第55話
同じころ、カフェの新規開拓に連れ出されたシャルロットは、注文が終わるとジャネットに訊ねられた。
「ねえシャルロット、そろそろ聞きたいと思っていたことがあるんだけど、いい?」
「はい」
仕事のことだろうか、とシャルロットは思った。
魔法使いとして一人前と認められたら、シャルロットは晴れてラシガムの国民になれる。フレイジーユの崩壊によって面倒な国籍の手続きが消滅したから、そのあたりのハードルもぐっと低くなっていた。
基本的に、豊かかつ最小限の人員で国を回せるシステムのラシガムは、働いている人の方が少ない。エリック家でも働いているのはエリックとリアムくらいで、他の家族は個人の範囲で食べ物やファッションなどの研究に余念がない。
働かなくても十分に暮らしていける保障も法律によって確立されている。正直に言って、ラシガムでは労働は個人の趣味に位置づけられていた。
それでもこの国で暮らす以上、ちょっとくらいは貢献したいとシャルロットは思っていた。
精霊の力を借りて農園で働くのもいいし、王太子妃候補として国際情勢を勉強していたから、政治家の秘書という手もある。
あるいは、図書館に通い詰めていろいろなことを勉強するというのも――
「兄さんのこと、どう思っているの?」
「はい?」
予想外の方向から飛んできた話題に、思わず変な声が出た。
「え、ど、……どう? とは?」
混乱して頭が整理できない。曖昧な文脈について問い返すしかなかった。
「えっとね……。これ直球の方がいい?」
「いいんじゃない?」
「じゃあいっか。兄さんのこと、異性として好きかどうかって聞いたの」
「…………」
直球で返してくれてよかったが、逆に思考が停止した。
「ありゃ? シャルロット?」
「おーい」
ジャネットとエミリーが手を振ってくれるが、それに答える余裕はない。
エリックのことが異性として好きか。それはつまり、恋愛感情を持っているかどうかである。
ない、と。即答できない。
たしかにエリックは格好いい。魔法憲兵という難しそうな職に就いていて、ラシガム本国だけでなく世界中を飛び回っていただろう。
こちらに来る道中で盗賊を撃退した時も、精霊たちへの指示の出し方が鮮やかだった。いつか誰かと契約するなら、あれくらいスマートにやりたいと憧れた。
比較対象がなさすぎてもわかるくらい、女性への気遣いができている。馬車や船に乗り降りする際は手を貸してくれたし、陸酔いや二日酔いに悩まされている時も我がことのように心配してくれた。……酔い覚ましの薬を三人がかりで飲まされたのはちょっと恨んでいるが。
だがそれはあくまでもエリックの人間性に対する評価だ。彼個人を恋愛の対象として見ることはできる。しかし、なにせこの十五年間、まともな人間との交流が少なかった。
果たしてこの感情を恋愛に位置付けていいのかわからなかった。
なんだか顔を見られたくなくて、テーブルに肘をついて手を絡める。
「……ええと。エリックさんのことは、人間として、好きです」
「ふむふむ」
「ほうほう」
ようやく絞り出した言葉にジャネットたちが食いついた。
「ただ、その、……異性として好きなのかどうか、まだわかりません」
「そうなの?」
「そんなに顔真っ赤にしといて?」
「えっ」
思わず顔を上げた。慌ててロゼットを探す。
「そ、そんな顔していました?」
《そうねえ……》
ロゼットが意味ありげに笑った。
《なにも知らない人から見たら、恋に悩む少女かなって思うくらいには》
それは周囲にもバレバレということではないだろうか。しかも本人だけが無自覚という恥ずかしい状況。
「えええ~……」
シャルロットはなんとも言えない声を出した。
「で、でも、私が好きになって、エリックさんはご迷惑じゃないですか?」
「ないない。大丈夫。私らが保証するよ」
「むしろあれだけ熱視線を送られて気付いていないシャルロットの方が心配になってくるんだけど」
「熱視線、ですか?」
「家にいるときの兄さん、顔を合わせたらずーっとシャルロットのことを目で追っていたわよ?」
「話題を振るのもシャルロットが一番だし」
《まー、我が娘ながら鈍感だなとは思ったけれどね。フレイジーユ崩壊の一報を誰よりも喜んでいたのがエリックだったし》
「そうでしたっけ?」
「そうよ。飲めないお酒を取り出して『祝杯上げようぜ!』って言って父さんたちに止められていたんだもん」
「あれってそういうタイミングでしたっけ?」
たしかに、なぜか急にハイテンションになったエリックがワインを高々と掲げていたのを覚えている。
《そうよ。あれ、自分がフレイジーユに行けないからヤケ酒したかったのもあるんじゃない?》
ロゼットがくすくすと笑う。行ったら今回の事件を起こした犯人や侯爵家の生き残りにどんな暴力を振るうかわからなかったから、留まってくれてよかったと思う。
《それで、シャーリー? きっと人生で初めてだと思うけど、好きって感情を向けられた感想は?》
ロゼットに訊ねられて、いよいよ返答に困った。
だって、恋なんて一生縁のないものだと思っていたのだ。もしあったとしても、それは旅の途中で起こる一種のハプニングのようなもので。こんな風に、急に周りから指摘されて起こるものだとは思っていなかった。
ロゼットの言うとおり、嫌いという感情を向けられたことはあっても、好きだと思われたことは一度もなかった。少なくとも、シャルロットが自覚している範囲では。
フェルディナンドとの婚約も政略的なものだったし、王宮で顔を合わせて話したとしても政治的な事柄のみ。恋人ではなく戦友に近い認識だった。香水の力があったとはいえ、そういう可愛げのなさも愛想を尽かされた理由の一つだろうとシャルロットは考えている。
だからというわけではないが、シャルロットは人を好意的に思ったこともゼロに等しかった。他人との交流がなかったのだから当然である。
そこに降ってわいたエリックの好意に対して、シャルロットは――
「…………。そ、そもそもなんですけど」
「ん? うん」
「か、仮に好きなんだとしたら、どうしたらいい、で、すか……?」
尻すぼみになりながら質問に逃げた。
ロゼットたちが顔を見合わせる。
「そっからかー……」
《ま、急に言われたら動転するか》
「えー、顔を合わせるとか話すとかはできてるからー……」
エミリーがにやりと笑う。
「デートとか?」
「デート?」
思わず顔を上げる。
《わお、急にハードル上げてきたわね》
「だって次の段階って言ったらそれじゃん。ねえねえシャルロット、どこに兄さんを誘いたい?」
「さ、誘う!?」
自分でもわかるくらい顔が熱くなった。急に大人な雰囲気が出てきた。というか誘うって、どこに!?
《シャーリー、難しく考えなくていいの》
ロゼットが助け舟を出す。
《要するに一緒に街を見て回るのよ。一日じゃ時間が限られているから、観劇や博物館の鑑賞なんかがポピュラーね》
「あ、な、なるほど」
そう考えればたしかに多少はハードルが下がる。今まではジャネットたちに振り回されてあちこち見ていたが、デートではエリックと二人で特定の場所を見て回るということだ。
(でも、今までとなにが違うのかしら)
内心で首をかしげながら、シャルロットはおすすめデートスポットなる場所を三人からピックアップしてもらっていた。




