第29話
食事処が、水を打ったように静まり返った。
虚空に向かっていきなり「死にたい」と言い出したのだ。酔いもさめる。
シャルロットはしゃべり続けた。
「お母様が死んで、葬儀が終わった次の日に、あの人たちはやってきた。私の部屋に乗り込んできて、『ここが今日から私の部屋ね!』って明るく言い放った」
周囲がどよめく。再婚の時期は国によって様々だが、少なくとも半年から一年は喪に服す。書類上がそうであったとしても、事実上の再婚が葬儀の翌日だなんてあまりにも非常識だ。
「服も、ベッドも、髪紐も、すべて取り上げられた。……お母様が遺してくれたこの本だけ、『気持ち悪い』って、私と一緒に屋根裏部屋に押し込められた」
「……それ、あなたがいくつの時だったんですか?」
エリックが問う。砂漠の砂のように乾いた声だった。
「五歳です」
「はああ!?」
シャルロットの真横から怒声が上がった。さすがに飛び上がったシャルロットがそちらを見れば、顔を真っ赤にした用心棒たちがいた。
「なによそれ!? 奥さんが亡くなった次の日に後妻を連れてきたうえに、まだちっちゃい子を屋根裏部屋に閉じ込めたってこと!?」
「しかも『あの人たち』って言ってたよね? 他にも誰かいたんだよね?」
「はい。私と同い年で、半年遅くに生まれた妹が」
「「そんなやつ妹って言わない!!」」
ぎゃん、と吠えられた。
「あああああもおおおおおおっ! なんなのよそいつら! 人の風上にも置けないじゃないっ!」
「ご飯は大丈夫だったの? さすがに兵糧攻めはされてないよね!?」
「…………ち、厨房に、みんなが寝静まった頃に、残飯を」
「まともな食事くらいあげなさいよ!!」
「完全に殺す気じゃねえか」
女性たちが頭を抱えた。男性側からもぼそっと声が聞こえる。
「嬢ちゃん、あんたよく耐えたな」
「生きててくれてよかったよ。ほら、こいつも食え」
「これもだ。この馬宿の名物料理だぞ!」
周りのテーブルから色々な食事が載せられてくる。肉料理が多いのは、体力仕事の男性が多いからだろうか。
勧められるまま、正面に寄せられた肉料理をフォークで刺す。中まで白く火が通った、大きな鶏肉だ。ナイフで食べやすい大きさに切って口に運ぶ。
「どうだ? どうだ?」
持ってきただろう男性が訊ねる。
屋敷で盗んだ食べ物を口に詰め込んでいた時は、味を感じる暇なんてなかった。とにかく急いで食べないと、料理人に見つかって木の棒で叩かれた。屋敷を出て初めて、ゆっくりと味わう余裕ができたのだ。
お酒のせいで舌がぼやけているのか、あまり味は感じられない。だけど柔らかくて、繊維の一つ一つが感じられる。
あの時よりも味がわからないのに、もったいなくて飲み込めない。胸の奥に開いていた穴へ、一噛みごとに痛いほどの温かいものが流れ込んでくる。それが涙を押し上げて、留まるところを知らない。
「…………おいし、です」
なんとかそれだけ言葉にできた。
「だろ!?」
わっと人々が歓声を上げる。
「これも食え!」
「これもこれも! 俺らの奢りだ!」
「ちょっとー! テーブルに乗りきらない!」
「お腹破裂しちゃうよ!」
「おーい! 酒持ってこい酒!」
「この間成人したばっかりだから勘弁してやって!?」
「お!? だったら成人祝いでボトルを出せ!」
「だからぁ!!」
酒の追加注文をエリックが阻止しようとするが、お祭り騒ぎの彼らには届いていない。
「大丈夫? 飲み込めない? 苦手だったら吐き出しても大丈夫だよ?」
なかなか次の料理に手を付けないシャルロットへ、女性の一人が背中をさする。
「……もったいなくて」
「あら、でも食べない方がもっともったいないよ?」
「そうそう。一口ずつでもいいから食べてみて? これとかも美味しいよ?」
彼女たちが勧めてきたのは、焼いたパンの上に野菜や肉を乗せた料理だ。色々な味を楽しめるよう、乗っているものが皆違う。
シャルロットはようやく鶏肉を飲み込んで、そのパンに手を伸ばした。頑張れば一口で食べられそうな大きさのそれを、二口に分けて食べる。料理を出す時間に合わせて焼いたのか、パンは柔らかい。その上にある肉も噛み応えがあって、食べる人を飽きさせない。
ああ、おいしい。美味しい。
食べるものが、飲むものが、胸の奥の穴に染み込んでいく。その度に涙があふれて止まらない。
「……ずっと、消えろって言われてきました」
口の中のものを飲み込むと、言葉が口をついて出た。
「まだいたの? まだ生きていたの? って。さっさと消えろって。目障りだって」
「……なにそれ。そいつらぶっ飛ばしてやりたいんだけど」
再び室内が氷点下になる。シャルロットは涙を流したまま続ける。
「だから私も、はやく消えたいと思っていたんです。お母様の本がなかったら、あの屋根裏部屋で飢え死にを選んでいました」
肩掛け鞄をぎゅっと握りしめる。その中にあるラシガムの書は、母娘を繋ぐ唯一の品だ。
「王太子様の婚約者に選ばれたから、頑張れたんです。成人したら、学園を卒業したら、あの家を離れられる。それだけが、生きる理由だった」
「……でも、王太子から婚約破棄を言い渡された」
エリックが続けると、シャルロットは頷いた。
室内がまたどよめく。
「マジで?」
「俺、聞いたことある。たしか海向こうの国だ」
「えー……こんないい子を?」
「いい子じゃないですよ」
シャルロットは否定した。
「妹をいじめる極悪非道な姉で、学園では通っていましたから」
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