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紅蓮の華  作者: 穂積
第二章
14/14

疑問




ぼすんと間抜けな音を立てて落ちたクッションからは、三本の矢が生えていた。

しかしそれらが飛んできた方向を静かに見つめる紅蓮の顔には、焦りも怯えも浮かんでいない。


ただ、真っ直ぐ整えられた緑の茂みを見据えていた。






「柱の影に。」


ぽつりと落とされた言葉は、背後の侍女へ向けたもので。

一呼吸の後それに気付いたジジは、慌てたように顔を上げた。


「いけません、私が盾になります。レン様は…」

「問題ない。」

「ですがっ…」


なかなか引かないジジに眉を顰めた紅蓮の耳が、ギリと弦の軋む音を捉える。

苛立ちを現すように小さく舌打ちした紅蓮は、僅かに腰を落として軸足にぐっと力を籠めた。

ひゅ、と高く響いた音は、矢が空を裂く音か、はたまた背後の侍女が息を呑む音だったのか。

立ち上がることすらできないジジの目には、数本の矢を身体に受ける紅蓮の姿が見えた。

しかし。


「…なっ!!」


驚きの声を上げたのは、茂みの中の何者かである。

紅蓮に向けて放たれた三本の矢は、目にも止まらぬ速さで動いた紅蓮の衣服に全て絡めとられていた。


真後ろにいたジジは勿論、正面にいた何者かにも予想外の出来事だったらしい。

呆然とその背を見上げれば、綺麗な動作で二本の矢を払った紅蓮が、残る一本のやじりに小指を這わせているところだった。

そのまま口元に寄せた小指をぺろりと舐める赤い舌に、訳もなく妙な色香を感じて、ジジは慌てて目を逸らす。


僅かに眉を寄せた紅蓮が行儀悪くも唾を吐き捨てたが、顔を背けていたジジは気付かなかった。






「化け物め!!」


がさがさと、見苦しいまでに慌てふためいた様子で、茂みから男が三人飛び出した。

今度こそ立ち上がったジジは、彼らから隠すように紅蓮の前に出たものの、男たちは目をくれることもなく躓きながら駆け出していく。

紅蓮もそれ以上動く気はないのか、何も言わずただ視線だけを動かしていた。


「衛兵!衛兵!!狼藉者ですっ!!」

「ぐあぁっ!!」


高く上がったジジの声と共に、三人の男のうち先頭を走っていたものから悲鳴が上がる。

どさりと倒れこんだ男の先に見えたのは、蹴りを放った足を戻す上将軍、アッシル=クロード・オーバンの姿だった。


「ひぃっ…ちっ畜生!!」

「仕方ねぇっ向こうに逃げろ!!」

「馬鹿共が。そう簡単に逃がすかよ。」


流石に上将軍に真っ向から勝負を挑む気はないらしい。

動かない仲間を見捨てて、残る二人が真っ青な顔で踵を返した。

が、すぐに動いたクロードの手刀と蹴りからは逃れられず、そのまま二人ともあっけなく地に沈む。


「縛って布でも噛ませておけ。後できっちり吐かせるからな。」


伸びた男たちを足で退かしながら、背後の部下に指示を出したクロードが、少し駆け足で寄って来た。

がちがちに固まっていたジジの肩から、僅かに力が抜ける。


「すまない。まさかこんな所まで賊が入り込むとは。」


怪我は?と尋ねるクロードの声に、はっと肩を揺らしたジジが勢いよく振り返り、紅蓮の身体に目を向けた。

あちこちと、かすり傷すら見逃さないと言わんばかりの視線に、溜め息を吐いた紅蓮がゆるゆると首を振る。


「お怪我はございませんか!?」

「…大丈夫だ。」


それでも納得いかないのか更に言葉をかけてきたジジに、仕方なく言葉を返した紅蓮は先ほど受けた矢の一本をクロードに差し出した。

紅蓮の差し出した矢と足元に散らばる二本の矢、それからクッションに刺さったままの三本の矢。

それらを横目で確認したクロードが再び紅蓮の手にある矢に視線を戻す。


彼の顔には明らかな侮蔑の色が浮かんでいた。


「女を狙った上に多勢で矢を射掛けるとは。」

「根に触るなよ。毒矢だ。」


紅蓮の言葉に、クロードの眉が更に寄った。


「どこまでも卑怯な。」


紅蓮にしてみれば、手際も気配も素人だ。

このような場所に三人も送り込んでくる奴らも相当馬鹿だが、その侵入を許す側も許す側である。


ここ数日、訓練場や要所で見かけた兵の動きは悪くはない。

この目の前の上将軍にしても、あの王太子にしても、一対一で正々堂々勝負すればおそらく自分では押し負けてしまうだろう。

武術としてはそれほどの実力者ぞろいなのだが、如何せん忍ぶことにおいて、彼ら技術は到底高いとはいえなかった。

全てを見てはいないのではっきりとは言えないものの、この国の土地で紅蓮に忍び込めない場所は無いように思える。


「暗殺に卑怯も何もないだろう。こういうことは以前にもあったのか?」

「…全くないとは言えない。」


どこか歯切れの悪いクロードの言葉に紅蓮はふむと考えるように黙り込む。

短い沈黙の後ふいに顔を上げた紅蓮は、クロードを見据えて口を開いた。


「王太子殿下に話がある。貴方と、出来れば宰相殿にもご同席願いたい。できれば早急に席を設けたいのだが、掛け合ってもらうことはできるだろうか?」


はっきりと告げられた言葉に、クロードは僅かに目を見開いた。

















「レン殿からお声をかけて頂けるとは、明日は雨でも降りますかな。」


そんな皮肉とともに腰を下ろしたのは宰相モーリス・アッシュである。

にこにこと人の良い笑みを浮かべながら毒を吐くモーリスに、ローディンは小さく溜め息を零した。

投げられた言葉の先の女を見れば、歯牙にもかけない様子で形ばかりの礼をとっている。

その完璧な仕草にローディンは舌を巻く思いだった。


紅蓮が設けたこの席は、いずれ開かれる彼女の側室としての披露目の席の打ち合わせとして表向き設けられている。

その日、朝から行動を共にしていた王太子と上将軍は先に席に着いていたのだが、モーリスだけは別件の仕事があったらしく、少し遅れて参じたのだ。

老人とは思えぬ綺麗な所作で入ってきた宰相が、遅れた侘びと礼をとった後しゃあしゃあと告げた台詞が先ほどの一言である。


まぁ、モーリスの性格上、特に嫌って言っているというわけではないのだろうけれど。

ローディンはもう一度小さく息を吐くと、そのまま視線を紅蓮に向けた。


「先日、奥宮に賊が侵入したと聞いた。大丈夫だったか?」

「問題ありません。お陰様で負傷者も出すことなく事なきを得ました。」


静々と頷く紅蓮は、明らかに外面用の対応だ。

どうやら日々の授業の成果らしい。

何となく寂しい気もしないでもないのだが。

不要な気持ちを誤魔化すように、しっかりと頷いたローディンはちらりと上将軍に目を向けた。


「その侵入者なんですが…。」


割って入ったのはクロードだ。


「申し訳ありません、口を割る前に自害しました。」

「そうか…。」


その言葉に眉を顰めたのは紅蓮唯一人。

モーリスは狸よろしくにこにこと表情を崩さないままだったが、クロードに応えたローディンは仕方なしとばかりに息を吐いていた。

紅蓮にしてみれば“そうか”の一言で終わるような事態ではない。


「…生ぬるい。」


ぽつりと落ちた言葉に、男三人が目を向けた。

二人は訝しげに、一人はおやと片眉を上げて。


「あんな素人三人おめおめと腹に入れ、あまつさえ何の収穫も無しとは…。」


じろりと見据えた先には上将軍の姿。

流石のクロードも癇に障ったのか、むっと眉を顰めていた。

しかし、手落ちがあったのは事実だ。


「勘違いしないでください。私は別に、貴方を貶めているのではありません。」


何も応えず、じっとこちらを睨み付けるクロードに、言葉を切った紅蓮が視線を逸らすことなく続ける。


「この国の軍事力はとても素晴らしい。個々の実力も高く、それ故に纏める者である貴方がたの能力も私では計り得ないものをお持ちなのでしょう。」


ただ、と紅蓮が僅かに言葉を切った。


「…私が思うに、この国はあまり諜報や暗躍…つまり人知れず水面下で動く技術があまり進んでいないように思います。」


人材はある。

国力もある。

なのに、間諜だけが未発達。

紅蓮にしてみれば、政を行う上で欠かせない部門の一つだと思うのだが、砂に囲まれたこの王国には何故かその一点だけが欠けているように見えるのだ。


「…なるほど、それでわし等を呼ばれたか。」


静かに話を聞いていたモーリスが、納得したとばかりに息を吐く。

見れば、彼の人の顔からは先ほどまでの食えない笑みが綺麗さっぱり消え去っていた。



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