束の間の自由
「駄目です、何度シモン様に連絡を入れても応答がありません。コマリ様にも同じことをしましたがこちらも――」
黒くて重い扉を開けて室内に入ってきたトーケルの言葉に、その場にいたカッレラ王国の者全員が落胆の色を示した。
トーケルが敬語なのは、リクハルドの父である魔法長官のマッティ・ヘルコへ話をしているためだ。
彼の報告にマッティは頷きを返して「さて、どうしたものか」と呟く。
今回、第一王子帰還にあたっての総指揮を取っていた神官長官は、慌しく王に報告へ行ってしまい、いまこの部屋には五人の異世界からの帰還者以外には、魔法長官、リクハルド、トーケル、そしてグンネルがいる。
用心してここでの会話は、グンネルが精霊のモアに頼んで一切外に漏れないようにしてあった。
「コマリ様の魔法石はシモン様がお持ちです。もしシモン様と離れていらっしゃったら意味はありませんし、カッレラとの連絡の取り方はご存知ないですから、お手元におありだとしても頭に響くベルの音の意味がわからないはずです」
マッティへ言うテディの声にリクハルドは濃緑色の瞳を向けた。
「あちらの人間が必ず身につけるものに魔法石は取り付けてあるのだろう?」
「カッレラとの繋がりを絶つためにシモン様へお返しになられたのだ」
それはシモン様がコマリ様から求愛を完璧に断られたことを意味するのでは?
そうリクハルドの頭によぎったが口には出さないことにする。
異世界から戻ったテディとオロフ、そして異世界人三人からまだ事情を聞いている最中だ。
リクハルドはトーケルが隣に座るのを待って口を開いた。
「ここまでの話を整理すると――ゲイリーとスミトは異世界の魔法使いで、魔法協会という組織において元々はよき好敵手だったが、いまは追っ手と逃亡者という関係である。スミトの事情を知ったシモン様は、スミトとその恋人ジゼルをカッレラに迎え入れることになさった。本来なら、あちらの世界の真夜中にシモン様はカッレラへご帰還なさるはずだったが、魔法協会に追われたのをきっかけに、それを早めるご決断をなさった。でいいのだな?」
リクハルドは向かいの席へ眼差しを向けた。
席を外していたトーケルが彼の説明を聞いて、三人の異世界人を順に見ている。
言葉が通じない三人にはテディとオロフが通訳をしているため、少し遅れて黒髪の男スミトと銀髪の美女ジゼルが同意するように頷いた。
栗色の巻き毛を持つゲイリーが表情も変えず何事かを話したが、もちろんリクハルドには言葉がわかるはずもない。
テディがすかさずゲイリーに向かって「シモン様だ」と言いながら彼を睨んだ。
「テディ?彼はなんと?」
「スミトとの関係や魔法協会が彼を追っていたことは認めるが、シモン様がスミトとジゼルを異世界に迎え入れるに至った経緯や、今日帰還する予定であったことは知らないと」
そこへまたゲイリーが言葉を放つのをテディが通訳する。
「魔法陣に消えるスミトを追って手を伸ばしたら、シモン様に腕を掴まれ魔法陣に引っ張り込まれたそうだ。ゲイリーとは逆に、シモン様は魔法陣から抜け出たように見えたらしいが、気がつけば神祀殿に放り出されていて、はっきりとしたことはわからないと言っている。わたしは、シモン様がコマリ様に名を呼ばれて振り返ったのを見たように思う。その直後、背中に衝撃があって躓いたときにはカッレラに戻っていたから、わたしもはっきり見たとは言えないのだが」
「シモン様に魔法陣へ引きこまれてバランスを崩したゲイリーから順に、俺たちは雪崩を起こしてそのままカッレラに戻ってきたんだろう。シモン様が魔法陣から抜け出たのなら、おそらくまだ異世界にいらっしゃって、コマリ様とご一緒なのだと俺は思う」
オロフがそう言うとテディや異世界人たちも同意するように首肯した。
仮にオロフの話が正しかったとして、ではなぜシモン様は連絡をくださらないのだろう。
「ならばおまえたちはシモン様が連絡を絶たれたのは何ゆえだと思うか?」
リクハルドと同じことを思ったのか、マッティが彼と同じ色をした瞳で五人を見据えた。
ローブを纏った姿や口調、落ち着いた物腰に威厳を感じるのか、テディやオロフだけでなく、異世界人たちまでぴりりと緊張したように見える。
オロフの通訳を聞いたスミトが即座に返答し、それを聞いたオロフが苦笑を浮かべ、テディはなぜか疲れたような吐息を密かに洩らした。
ジゼルは両手を握り合わせてうんうんと頷いている。
おそらくはスミトに同意しているのだろうが。
「スミトが言うには、コマリ様との時間を邪魔されたくないのでは、ということですが」
オロフが魔法長官に伝える言葉を聞いて、ゲイリーが一瞬ではあるが笑ったようにリクハルドには見えた。
「邪魔、か――シモン様は己を律することができる方だと思っていたがな」
するとすかさずテディはシモンを擁護するように口を開いた。
「コマリ様はずっとシモン様へのお気持ちを隠していらっしゃいました。ですが別れ際、隠し切れなくなってシモン様をお求めになり、それにシモン様も応えたのだと思います。シモン様からすればやっと気持ちが通じ合ったのですから、しばらくは二人きりでいたいとお考えになっても仕方ありません」
「うむ。シモン様は誰よりも愛魂のお相手を求めていらっしゃったな。ご幼少の頃から王族の方がお相手を見つけるたび、ご自分も早く出会いたいとおっしゃっていたものだ……」
リクハルドをはじめ、ここにいるカッレラ王国の誰もがシモンに近しく、またシモンのこの望みも知っていた。
しんとした室内に再び魔法長官の声が響いて、昔を懐かしむ臣たちを現実に引き戻した。
「テディが申すようにそういった理由で連絡が取れないのであれば良いが、魔法協会とやらに何かされたかもしれん」
テディの通訳を受けたゲイリーが首を振った。
「今回スミトを追っていたのは彼を含め十人らしいのですが、彼以外は魔法陣に魔力を奪われ気を失ったそうです。他に追っ手はいないらしく、魔法協会に手出しされるはずはないということですが……嘘はないな、ゲイリー?」
なるほど。
こちら側の負担が減ったのは、魔法協会とやらの魔法使いの魔力のおかげか。
リクハルドが納得していたところで、通訳をしているテディは疑わしそうな目をゲイリーへ向けた。
テディは彼を良くは思っていないようだと、その様子からリクハルドは気づいた。
(というよりオロフやスミトとジゼルの二人も、だな)
ゲイリーに向かってスミトが何事か言うのを聞いて、リクハルドはおや、と思った。
先ほど彼の言葉は、もっとアクセントの強いガチャガチャとした言葉に聞こえたが、いまはゲイリーと同じ言葉に聞こえる。
異世界には幾つも言語があるらしいとは、異世界の三人から聞こえる言葉が違っていることに気づいてわかった。
それぞれに言葉は違っても理解しあっていると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「スミト、落ち着け。いまここで嘘だ本当だと水掛け論をしたところで仕方がない」
「ゲイリー、おまえももう少し友好的に……どこがこれ以上ないくらい友好的だ」
スミトとゲイリーの会話にオロフとテディまで加わって、あわやまとまりがつかなくなるというところで、魔法長官たるマッティが皆の注意を引くように、パンと大きく手を打った。
「いまここにおまえたちの個人的な意見など必要はないのだ。シモン様と愛魂のお相手がご無事であるか。その一点のみが重要なのだよ」
口調は静かであったが逆らうことを許さぬ雰囲気がある。
言葉が通じないはずの者たちも何かを感じ取ったのか、彼らを含む異世界からの帰還者五人が口を噤んでこちらを見つめた。
が、ふいにゲイリーが額に手を当てどこか辛そうに椅子に背を預けた。
「どうしたゲイリー?……は?なんでもないってどこがだ。そういえば魔力を奪われて体が重いとスミトも――」
ゲイリーは顔を顰めたまま、もはや返事をすることも億劫なのかテディを無視している。
リクハルドがスミトを見れば、彼はゲイリーに何事か言いながら苦く笑うところだった。
確かにテディの言うとおり疲れているのか、スミトの顔色も悪いような気がする。
「神官の護力に守られていなかった彼らの方が、我らより消耗は激しかろうな。――これ以上話を聞いたところで何もわからんだろう。グンネル、モアとともに異世界の者たちを魔法使い塔の部屋に案内してやってくれんか?リクハルドとトーケルは神祀殿に戻り、交替でシモン様に連絡を。テディとオロフはわたしと共に国王様の元へゆき、いまの話とシモン様のことを詳しく報告してくれ」
話を締めくくる魔法長官の隣で、グンネルが「あの」と声をあげた。
「マッティ長官、わたしは通訳機能のついた魔法石を持っているわけではありませんので、異世界の言葉がわからないのですが。テディかオロフどちらかが共に来てくれませんと、意志の疎通ができません」
「ああそうであったな。ではオロフを連れていくが良い。わかっていると思うがグンネル、彼らのことは人に見られんようにな」
「――はい」
ピクリと眉を歪ませ彼女がどこか不機嫌そうになったのは、マッティがモアを使って異世界人たちを周りの人間から隠せと言っているからだ。
(グンネルはモアを友達だと思っているから、こんなふうに人からモアを使えと言われると怒るんだ)
大昔は畏怖の対象だった精霊憑きを、一昔前の人間は利用していた。
主に要人や貴族が警護のために精霊憑き雇い精霊に守らせるのだ。
そのせいで多くの精霊が人間を忌むようになって人から離れ、元々少ない精霊憑きの数は激減した。
そのことが教訓になったのか、いまは精霊憑きを利用することはなくなったが、マッティ世代より上の人間は、まだ精霊は人が使役するものと思っていることが少なくない。
父であるマッティは魔法長官たるくらいなので、精霊憑きが今日までどのような目にあってきたか知っているし、精霊にも友好的だ。
おそらくいまの台詞は力を借りたいという程度の意味合いで言っているのだろうが、こと精霊のことに関してグンネルは過剰反応する嫌いがあって、悪気はないと頭でわかっていても、疲れていたり虫の居所が悪かったりすると腹が立ってしまうらしい。
(帰還魔法に魔力を奪われ、しかも徹夜だから無理もないな……おそらくもうそろそろ夜が明ける)
天井近くにある明かり取りの窓へチラリと視線を向けると、未だ空は暗いのか室内を照らす明かり玉の光を反射していた。
カッレラ王国と異世界とは五、六時間時差があるのか、こちらの夜明けがあちらでは真夜中という時間だった。
帰還魔法の発動には、カッレラでは朝日の力を、そして異世界では満月の力を利用するつもりだったが、結局は時間が早まって朝日の力を利用することはできなかった。
本来なら夜明けまで少し仮眠を取る予定だったのだがそれもできず仕舞いだ。
リクハルド自身、今日までの忙しさや寝不足、魔力不足などでかなり疲れている。
(これでもしシモン様がご帰還なさらなかった理由が、異世界人たちの言うように、コマリ様との二人だけの時間のためだったりしたら――)
シモン様に恨み言の一つも言ってしまいそうだ。
マッティが席を立ったのを合図に皆が一様に動き出した。
リクハルドはトーケルと共に部屋を後にする。
「異世界っつうのは言葉が一つじゃないんだな。俺らも場所によっちゃ方言があって微妙にわからなかったりするが――住んでる国ごとに違うんだろうか?だったら不便だよな。魔法で言葉がわかるようにしてるってわけでもなさそうだし」
「こちらの世界とは違う魔法を使うようだし、どのような魔法があるのか見せてもらいたいが、当分は無理だろうな。テディたちの様子からして、あのゲイリーという男は曲者のようでもあるし、グンネルには悪いがモアに見張らせておいて正解だろう」
「あー、あの色男なぁ。確かに一癖はありそうだけどそこまでやな奴って感じでも――てかジゼルってあの美人と並べば、王宮絵師が飛びつきそうなほど絵になるよな。実際はスミトの恋人だってことだが、異世界ではあんな緊張感のなさそうな男がモテるのかね」
「魔法使いとしては二人とも優秀なのではと思うが?かなり魔力を奪われたはずなのに倒れもしなかった」
「おまえ、そこはあのジゼルって美人の方に食いつけよ」
「彼女は普通の人間だろう?」
リクハルドの返答に、トーケルが、はぁとこれ見よがしに溜め息をついた。
「あんな美人を目の前にしてなんも感じないおまえが不憫だ」
「仕事にいちいち私情を挟んでいられるか」
「いつどこで楽しいことが起こるかわからないだろうが」
「おまえのそういう軽々しいところだけはわたしは理解できない」
「んー?リクハルドももっと気楽にいけば?っつってもおまえには無理だろうなぁ。お互い気が向けばその時を楽しむ、ってのできないだろうし。や、おまえのことなんてどうでもいいんだ。たまには恋人以外にも――なんて思わないかな、彼女」
今度はリクハルドが溜め息をつく番だった。
「いっぺん刺されろ。それに皆がお前のように女性が寄ってくるわけじゃない」
「いや、俺のは努力の賜物だぞ?あくまで女には優しく常に笑顔でっての実践しての結果だ。おまえみたいにとっつきにくい雰囲気じゃ無理ムリ。つか女に限らず、笑顔は人づきあいを円滑に進める武器だろが。俺やグンネルの前にいるときみたく、もっと笑ってみ?そうすればうちの新人魔法使いたちにもっとなつかれるぞ」
な、とトーケルに言われてリクハルドは少々引っかかったことを口にした。
「わたしは彼らに敬遠されているのか?」
とたんに彼は目を丸くし、すぐにクッと喉を鳴らして笑い出した。
「リクハルドは真面目すぎるんだよ。心配するな、おまえのそういうところが逆に受けてる。ところで……なぁリクハルド。シモン様が俺たちからの連絡を無視してるのは、彼らが言ってたとおり、コマリ様といちゃいちゃするためだったらどうする?」
そう小声で尋ねられたリクハルドは、トーケルが自分と同じことを考えていたと知って、思わず笑ってしまった。
女性に関することはともかく、この男のこういう包み隠さないところが好きだった。
だから自分もトーケルには言いたいことを言えるのだ。
「文句の一つや二つ言ってしまうだろう」
「シモン様相手におまえがそんなことを言うなんて珍しいな」
「さすがにここまで騒がせておいて何事もなかったようにはできないだろう?次期国王としてのお立場をしっかりとご理解いただかなくては」
「ま、そりゃそうだ。けど一個人としちゃ惚れた女と二人きりでいたいって気持ちもわかるんだよなあ……――俺がシモン様なら「お立場」なんてもん捨てたくなるけどな」
ぼそりと呟かれたトーケルの最後の台詞に、リクハルドはわずかに眉を揺らしたが聞こえないふりをした。
束の間の自由。
そんな言葉が彼の頭に浮かんで消えた。




