帰還準備に大童
長い廊下をメイド姿の若い女たちが歩いていく。
「やっとシモン様が異世界からお戻りになりますね。シモン様がいらっしゃらないこの一ヶ月、王宮から明かりが消えたようでした」
「本当よねぇ。テディ様とオロフ様も帰っていらっしゃるし、リクハルド様とトーケル様も含め、王宮にはやっぱりこの5人がいてくれないと」
「ここは目の保養ができる最高の職場よ。若手魔法使いの中にも掘り出し物がいるらしいの。王宮魔法使いの親友情報だしガセ情報じゃなくってよ。あら、噂をすればわが親友……あの子、過労で倒れたのに――マーヤ!」
侍女の一人が奥の廊下から現れた人物に声をかけると、気づいた相手はすぐに笑顔になって近づいてきた。
「ドリス。この前はお見舞いありがとう。特性スタミナ料理で元気になったわ」
「だってあなた、休んだらトーケル様に会えないって、這ってでも行きそうな様子だったし――」
「わー!ドリスっ」
マーヤが慌ててドリスの口を押さえたが遅かった。
一番年少の侍女が掌を合わせてほっこりとした笑顔で微笑む。
「マーヤさんってトーケル様のような人がタイプだったんですね」
「うっ、えーっとねサデ」
「そういやマーヤってがっちりした男らしい人をいつも目で追ってたっけね~」
とたんにドリスが待ってとばかりに口を開いた。
「スサンってばマーヤのことをよく見てるのね。実はわたしのライバルかしら?」
「いや、わたしにはドリスみたいに女友達を邪な目で見る趣味はないから。あんたと一緒にしないでくれる?マーヤとは純粋な友達よ」
「わたしだってマーヤとは純粋に親友なのよ。ただ可愛いマーヤをあわよくば撫で回して可愛がりたいだけ……悶える姿を想像するだけで――やばいわ、熱くなりそう」
「それのどこが純粋?マーヤ、看病のときよく寝込みを襲われなかったね」
スサンの呆れ顔を受けてマーヤが苦笑を浮かべた。
「大丈夫、これ本気じゃないから。ドリスのタイプはわたしの同期のヴィゴみたいな真面目キャラだし」
「ちょっとマーヤ。わたしの憧れの人をあっさりばらすなんてあんまりだわ」
「わたしの好きな人をつるっとしゃべった人に言われたくないわよ」
鼻の頭に皺を寄せてマーヤが、べ、と舌を出した。
そんなマーヤを見たドリスが「やだ可愛い」となぜか身悶え、スサンは危ないものでも見るような顔でドリスを見つめた。
今度はサデがもじもじとした様子で口を開く。
「あの……ヴィゴさんって寡黙でお仕事ができそうな方ですよね。それに――」
まだ何か言いかけるサデに気づかないまま、スサンが話題に乗っかるように身を乗り出した。
「もしかしてドリスが言ってた若手魔法使いの掘り出し物ってヴィゴ?ならペッテルのがよくない?ヴィゴってちょっと隙がなさ過ぎてわたしはパスぅ~」
「そんなことないですよ!優しい方で笑った顔はとても素敵な……っ!」
否定の声をあげたのはサデだった。
だが途中で我に返ったのかハッとする彼女の様子に、全員が「まさか?」とばかりに目を見交わした。
「へぇ~、サデはヴィゴ狙いだったかぁ……ドリス、これこそライバル登場じゃない?」
ニヤニヤと笑うスサンの台詞に、
「仕方がないわ。可愛い後輩のため、ここは憧れのうちに涙を飲んで彼のことを諦めましょう」
と、ドリスも頬に手を当てわざとらしく溜め息を吐いた。
「え?ドリスさん?そういうことではなくてですね。あの、その――」
「誤魔化さなくてもよくってよ。そんな真っ赤なお顔をしているくせに、なんとも思っていないなんて言わせないわ。それにしても困ったわ、サデったらマーヤに次ぐ可愛らしさ……ねぇサデ、今度お姉さんとお買い物に行きましょう」
うふふと笑うドリスの変態っぷりには慣れているのか、気にした様子もなくマーヤは考えるように宙を見つめた。
「ヴィゴかぁ。あいつ、いま彼女いないはずよ。気になる子もいないってペッテルと話してるのを聞いた気がするし。確かにヴィゴってサデの言うとおり優しいかもね。病欠してる同僚の仕事を自分から引き受けてフォローしてるの。シモン様が異世界にいかれてから、あちらの世界と連絡を取るたび、わたしたち魔法使いの魔力と体力は削られるばっかりで、みんなけっこうぎりぎりで仕事してるのに奇特な奴よね」
「マーヤさん、そのお休みしてる方って女性の方ですか?」
気になったようにサデが問うとマーヤは慌てて首を振った。
「違う違う!男よ、男。――なんだ、やっぱりヴィゴのことマジなんじゃない。じゃあご飯一緒する企画でも立てようか?」
「え?えぇ!?」
「あー、そうしてもらいなよぉ、サデ。あんたみたいな引込み思案、こうでもしなきゃ自分から誘うなんてできないでしょ?」
「だったらついでに他の若手ホープも呼んでくれないかしら?あ、マーヤのために、あなたの大好きなトーケル様はわたしがお誘いしてみるわ。親友のリクハルド様も連れてきてくれるかもしれないわね」
楽しくなりそうだわ、と微笑むドリスにスサンが指を鳴らしてガッツポーズをとる。
「王宮の5大男前のうち二人と食事!自慢できるっ」
「えと、ごめん。喜んでいるところ水を差すようで悪いけれど、食事会、いきなり今日開催とかは無理だから。シモン様が異世界からこっちにお戻りになる準備で、リクハルド様たちは今まで以上にお忙しいみたいだし、わたしたちもしばらく手が空かないわ」
とたんにスサンが両手をだらりと下げて首を振った。
「ぬか喜びだったか――あーもぅ、あれでしょ?元凶はシモン様のお后様候補!我儘炸裂させてシモン様がこちらにお戻りになるのを邪魔してるって!いろいろ異世界に送らせたり、ややこしい魔法使わせたりしてるとかって噂で聞いたけど?そういえばシモン様たちが異世界へ出向かれてすぐ、テーブルやベッドなんかを異世界に送るため神祀殿に運んでたもんねぇ。マーヤたちがへろへろになってるのってそのお后様候補のせいじゃない。今度は何?「出迎えはわたくしにふさわしく派手にお願いね」とか言ってんの!?」
「あー……えっと――」
侍女たちの視線を一身に集めたマーヤは、あはは、と苦く笑ってじりじりと三人から離れた。
「えーっと、そう!わたし仕事があるから!サデ、食事会は落ち着いたら絶対企画するわね」
いきなり脱兎のごとく走り去るマーヤを彼女らは呆気に取られて見つめる。
「マーヤさんたらどうしたんでしょう、急に?」
「あらやだ、なんだか秘密の匂いがするじゃない」
「そういえば最近、神官の人たちにシモン様のことを尋ねてもやたら口が重いのよねぇ。まるで箝口令でも敷かれてるみたい」
スサンが「箝口令」と口にしたとたん、彼女らは、あ、とばかりに顔を見合わせ頷いた。
「秘密、というより陰謀の香りなのかしらね……」
「ま、まさかそんな――カッレラは世界一平和な国ですから」
「平和ボケしてるときにドカンと爆撃が放たれるもの――痛っ!」
悲鳴と共にスサンが頭を押さえた。
「あなたたち!休憩時間はとっくに過ぎているはずでしょう。こんなところでなに油を売っているの?」
3人の背後にいつの間にか女性が一人、スサンを小突いた拳を握って立っていた。
「「「エーヴァ副侍女長!」」」
「それに今、「陰謀」だなんてとんでもない言葉が聞こえたわ。誰かが聞きかじって誤解をしたらどうするのっ!王宮の侍女としてこれからも働きたいなら、憶測や噂話を軽々しく口にするのはやめなさい。意識を高く誇りを持って仕事に取り組むこと!」
「「「はい」」」
ビシと背筋を伸ばす彼女たちにエーヴァと呼ばれた女性は大きく頷いた。
彼女は「副侍女長」という立場から、頭のキャップに一本黒いラインが入っている。
これが二本になると「侍女長」の証となるのだ。
「わかったのならすぐに仕事へ向かいなさい。噂話は厳禁。いいですね」
「「「はい!」」」
* * *
姿勢を正したまま足早に立ち去る三人を見つめエーヴァが溜め息を吐いた。
「あの子達にも困ったものね」
とはいえいまやこの王宮でシモン様のお后候補の噂を聞かない日はない。
やれやれとばかりに首を振って彼女が廊下を歩き出すそこへ、「エーヴァ」と声がかけられた。
「あら、グンネル様。これからまた神祀殿へいらっしゃるのですか?」
少し先にある廊下で立ち止まっていたはずのグンネルは、小走りにエーヴァの元にまでかけてくると、嫌そうな顔で彼女を見上げた。
「二人のときは「様」も敬語もやめてって言ったよね。エーヴァ副侍女長さ・ま」
「ここは王宮の中です。侍女のわたしが魔法使いのあなたに敬語を使うのは当たり前です。公私は分けませんと」
「それは表向きだよ。ほとんどの連中は身分が違っても仲のいい同期に敬語なんて使わない。なによりわたしたちは幼馴染みじゃないか」
小柄なグンネルの印象的な緑の目が非難じみていて、エーヴァはプと顔を綻ばせた。
「はいはい。わかった。冗談なのにそんなに拗ねないで」
「エーヴァの冗談は笑えないんだよ。ところでいま、スサンたちがいたね」
「知っているの?」
「もちろん。個性的な子たちだからっていうのもあるけど、うちのマーヤとドリスが仲がいいだろう?他の二人も含めて何度か四人でいるところを見かけるうちに覚えたよ。それにわたし、スサンとは気が合いそうな気がするんだ」
「そうね、お調子者なところが似てる――」
「ん?何?」
「いいえ、なんでも」
笑顔で誤魔化すエーヴァにグンネルは首を傾げ、まあいいやというように彼女の手を取ると、廊下の端へ移動した。
「急にどうしたの?」
「あのさ、まだシモン様のお后候補の噂話、消えてないような気がするんだけど」
「あら、いまもそのことであの三人を注意したばかりよ。――シモン様が王宮にご不在という今の状況が目立ってしまって、みんな、お后様がご自分の国や世界を捨ててこちらへこなくてはいけない、ということを考えていないのだわ。想像でしかないけれど、それはすごく勇気の要ることじゃないかしら。シモン様もお后様のためにその辺りをお考えになって、一ヶ月間猶予をもたれたのでしょうし」
「みんながエーヴァのように思ってくれたら、お后候補もカッレラに来やすかっただろうね。――エーヴァみたいな人もいるって伝えても今更遅いかな……」
「わたしみたいな、なに?」
独り言のような呟きがよく聞こえなくてグンネルに尋ねると、彼女はハッとしたように顔をあげた。
「エーヴァのような人がお后様付きの侍女にふさわしいなって思ってさ。……うん、きっと向いてるよ」
「え?なんなのいきなり?」
「相手を思いやれるエーヴァは優しいってこと。じゃ、わたし神祀殿に用があるから!」
手を上げて立ち去るグンネルを「慌しいわねぇ」と見送るエーヴァだったが。
「昔っから人を持ち上げるのがうまいんだから」
やがてくすくすと笑い出し、「わたしもお仕事しなくっちゃ」と足早にその場を後にした。
高い天井の彫刻が、明り取りの窓からの陽射しを受けて美しい陰影を作る。
王宮はいま、第一王子の帰還準備に大童であった。