意外な発見
「いま、小鞠を后にするって聞こえたが――気のせいか?」
「大事な話をしていて冗談や嘘など言うはずがない。コマリはカッレラ王国の次期国王となるわたし、シモン・エルヴァスティの正妃とする」
「……いや、国王とかいうのは日本のアニメの話……――じゃなかったのか?カッレラ王国?どこだそれは!?」
「カッレラ王国はこの世界ではなく異世界にある」
「「異世界?」」
菊雄だけでなく小鞠の隣に座る冠奈までがそう言って絶句してしまった。
ああぁ、この光景5日前にも見た気がする。
「確かシモンさんたちに初めて会ったとき、テディ君とオロフ君がシモンさんと小鞠ちゃんは結婚する運命って言ってたわ。あの時はおとぎ話みたいねって思ったけど、本当に二人はそうなる運命の二人だったってことなの?」
「コマリがわたしの運命の相手というのならそうだ。魂の片割れ――己の半身を探す能力が王族にはある」
言いながらシモンは胸に手をあて、青い水面のような光を取り出し菊雄と冠奈に見せる。
そのせいで二人は更に驚愕の表情になってしまった。
「この光は愛魂といって魂の対となる相手に向かう。コマリの愛魂と呼び合うためだ。カッレラ王国の王族は代々この能力で自分の伴侶を探す。わたしの場合は異世界にいた。それがコマリだ」
手を振って愛魂を消したシモンは真面目な顔で菊雄を見つめた。
「コマリをカッレラに連れて行けばもうこちらの世界へ帰すことはない。それを二人に伝えねばと思っていた」
「帰さない?小鞠に会えなくなるということか?」
「そうだ」
ガタと椅子を鳴らして立ち上がった菊雄が、小鞠も見たことがないほどの形相でシモンを睨みつけた。
「おまえはこの世界に来れているじゃないか。どうして小鞠は無理なんだ。そもそも異世界だなんて本当の話か?小鞠を丸め込んで、どこか外国へつれて行って囲うつもりなんじゃないだろうな!?」
「菊雄さん!」
冠奈がとめようと声をあげたが菊雄はやめなかった。
「口調や仕草もそうだが、付き人まで連れていたくらいだ。どこかの国の金持ちの坊ちゃんかなにかだろう。ホラ話で俺たちを騙してコマリの帰る場所を奪うつもりか!?」
「マスター」
シモンに更に詰め寄る菊雄に小鞠は首を振った。
泣きそうになっている彼女を見て菊雄はやっと口を噤む。
「愛魂を見せたぐらいでは信じてもらえないか――では」
言いながらシモンが首飾りを外してカウンターに置くと、菊雄や冠奈と距離を開けるように店内を移動した。
「キクオ、カンナ、わたしの言葉がわかるだろうか。コマリはわかるな?」
小鞠には携帯につけた魔法石のおかげでシモンの言葉はわかるが、二人には何を言っているのかわからないようだ。
彼女が「わかる」と頷くのを見て二人は顔を見合わせている。
「小鞠ちゃん、シモンさんはいったい何をしているの?それに言葉が……」
「どこの言葉だ」
「シモンの国の――カッレラ王国の言葉。わたしは通訳機能のついた魔法の石をシモンにもらったの。カウンターに置いた首飾りの石と同じ物よ。これがあるからシモンの言葉がわかるし、シモンもいまはわたしの言葉だけカッレラの言葉に聞こえてる。石の持ち主が近くにいると魔法が働いて、シモンの言葉が二人に日本語に聞こえるから外して離れてるの」
小鞠が携帯を取り出して二人に魔法石を見せると、彼らはカウンターにあるシモンの首飾りと見比べた。
「なんだこの石は」
「石の中に光が流れるのね。流れ星みたいできれいだわ」
「コマリ、通訳を――何か質問をしてくれれば答えよう」
「質問?ってなんでそんなこと」
思わず小鞠が質問をしてしまったとたんシモンは小さく笑った。
「コマリと打ち合わせをして、異世界という作り話をしていないことをわかってもらえるだろう?」
そういうことか、と小鞠が二人にシモンの言葉を伝えると、首飾りを手にしたまま菊雄が口を開いた。
「さっきの質問に答えてもらっていない」
一瞬、黙り込んでしまった小鞠だがシモンに菊雄の言葉をそのまま伝えた。
「コマリと会えなくなるのは申し訳なく思う。だが異なる世界を行き来するのは我が国の魔法使いや神官にかなりの負担をかけてしま――っ!」
そのとき菊雄が突然シモンに向かって何かを投げた。
それは違わずシモンの顔に飛んでいき、不意打ちを食らったはずの彼は素早くキャッチする。
「キクオ、いきなり何をする」
「あら、シモンさんの言葉が日本語に――」
冠奈の呟きにシモンは手にしたそれに目を向け、次いで苦笑を浮かべた。
「疑り深い。本当に魔法石で言葉が通じているのか試したのか。それで?二人はまだわたしの言うことが信じられないか?これ以上のことで証明しろと言われたら、後はカッレラに連絡を取るくらいしかできない」
言いながらシモンは話の途中で手にした首飾りを菊雄に投げ返す。
小鞠には全部日本語で聞こえてきたが、彼らはシモンの言葉がいきなりわからなくなったらしく、菊雄が受け取った首飾りをまじまじと見つめた。
「不思議な石ねぇ。宝石って言っていいくらい綺麗だわ。こういう石が普通にある世界なのかしら?だとしたらきっと夢みたいに美しい世界ね、菊雄さん」
「問題はそこじゃないだろう。異世界だなんて――まさか本当に?」
「菊雄さんたらまだ信じないの?シモンさんたちのこと、どこか普通と違うって言ってたでしょう?」
「あれはシモンが本当に貧乏人なのかという意味でだな……どう見ても裕福な家庭で育った坊ちゃんという感じだっただろう。テディとオロフのような付き人がいて、しかも「シモン様」なんて呼ばれているんだぞ?」
「良家のご子息様を通り越して異世界の王子様だったわね。しかも運命の相手である小鞠ちゃんを求めて異世界へ来ちゃうくらいの愛に生きる王子様よ。小鞠ちゃんのこと本気だって本当は菊雄さんもわかってるんでしょう?小鞠ちゃんもシモンさんを受け入れてる。だからそろそろ二人のことを認めてもいいんじゃないかしら?「お父さん」」
冠奈に「お父さん」と言われて菊雄は、ぐ、と言葉に詰まり、小鞠に目を向けてきた。
「シモンのこと、本気なのか?」
こく、と小鞠が頷くと、彼は重ねて質問をしてくる。
「一緒に行くことを決めたんだな?」
「すごく迷ったの。だから最初は行かないって選択をしたけど……シモンと離れる方が嫌だってわかったから。いまはシモンがいるなら大丈夫って思う」
「本当か?好きだなんだ言ってるいまはいいが、落ち着いたら後悔するかもしれないぞ?傷ついて悩んでもそれを隠し続けなければいけないかもしれない。そのとき帰りたいと思っても許されないんじゃないのか?シモンの側にいるというのは、そういう立場になるということだろう?」
自分のことを妃にするとシモンは言った。
菊雄の言うようなことを小鞠だって考えなかったわけじゃない。
(でも、それでも――)
シモンに会えなくなることのほうが痛い。
「シモンがね、我慢しないで気持ちを見せてって言ってくれたの。他の誰にも言えなくても、シモンが全部受け止めてくれるならそれでいい。二人で分かち合えるんならしんどいことも半分。嬉しいことや楽しいことは2倍……ううん、それ以上って思うから、わたしはシモンがいい。シモンじゃなきゃいや」
小鞠を見つめていた菊雄がシモンへ眼差しを向け、再び彼女に視線を戻した。
「一見無害な優男だがあんな腹黒男のどこがいいんだ」
ふんと鼻を鳴らして洩らす菊雄の言葉に、今度は小鞠がシモンを見た。
菊雄の言葉はわからないのだろうが、いま自分が言った言葉はちゃんとわかったようだ。
顔を輝かせて目が合うと更に破顔する。
見えない尻尾がブンブン揺れていると小鞠は思って、ぷ、と噴出していた。
「大体があんな調子なのに?」
「おまえの前じゃ頭のネジが一本飛んだ間抜け男だ」
その台詞に余計におかしくなって笑ってしまった。
シモンが腹黒ってきっとマスター以外言わないと思う。
というかテディが聞いたら目を吊り上げて怒りそうな暴言吐いてるなぁ。
二人の会話を聞いていた冠奈までふふと笑い出したためシモンが首を傾げる。
「?コマリ、キクオはいったい何と言ったのだ?」
「内緒。親子三人の秘密です~」
小鞠が「親子三人」と言ったことで、菊雄と冠奈が目を見交わし、それから嬉しそうに笑い合った。
「シモンさん、こっちにいらっしゃい」
来い来いと冠奈が手招いたことでシモンがやっと近づいて小鞠の隣に並んだ。
「シモンさんがギリギリまで頑張ったから小鞠ちゃんも気持ちを動かされたのね。よく頑張りました。約束どおりわたしも菊雄さんもあなたたちの味方よ」
微笑みながらシモンの頭を撫でる冠奈に、彼は少し驚いたような顔になって菊雄を見た。
そして目が合ったらしい仏頂面に苦笑を浮かべつつ頷く。
「ありがとう。これからは二人の代わりにわたしがコマリを守ると誓う」
「小鞠を不幸にだけはしてくれるな。どんなことがあってもおまえだけはこいつの味方でいてくれ」
「当たり前だ」
「そこは「わかりました」だろうが。目上の者を敬うってのを知らんのか。ったく――」
べしりとシモンの額を押しやった菊雄は首飾りを押し付け、カウンター席に腰を下ろしてコーヒーを飲む。
額をさすっているシモンに冠奈が人差し指を立てて、め、とばかりに軽く彼を睨んだ。
「シモンさん、威厳と驕りは紙一重になりうるから怖いのよ。わかったわね」
「そうかもしれない――義父と義母の言葉だ。肝に銘じる」
「イケメンのお義母さんになっちゃったわ、菊雄さん」
すぐに笑顔になった冠奈が菊雄の隣に座ったのを見ていたシモンが小鞠に向き直った。
「似ているな」
「え?」
「コマリの怒り方はキクオとそっくりだ。以前、頭を叩かれたのを思い出した。それに諭し方はカンナと同じだ。最もコマリのほうが男っぽく勇ましいことが多いがな。親子というだけはある」
菊雄と冠奈が本当の親じゃないことはシモンだって知っているはずだった。
それでもこんなふうに言ってくれるのか。
「うん――自慢のお父さんとお母さんだもん」
目頭が熱くなってくるのを感じながら小鞠はシモンの手を引っ張った。
並んでカウンターの前に座って、香り高いコーヒーに手を伸ばす。
いつもはほろ苦いとしか感じないはずが今日は優しい味だと思った。
「おいしい」
呟きに答える声はなかったけれど、周りの三人がそれぞれに微笑んだ気がした。
「いつここを発つんだ?」
カップをソーサーに戻した菊雄の声に小鞠は胸がドキとした。
うつむく彼女の隣でシモンが静かに答える。
「明日の正午に」
「――そうか」
「お見送りはできるの?」
冠奈の問いかけにシモンがどうしたいか尋ねるように、こちらに視線を向けてくるのがわかった。
小鞠はカバンから鍵を取り出してカウンターに置く。
「その前にこれ、うちのマンションの鍵を二人に渡しておくね。シモンが異世界からベッドとか家具とか持ってきちゃって、使いたいならどうぞって言ってるから二人の好きにしてね。いらないなら処分してもらって――それで、えっと、他にも電化製品とかいろいろ処分してもらいたいんだけど、あ、そっちも必要なものがあればマスターたちが使ってくれていいし……ともかく、あの、任せちゃっていいかな?」
一瞬の沈黙と。
「小鞠、いまちょっと聞き捨てならないことを聞いたように思うんだが――おまえ、もしかしてずっとシモンと暮らしてたのか?」
低くなった菊雄の声音に、小鞠は「あ」と洩らしていた。
しまったぁ。つい口を滑らせちゃった。
「あ、じゃない!おまえ、嫁入り前の娘が男と同棲なんて何事だっ!!」
雷を落とされて慄いた小鞠はうろたえて言葉を探す。
「いや、キクオ。テディやオロフもいたし同棲ではなく同居というのだと思うが?それにわたしとコマリはまだしていな――っぅ」
この馬鹿シモンっ!
火に油を注いでどうするの。
平手打ちのようにシモンの口を塞いで小鞠はアハハと取り繕うような笑顔を浮かべた。
「パ、パスポートも持ってないし部屋を借りられなくてね?だから仕方なくなの。皆、紳士だったし、あの、だから大丈夫って言うのもいけないんだろうけど、でも本当に同居してただけでね?それに三人ともこっちの世界のことはなにもわからなくて、放っておけなかったっていうか……そ、そういう事情、です」
菊雄に怖い顔で睨まれて最後は尻すぼみになってしまった小鞠だ。
嫁入り前の娘、なんてまさか自分が言われるなんて思ってもみなかった。
「キクオ、コマリは本当に心優しい女性だ。わたしたちのために衣食住すべての面倒を見てくれた。大学でも面倒見が良いと評判で――」
「当然だ。小鞠がどれほど優しいかなんて言われなくともわかっている。だからおまえにはもったいない。小鞠の願いじゃなきゃ絶対おまえの元になんか行かせない。何が紳士だ。いいかシモン!小鞠に手を出すことはこの俺が断じて許さんっ!婚前交渉禁止だっ!!」
「えっ!?」とシモンが絶句する。
(なんでそこで驚愕してんだっ、シモン!このエロ王子がぁ)
一人苦笑いになった冠奈が「菊雄さん」と彼をたしなめる。
「はいはい、落ち着いて。そういうことは自然に任せるものでしょ?もう、小鞠ちゃんったら、もっとうまく隠さなきゃダメじゃないの」
「え、冠奈さん?もしかして?」
「お洗濯した服の香りが同じとか御飯のメニューが同じとか、他にもね。なんとなくそうかしら、って思っていたの」
そう言って笑う冠奈に菊雄は額を押さえて「早く言え」と溜め息をもらした。
「だって言ったらいまみたいに怒るのは目に見えていたもの。過保護すぎるとウザイ親父になっちゃうのよ?」
「ウザ……いやでもな?」
言い訳を試みる菊雄に笑顔で頷く冠奈を見つめ、小鞠は「冠奈さんって最強?」と呟いてしまった。
「そのようだ」
彼女の独り言が聞こえたらしくシモンが笑いを噛み殺したような声で返事をくれる。
しんみりとした雰囲気がいい感じに消えていた。
「明日、マンションからカッレラに行くの。だから二人とも見送りに来てね」
「わかった」
「もちろんよ」
見慣れたはずの二人の笑い顔が浮んだ涙に曇って滲む。
目尻を拭って鼻をすすり小鞠は菊雄と冠奈に向かって笑った。
明日も笑って旅立とう。
別れの言葉ではなく「いってきます」と言えばまた会える気がする。
店を出て、小鞠はシモンにそう告げようとしてやめた。
この世界へ、二人のいる日本へ帰りたくなるかもしれないと、言っているようだと思ったからだ。
きっとホームシックになるだろう。
寂しいとシモンを困らせてしまうだろう。
けれど帰りたいと泣いて、シモンを悲しませることだけはしないでおこうと思うのだ。
「これで全部かな?」
歩く道すがら夜空を見上げた小鞠はシモンへ言った。
この数日でこちらの生活をできうる限り清算したつもりだ。
「全部?」
「うん。ライフラインに、携帯、銀行、就職先、大学……」
指折り数えて、んー、と眉を寄せる。
「お父さんとお母さんのお墓に行ったし、マスターと冠奈さんに全部話したし、日野君たちに明日のこと連絡したし。携帯解約したから簡単に皆と連絡取れないのがちょっと不便だね。明日の午前中に解約に行けばよかったかな。あとは――」
いきなりシモンが肩を抱き寄せたため小鞠は驚いて彼を見上げた。
「どうしたの?」
「なんだろうか。自分でも良くわからない。ただコマリには本当にたくさんのものを諦めさせてしまうのだと――なのにわたしと共に生きる道を選んでくれたことが嬉しくて……ああ、わたしは本当に自分勝手だな。申し訳ないと思うのに、こうして小鞠を抱きしめられるのが嬉しくて仕方がない」
「嬉しいと抱きついてくるのってシモンの癖?予測できないぶんかなり吃驚するんだから」
背中に回された両腕とシモンの噛みしめるような声に、小鞠は小さく笑って同じように彼を抱きしめ返した。
「そうよ。シモンと生きるって選んだの。自分で決めた。諦めたんじゃなくて選び取ったの。だからシモンが気に病むことなんて全然ない。ね、もうそんなこと気にしないで」
コツ、と額をあわせて彼の青い目を覗き込むと、やがて迷うような瞳が晴れて笑顔に変わった。
「はい、コマリ」
「ときどき敬語になるシモンってちょっと可愛い」
「コマリには逆らえないのだ。可愛いとは以前カンナにも言われたが、やはりあまり嬉しくない」
ふふ、と笑った彼女はシモンの頭の後ろに見える月に気がついて眼差しを向けた。
「見て、シモン。ちょっと欠けちゃったけど綺麗な月。月の光を受けてシモンの髪が蜂蜜色になってる」
振り返ったシモンは月を見上げてから、自分の髪を一房摘んだ。
「瞳をサファイアだとか青空だとか、髪を蜂蜜だとか。コマリはいつもわたしを美しい色に例える。それが少しこそばゆい」
「シモンって王子様だし周りからは賞賛の嵐かと思った。まさか照れてる?」
軽く引っ張っていた髪をかきあげた彼は、月からコマリに視線を戻して困ったように微笑んだ。
「そんなに自意識過剰な男に見えていたのか?」
あ、本当に照れてるみたいです。
小鞠にとってこれは意外な発見だった。
もっと言われ慣れていると思っていたけれど。
(今度からシモンの色を探そうかな)
返事はしないまま彼の手を握って再び歩き出す。
「明日、少し早めにマンションに行ってね。マスターと冠奈さんに渡せなかったから、マンションに置いておこうと思うの。直接渡しても受け取ってくれない気がして」
何をとは問わず頷くシモンの掌に力がこもった。
彼の影が落ちて軽く唇が触れる。
いままでの彼女なら「なにするの」と怒っていたところだけれど。
小鞠はシモンに近づき肩に頭を寄せた。
甘えたことに驚いたのか、彼が自分を見下ろすのがわかったが気づかないふりをする。
こちらで過ごす最後の夜を覚えておこうと、彼女は優しく地表を照らす月を再び見上げた。