新たな精鋭
さっきから何度時間を確認しただろう。
バイトからの帰り道、腕時計に目を走らせた小鞠はそう気づいて時計をした手首を押さえる。
(もう見ない)
夜風を頬に受けながら決意して、隣から視線を感じた彼女は肩にかけたカバンの持ち手を握り締めた。
シモンの視線に敏感になったのは偶然だ。
自分が彼に眼差しを向けるとたいていすぐに目が合ってしまうため、盗み見る機会を探っているうちに、視線を向けられるとなんとなくわかるようになってしまった。
「手がどうかしたのか、コマリ?」
「え?別に……どうして?」
「いま、手首を押さえていたから痛むのかと」
「ああ、ううん――」
言いながら小鞠は傍らにあるシモンの手を見つめる。
繋げなくなっていた手を、昨日は繋げたのに。
(最後だから……いい、かな)
マンションまではもうすぐだ。
チャンスはすぐに時間切れになってしまう。
意を決して小鞠がシモンの手を握ろうとしたその時、何かに気づいたようにシモンが顔つきを変えて前を見据えた。
同時にオロフとテディが小鞠とシモンの前面に出て二人を背に庇う。
「そう警戒しないでもらえるか」
声と共に近づいてきたのはゲイリーだった。
いつの間にか彼と最初に会った公園まで帰って来ていた。
どうやら今日は魔法で姿を消すこともなく普通に待っていたようだ。
かっちりとスーツを着込む姿はいままでと変わりなく、ボタンのあいたコートから覗く上着の襟元にヘキサグラムのピンバッジが見える。
「何用だ」
警戒するシモンとは対照的にゲイリーは余裕なものだ。
「スミトに会いたいのだが呼び出してもらえないか?君たちと共にいるのはわかっている」
「スミトのことはこのまま見逃すことはできないのか?」
「いままで放っておいてやっただろう。だがさすがに時間切れだ。今日までいったい何をやっていた?とっととスミトをつれて異世界にでも帰ればよかったんだ」
いま異世界と彼は言っただろうか?
小鞠が驚く視線の先でゲイリーは黙り込むシモンに更に語りかける。
「否定しないところをみるとわたしの推察は当たっているのか。自分で言っておきながらにわかには信じられないが――もはやどうでもいい話か。スミトを早く呼び出せ。でなければコマリの家を踏み荒らすことになる」
「なんだと!?」
「何を驚く。まさかわたしがスミトの居場所をいまだ知らないとでも思っていたのか?魔法協会はスミトを捕らえて始末することに本腰を入れたぞ。本部から新たに精鋭を送ってきたからな」
言いながらゲイリーは腕にはめた時計を確認した。
「穏便にすませられるならと交渉に来たが、無理ならあと1時間ほどで彼女の家の玄関を壊して踏み込むことになる」
なんて勝手な言い草だ。
しかしどう言ったところで彼らには通じないだろう。
警察も手出しできないような力を持つ組織なのだから。
傍若無人な振る舞いに憤りを感じながら小鞠は腕時計に目を走らせた。
日付が変わるまで数時間ある。
その前に魔法協会が来てしまうということか。
「おまえの命令で動くことになっているのか?」
「返答如何によってはわたしを捕らえるか?無駄だぞ。決定を下したのは本部であってわたしではない」
「それはつまり指揮官はいなくとも兵は動くと?」
「魔法協会は実力主義だとスミトから聞いていないのか?わたしがいないときは次の実力者が指揮官として立つ」
ゲイリーの返答にシモンは少し考える素振りを見せ小鞠に向き直った。
「コマリ、すまないがスミトを呼びに行ってもらえないか?」
「え?わたしが?」
「スミトがコマリの部屋にいては魔法協会の者たちに荒らされてしまう。ならばここに出てきて衆人環視の中、もう一度協会と話し合えばいい。スミトの今後のことはジゼルも気になるだろうから彼女も来るように言ってくれるか?そのままコマリは部屋に残ってここには来てはいけない。――ゲイリー、コマリはスミトの魔法に操られていただけで無関係だということにはできないか?」
自分だけマンションに残れとはどういうことだろうか。
小鞠が疑問を口にするより早くゲイリーがシモンへ言った。
「君の提案を呑んで、ここで我々がスミトを取り囲んだとして、君たちはどうする?この場に残るならもはや無関係の者として処理はできない。が、さすがにわたしも君たちのことは本部に報告しかねているところだ。異世界の人間に出会ったなどと、頭がおかしくなったと言われかねないからな」
「ならばおまえが最初勘違いしたように魔法協会の対抗組織の人間だとでも言えばいい。オロフに魔法が効かなかったことはおまえの部下も見ているはずだろう?」
「なるほど」
「――本部にシモン君らのこと報告してないやって?嘘くさい話やな」
突然割って入った声に誰もがそちらを向いた。
暗がりから街灯の明かりで顔がわかる場所に現れたのはスミトとそしてジゼルだった。
「スミト、どうしてここに」
皆が思ったであろう疑問をシモンがぶつける。
「ああ、シモン君らがもう近くまで帰ってきてるて朧から連絡あってな」
スミトの元に梟が舞い降りたはずが、姿が揺らいで和紙に変わり、彼はそれを指で挟むとズボンのポケットにしまった。
「みんなで豪勢にご飯食べに行こて誘うつもりで出てきてんけど……なんっちゅうタイミングで現れるねん。黙って聞いとったけど騙されたらあかんでシモン君。魔法協会っちゅうところはな、魔法に貪欲やねん。世界には魔法の存在隠しながら、新しい魔法の研究に必死や。シモン君らの持ってるを魔法の道具が欲しいに決まってる。――いい加減にしろ、ゲイリー。魔法協会やおまえがそんなに甘いわけがない」
澄人の言葉遣いが変わって小鞠の耳に届いたのは英語に変わったためだろう。
睨みつける彼の双眸を見つめ返していたゲイリーは、数秒あって軽く溜め息を吐いた。
「確かに我ながらどうかしているとしか思えない。不意打ちでもなんでもしておまえを抹殺し、万能な魔法の道具を持つ彼らを攫って本国へ帰る方がはるかに楽だ」
「なぜそうしない?」
「どこかのおせっかいから、スミトがわたしとの関わりが切れたことにひどく落ち込んでいると聞いて、ついらしくないことをした」
言いながら肩を竦めたゲイリーが小鞠に目を向け口角を持ち上げた。
「おせっかいって小鞠ちゃんのことか?――えらく気に入ったみたいだな」
「下手なことを言うとうるさい男がいるからそこは黙っていようか。ともかく目こぼしはここまでだ。わたしと共に来い、スミト」
「うるさい男?とはわたしか」と小鞠の隣でシモンが小さく呟くのがわかった。
そんな微かな声に気づいたらしいテディとオロフが振り返り、シモンが目配せをしたため彼に近づく。
「コマリ、手鏡を持っていないか?確かこちらの世界では女性は化粧道具を持ち歩いていると――」
「え?うん……ちっちゃくていい?」
手に平サイズの小さな鏡をシモンに手渡すと彼はそれをテディに持たせた。
「テディ、カッレラに連絡を。リクハルドに帰還の準備を急がせて、カッレラと繋ぐ鏡はバスルームの鏡からそれに変更するんだ。オロフ、わたしがゲイリーの気をひく。隙をついて奴を眠らせてくれ」
小声のままの主の命令に二人は頷き、オロフは両手を空けるために、餞別の品の入った袋をテディに預けた。
異世界と鏡を繋ぐ?
耳を疑った小鞠は、だが思い出したことがあった。
いきなり自分のマンションに現れたシモンたちは、外からマンションに入ってきた形跡もなかった。
不思議に思ってどこから来たのかと尋ねれば、バスルームの鏡から来たと言われ、あの時は意味がよくわからなかったけれど……。
(鏡が異世界との出入口になるってことか)
そしてこのピンチのせいでシモンとの別れの時間が早まるということか。
小鞠はキュっと縮むような胸の痛みをこらえる。
きっとシモンはゲイリーが現れたことで、真夜中ではなくいますぐに異世界へ戻ることを決めたのだろう。
見上げる彼の横顔に迷いは見えない。
(別れが早まってもシモンは平気なの?)
それは昨夜感じたとおり別れを受け入れてしまっているから?
そして気づいた。
(さっきシモンがわたしをマンションに留まらせようとしたのはもしかして)
シモンたちが異世界に消えたあと、一人ゲイリーの元に残されるのを避けるためだったのでは?
それにスミトと関わりがない無関係の人間にしてほしいとゲイリーに頼んだのも、魔法協会を遠ざけようとしてくれたからかもしれない。
(どうしてそこまで考えてくれるの?)
なびきもしない女の事など切り捨ててしまえばいいのに。
魔法協会のことは自分で何とかする。
(お別れのときに魔法石を返して、異世界のことは何も知らないって言えば……)
実際、どうしたところで自分じゃ異世界に連絡を取るなんて事はできない。
しばらく拘束されようと、監視されることになろうと、いずれ魔法協会も諦めるはずだ。
だからどうかもうこれ以上心を砕かないで。
シモンたちの密かな相談もゲイリーはスミトに気をとられて気づいていないようだ。
しかし無言のままテディが静かにその場を離れたのはさすがに見咎めて、探るようにシモンへ問うてくる。
「彼はどこへ?」




