何か違う
店を出て爽と二人で駅に向かって歩くうち小鞠はまずいと思い始めていた。
(最後に飲んだウーロンハイが今頃……うぅ、ヤバイかもぉ)
目の前がふわふわしてきている。
自分ではまっすぐ歩いているつもりだったがさっき縁石にぶつかってしまった。
先輩を無事駅まで送り届けるという使命があるのにふがいない。
「わたしのバカ……」
ぼそりと呟いたところで隣を歩く爽が握る彼女の手を引いた。
「コマー、俺ちょっと気分悪いかも」
「え!?大丈夫ですか?」
「ん~、どっか休憩……あっちにそういうのあった気がする」
爽に指さされた方向は駅から少し外れるが、喫茶店かファーストフード店でもあるのかもしれない。
ともかく気分が悪い相手を無理に歩かせ電車で帰らせるのは酷だ。
それにどこかお店に入っているうち自分も酔いが醒めてくるだろう。
そう判断して小鞠は頷いた。
「わかりました。歩けますか?」
「なんとか大丈夫。コマもふらついてるみたいだけど……」
「わたしもちょっと足にきてるみたいです――けど頭はしっかりしてますから」
「俺は気分悪いだけだからコマ、俺に寄りかかってるといいよ」
いきなり爽に肩を引き寄せられた小鞠は硬直した。
(かかか肩!抱かれてますけどっ)
そのまま歩き出す彼に何も言えないままついていくだけの小鞠は、もはや周りの状況など目に入っていなかった。
憧れの先輩と手を繋ぐだけじゃなくて肩まで抱かれましたっ。
この状況はいったいなに!?
まるでカップルみたいじゃないですか。
ていうか手を繋ぐから一足飛びに肩を抱かれるなんてことあるのですかっ。
(もしかしてミネ先輩もわたしのことが好きとか――)
いいや、ここは冷静になろう。
乙女な妄想はイタイだけだから。
こんなカッコ可愛い人だったら女の子なんて選り取り見取りだからねっ!
(にしても本格的にお酒が回ってきたかも……なんかぐらぐらしてきた)
歩きながら小鞠は額をおさえる。
小鞠の場合、許容量までの酒ならば少し陽気になる程度で、本格的に酔っても絡むだとか脱ぐだとかいう悪癖はない。
ただ眠くなるのだ。
この事実は成人した折、菊雄と冠奈に飲みに連れて行ってもらったときに判明した。
行きつけの店に連れて行ってもらい、案外お酒っておいしいとかなんとか思いながら楽しく時間を過ごしていたはずが、あるところからふつりと記憶がなくなり目が覚めると菊雄と冠奈の家だった。
眠ってしまったのはたまたまかと何度か二人と飲んで、一定量を超えると酔って眠ってしまうことがわかったのだが、それを知った菊雄からは信頼できる人間がいない場所では絶対に許容量を超えて飲むなと言われた。
最悪、ヤバイと思った段階で電話をしてきなさいとも。
迎えに行くからと言われているのだ。
(でもマスター。この状況で電話なんて……ミネ先輩の介抱もさせちゃうことになるし)
どこかお店に入ったら水を飲んで酔いを醒ませばなんとか眠らずにいられるはず。
「コマ、黙っちゃって――歩くのが辛いとか?とりあえずここで休憩してこう」
「え?あ、大丈夫で……す?」
俯いたままだった小鞠は顔をあげて言葉が出なくなった。
目に飛び込んできた文字を理解するのに数秒かかる。
その間に爽に肩を抱かれたまま側にあった自動ドアの内側に連れ込まれた。
「ちょ……ミネ先輩!?ここって――」
「ん?だから休憩できるとこ。ベッドあるし横になれるだろ。コマ、まっすぐ歩けないんだし、俺も酔いを醒ましたいしちょうどいいじゃん」
「き、気分が悪いんじゃ」
「だからそれ、酒のせいでだと思うし……部屋は――これでいっか。お互い酔いを醒ますだけだしね?」
「……は、い」
笑顔で爽に言われて小鞠は思わず返事をしてしまった。
(た、確かにここはベッドがあるけれどもっ。だから酔いを醒ますこともできるけれどもっっ……でもでも――えぇ!?)
初めて入る場所に小鞠は動揺とパニックとで思考回路が追いつかない。
逆に爽は慣れた様子で彼女の手を取り奥へと進んでいく。
「あ、あのミネ先輩」
「んー?」
「やっぱりここはちょっと……驚いて酔いも醒めた感じがしますし――」
「でもコマはまだ足がおぼつかないみたいだけど?部屋で冷たい物でも飲んで休めばいいよ。ふらふらするコマを歩かせるより俺もそのほうが安心だから」
これは親切心から言ってくれてるのだろう。
(酔いを醒まそうとして……ってことなんだよね?)
後輩の面倒見が良くて、体調が悪いのに大学祭の手伝いまでしてくれるような優しい人だもの。
場所が場所だけに身構えてしまったが、爽を信用しきれない素振りを見せてしまったのは失礼だったと小鞠は思い直す。
「ミネ先輩も休んでくださいね」
部屋の扉を開ける爽は小鞠に向かって微笑んだ。
「コマがいればきっとサイコーに気分がよくなるよ」
室内にはベッドが一つ。
それを見た瞬間、小鞠は固まってしまった。
ここがどんな用途で使われる場所かリアルに感じられたからだ。
「ベッドに横になったら?俺、タオル濡らしてくるし頭冷やせば?」
「は、はい……っあ、いいえ!ミネ先輩がベッドを使ってください。タオルもわたしが」
爽に声をかけられなければどうしたらいいかわからないまま立ち尽くしていたかもしれない。
「もしかしてコマって初めて?」
「は、えぇ!?ミネ先輩、な、何を――」
「や、俺はラブホ初めてって聞いたつもりなんだけど――でもふーん、いまのでわかった。コマって初めてなんだ?」
くすくすと笑う爽が小鞠の肩に手を回した。
「ひ」と引きつったような声を彼女が漏らすとからかうような笑みを刻む。
「俺が肩を抱くだけで強張っちゃうし。そんなに硬くならなくて大丈夫だから」
覗きこむようにして笑顔を向けられ小鞠は少し遅れて口の端を持ち上げた。
そのまま爽にベッドに座らされる。
「コマ、リラックス~。カバン置いて。ほら、ジャケットも脱いじゃおう」
「あ、あのミネ先輩。わたし自分で――」
「いいから。じゃ横になって」
思いがけず強い力で両肩を後ろに引き倒された小鞠はベッドに仰向けになっていた。
「だからベッドはミネ先輩が使ってくださいって……っ?先輩?」
起き上がろうとしたはずが爽に押さえつけられてかなわなかった。
それどころか相手がのしかかってきたため小鞠は目を見開く。
「ちょ、先輩……や、嘘っ……やだっ」
「なんで?コマ、俺のこと好きなんでしょ?俺もコマが好きだし、だったらこうなるのって自然だよ。――ね?」
爽に「好き」と言われて小鞠は動きを止めた。
「好……き?」
そんな彼女に向かって彼は微笑みを浮かべて体を寄せてくる。
「ああ、好きだよ。コマ」
爽の唇が小鞠の唇を奪った。
(う、嘘……わたしミネ先輩とキスしてる)
けれど爽の舌が口腔に入ってきたことでとっさに手を突っぱねた。
「ミ、ネ先……」
「コマ――平気だから。力抜いて」
「先輩、待――っん、む」
わずかに離れたと思った唇はまたしても塞がれ、先ほどよりも強引に舌が差し込まれた。
突っぱねていたはずの手は彼に掴まれてびくともしない。
(なにこれ?なんでこんなことになってるの?)
口腔内で暴れるように蠢いていた舌が小鞠の舌を絡めとって離れた。
「キスの経験もなし、とか?全部まっさらか。いいね、コマ」
そう言った爽が首筋に顔を埋める。
直後に感じるヌルとした感触はなんだろうか。
小鞠は半ば呆然として爽にされるがままだった。
(先輩、わたしのこと好きって……だからこれはいいの?)
自然な流れだと思えばいいのか。
けれど小鞠の頭の中で警鐘が鳴り響く。
何か違う気がする。