第五話 気になる後輩
翌朝。
「……眠い」
教室へ入った瞬間、紗奈は小さくため息を吐いた。
昨日は玲奈が帰った後も、なんだか落ち着かなかった。
家に誰かがいた。
ただそれだけなのに、妙に新鮮で。
しかも相手が玲奈だから余計に疲れる。
「紗奈」
「うわっ!?」
突然後ろから名前を呼ばれて、紗奈は肩を跳ねさせた。
振り返ると、玲奈が楽しそうに笑っている。
「びっくりした」
「急に後ろから話しかけないでよ!」
「ごめん」
全然悪びれてない顔だった。
玲奈はそのまま自然に紗奈の隣へ並ぶ。
「眠そう」
「誰のせいだと思ってるの……」
「私?」
「自覚あるんだ」
「ちょっとだけ」
くすっと笑う玲奈。
朝から距離が近い。
というか、昨日よりさらに近い気がする。
「ちゃんと帰れた?」
「帰ったよ」
「眠そうだけど」
「紗奈の家、居心地良すぎた」
さらっとそういうことを言う。
心臓に悪い。
「また行きたい」
「駄目」
「即答」
「アイドルが頻繁に来る場所じゃないの」
「じゃあこっそり行く」
「そういう問題じゃないって」
二人でそんな会話をしていると、周囲から視線を感じた。
「あれ、星崎さんまた月城さんといる」
「めっちゃ仲良くない?」
「昨日も一緒だったよね?」
ひそひそ声が聞こえてくる。
紗奈は少しだけ居心地悪そうに肩を竦めた。
でも玲奈は気にした様子もなく、普通に紗奈の机へ肘をついていた。
「今日お弁当?」
「うん」
「楽しみ」
「玲奈のじゃないんだけど」
「見るだけ」
「圧が強いなぁ……」
すると玲奈がふと紗奈の髪を見る。
「今日も二つ結びなんだ」
「まあ学校だし」
「昨日のも好きだった」
「っ……!」
思わず言葉に詰まる。
玲奈は本当にこういうことを自然に言う。
「玲奈さ、絶対人たらしだよね」
「紗奈にしかこんなの言わない」
真顔だった。
余計に困る。
◇
昼休み。
結局いつものように玲奈と一緒に昼を食べることになった。
「今日も美味しそう」
「まだ開けてもないけど」
「分かる」
「何その自信」
屋上へ向かおうとした時だった。
「あの」
後ろから声が聞こえる。
二人が振り返る。
そこにいたのは、一人の女子生徒だった。
淡いミルクティーベージュのショートボブ。
整った顔立ち。
静かな雰囲気。
それに、女子にしてはかなり背が高い。
紗奈より頭一つ近く高くて、すらりとしている。
まるで本当にモデルみたいだった。
でも、その視線だけは真っ直ぐだった。
「あ……」
紗奈は思わず声を漏らす。
この間、廊下で自分を見ていた子だ。
「……月城紗奈先輩、ですよね」
「え? あ、うん」
すると隣で、玲奈が少し目を見開いた。
「……え、莉緒」
少女——莉緒が静かに玲奈を見る。
「星崎玲奈さん」
「やっぱり本人だ」
玲奈が少し苦笑する。
「知ってるの?」
紗奈が聞くと、玲奈は肩を竦めた。
「そりゃ知ってるよ」
「え?」
「今一番勢いあるモデルさんじゃん」
「えぇ!?」
紗奈が思わず莉緒を見る。
莉緒は少し困ったように目を逸らした。
「そんな大したことないです」
「いやいや、めちゃくちゃ有名だよ」
玲奈が普通に言う。
「一年にすごいモデルいるって噂には聞いてたけど、白瀬さんだったんだ」
「何回か雑誌でご一緒しました」
莉緒が静かに言う。
「あー……あったね」
玲奈はそう言いながらも、少しだけ不思議そうに莉緒を見ていた。
仕事で会った時の莉緒は、もっと淡々としていた。
こんな風に感情を出すタイプじゃない。
でも今の莉緒は違う。
真っ直ぐ紗奈だけを見ている。
「えっと……どうしたの?」
紗奈が聞くと、莉緒は少しだけ迷うように視線を揺らした。
そして、小さく息を吐く。
「……ずっと、話してみたかったんです」
「え?」
「先輩のこと、昔から知ってたので」
紗奈は目を瞬かせる。
「……本当に同じ学校だったんですね」
「え?」
「ずっと信じられなくて」
その声は静かだった。
でも。
どこか嬉しそうで。
少しだけ熱っぽかった。
「先輩、昔少しだけモデルやってましたよね」
その瞬間。
紗奈の動きが止まる。
「……なんで知ってるの?」
「雑誌、見てました」
莉緒が静かに言う。
「小学生の頃、偶然見つけたんです」
そう言いながら、莉緒はスマホを取り出した。
透明なスマホケース。
その内側に、小さく切り抜かれた雑誌のページが挟まっている。
「……え?」
紗奈は思わず目を見開いた。
そこに写っていたのは、まだ幼い頃の自分だった。
少しぎこちなく笑っている、小学生の紗奈。
「うそ……」
「ずっと持ってます」
莉緒は真っ直ぐそう言った。
「これ見て、モデルになりたいって思いました」
その熱量に、紗奈は言葉を失う。
自分にとっては、ほんの少しだけやっていた昔の話だ。
親に勧められて。
言われるまま撮影して。
気付けば辞めていた。
その程度の記憶。
でも。
目の前の少女は、その頃の自分をずっと覚えていた。
「ずっと、会いたかったんです」
真っ直ぐな視線だった。
静かなのに、熱だけは隠れていない。
紗奈はすぐに言葉を返せなかった。
すると隣で、玲奈が小さく目を見開く。
「……あ」
「玲奈?」
「なんか分かったかも」
玲奈はスマホの中の紗奈を見つめながら、小さく笑った。
「昨日、写真立てにあった時の紗奈だ」
「え?」
「あー……」
紗奈は少し気まずそうに視線を逸らした。
昨日、家で玲奈が見ていた家族写真。
そこにいた小学生の紗奈と、雑誌の中の紗奈が重なる。
「……ほんとに昔からなんだ」
玲奈がぽつりと呟く。
その声は、どこか複雑そうだった。
莉緒はそんな玲奈を静かに見ていた。
一瞬だけ。
二人の間に、見えない空気が流れる。
静かな莉緒。
笑っている玲奈。
なのに、なぜか空気が張っていた。
紗奈だけが、状況を分かっていなかった。
「……あの」
莉緒が再び紗奈を見る。
「また話しかけてもいいですか」
「え? あ、うん」
紗奈がそう答えると、莉緒は少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑顔は、さっきまでより柔らかい。
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げる。
去っていく背中を見送りながら、紗奈はぽつりと呟いた。
「……なんだったんだろ」
すると隣で、玲奈が小さく笑う。
「さあ」
笑っている。
でも。
その視線は、どこか莉緒を警戒しているみたいだった。




