめってことだったの?侵入者と思わせないため?じゃあ先にドラゴンとか火を吐かれるとか言ってよ~。そしたら心の準備ができたのに」
「ドラゴンのことは驚かせようと思って黙っていたのだ。それにわたしは王族であるし、訪問を告げればドラゴンが門を開けてくれる。同行者も手を繋ぐなどして王族の者に触れていれば、その王族と一緒に何事もなく中に入れるのが普通なのだ。なのに……ボー、さすがにいまのはわたしも驚いたぞ」
再びシモンが小男に厳しい眼差しを向けたことで、コマリも彼に気づいたらしい。
「こんにちは」
「どうも」
見た目は壮年の男だが身長は子どものそれでもちろん彼女よりも低い。
茶色の目だけを上に向けての無愛想な返事に、シモンが態度を改めるよう言いかけたが、コマリが口を開くほうが早かった。
「さっきのドラゴンはあなたの魔法?すっごく怖かったけど、まるで本物のドラゴンに会えたみたいだったわ。もう一度ドラゴンを見せてくれない?」
「今度は炎ではなく噛付かれるかもしれませんよ」
「え?でも王族のシモンと手を繋いでればドラゴンの攻撃は無効なんでしょ?」
「怪我は負いませんが痛みは伝わる、と言ったらどうします?」
「それは嘘でしょう?だってさっきドラゴンに火を噴かれたけど熱くなかったし。だからいまもシモンとしっかり手を握っておくわ」
握り合った手をボーに見せて笑顔になったコマリが、それに、と言葉を続ける。
「魔法で動くドラゴンの攻撃って魔法攻撃になるでしょう?もし痛みが伝わるのが本当だったとしても、きっと魔法石の防御魔法で守られるから大丈夫」
ボーが彼女の左手首にある腕輪を見た。
「そんなちんけな魔法は無意味ですがね。せいぜい数分守ってくれる程度でしょう」
「王宮魔法使いの魔法がちんけ?もしかしてあなたは大魔法使いとかそういう人?えぇ!じゃあすっごく偉い人なんじゃ。どうしてそんな人が王宮じゃなくてここに……あ、すごい魔法使いだから王家の所有地の警護を任されてるのか」
なにやら一人ブツブツと言い始めたコマリにの言葉を聞いて、ボーが目を瞬きシモンを見上げた。
「本気でおっしゃっているので?」
「コマリはカッレラに来たばかりでこちらの世界のことはほとんどわかっていない。数日前から勉強はしているがな」
彼の言葉にボーは先ほどとは違い、今度はまじまじとコマリを見つめた。
視線に気づいた彼女が「ドラゴンはやっぱりだめ?」と半ば諦めたように言うと、かりかりと指で頭をかきつつ考えるような素振りになった。
「とんだ我儘娘であるとの噂を聞いたのに、最近、優しい方らしいと伝わってきて、どういうことかと思ってたんですがね」
「まさかドラゴンの威嚇や炎はコマリの反応を見るためであったのか?」
聞き捨てならないとシモンが鋭く問う。
そこへいきなり、コマリの絶望的な声があがった。
「わたしの悪い噂って王宮内に広まってるだけじゃないの?ここまで伝わってるってことは、もしかして既に王国中に広まってて、国レベルで嫌われ者になったりとか?そんなのやだぁ~」
「噂話など面白おかしく話すだけで真に受ける者などそうそういない。コマリらしくあればすぐに誤解など解けるぞ。それにほら、ボーには既にコマリが優しいと伝わっているだろう?ボー、そうだな?」
フォローを試みるシモンにコマリはショックを受けた顔をしつつもなんとか頷く。
(リクハルドの頭をもっと殴っておけば良かった)
シモンが思うそこへ表情も変えずにボーが口を開いた。
「王宮のしゅ…――森喰いたちがお后様は良い方だと言っているらしいですよ。それがわたしの耳に届きましてね。噂好きな人間の話より、こういった話のほうがわたしたちの間じゃ伝わるのは早いんです」
「え?あの子たちってしゃべれるの?わたしとはお話してくれなかったのに~」
コマリが森喰いのことを「あの子たち」と言うのを聞いて、ボーはまたしてもじっくりと彼女を見つめる。
コマリの人となりを観察し、噂の真偽を己の目で確かめているのだろう。
(コマリほどの女性はそうそういない。荒を探そうとしたところで、非の打ち所がないはずだ)
自慢げなシモンに気づいたはずのボーは、けれどあっさり彼をスルーすると事務的に言った。
「人間と話はできません」
「え、でもわたしのことを話してるようなこと言わなかった?」
「正確に言えばあいつらは仲間同士で謳うんです。もちろん人間の言葉じゃありませんがね。それを聞いた者が別の者へ伝えて、その者がまた他へ、というように王国中へ広がっています」
「ふーん、妖精の歌がわかる人がいるのね。ボーはわかる?」
「もちろんです」
「そっか、ボーくらいの大魔法使いならわかるんだ。わたしも聞いてみたいなぁ、あの子達の歌。ね、シモンも聞いてみたくない?」
さっきまで落ち込んでいたはずが、すぐに立ち直って笑いかけてきたのは、ボーが森喰いの流す良い噂が広まっていると言ったためだろう。
(少々誤解はあるようだがコマリが元気になるならいまは良しとするか)
そうだなと頷いたシモンはボーに向き直った。
「ボー、コマリにもこの地に入る許可を。それともまだコマリを試したいか?」
彼は無言でシモンを見上げ、しばらくあって頷いた。
「お后様、シモン様とつないでいないほうの手を出してもらえますか」
「手?はい、これでいい?……ねぇボー。さっきからわたしのことお后様って呼んでくれてるけど、まだお后じゃないしコマリでいいわ」
「さようで。ああ、掌を上に向けてください。では少しチクリとしますよ、コマリ様」
ボーはポケットから古びた巻物と羽ペンを取り出すと、差し出されたコマリの左手の指先に、羽ペンの先を触れさせた。
「痛っ……羽ペンの先が針になってるの?あれ?血が出てない」
「普通の羽ペンです」
ボーは巻物を広げ羽ペンを揺らして文字を書き込んでいく。
インクもつけていないのに赤い文字が記され、それは書いた端から消えてしまった。
「マジックアイテムだったのね。赤い字ってもしかして血文字とか?消えていくのが早くてなんて書いたのかわからなかったけど」
「コマリ様の血でお名前を書き込んだんです。巻物に本人の血で名前を記せば、この地への出入は自由となるんですよ。ここに名前がなければ例え王族の方といえども一人では入れません。ああ、二人とももう手を離してもらって大丈夫です」
「ん?てことは巻物に名前を書くまで、シモンの手を離しちゃだめだったってことなの?てっきり門の内側へ入るときだけ繋いでなきゃいけないのかと思ってたわ。じゃあもしわたしが、うっかりシモンの手を離してたらどうなってたの?」
「門の前にいたときと同じで、ドラゴンが現れて今度は威嚇なく一気に黒焦げです。王族を脅してこの地に侵入しようとする輩も過去にはいましたから、こういった用心は怠れません」
巻物と羽ペンをポケットにしまいながらボーが答えるのを聞いて、コマリはすっかり感心しきった様子になった。
「ボーがここの守人を任されてるのって、大魔法使いだからってだけじゃなくて、きっととても頼りになるからね」
彼女のきらきらとしたまっすぐな瞳に、それまで表情を崩さなかったはずのボーが、居心地悪そうな様子になった。
「コマリ様、わたしは大魔法使いってのじゃ――……どうかしましたか?」
シモンはコマリがボーのはるか後ろを見て息を呑んだのがわかった。
ボーが眉を寄せて背後を振り返り、不思議そうな様子になる。
「一角獣がどうかしたんですか?」
その瞬間、コマリが感動したように声をあげた。
「やっぱり頭の角は見間違いじゃないのね。カッレラにはユニコーンがいるの!?」
「ゆにこん?とはわかりませんが、一角獣ならば世界中にいますが」
「そう珍しい動物ってわけじゃないの?わたしの世界じゃ想像上の生き物だったんだけど。えーっと、じゃあこっちの世界じゃ、フェニックスとかペガサスとか麒麟とか八岐大蛇とか普通にいるの?」
ボーが困惑したように閉口してしまったためシモンが助け舟を出した。
「今コマリが言った言葉はすべて通訳されずにそのまま聞こえてきた。一角獣を「ゆにこぉん」と言ったように言い方が違うのかもしれないし、この世界にいないのかもしれない。ただこの場所は限られた人間しか入ってこないせいか、他の地よりも動物や妖精などが多い。コマリの会いたい生き物に会えるかもしれないぞ」
「探したらいるかもしれないってこと?なんだか宝探しをするみたいでわくわくするね。あ、もしかしてシモンがわたしをここに連れてきてくれたのって、不思議に出会わせてくれるため?」
「こちらの世界では当たり前のことでも、コマリの目には珍しく映るようだし、森喰いと仲良くなったコマリなら喜んでくれるかと思ったのだ」
「ありがとう。それから森喰いじゃなくて森の守護者ね。あの子たちが聞いたらまた小石をぶつけてくるわよ」
くすくすと笑うコマリは湖の水を飲む一角獣の群れに視線を戻すと、よく見ようとするかのように二、三歩草を踏んで歩みを進めた。
好奇心たっぷりなその様子から彼女がなにを言い出すかわかる気がする。
「ユニ……一角獣を見に行っちゃだめ?」
「やはりそうきたか。コマリならば大丈夫だが――」
「え!?」
とたんにボーが仰天したような声を上げ、慌てて咳払いすると「いえなんでも」と誤魔化した。
(一角獣は生娘にしか懐かないからな)
后として連れ帰ったコマリとは既に関係をもっていると誤解していたらしい。
シモンはボーには触れずに話を続ける。
「一角獣はわたしの金山にもいたはずだからそちらで見ればいい」
「シモンの金山ってここにあるの?あ、王家の所有地だっけ」
「所有地といっても王族は生まれたときにここの土地を少し分け与えられるだけで、実際は土地のほとんどが王国のものだ。ここはさまざまな鉱物が豊富にとれる地で、カッレラ王国の硬貨はここで取れる金・銀・銅を用いて作っている。強固な魔法で守っているのはそのためで、王族といえども自分の土地以外では好きにできないのだ。わたしの与えられた地ならばコマリも自由に動いてかまわないし、どんな鉱物を持ち帰ってもかまわないぞ。まぁ、金魚がよく育つ金山となっているから、銀や銅、宝石といった他の鉱物は少ないのだが」
シモンの台詞にコマリが理解しがたいというような顔になった。
「金魚って魚でしょ?金魚が育って金山になるって意味がわからないわ」
「王族に与えられる地は与えられた者が亡くなったり、王女ならば嫁いだりすれば、当たり前だが王国に返すことになる。そして新たな王族が生まれれば、その返された地が与えられるのだ。わたしが与えられたのは何代か前の王の地だった。王が所有者であったときは特に銀魚が育つ銀山であったらしい。つまり所有する王族が変われば、同じ地であっても取れる鉱物が変わるということだ。ここはそういう不思議な地なのだ」
「えとだから、金魚が育って金山とか銀魚が育って銀山とかそっからわかんないの」
同じ質問を繰り返されてシモンの方が首を傾げた。
こっちこそ質問の意味がわからない。
「コマリの世界にも金や銀はあったと思うが?それに金魚が魚であると知っていたではないか」
「わたしの世界で金魚っていうのは観賞用のお魚さん。金や銀は地中なんかを採掘して見つけるの」
シモンとボーは顔を見合わせた。
一ヶ月いたせいで随分コマリの世界に詳しくなった気でいたが、それは思い違いであったらしい。
「金や銀を掘り出すんですか?コマリ様の世界では鉱物は地中を動くんですね。それは骨が折れるでしょう」
「あてどもなく探すのであれば確かにな。あちらの金などはモグラのような姿であるのか?」
「なわけないでしょ。わたしがいた世界では金や銀は埋まってるだけで動きません」
「では脱皮もしない?」
シモンは疑問を口にした。
「脱皮?……もしかしてこっちの金魚は脱皮するの!?」
目を丸くするコマリの台詞にシモンも驚いていたが、彼女のびっくりする様がおかしくなって笑っていた。
「ここであれこれ言っているより見てもらったほうが早いな。おあつらえ向きに丁度いまは金魚の脱皮時期だ。ボー、移動を頼む」
「わかりました」
シモンはコマリを抱き寄せボーの肩に手を置く。
パチリとボーが指を鳴らすと、彼らの姿は一瞬で消えうせた。
* * *
王太子と未来のお后がデートを楽しんでいる頃。
王宮には幾つもの馬車が到着していた。
その一台一台からフロックコートに身を包んだ紳士が降り立つ。
たっぷりと髭を蓄える者や腹を揺らすほど恰幅のよい者、人よりも派手な服に満足げな顔をする者など、雰囲気からして一目で貴族だとわかる。
彼らは顔を見合わせて建物に歩みを進めた。
衛兵は貴族たちの来訪の連絡を受けていたのか、姿勢よく持ち場に立つだけで動くことはない。
待ち構えていたかのように建物から男が一人出てきて貴族たちの前に立った。
白髪が混じりの頭をしているが、内から滲み出る渋さと相まって、老いた印象は受けない。
「皆様、本日はまた急なお越しですがどのようなご用件でございましょう?」
「それはわたしたちが直接国王様にお話申し上げる。案内願おうか」
髪と同じ色の髭をもつ紳士の強固な姿勢に、出迎えた男は立場をわきまえたようにそれ以上何も言わなかった。
男の案内しにしたがって貴族たちがぞろぞろと建物に入っていく。
カッレラ王国でも指折りの貴族たちの、突然の来訪だった。




