風花
びゅうと風が鳴って通り過ぎ小鞠の持つライターの火を消した。
霊園には風を遮るものは何もない。
強風に嬲られた髪が頭に散って視界が悪くなった。
「寒~」と首を竦めていた小鞠は、急に風が和らいだため背後を振り返った。
「ありがとう。でもシモンが寒いでしょ?」
シモンが風除けになってくれたおかげで随分違う。
彼は両手の塞がる小鞠の代わりに彼女の髪を整えながら首を振った。
「このくらいなら大丈夫だ。コマリよりは寒さに強いのだろうな」
「わたし暑いのも寒いのもどっちもだめ」
言いながらもう一度ライターに火をつけたが、やはりすぐに風で消えてしまう。
「コマリ、香をもう少しこちらに。わたしが手で風を遮るから」
「あ、そっか」
二人で協力してなんとか線香に火を灯し花と共に墓前に供えた。
少し離れて両親の眠る墓石を見つめ、小鞠は両手を合わせると瞼を閉じる。
(お父さん、お母さん……)
胸中で二人に呼びかけるがそれ以上言葉が続かなかった。
亡くなった母を父を同じ墓に入れたけれど、二年間の蒸発のことで、喧嘩をしていないだろうか。
それとも仲良くやっているのだろうか。
夏の終わりに母が亡くなって、それ以来ここには来ていなかった。
というより来れなかったのかもしれない。
両親にかける言葉が見つからないまま諦めて目を開けた彼女は、隣で自分の真似をして墓前に手を合わせているシモンに気づいた。
髪と同じ色をした長い睫を伏せて微動だにしない。
(長……カッレラ式のお参りのしかたとかあるのかな?お経?みたいなのをひとしきり心の中で唱えるとか?)
そういえばカッレラに宗教はあるのだろうか。
そんなことを思う小鞠は鼻がむずむずとして、「ヘクチっ!」とくしゃみをもらしてしまった。
とたんにシモンが目を開ける。
「ああコマリ、寒かったな。すまない、コマリの父君と母君に挨拶をと思っていたら、やたらと長くなってしまった」
「ううん、大丈夫。それより挨拶って?」
「自己紹介とコマリをどれほど愛しているかを話していたのだ」
「は?愛ってまたそんなこと――」
そう言った言葉尻に被せてシモンにいきなり強く肩を引き寄せられた。
「コマリをカッレラ王国へ連れて行きわたしの后とします。必ず幸せにすると約束します。ですからこの世界へは二度と帰しません」
「シモン?」
「二人にこう言おうとしたところでコマリにくしゃみをされたのだ。だが丁度良かった。大事なことはコマリにも聞いてもらったほうが良い。それとも――父君と母君に言っては駄目だったか?」
墓石からこちらへ顔を向けた彼の真摯な双眸に驚き、見つめ合ううち小鞠は気がついた。
(わたし、シモンに何も言ってない)
シモンに気持ちが通じたことに浮かれていたけれど、彼が察してくれただけで言葉で伝えたわけじゃない。
それに、無理やりにでもカッレラ王国へ連れて行くと言われて、いいとも嫌だとも言わなかった。
すべてを彼のせいにできると、カッレラ王国に行く決意がまだできていないことに対する逃げ道を、残しておきたかったのかもしれない。
(こんなんじゃ、駄目だ。わたし――)
コマリはシモンの目をしっかりと見つめ返した。
「聞けてよかった、シモンの気持ち。いつもシモンはちゃんと気持ちを伝えてくれる。だからわたしも同じことをしたい。ちゃんと今思ってることをシモンに伝えておきたい」
「ああ、わたしもコマリの気持ちを知りたい」
彼の方に体の向きを変えると同じようにこちらに向き直ってくれた。
緊張に萎えそうになる気持ちを奮い立たせる。
「シ、シモン」
「はい」
耳に届く優しい声に勇気付けられ、小鞠は思い切って言葉を発した。
「シモンが好き。すごく好き、大好きっ!だから離れたくないの。でもまだカッレラに行きたいって積極的に思えなく――」
言い終わる前にシモンに抱きしめられていた。
「どうしたらよいのだろう。嬉しすぎて跳ね回りたい気分だ」
「跳ね回……?」
思わず真っ白な雪の中をばっふばっふ走り回る大型犬を想像してしまった。
ち、違うってば、シモンは人間だから。
「初めてコマリから好きだと……夢ではないな?本当に、本気でわたしが好きだと言ってくれたのだな?」
頬を挟まれ仰のかされる。
嬉しそうに笑っているシモンに見つめられるだけで小鞠の頬が熱くなっていく。
「ででで、でもあのね。わたし、自分で思う以上にダメダメみたいでね。シモンと一緒にいたいけど、カッレラに行くのはまだ躊躇ってるところで……あの、あのっ、だけどシモンが王子様で次の王様になるから、こっちにいられないっていうのもわかるし、だからちゃんと気持ちの整理をつけたつもりだし……そうしなきゃって――」
「コマリ、良いのだ」
「え?」
「義務ではない。だからそうしなければならない、などと思わないでほしい。我慢をしないでわたしに話して。こんなふうに気持ちをわたしに見せてくれ。すべて己で解決しようとするコマリは、強く立派な女性であると思うが、それではわたしが寂しいのだ。わたしでは解決できずとも側についていたい。力になりたい。支えになりたい。コマリにとってのわたしはそういう人間でありたいと願う」
サファイアのような青い瞳がまっすぐに小鞠を見つめた。
シモンの言葉を聞いた彼女は胸が詰まってすぐに声は出てこなかった。
(どうしよ、なんか……泣きそう)
視界がぼやけるのを感じながら小鞠は微笑み、シモンに向かって頷いた。
「じゃあわたしもシモンが悩んだときは支えになれるよう頑張る。あ、でもさすがに政治のことはよくわからないから……んと……テディに教えてもらって勉強していくね」
「政よりも王国の有力者や貴族とのつきあいのほうがコマリに直接関係がある。そちらで神経を使うことになるかもしれない――隠していても仕方がないので話しておくが、けして良い人間ばかりではないのだ」
「わたし、テーブルマナーとか知らないけど。っていうかワルツとか踊らなきゃダメ?」
「踊れない?」
まさか、というようなシモンの質問に小鞠は「日本の教育に貴族の教養だとか、社交ダンス必須なんてないもん」と、萎れて首を振った。
そんな彼女の腰をシモンが引き寄せ、安心させるように笑ってくれる。
「知らないことは学んで覚えていけばいい。わたしがこちらの世界でいろいろ学んだように。ダンスならば――こうしてわたしが教えよう」
右手を取られ、ぐい、と引っ張られて小鞠は驚いた。
「だから踊れないってば」
「簡単だ。1,2,3,1,2,3、の繰り返しだから」
「ちょ……」
強引に踊らされるうち彼女はシモンの足を踏みつけてしまう。
「痛」
ごめんと反射的に謝りながら、小鞠は、ぷ、と笑っていた。
「わたしが上達するより先にシモンの足が腫れちゃうね」
「お手柔らかに頼む」
微笑みあったあと、彼女はシモンの手を握ったまま墓石に向き直った。
「お父さん、お母さん。この人がわたしの大好きな人です。シモンの国に行くからもうここにはこれなくなります。ごめんなさい。それから――ありがとう」
さっきは何も思い浮かばなかったはずが、いまは素直に言葉が出てきた。
繋いだままの彼の手に力がこもる。
耳を澄ましてみても風の唸り声が聞こえるだけで、懐かしい声は聞こえてはこなかった。
が、目の前に白いものがチラリと舞う。
「風花か――」
シモンの呟きに小鞠は空を見上げた。
風花とは雪のことを言っているのだろうか。
このあたりでは真冬でもめったに雪は降らないのに、こんな時期に雪が舞うのを初めて見た。
しかもこんな晴れた日に。
「……本当、お花みたいにきれい」
両親が餞に降らせてくれたのだろうか。
そんなことを思いながら小鞠は白い花びらを見つめた。
日が暮れて冷え込みが増したが、雪は墓参りのほんの一時舞っただけだった。
空気が乾燥しているせいか少し欠けた明るい月があっても、いつもより星が良く見えた。
そんな夜の町を小鞠とシモンは街灯の明かりを辿るように歩いていた。
向かいからコートを羽織ったスーツ姿の男が歩いてきたことで、彼女はギクと体を強張らせてしまう。
隣を歩くシモンが彼女の肩を引き寄せ小声で告げた。
「大丈夫だ、コマリ。胸に六芒星のバッジをつけていないようだし、奴らならあんな明るい色のタイをしていない」
「あ、ゲイリーさんもいつも黒のネクタイだったね、そういえば」
シモンの脇をスーツ姿の男が通り過ぎていく。
よく見れば手にカバンを持っていたからきっと仕事帰りのサラリーマンだろう。
「ほら、何事もなかっただろう?あれからもう5日も経っているし、もし魔法協会がわたしたちを見つけていたのなら、もっと早くに何か仕掛けてきているはずだ。ゲイリーは本当に異世界のことは上に報告していなかったのだろう。報告していたのであればその痕跡を探そうと、コマリの部屋が荒らされていても不思議はないが、今日見た限りそのようなことはなかっただろう?」
問われて小鞠は素直に頷く。
「コマリたちの世界では異世界など夢物語であるようだし、魔法協会も魔法攻撃が効かなかったわたしたちのことは、協会とは別組織の魔法使いで、強力な防御魔法を作って防いだと思ったのではないか?人とは己の持つ常識内で物事を考えるのが常だ。スミトやゲイリーのように常識にとらわれない柔軟な頭を持った人間のほうが珍しい。きっと魔法協会はスミトが別組織に与したと考え、消えたゲイリーも含め、対抗組織を見つけ出すことに必死なっているだろう。この国にいた協会の者も本部に戻り、今頃はありもしない組織への対抗策でも練っているのではないか?だからそう怯えずともよい。コマリは人より心配が過ぎるのだな」
コツリとシモンが頭を寄せて笑った。
「確かにそういうところがあるかもだけど……シモンは大らか過ぎるの。魔法協会のことは今のでちょっと安心したけど、本当にきっちり丸一日カッレラと連絡取らないとか、わたしだったらできない。魔法使いさんたちの声しか聞いてないわたしでもすっごい心配してたってわかったもの。カッレラに戻ったら絶対怒られるんだから」
「そうだな。わたしも、日頃あまりいい子でいるのはよくないかもしれない」
ええぇ!
あれだけ周りの人を心配させておいて、この人、全然悪いと思っていないみたいですけど!
「テディとオロフに責任を取らせるところだったって、魔法使いさんが言ってたじゃない。もしかして降格……?みたいな事だってあるかも――」
「それはわたしがさせない。腹心の臣とはそうそう得られるものではないのだ。彼らはわたしが王となったときに活躍してもらわねばならない、優秀な人材の筆頭であるからな。コマリが何を言いたいのかわかっているつもりだ。わたしとしても反省をしていないわけではない。そうではなく……臣にとって都合の良い傀儡王になるつもりはない、と言いたかったのだ」
傀儡って確か操り人形のことだっけ?
シモンの言いたいことがわからなくて小鞠は問うように首を傾げてしまった。
「シモンを操りたい人がいるの?」
「御しやすければ図らずもそうなってしまうかもしれないというだけだ。カッレラは争いもなく豊かで住みやすい王国だから恐れずとも良い。ただ、こちらの暮らしほど便利ではないのだ。コマリには不便をかけてしまうだろう」
「最初はとまどうだろうけど覚悟してるから。それでももし泣き言言ったら聞いてね。男の人と違ってわーって話してストレス発散するのが女の子なの」
「そうか、わかった」
くす、と笑ってシモンが髪に口づける。
う、スキンシップがやたら好きなんですね。
いえ、この5日間で充分わかりましたけど。
最近のお気に入りはお膝に抱っこ……こっちは死ぬほど恥ずかしいのに、尻尾フリフリのワンコシモンにはなぜか逆らえないし、なんとなくそれを見透かされている節がある。
(そのくせ未だに清い関係……ってそっちはまだ未知の世界のままでいいんだけどもっ)
小鞠はロフトにあるマットベッドで、シモンは裕太が出した炬燵で寝ている。
マンションではふかふかベッドで寝ていたくらいだから、床の上で寝ているに近い炬燵では、きっと背中が痛むに違いない。
朝起きて体をパキパキ鳴らしていることがあるし、疲れが取れないのではないか。
日増しに寒さが増しているから風邪を引かないとも限らない。
そう思うけれど一緒に寝ようとも提案できないまま、毎朝「おはよう」と向けられる笑顔にホッとしている自分がいた。
本気になったら泣きをみる、という思いがきっとまだどこかに残っている。
そんな自分の不安をとかすようにシモンがこうして近づいてくれるのが本当に嬉しい。
スキンシップは膝に抱っこを除けば外国映画であるくらいのもので、それでも日本人である自分は照れてしまうけれど、外国人的感覚を持っているのだったら普通の愛情表現なのだと思う。
(わたしにも同じことをって要求してこないシモンは本当に紳士だったんだ)
べったり甘えてほしいとかキスしてとか言われても無理ですけど。
「でも全く何もしないのもどうかと……」
「ん?何?……もしかしてキスが嫌だったか?」
シモンに問い返されて我に返った。
あ、つい思ったことを口に出しちゃった。
「ん、と。ともかく早く慣れて照れないように頑張ります」
小鞠がこう言った瞬間、シモンの表情がきょとんとしたものから、おかしそうな笑い顔に変化した。
「自然体のコマリでもいいと思っていたが――頑張るというのなら今後は惜しみなく協力する」
「遠慮してたの?」
「言い方を間違えた。今後も惜しみなく協力する」
シモンが小鞠の肩を離して手を差し伸べる。
(口ではそんなこと言ってもわたしに合わせてくれるんだもん)
いま肩から手を離したのだって「照れる」と言ったからだろう。
そのくらいなら気づけるようになった、と思う。
(信じていいんだよね)
不安はあるけれど怖がらないで近づきたい。
見上げる彼の微笑みに胸がくすぐったくなりながら、小鞠が手を繋ぐと指を絡めるように握りなおされた。
二人の歩く先に見慣れた店が見えてきた。
近づくにつれ扉にかけられた「CLOSE」の文字が読めて、小鞠は思わず時間を確認してしまう。
「いつもより早く締めちゃってるみたい。カウンターの方は電気がついているけど、テーブル席のほうはロールカーテン降ろしてるし」
魔法協会を用心して、今日までずっと休んでいた菊雄と冠奈の店に、小鞠とシモンは訪れようとしていた。
国に帰ると言っていたシモンと共に今晩訪ねたいと告げたとき、電話に出た冠奈は何も問うことはなく、優しい声で「菊雄さんと待っているわ」と言ってくれた。
「わたしたちが行くと告げたからだろうな。――行こう」
シモンが扉を開けてくれたと同時に、ドアベルが来訪を告げるように鳴った。
「二人ともいらっしゃい」
いつもと変わらない冠奈の柔らかな声がして、コーヒーの香りが漂う店内に誘うように小鞠たちを笑顔で迎えてくれる。
「丁度コーヒーが入ったところだ。小鞠もシモンも飲むだろう?」
カウンターの中で菊雄が口の端を持ち上げて笑ったのに頷きながら、二人は椅子に腰を降ろした。
「あの、いきなりバイトを休ませてほしいだなんて勝手を言ってごめんなさい。マスターと冠奈さんに迷惑を――」
「シモンやテディやオロフ目当てだったお客からは、国に帰ったと言ったらブーイングがすごかったぞ。小鞠もいないからシモンと一緒に行ったと思われたみたいだな」
「だから結婚が決まったのって言っておいたわ」
「け、結婚?」
「あら、違うの?小鞠ちゃん、シモンさんの国に行くって決めたんでしょう?」
冠奈の台詞に小鞠は目を見開いてしまった。
そこへカウンター内の菊雄からコーヒーが差し出された。
四人分を冠奈がカウンターに並べたところで、菊雄が定位置のカウンター内から出てきて、テーブル席から椅子を引っ張ってくるとそこへ座った。
冠奈は小鞠の隣に腰を降ろす。
「よし、じゃあシモン。まずはおまえからだ。おまえの住んでる国だとか素性だとか気になることはいろいろあるが――親代わりの俺たちに一言もなく小鞠を掻っ攫わなかったことは褒めてやる」
「5日前、キクオにコマリとのことを尋ねられたときは本当になにもなかった」
「そこを疑ってるわけじゃない。これからどうするのかちゃんと俺と冠奈に話して、筋を通せと言っているんだ」
菊雄の台詞に小鞠はやっと気がついた。
(もももしかしてこれは、いわゆる「お嬢さんをください」ってやつを、シモンに言えと言ってるわけですか!?)
そんな、プロポーズだってされてないのに……って違ぁう!
異世界で暮らしていた、しかも王子様のシモンにこの世界の常識は通じない。
きっと菊雄の言っている意味がわからないだろう。
「今後のことはわたしも二人に話さねばと思っていた――コマリはカッレラ王国に連れ帰りわたしの后とすると決めた。コマリもまだ戸惑いはありつつも了承してくれている。二人には事後承諾となってしまったが、けして黙って去るつもりはなかったと信じて欲しい」
ほらやっぱり。
小鞠が菊雄を見れば彼はポカンとシモンを見つめていた。
あれ?マスター、なぜ呆けて……?




