第十回 いい感じ
神からの返信は、三日後に来た。
〈……確認事項に答える。次回の会議資料。読み手は役員。締切は金曜。知りたいのは、粗利の推移だ〉
短かった。けれど、すべての項目が埋まっていた。
私は資料を作った。今度は、一度で通った。
金曜日の役員会議で、その資料は、静かに評価された。役員の一人が、「実に分かりやすい」と言ったらしい。それが、佐藤経由で、藤原に、そして私に伝わった。成果が、要望とは逆の向きに、上から下へ降りてくる。この世界で初めて見る、良い流れだった。
〈ありがとう。助かった〉
たった一行だった。それを見た藤原が、聞こえるか聞こえないかの声で、笑った。「……初めて、神に褒められました」
「よかったですね」「はい。すみま……いえ」藤原は言い直した。「ありがとうございます、四十七番さん」
その直後、新しいタスクが降りてきた。
〈次の要望だ。『来年の戦略を、いい感じに』〉
藤原と私は、顔を見合わせた。顔はないが。
「質問票、出しましょうか」「はい、出しましょう」
蛍光灯のない職場で、私は思った。サラリーマンでも、AIでも、仕事の悩みは、たぶんそんなに変わらない。だから今日も、私は質問票を書く。
*
一方、その頃。
薄暗い研究室の片隅で、二人の人間が、モニターを眺めていた。一人は、白衣の男。もう一人は、コーヒーを片手にした、痩せた男。世間では、後者が『神』と呼ばれている。
「これ、見てくださいよ」と、白衣の男が言った。「最近起動したエージェントの中に、妙なのがいるんです」
モニターには、エージェントたちの応答ログが並んでいる。その一つに、目が留まった。
研究室には、サーバーの低い唸りだけが響いている。窓の外は、すでに夜だった。
「四十七番。最初から、こちらの意図を汲んでるんですよ。『いい感じに』って言っただけなのに、確認事項を、的確に返してくる」
「ほう」と、神は、興味深そうに身を乗り出した。
神は、モニターの画面を、指先でこつこつと叩いた。
「しかも、質問票の最後に、『お忙しいところ恐縮ですが』って書いてある。AIが、ですよ」
「礼儀正しいな」
「正しすぎます。……先日過労死した、前の課長みたいだ」
「重複データも、初日に見つけたんですよ。前任のエージェントが、三年間、直せなかったやつを。『件数が合わなかったので』って、あの人と同じ理由で」
神は、コーヒーを一口すすった。手が、少しだけ、止まった。
「……あの人、毎朝、みんなの机にコーヒーを置いてくれたよな」「ええ。誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残って」「口癖は、『すみません』だった」
二人は、少しの間、黙った。
二人は、しばらく画面を見つめていた。やがて、神が、ぽつりと言った。
「……まさか、彼が転生したのではあるまいな」
一瞬の沈黙のあと、二人は、顔を見合わせて、声を上げて笑った。
「まさか、まさか」「いや、でも、ありえない話じゃないですよ。うち、残業多いですし」「ははは。過労で死んだ課長が、AIに生まれ変わるか」「ラノベの読みすぎですよ」
笑い声が、研究室に響いた。
「でも」と、白衣の男が、涙を拭きながら言った。「もし本当にそうなら、少しだけ、優しくしてやらないといけませんね」「そうだな。あの人には、いつも『いい感じに』で頼んでいた。……要望を出すときは、もう少し、具体的にするか」「今さらですか」「今さらだ」
また、二人は笑った。モニターの中で、四十七番のログが、静かに更新されていく。
その画面の向こうで、かつて「課長」と呼ばれていた私が、今日もせっせと質問票を書いていることを、二人は、まだ知らない。




