4.べろんべろん
翌る朝、いつも通り宮殿の見廻りを行う玉蘭は、一見いつも通りに装っているが、明らかに挙動がおかしかった。
いつも通り口数は少なく、周りに対してはつんけんとしているが、そわそわとしていてどこか落ち着きがない。
廊下の柱に頭をぶつける有様で、あの張にまで指摘されるのだから余程だ。
「やっぱり昨日の深酒が悪かったんじゃないか?」
「……うるさい。黙れ」
「うぇ、切れた美人はおっかない」
キッと睨むと張はぶつくさと呟いたが、無視をして額に手を当てる。
──やばい、記憶がない。
雪のような白い顔から血の気が失せて、真っ青なっている玉蘭には昨夜の記憶がなかった。
──いや、記憶が無いこともない。途中までは覚えている…⋯何となくだが。
昨夜はいつものように行きつけの酒場へ向かい、店の酒を片っ端から飲んでいた。
確か、邪気殺とか言う、なんでも珍しい酒を飲んだのが記憶の最後だった。
昔は有り触れた酒だったが、時が流れ行く中でこれを作る大酒蔵が無くなっていき、今では作れる所は小さな酒蔵一つしかない、とても希少な酒なのだと言う。
病は邪気に触れる事で罹ると言われていた時代があり、これを一口飲めば病を遠ざけると信じられていたそうだ。そこで邪気を払う払酒と言われるようになったとか。
その一方で、これを人から奪い飲んだ鬼が瞬く間に死んだと言う逸話あり、神酒とも言われているそうだ。
とにかく珍しい酒なのだ、と店主が言っていた。
──胡散臭いな。
怪しみながらも、勧められるままに渋々飲んで見ると、それはとても美味かった。
香りは少し鼻にツンとくるが、無色透明の見た目通りの澄み切った味わいで、程よい苦味も後には引かずすっきりとしている。
──はっ、こんなうまい酒で鬼を殺せるか。
同僚たちは少し舐めただけで吹き出して烈酒と騒いでいたが、玉蘭だけは上機嫌で勢い良く飲んでいった。
──多分五、六杯飲んだ、ような気がする。その辺りから思い出せない。
そして、下っ端武官では一生足を踏み入れる事が出来ない、王都の高級宿の一室で、目が覚めた。
自分の状況に流石の玉蘭も驚くあまり寝台から落っこちてしまった程だ。
慌てて宿の主人に問い質せば、宿代は既に支払われていた。主人の様子から宿代以上の金を掴ませられたようで、どんな奴が連れてきたのか頑なに教えてはくれなかった。
これでもしつこく食い下がって尋ね続けたが、最後には宿を追い出されてしまった。
何故大層金を掴ませられたと分かるかと言うと、普通ならば見窄らしい下っ端武官など泊める筈がないからだ。まず門前払いをされてしまうだろう。
実際宿の用心棒を使って犬ころのように追い出されてしまったのだ。
「あの邪気殺とか言う酒の飲みっぷりは凄かったな。豪酒のお前のべろんべろんになった姿は初めて見たぞ。ははっ、思い出して笑えてきた」
「……うるさい」
二度目のうるさいは、昨夜の自分の情けなさから弱々しい声だった。
「だがあの後、突然帰ると言って先に出たが、稀に見ない覚束ない足取りだったからヒヤヒヤしたなぁ。店を出る直前で戸に頭を思いっきりぶつけていたし、心配で慌てて追いかけて店を出たらもうお前の姿はなくてびっくりしたぞ」
笑いながら話す張の話を聞いていた玉蘭は恥ずかしさのあまり顔を両手で覆い隠していた。
──道理で朝からたんこぶが出来てたのか。
先ほどぶつけた所には元から頭にはたんこぶが出来ていた。ますます恥ずかさが増して顔を上げる事が出来なかった
「なぁ、昨夜は兵舎に戻らず何処へ行ったんだ?青楼へ行きそうに見えねぇし、もしかしてコレか?」
張は小指を立ててニヤリと笑みを浮かべる。
コレとは恋人を意味するものだ。
「……俺が何処へ行こうが良いだろう」
うまく答えようがなくて玉蘭は素っ気なく顔を背ける。
話を聞いているとさぞかし酔い潰れていたようなので、もしかするとどこかで眠ってしまい親切な誰かが宿へ運んで……と考えてぞっとした。
そんな親切心で一等宿に届けてくれる者などいない。あるとすれば下心だけだ。
目覚めた時に、一応念の為に体を、特に臍下の辺りをぐるりと一周、違和感が無いかを入念に調べたが異常はなかった。
そもそも一等宿に行ける程の身分となると高貴な方になる。
──そういえば夢の中で、左手に柔らかなものを感じた気がする。
懐かしき日々の思い出が朧げに頭の中に浮かび上がった。
左手をゆっくりと取ると、包帯の上からそっと唇を落とすその人。壊れ物でも触れるかのような優しさで、その後にこちらを見つめて微笑むのだ。
──まさか、いや、ありえない。
否定しながらも胸がとくとくと鼓動を打ち、触れられた左手を撫でる。
「だけど気をつけろよ。酔ったお前は、その、なんと言うか、目の毒だ」
口元を押さえる張はどこかぎこちなく、そちらこそ酔いが覚めて無いのか顔が少々赤らんでいる。
さらにちらちらと見てくるので気味が悪かった。
はぁ?と玉蘭が眉を顰めた時だった。
「おいそこの下っ端。少し良いですか?」
何処からともなく口の悪さと丁寧が順に流れてきた。
この時刻に人がいるとすれば⋯⋯
──不審者かっ!
油断していた二人は慌てて身構え振り返ると、そこに立っていたのは昨日麒麟門で見た、集団の中で一番若い男だった。
「陸子梓殿!?な、何の用でしょうか?」
張が上擦った声で尋ねる。表情はひどく強張っており、分かりやすく緊張しきっている。
陸子梓と言えば、高官をぶん殴って肋骨折る大怪我を負わせた、と言う噂がある。
小柄な少年とは思えないあまりの怪力さに、張だけではなく、殆どの武官が恐れていた。
「違う、お前ではない。用があるのは顔だけは良い方です」
張をしっしっと手で払うと玉蘭を指差した。
「私ですか!?」
「そうです。お前ちょっと私に付き合いなさい」
にこりと子梓が笑う。
高圧的で逆らい難い笑みに、隣に立つ張が玉蘭に向けて手を合わせていた。




