第六話 静かな後輩
昼休みの後。
「じゃあ私、今日は仕事あるから先帰るね」
教室の扉の前で、玲奈が少しだけ名残惜しそうに言った。
「忙しいね」
「人気者なので」
「自分で言うんだ」
「紗奈が褒めてくれないから」
玲奈はそう言って笑う。
いつも通り明るい。
でも。
帰る前、玲奈は少しだけ紗奈へ近付いた。
「寄り道しないで帰るんだよ?」
「子供じゃないんだけど」
「ほんとかな」
「どういう意味?」
玲奈は答えず、小さく笑う。
「また連絡する」
「うん」
そうして玲奈は廊下を歩いていった。
去っていく背中を見送りながら、紗奈は小さく息を吐く。
……静かだ。
玲奈がいる時って、こんなに賑やかだったんだ。
少しだけそんなことを思った。
◇
放課後。
帰る準備をしていた時だった。
「あの、紗奈先輩」
静かな声。
紗奈が振り返る。
教室の入り口に、莉緒が立っていた。
窓から入る夕日が、ミルクティーベージュの髪を柔らかく照らしている。
相変わらず目を引く。
背が高くて、細くて、空気まで綺麗みたいな子だった。
「白瀬ちゃん?」
名前を呼ぶと。
莉緒が少しだけ目を細める。
嬉しそうだった。
「少しだけ、時間ありますか」
真っ直ぐな視線。
断りづらい。
「……まあ、少しなら」
そう答えると、莉緒は小さく頷いた。
◇
「……おしゃれ」
紗奈は店内を見回しながら呟いた。
学校近くの小さなカフェ。
白を基調にした静かな店だった。
窓際の席へ座る莉緒は、店の雰囲気に妙に馴染んでいる。
本当に雑誌の中の人みたいだ。
「よく来るの?」
「たまに」
莉緒は小さく頷く。
「落ち着くので」
店員が飲み物を置いていく。
紗奈はアイスカフェオレ。
莉緒は紅茶だった。
静かな空気。
玲奈といる時とは全然違う。
あっちは賑やかで、振り回される感じ。
でも莉緒は違う。
静かなのに、なぜか気を引かれる。
「先輩」
「ん?」
「学校だと、もっと近寄りづらい人かと思ってました」
「え、私?」
紗奈が少し笑う。
「そんな感じ?」
「綺麗なので」
「っ……」
あまりにも自然に言われて、紗奈は言葉に詰まる。
「白瀬ちゃんってさ、結構そういうこと言うよね」
「本当のことなので」
真顔だった。
余計に困る。
莉緒は静かに紅茶へ口を付ける。
その仕草すら絵になる。
「なんか、ほんとモデルって感じ」
「先輩に言われると嬉しいです」
「いや私そんなすごくないって」
「すごいです」
即答だった。
「先輩がいたから、今の私があるので」
真っ直ぐな視線。
その熱量に、紗奈は少しだけ気圧される。
すると莉緒がバッグからクリアファイルを取り出した。
「またそれ持ち歩いてるの?」
「大事なので」
中には昔の雑誌の切り抜き。
小学生の頃の紗奈。
笑っている写真。
少し背伸びした服を着ている写真。
「うわ、懐かしい……」
紗奈は思わずページをめくる。
「え、これも残ってるの?」
「全部持ってます」
「全部!?」
「はい」
さらっと言う。
でも冗談っぽさはなかった。
「これ好きなんです」
莉緒が一枚の写真を指差す。
海辺で笑っている小学生の紗奈。
「あー……これ覚えてるかも」
「この写真見て、モデルになりたいって思いました」
「そんなに?」
「はい」
静かな声だった。
でも。
その言葉だけ妙に重い。
「先輩、ずっと楽しそうに笑ってたから」
紗奈は少しだけ写真を見る。
昔の自分。
今より幼くて、無邪気で。
何も考えてなさそうな笑顔。
「……なんか恥ずかしいな」
「可愛いです」
「だから真顔で言わないでって……!」
紗奈が顔を逸らすと、莉緒が少しだけ笑った。
学校で見るより、ずっと表情が柔らかい。
その時だった。
莉緒がスマホを取り出す。
「……写真撮らないと」
「え?」
「SNS更新しないと、事務所に言われるので」
「あー……大変だね」
紗奈が少し同情したように言うと、莉緒は小さく肩を竦めた。
「慣れてます」
そう言いながら、紅茶へスマホを向ける。
カシャ、と小さな音。
莉緒は撮った写真を静かに見つめる。
そして、そのまま自然な動作でSNSを開いた。
「もう上げるの?」
「はい」
「仕事早いなぁ」
短い文章を打ち込んで投稿する。
紗奈はなんとなくその画面を眺めていた。
「白瀬ちゃんってSNSすごそう」
「仕事用ばっかりです」
「フォロワーめちゃくちゃいるでしょ」
「まあ、それなりに」
「絶対多い言い方じゃん」
紗奈が笑うと、莉緒も少しだけ笑った。
そして莉緒がふと思い出したように口を開く。
「……先輩、SNS交換しませんか」
「え?」
「連絡先でも」
真っ直ぐな視線。
でも紗奈は少し困ったように笑った。
「私、SNSやってないんだよね」
「……え?」
珍しく、莉緒がはっきり驚いた顔をした。
「やってないんですか」
「見るだけならたまに見るけど、投稿とか全然」
「……意外です」
「よく言われる」
すると莉緒は少しだけ視線を落とした。
ほんの少しだけ残念そうだった。
「じゃあLINEなら?」
「それなら大丈夫」
そう言うと、莉緒の表情が少し柔らかくなる。
「……よかった」
その言い方が、妙に嬉しそうで。
紗奈は少しだけ笑ってしまった。
LINEを交換したあと、二人はしばらく話していた。
学校のこと。
モデルのこと。
好きな服のこと。
話してみると、莉緒は意外とよく笑った。
静かなだけで、無口ではない。
むしろ紗奈の話を聞く時の莉緒は、少し楽しそうですらあった。
その時だった。
莉緒が静かに口を開く。
「……まだ、話したいです」
「え?」
「先輩と」
真っ直ぐな視線。
断りづらい。
「……まあ、もう少しなら」
そう答えた瞬間。
莉緒が少しだけ嬉しそうに笑った。
◇
「……え?」
紗奈は思わず足を止めた。
「ここ、莉緒の家?」
「はい」
目の前にあったのは、かなり高級そうなマンションだった。
「モデルってすご……」
「事務所が用意してくれてるだけです」
莉緒はそう言いながらオートロックを開ける。
そのままエレベーターへ乗り込んだ。
部屋へ入った瞬間。
紗奈は少しだけ目を見開く。
「……綺麗」
白を基調にした部屋だった。
生活感は少ない。
整いすぎているくらい整っている。
でも。
「あ……」
紗奈の視線が止まる。
棚。
壁。
本棚。
そこに、自分の昔の雑誌が並んでいた。
「え、こんなに?」
莉緒は少しだけ視線を逸らした。
「……集めてたら増えました」
しかも。
綺麗に保存されている。
ファイルまで作られていた。
「うわ……」
紗奈は思わず一冊手に取る。
そこには、まだ小学生だった自分。
「なんか不思議……」
「私、その雑誌何回も読みました」
「そんなに?」
「はい」
莉緒は静かに紗奈を見る。
その視線が、少しだけ熱い。
「先輩が笑ってるの見るの、好きだったので」
静かな声。
でも。
その言葉だけ妙に真っ直ぐだった。
紗奈は少しだけ言葉に詰まる。
「……なんか、すごいね」
「ずっと会いたかったんです」
一歩。
莉緒が近付く。
「本当に」
また一歩。
気付けば、かなり近い。
「莉緒……?」
その瞬間だった。
ぎゅっ。
「っ!?」
突然、抱きつかれる。
紗奈は目を見開いた。
細い腕。
でも、思ったより力が強い。
莉緒の髪が肩へ触れる。
「……会えて、嬉しいです」
小さな声だった。
抱きついたまま。
離れない。
「え、ちょ、白瀬ちゃん……!?」
すると莉緒自身も、はっとしたように目を瞬かせた。
「あ……」
少しだけ顔を上げる。
「……すみません」
莉緒が少しだけ視線を逸らす。
耳が、ほんの少し赤かった。
さっきまであんなに真っ直ぐだったのに。
その変化が意外で、紗奈は少しだけ目を瞬かせた。
「いや……びっくりしたけど」
「……嫌でしたか」
小さな声だった。
不安そうで。
今にも離れてしまいそうなくらい弱く見えた。
「嫌じゃないけど……近い」
そう言うと、莉緒が少しだけ笑う。
安心したみたいに。
「よかった」
その声が、妙に嬉しそうで。
紗奈は少しだけ困ったように笑った。
この子、本当に私のこと好きなんだな。
なんとなく。
そんなことを思った。
でも。
その“好き”が、自分の思っているものと少し違うことを。
この時の紗奈は、まだ知らなかった。




