表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嫌われ義姉の幸福な誤算 〜冷酷な義弟がやたらと構って囲い込もうとしてきます〜  作者: 折若ちい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/12

第1話:氷の視線と、不穏な朝食

カラン、と繊細な銀のフォークが磁器の皿に触れる音が、やけに大きく食堂に響いた。


ブラント伯爵家の朝食の席は、いつだって息が詰まるほどの緊張感に満ちている。


豪奢なシャンデリアの下、長い大理石のテーブルの端と端に座る私――フィオリーナと、義弟のルシアン。給仕をする使用人たちさえも足音を消し、まるでガラスの細工を扱うかのように張り詰めた空気が漂っていた。


「……ルシアン。今日のスープ、あなたのお好きなトパーズ芋のポタージュよ。口に合うといいのだけれど」


私は努めて穏やかに、姉としての微笑みを浮かべて声をかけた。


だが、対面に座るルシアンは、ピクリとも表情を動かさない。


夜の闇をそのまま溶かし込んだような美しい黒髪に、陶器のように白い肌。そして、見る者すべてを射すくめるような冷徹なアイスブルーの瞳が、ゆっくりと私へと向けられる。社交界では「歩く至高の彫刻」などと騒がれているが、その美貌から放たれる威圧感は凄まじい。


「……姉上」


低く、地を這うような美しい声が私の鼓膜を震わせる。


「僕がいつ、その芋を好むと言いましたか。……余計な気遣いは不快です。これ以上、僕の領域に踏み込まないでいただきたい」


(ああ、今日も安定の拒絶だわ……)


私は胸の内でそっとため息をついた。


ルシアンのその冷ややかな一言で、食堂の温度がさらに数度下がったような気がする。使用人たちが一斉に視線を伏せるのが分かった。



私とルシアンは、血の繋がらない姉弟だ。


五年前、私の実母が亡くなった後、父が当時の公爵家の血を引くルシアンとその母親を迎え入れた。しかし、その後に両親が不慮の事故で急逝。残されたのは、まだ幼さの残る私たち二人だけだった。


ルシアンは生まれながらにして圧倒的な魔力と頭脳を持ち、若くして実質的にこのブラント家を、そしていずれ継ぐべき公爵家の領地をも完璧に管理している。


片や私は、これといった魔法の才能もない、素朴で平凡な長女。


優秀すぎる義弟にとって、血も繋がらず、何の役にも立たない年上の姉など、目障りなだけの存在に違いない。


現に彼は、私と目が合うたびに、まるで親の仇でも見るかのような恐ろしい眼差しで私を睨みつけてくるのだ。


(これ以上、彼に嫌われてブラント家の足を引っ張るわけにはいかないわね。……やっぱり、予定通りにしましょう)


私は膝の上できゅっと拳を握りしめ、心の中で決意を新たにした。


ルシアンの邪魔にならないよう、私は一刻も早くこの家を出て自立しなければならない。そのための手段として、先日、かねてより打診のあったエヴァンズ子爵家との縁談を進めてほしいと、家令のハンスに伝えたばかりだった。


子爵令息のトーマス様は、穏やかで平凡な方だと聞いている。私のような地味な女には、きっとお似合いの相手だろう。


「ごめんなさいね、ルシアン。以後、気をつけるわ」


私はいつものように彼を刺激しないよう、そっと立ち上がった。


これ以上ここにいては、彼の朝の気分を害するだけだ。


「少し早いけれど、私は失礼するわね。……今日も、お仕事無理をしないで」


そう言い残し、私は逃げるように食堂を後にした。

背中に、じっとりと張り付くような、刺すような視線を感じながら。


「……はあ」


自室に戻った私は、ドレッサーの前に座り込んで深い息を吐き出した。


鏡に映る私は、亜麻色の髪にオリーブグリーンの瞳という、実につつましい容姿をしている。


ルシアンのあの神々しい美貌の前に並べば、ただの背景の小石のようなものだ。彼が私を嫌い、遠ざけようとするのも無理はない。


「フィオリーナお嬢様、お茶をお持ちいたしました」


入ってきたのは、私の専属侍女のマーサだった。幼い頃から私を支えてくれている、信頼できる優しい女性だ。


「ありがとう、マーサ。……ねえ、例の件、ハンスには上手く伝わっているかしら?」


「はい。エヴァンズ子爵家との見合いの件ですね。ハンス様を通じて、正式に今週末の午後、王都のサロン『ブルー・ローズ』にてセッティングが進んでおります。……ですが、本当によろしいのですか? 旦那様方が亡くなられてから、お嬢様はいつもお一人で無理をなさって……」


マーサが心配そうに眉をひそめる。


「いいのよ。ルシアンももうすぐ成人を迎えるわ。彼がこの家を完全に継ぐ前に、私が居座っていては邪魔になるだけでしょう? 彼、私のことが本当に嫌いみたいだし……」


「それは……」


マーサは何とも言えない、複雑な表情を浮かべて視線を泳がせた。その様子に、私は苦笑する。使用人の目から見ても、ルシアンの私への態度は「狂気的なまでの拒絶」に映っているのだろう。


「だから、これでいいの。お見合い、上手くいくといいな」


私は自分を元気づけるように微笑んだ。



その日の午後。


私は伯爵家の裏手にある温室で、趣味である薬草の植え替えを行っていた。土をいじっている時間だけは、張り詰めた日常から解放されて心が落ち着く。


「よし、これで今年の冬も新しい傷薬が作れるわね」


満足して立ち上がり、汚れたエプロンを払おうとした、その時だった。


「――相変わらず、地味で生産性のない作業がお好きなのですね」


背後から突然響いた、冷ややかで、しかし酷く艶のある声に、私の心臓が跳ね上がった。


振り返ると、そこにはいつの間にか温室の入り口に佇むルシアンの姿があった。上質な黒の乗馬服に身を包んだ彼は、腕を組み、冷徹なアイスブルーの瞳で私を見下ろしている。


「ル、ルシアン!? どうしてここに……。お仕事は?」


「一区切りつきました。それより、姉上」


ルシアンが一歩、こちらへ足を踏み入れる。

彼の長い足が土を踏みしめる音が、妙に大きく聞こえた。いつもなら私に近づくことさえ嫌がるはずの彼が、なぜかまっすぐに私との距離を詰めてくる。


「……な、何かしら?」


思わず一歩身を引こうとしたが、背後は薬草の棚だ。逃げ場がない。


ルシアンは私の目の前で足を止めると、ふっと影を落とすように身を屈めた。彼の髪から、微かに香る冷涼な冬の空気のような香りが鼻腔をくすぐる。


「……エヴァンズ子爵家との見合いを申し込んだそうですね」


その言葉に、私は息を呑んだ。


まだハンスとマーサしか知らないはずの情報を、なぜ彼が握っているのか。


「どうしてそれを……」


「この屋敷のことで、僕の耳に入らない情報などありません」


ルシアンの瞳の奥に、いつもとは違う、どろりとした暗い熱のようなものが揺らめいた。彼は私の頬に手を伸ばしかけ――しかし、忌々しげにその手を握りつぶし、冷酷な笑みを唇に浮かべた。


「身の程を知りなさい、姉上。貴方のような無能で世間知らずな女が、他家に嫁いでまともにやっていけると思っているのですか? ブラント家の名を汚すだけです。今すぐそのくだらない悪あがきはやめなさい」


あまりにも容赦のない、冷たい言葉。


やはり彼は、私が他家へ行くことすら「ブラント家の恥」として嫌悪しているのだ。


「……ルシアン。貴方が私のことを不甲斐なく思うのは分かっているわ」


私は胸の痛みを堪えながら、まっすぐに彼の瞳を見つめ返した。


「でも、だからこそよ。私はこの家を出て、自分の力で生きていきたいの。貴方にこれ以上、迷惑をかけたくないのよ」


「迷惑……?」


ルシアンの低く呟いた声が、一瞬だけ激しく震えた。

彼の美しい顔が、まるで見当違いな絶望にでも打たれたかのように歪む。だが、それも一瞬のことで、すぐに元の氷のような無表情へと戻った。


「……フン、どこまで傲慢な。姉上がどうなろうと知ったことではありませんが、僕の視界の届かない場所で勝手な真似をされるのは不愉快です」


ルシアンは乱暴に髪をかき上げると、私に背を向けた。


「お見合いの件は、僕が直々に精査させていただきます。……せいぜい、当日まで身綺麗にしておくことですね。姉上がどれほど『無価値』であるか、その身で知ることになるでしょう」


それだけを言い捨てると、彼は大股で温室を去っていった。


残された私は、ぽつんと立ち尽くす。


(やたらと構ってくると思ったら……私の見合いを全力で邪魔して、家に縛り付けてこき使うつもりなのかしら?)


私の大きな誤算――彼が冷酷な仮面を被り、裏でエヴァンズ子爵家の裏調査(不祥事の炙り出し)を開始していることなど、この時の私は知る由もなかったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ