第63話
先に言っておきます。ざまぁ要素はありません!
一人前の魔法使いになるための試験をクリアしても、生活はさほど変わらなかった。
いや、変わったことやできることが増えたのだが、今のところ生活に大きな影響を与えていない、と言った方が正しい。
まず、フレイジーユ滅亡に伴って消失した国籍を、改めてラシガムで取得できた。これで正式にラシガム国民として暮らしていける。
次に、国籍を得たことで仕事ができるようになった。と言っても、ラシガムにとって労働は趣味のようなもの。その気になれば一人暮らしもできるが、シャルロットはまだエリックの実家に留まっていた。
料理を覚えるなど理由はいくつかあるが、最たるものが一つ。
フレイジーユから護送されてくる、アデルとヨハンナの情報だ。一人暮らしならば集合住宅が相場である。いくら石造りであっても、どこから話が漏れてしまうかわからない。その点エリックの実家であれば、家同士の間隔もほどよく離れている。よほど大声で話し合わない限り漏れ出る心配がなかった。
だから彼女たちが護送されてくるまでの約一ヵ月間、シャルロットは彼の家に留まりその時を待っていた。
「父さん、書斎を借りてもいい?」
「ああ、構わんぞ」
このやり取りがされる時は、アデルとヨハンナの件についてだ。
「シャルロット、ロゼットさん」
「はい」
《すぐ行くわ》
夕食後、すぐに三人で書斎へと向かう。
ドアを閉めると、エリックは口を開いた。
「ヨハンナとアデルの手続きが済んで、面会の準備が整いました。急ではありますが明日、本部に来てくれますか」
「……はい」
ついに来た。手の平にじわりと汗が滲む。
《ちなみに、あの小娘の方はどうなっているの?》
「今ヨハンナが抑えています。完全に乗っ取るなら魂を追い出すらしいのですが、シャルロットの境遇をそれなりに知っているからか、追い出さずにきちんと罰を受けさせるつもりです」
《あら、その意向は一緒なのね。よかったわ》
ロゼットが黒い笑みを浮かべている気がしたが、二人とも突っ込まない。誰だって藪を突いて蛇を出したくない。
「当日は、牢の中で押さえる役の憲兵が四人、応援と護衛で牢の外に二人、それから俺が付き添います」
《それくらいなら安全かしらね? 万が一襲ってきたら、魔法を弾いている間に隠蔽魔法で隠れながら逃げればいいし》
「本部の方でもその線で調整しています」
エリックはシャルロットの目を見据えた。
「シャルロット、俺たちが付いています。それでも緊張や不安で無理そうだったら、いつでも言ってください」
「……はい」
まだその時ではないのに、すでに動悸が激しい。頭から血の気が引く。
ついに、会う。
彼女と。
また消えろと言われるのだろうか。
どんな罵詈雑言を言われるのか――
「シャルロット」
体が硬いなにかに包まれた。温かい。
「大丈夫です。俺が付いています。なにがあっても守りますから」
エリックの声が降ってくる。それは不思議なくらい胸の奥に染み込んで、固く凍りかけた心を和らげた。
「……はい」
小さく頷く。
そう、きっと大丈夫だ。
きっと……。
◆ ◆ ◆
魔法憲兵本部の地下に繋がる階段を、何段も降りていく。
「こんなに深いところまで掘ったのですか?」
「拘束しても暴れるやつが多かったからね~」
「契約の強制解除や、再契約防止のための手錠を取り付けても尚、暴れまわったって話もあるからな。地上に声が届かないくらい地下深いところがお似合いなのさ」
前後をエリックと同僚の魔法憲兵に挟んでもらいながら、シャルロットとロゼットは階段を下りる。ぐるぐる回って何段降りたのかもわからなくなった頃、ようやく辿り着いた。
「はい、この奥だよ」
「ありがとうございます」
お礼を言い、エリックにドアを開けてもらう。
そこは、妙に広い空間だった。全体の三分の一程度のところで鉄格子により空間が区切られる。奥の三分の二の中央に、太い鎖でぐるぐる巻きにされた女がいた。俯いていて顔は見えない。髪は整えられているが艶がなく、何日も手入れされていないようだ。鎖は四本伸びていて、それぞれが四隅に座る魔法憲兵に握られている。
三分の一に当たるシャルロット側には、鉄格子の内外を見渡せるよう二人の魔法憲兵が向かい合って立っていた。
「ヨハンナ」
エリックがおもむろに口を開く。
「面会だ。顔を上げろ」
その声に応えるように、のろのろと女が顔を上げた。
シャルロットはお腹の前で重ねた両手に力をこめる。だが、すぐにそれが解けた。
(――誰?)
ヨハンナはアデルの体を依り代にしている。だからアデルの顔であるはずだった。
だが、顔を上げた女の顔は、肌がボロボロでハリを失い、唇も乾燥でひどくひび割れていた。伸び放題の髪も相まって浮浪者のように見える。
「……どなた?」
女がかすれた声で訊ねる。その声を聞いて、ようやくアデルらしい要素を見つけた。
シャルロットは一つ深呼吸をしてから答える。
「お初にお目にかかります、ヨハンナ様。シャルロットと申します。かつて、アルヴァリンド侯爵家の長女でありました」
そう挨拶すると、女――ヨハンナは目をいっぱいに見開いた。
「あ……ああ……! よかった、生きていたのね……!」
心の底からの安堵の声に、ロゼットの髪が揺らめく。
「〝ルビーの夜〟を引き起こしたラウラさんのお母様、と聞き及んでおります。なぜ、私を殺しかけたり、私の母を殺すよう仕向けたのですか。もっと早い段階であの国を滅ぼせるのではなかったのですか?」
シャルロットが訊ねると、ヨハンナは首を左右に振った。
「…………。一つずつ、お答えします。まず、あの国を滅ぼすためには力が足りませんでした。私が持つ魔力と呼応して、その力を最大限に発揮してくれる人間の選定です。滅ぼすのにちまちま時間をかけてはいられません。一日で、一晩で廃墟にできるほどの魔力を持ち、かつ私の魔力と呼応して暴走しないほどの大きな器を持つ者でなければならなかったのです」
「その条件を満たしたのが、アデルだったと?」
エリックの問いにヨハンナは頷いた。
「ですが、それだってあの国が魔法使いを再び輿入れさせる計画を立てなければよかっただけの話。あの計画を頓挫させるには、当時結婚していた魔法使いを殺す必要がありました」
《その必要がどこにあったの?》
声に怒気を含ませてロゼットが言う。
《あなたは国に娘を奪われた。それは同情するわ。でも、あなたの身勝手な復讐のために、この子は母親を奪われたのよ!? 同じ魔法使いであるあなたが、どうして私を殺すのよ!?》
「では聞きます。あなたは、見ず知らずの人間に『あの国はお前たち魔法使いを利用している。今すぐラシガムに逃げなさい』と言われて従いますか?」
《……それは》
「私が王家の計画を知った時、すでにそちらのお嬢さんは生まれてしまっていたのです。私の娘と同じ悲劇を、そう何度も繰り返させてたまるものですか。私は何度も人を騙し、体を乗っ取ってきました。今更人殺しなど怖くありません。毒になるお香の混ぜ方や惚れ薬のレシピを教えたのも、少しでも早く楽に死ねるように、そして王太子妃候補となってしまったあなたが国外へ逃げるチャンスを作るためでした」
「……まだるっこしいな」
エリックが頭を掻いた。
「シャルロットたちに直接接触して、誘拐してラシガムに放り込めばよかったじゃないか」
「そうなれば国際問題に発展するでしょう? 私は別に戦争が起きてほしいわけじゃないのです。最小限の被害で、フレイジーユを滅ぼしたいだけだったのです」
「…………」
ここで沈黙が落ちた。沈黙が続きすぎて耳鳴りがする。
「シャルロット、もういいですか?」
エリックが訊ねる。
「……最後に、一つだけ」
シャルロットはそう言った。
「娘のラウラさんは、〝虚〟に収容されたと聞きました。おそらく死後、転生の渦にすぐ飲まれたと思います。彼女の転生を待つ、あるいは一緒に転生の渦に飛び込むということはなかったのでしょうか?」
「愚問ですね」
ヨハンナは首を振った。
「たしかに、一度目の転生は記憶を持って生まれ変わるでしょう。でも、二度目の転生では記憶がすっかり失われる。そして私も記憶を失って新しい生を与えられる。……ならば、あの子を救えなかったせめてもの償いとして、あの子と同じ道を辿るまでですよ」
「……それを、ラウラさんが望んでいなかったとしても?」
「ええ」
ヨハンナはきっぱりと、シャルロットの目を見つめて言った。
「子どもを失った親はね、ずっと後悔するの。あの時救えなかったことを。忘れることなんてできない。時間では決して癒されない傷よ。その傷をつけてくれたあの国が同じ轍を踏まないよう、見張るのが私の生きがいだった。……そのことに後悔なんてない。あなたたちを傷つけ、殺したことも謝らない。……ただ、身勝手だけど願わせて。あの国から逃げ切れたあなたに、溢れんばかりの幸福を」
ヨハンナはそう言って、静かに頭を下げた。
《……本当に身勝手ね》
「お母様」
《それで謝罪のつもり? 私は――!》
「お母様、いいのです」
《シャーリー、でも!》
「お気持ちは受け取りました。あとは、原初の精霊様にお任せします」
《…………》
ロゼットはシャルロットを睨んでいたが、やがてヨハンナに向けて吐き捨てた。
《二度と人間に生まれてこないで》
それからエリックに向けて頷き、シャルロットたちは静かに部屋を出た。
「それにしてもシャルロット、本当に文句の一つも言いませんでしたね」
地上階に戻り、本部の給湯室の一角を借りてシャルロットたちとエリックは向かい合う。二人の間には淹れたばかりのお茶が大量の湯気を立ち上らせていた。
「もっと言ってもよかったんですよ? 本人もそれを覚悟していたでしょうし」
《むしろ私はもっと言いたかったわよ》
ロゼットの棘のある言葉にも、シャルロットは「うーん」と首をひねる。
「なんでしょう……会って思いましたけど、王都を滅ぼすほどの極悪人には見えなかったんです」
「はい?」
《ちょっと、本気で言ってる?》
「はい。ただ幸せに生きたかっただけなんです。〝ルビーの夜〟がそれを狂わせてしまっただけで」
フレイジーユ王家は婚約破棄劇がよく行われていた。もしかしたら、あれも古い魔法使いが残したなにかしらの魔法なのかもしれない。しかし国が亡ぶように差し向けられるほどの大事件は、王家の歴史から消された。そうして抗おうとしていたのかもしれない。
けれど結局、フレイジーユは滅びた。多くの国民を道連れにして。
シャルロットは言った。
「少しでも事情が違えば、私もきっと〝ルビーの夜〟を繰り返していました。その連鎖が断ち切られただけで、今はいいかなと」
《……我が娘ながら、聖人だわ》
「同感です」
「そうですか?」
呆れる二人にシャルロットは首をかしげる。
「少なくとも私は、私の家族を許したとは一言も言っていませんよ?」
《あら》
「ほう。その心は?」
「とりあえず、生きているのならば私と永遠に接触せずに生きつつ、強制労働の刑くらいは科してもらいたいなと思っています。可能なら〝虚〟に幽閉されてもらいたいです」
「ははっ」
エリックが笑った。
「善処しますよ」
「お願いします」
シャルロットは頷いて、お茶を一口飲む。
甘い香りがした。




